高橋健太郎

ディスコテックとビートミックスDJの起源【Vol.123】音楽と録音の歴史ものがたり

1960年代にフランスからアメリカにもたらされたディスコテックとDJという言葉。そこから同一テンポでつなぐビートミックスDJの始祖、フランシス・グラッソの登場と、彼らを支えた新しいDJ機器について記していきます。

Allison Researchが示したモダンコンソールの原形【Vol.122】音楽と録音の歴史ものがたり

Alison Research〜Valley Peopleでポール・バフが開発したKEPEXやオートメーションシステム。これらモダンコンソールの機能を先駆けて取り入れたシグマ・サウンドの隆盛と併せて追います。

フィリーソウルの音を確立したシグマ・サウンド誕生【Vol.121】音楽と録音の歴史ものがたり

ジョー・ターシアがフィラデルアフィアの212 North 12th Streetにシグマ・サウンドをオープンさせた1968年8月。そこからのシグマ・サウンドとギャンブル&ハフ、MFSB、トム・ベルとスタイリスティックスの快進撃を追います。

「Tighten Up」が後のフィリーソウルへ与えた影響【Vol.120】音楽と録音の歴史ものがたり

ジョー・ターシアがシグマ・サウンドを設立する以前、ギャンブル&ハフはまだ売れっ子とは言いがたいソングライター/プロデューサーチームだった。1967年に全米4位まで昇ったソウル・サヴァイヴァーズの「Express To Your Heart」が彼らの最大の成功作だっ…

フィリー・ソウルの胎動とギャンブル&ハフ+トム・ベル【Vol.119】音楽と録音の歴史ものがたり

ジョー・ターシアが率い、フィリー・ソウルの名盤を数多く生み出したシグマ・サウンド。今回はその前史として、シグマ以前のターシアや、フィリー・ソウルのキーマンたちのキャリアを見ていきます。

世界で1台のMCIカスタム・コンソールが生み出したヒット【Vol.118】音楽と録音の歴史ものがたり

マイアミのクライテリア・スタジオに導入されたカスタムメイドのMCIコンソールを軸に、当時このスタジオを拠点にしたエリック・クラプトン『461オーシャン・ブールヴァード』や、ビー・ジーズ、イーグルスの作品を紐解いていきます。

フェイムとマッスル・ショールズ・サウンド〜2つのスタジオ【Vol.117】音楽と録音の歴史ものがたり

MCI JH-400シリーズのコンソール導入などの点でも競い合った、マッスル・ショールズ・サウンドを生み出した2つのスタジオに迫っていきます。

ビル・シムジクとクライテリア・スタジオの目指した先端【Vol.116】音楽と録音の歴史ものがたり

エンジニアのビル・シムジクによるイーグルス『オン・ザ・ボーダー』のプロデュース、彼が重用したクライテリア・スタジオとMCIレコーダー/コンソールの関係に迫ります。

ストーンズとザ・バンドに携わった若き2人のエンジニア【Vol.115】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 『メイン・ストリートのならず者』を手掛けたジョー・ザガリーノ 1970年にロサンゼルスのサンセット・サウンドに導入されたAPIコンソール(ブッシュネル・コンソール)の最初期のユーザーとなったのがジャニス・ジョップリンとジム・モリソンだっ…

JENSENトランスとAPIオペアンプ【Vol.114】音楽と録音の歴史ものがたり

ニール・ヤング『Time Fades Away』で採用されたQUAD EIGHTのコンピューター制御のミキシング・システムを皮切りに、JENSEN TRANSFORMERSとAPIの成り立ちとオペアンプの隆盛を追います。

QUAD EIGHTとスティーリー・ダン〜ボブ・ディラン〜ニール・ヤング【Vol.113】音楽と録音の歴史ものがたり

多くのトップ・エンジニアが現在でもマイクプリ/EQのファースト・チョイスに挙げるNEVE 1073が開発されたのは1970年だった。1073モジュールはそれ以前の1066モジュールとほぼ同じデザインだったが、EQのポイントが異なる。内部的には使用するトランジスター…

QUAD EIGHT〜ELECTRODYNEはどこで使われていたのか?【Vol.112】音楽と録音の歴史ものがたり

多くのトップ・エンジニアが現在でもマイクプリ/EQのファースト・チョイスに挙げるNEVE 1073が開発されたのは1970年だった。1073モジュールはそれ以前の1066モジュールとほぼ同じデザインだったが、EQのポイントが異なる。内部的には使用するトランジスター…

NEVE 1073の完成と当時の米音楽スタジオ・コンソール事情【Vol.111】音楽と録音の歴史ものがたり

多くのトップ・エンジニアが現在でもマイクプリ/EQのファースト・チョイスに挙げるNEVE 1073が開発されたのは1970年だった。1073モジュールはそれ以前の1066モジュールとほぼ同じデザインだったが、EQのポイントが異なる。内部的には使用するトランジスター…

ジョージ・マーティンのAIRスタジオとNEVEコンソール+16trレコーダー【Vol.110】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ビンテージNEVEの評価を支えてきた奇跡的とも言える堅牢性 1969年にメルボルンの新しい工場に移転したNEVE ELECTRONICSは、大型コンソールの生産を本格化させた。NEVEがPENNY+GILESのフェーダーを採用したのも1969年からだった。 PENNY+GILESは…

ブルー・グレイのNEVEコンソールは世界のどこで受け入れられたのか?【Vol.109】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 パイ・スタジオへ導入されたブルー・グレイのNEVEコンソール NEVEコンソールのカラーリングが黒から、ブルー・グレイに変わったのは1968年だった。以後、それがNEVEのイメージ・カラーとなる。最初のブルー・グレイのNEVEコンソールはロンドンの…

ルパート・ニーヴのコンソールが1960年代に名声を得ていく過程【Vol.108】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 意外にもNEVEが登場しない1960年代のUKロック・シーン 1960年代後半のブリティッシュ・ロックの興隆と、ロンドンのスタジオ・シーンを見ていくと、サウンド・テクニクス・スタジオやオリンピック・スタジオといったインディペンデント・スタジオ…

ザ・ビートルズ“ゲット・バック・セッション”とレコーディング機器【Vol.107】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 映画『ザ・ビートルズ:Get Back』が明らかにした当時のスタジオ・ワーク 1968年10月のオリンピック・スタジオでレコーディングを終えた時点では、レッド・ツェッペリンはレコード契約を持っていなかった。ジミー・ペイジとマネージャーのピータ…

グリン・ジョンズのステレオ録音メソッドとHELIOSコンソール【Vol.106】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 レッド・ツェッペリンの1stのステレオ・ロック・ドラム・サウンド レッド・ツェッペリンの初レコーディング中に、ジミー・ペイジがエンジニアのグリン・ジョンズに提案し、ギター・アンプにオフマイクを立てたという話は、以前にも本連載の中で…

UKロックの梁山泊となったオリンピック・スタジオ【Vol.105】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ザ・ローリング・ストーンズの本拠地〜オリンピック・スタジオのコックピット・コンソール 1966年にフランスのコーラス・グループ、ル・スウィングルズがオリンピック・スタジオにやってきたときのニュース映画の映像をYouTubeに見ることができる…

ジョー・ボイドとサウンド・テクニクス・スタジオ【Vol.104】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ジョー・ボイドとジョン・ウッド〜サウンド・テクニクスが結びつけた二人の名匠 米エレクトラ・レコードのプロデューサー、ジョー・ボイドがインクレディブル・ストリング・バンドとともに、ロンドンのサウンド・テクニクス・スタジオにやってき…

トライデント・スタジオの8trレコーダーとザ・ビートルズ 〜【Vol.103】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 プロデュース・ワークで8trレコーダーに触れたビートルズ ジェームズ・テイラーのデビュー・アルバムに協力したポール・マッカートニーは、トライデント・スタジオでAMPEXの8trレコーダーに触れた。それはAMPEXが1967年に発表したAG-440の8tr版…

ジェフ・エメリックと4trの制約から編み出された工夫 〜【Vol.102】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ビートルズのエンジニアに大抜擢された19歳のエメリック 1965年8月、ジョージ・マーティンはEMIから独立。ロン・リチャーズらとともにアソシエイティッド・インディペンデント・レコーディングス(AIR)を設立した。マーティンは外部プロデューサ…

ノーマン・スミスの知られざる録音技術とザ・ビートルズ 〜【Vol.101】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 1962年6月6日のセッションとデビュー直前のピート・ベストの解雇 アビイ・ロードのスタジオ2は、レコーディング・ブースのワンフロア上にコントロール・ルームが設置されていた。レコーディング・ブースからコントロール・ルームへ入るには木…

ザ・ビートルズの1962年6月6日、EMIスタジオでのファースト・セッションの謎 〜【Vol.100】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 EMIスタジオで行われた初録音はオーディションだったのか? ジョージ・マーティンの招きで、ザ・ビートルズが最初にアビイ・ロードのEMIスタジオに足を踏み入れたのは、1962年6月6日だったとされる。デッカ・スタジオでのセッションと同じよう…

ザ・ビートルズを迎え入れた当時のEMIスタジオ事情 〜【Vol.99】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 デッカに“落ちた”ザ・ビートルズがパーロフォンと契約に至るまで デッカ・レコードのオーディションのために、ザ・ビートルズはバンに楽器を積み込み、1961年の大晦日、吹雪の悪天候の中をリバプールからロンドンまで車移動した。しかし、翌日の…

ザ・ビートルズを中心に1960年代中盤のロック録音技術を追う 〜【Vol.98】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 テープ・ループとブレイクビーツ テープ・ループという手法自体は、マイルス・デイビスの『ビッチェズ・ブリュー』がリリースされた1970年には、決して新しいものではなかった。 ヨーロッパの電子音楽やミュージック・コンクレートの中では、1950…

プロデューサーの創造性を誇示したテオ・マセロのテープ編集術 〜【Vol.97】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 マセロが『イン・ア・サイレント・ウェイ』で行った音での挑戦的な問いかけ マイルス・デイビスの1969年のアルバム『イン・ア・サイレント・ウェイ』で、プロデューサーのテオ・マセロは、それまでにない大胆なテープ編集を聴衆に提示した。タイ…

コロムビアのテープ編集〜グレン・グールドからマイルス・デイビスへ 〜【Vol.96】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 グールドが語った“モンタージュ”としてのレコードと共同制作者への敬意 グレン・グールドのように一切のコンサート活動を拒絶し、レコーディング・スタジオで演奏することを選び取った演奏家は、クラシック音楽の世界では例を見なかった。だが、…

グレン・グールド〜“たった一つの完成品”としての録音物 〜【Vol.95】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 テイクを超えた「イ短調のフーガ」 1964年のアルバム『インヴェンションとシンフォニア』では、グレン・グールドとプロデューサーのポール・マイヤーズはSTEINWAY CD318の“しゃっくり”と格闘せねばならず、その修正のために膨大な手作業によるテ…

グレン・グールドがテープ編集にこだわった理由 〜【Vol.94】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 グールドの演奏に内在していたテープ編集に向かう必然性 1955年の『ゴールドベルク変奏曲』のレコーディング・セッションの模様は、フランスの映像作家、ブリュノ・モンサンジョンが2006年に公開したドキュメンタリー映画『Glenn Gould, hereafte…

クラシック録音を再定義したグレン・グールド 【Vol.93】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 わずか6年間のスペクターのきらめきがもたらした、音楽と録音の歴史におけるエポック フィル・スペクターの訃報に際しカリフォルニア州矯正更生局が発表した2019年撮影の写真。スペクターは2003年に女優ラナ・クラークソンの殺人で逮捕され、200…

フィル・スペクターの洗練R&Bサウンドへの到達とビートルズ『レット・イット・ビー』〜【Vol.92】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ライブでたたき上げられたR&Bバンドチェックメイツ・リミテッドとの出会い チェックメイツ・リミテッドはインディアナ州フォート・ウェイン出身のグループだった。ソニー・チャールス、ボビー・スティーヴンスという2人のシンガーにドラムス、ベ…

ティナ・ターナー × フィル・スペクター 〜ウォール・オブ・サウンドへの執念〜【Vol.91】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ティーンエイジ・ポップから飛躍した楽曲を求め“自分のサウンド”で逆転を狙う アイク&ティナ・ターナーの所属していたワーナー傘下のロマ・レコードに2万ドルを支払い、ティナ・ターナーというシンガーを獲得して、フィル・スペクターの音楽的…

ブリティッシュ・インベイジョン時代のフィル・スペクターの苦闘 〜【Vol.90】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 「You've Lost That Lovin' Feelin'」のヒット後ライチャス・ブラザーズが採ったスペクターへの対抗手段 ビートルズが上陸し、4曲のシングル・ヒットを放っただけでなく、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」がビッグ・ヒットにな…

スペクターのステレオ・サウンドとロンドンで出会ったストーンズ&ビートルズ 〜【Vol.89】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ロネッツのステレオ盤もリリースしたスペクターステレオ人気の理由は1970年代再発にあり? フィル・スペクターがステレオよりもモノラルを好んだのは間違い無いところだが、ロネッツのレコーディングにおいては、彼はステレオ・ミックスも制作し…

ブライアン・ウィルソンとフィル・スペクター、ポップ・プロデュースの天才同士がお互いに意識したもの 〜【Vol.88】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 死去で明らかになったスペクターの生年にまつわる謎私的な曲「Be My Baby」が打ち立てた金字塔 2021年1月16日にフィル・スペクターはカリフォルニア州のサンホアキン郡にある囚人用の療養施設で死亡した。翌日にかけて、世界を駆けめぐったそのニ…

ロネッツ「Be My Baby」をめぐるエリー・グリニッチとヴェロニカ・ベネットのストーリー 〜【Vol.87】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 スペクターが目を付けた新進作家エリー・グリニッチの才能 1963年2月、フィル・スペクターはアネット・メアラーと結婚した。アネットはもともとはラス・タイトルマンのガールフレンドで、スペクターズ・スリーのツアー・メンバーを探しているとき…

「Zip-a-Dee-Doo-Dah」セッションでのレッキング・クルーの誕生 〜【Vol.86】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 スペクターと同日にレコーディングされたギャレット・プロデュースの「He's A Rebel」 1930年にニューヨーク州のナイアガラ・フォールズで生まれたトミー・テデスコは1952年にトランペット奏者のラルフ・マーテリーのグループに参加。翌1953年に…

クリスタルズ「He's A Rebel」レコーディングでのウォール・オブ・サウンド誕生の瞬間 〜【Vol.85】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 スペクターに心酔していたジーン・ピットニーが「Uptown」に影響されて書いた「He's A Rebel」 1962年5月、ロネッツを連れて、ロサンゼルスに戻ったフィル・スペクターはゴールド・スター・スタジオに駆け込んで、彼女たちのデモ録音を行った。だ…

ニューヨークとロスを股にかけたフィレス・レコードでのフィル・スペクターの暗躍 〜【Vol.84】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 パリス・シスターズのレコーディングに後のレッキング・クルーとジャック・ニッチェを起用 ニューヨークに移った後も、フィル・スペクターはレスター・シルの依頼があると、ロサンゼルスに戻って、制作を行った。シルとリー・ヘイゼルウッドのプ…

フィル・スペクターのニューヨーク進出とアトランティックでの苦き成果 〜【Vol.83】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 テディ・ベアーズのエピゴーネンスペクターズ・スリーの低空飛行 アリゾナ州フェニックスでリー・ヘイゼルウッドの仕事を見学したフィル・スペクターは、1959年の秋にロサンゼルスでスタジオ・セッションを再開した。テディ・ベアーズは分解して…

アリゾナを拠点とした作曲家リー・ヘイゼルウッド、フィル・スペクターと交錯するポップス実験の試み 〜【Vol.82】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 アイディアマンの作曲家リー・ヘイゼルウッドロサンゼルス売り込み時代の音源が発掘 リー・ヘイゼルウッドは1929年7月9日にオクラホマ州のマンフォードで生まれたが、石油の仕事をしていた父親とともに、カンザス州、アーカンソー州、ルイジアナ…

フィル・スペクターがテディ・ベアーズで味わったアーティストとしての成功と挫折 〜【Vol.81】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 テディ・ベアーズとしてのダビングにドラマー=サンディ・ネルソンが呼ばれた理由 結成時のテディ・ベアーズ。中央奥がフィル・スペクター。前列は左からハーヴェイ・ゴールドスタイン、アネット・クレインバード、マーシャル・リーヴ http://doo…

朝日美穂 『島が見えたよ』 〜自分にとって鮮度が高いと感じた音楽にインスパイアされてやってみたいと思ったことにトライしていくスタイルなんです

シンガー・ソングライターの朝日美穂が前作『ひつじ雲』以来7年ぶりのアルバム『島が見えたよ』をリリースした。出産や育児を通した日常の中での出来事を、グルーブ感たっぷりに表現した本作。前作に引き続き、プロデューサーの高橋健太郎と、楠均(ds)、千…

ウォール・オブ・サウンドが育まれた鬼才フィル・スペクターのティーン・エイジ 〜【Vol.80】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 ハリウッドの高校生スペクターとその先輩だったリーバー&ストーラー 『ウォール・オブ・サウンド〜ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・フィル・スペクター 1961-1966』V.A.(ソニー/2011年)フィル・スペクターが1961年から1966年までのフィレス・レ…

モータウンが導入したElectroniumとその再生プロジェクト 〜【Vol.79】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 作曲家出身のモータウン総帥の目に止まったヒット曲製造マシン=Electronium モータウン・レコードの創始者、ベリー・ゴーディ(1929年〜)。写真は2010年12月撮影。ゴーディとモータウンについては第61回(2019年2月号)で触れている Photo:Ange…

作曲支援機能を持つElectroniumとレイモンド・スコットが目指したもの 〜【Vol.78】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 レイモンド・スコットのスタジオを支えたエンジニアは誰か? レイモンド・スコットのプライベート・スタジオに関する最大の謎は、誰がその技術面を支えていたのか、ということだ。ロバート・モーグはスコットのスタジオには作業デスクが見当たら…

レイモンド・スコットが手にしたシンセサイザー/リズム・マシン/シーケンサー 〜【Vol.77】音楽と録音の歴史ものがたり

高橋健太郎 史上最大級のプライベート・スタジオウィロウ・パーク・センター ファーミングデールのウィロウ・パーク・センター https://www.raymondscott.net/timeline/ 1960年、レイモンド・スコットはロング・アイランドのファーミングデールに4棟の建物…