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「Zip-a-Dee-Doo-Dah」セッションでのレッキング・クルーの誕生 〜【Vol.86】音楽と録音の歴史ものがたり

スペクターと同日にレコーディングされた
ギャレット・プロデュースの「He's A Rebel」

 1930年にニューヨーク州のナイアガラ・フォールズで生まれたトミー・テデスコは1952年にトランペット奏者のラルフ・マーテリーのグループに参加。翌1953年にロサンゼルスに移って、ハリウッドのジャズ・クラブ、クレッセンドのハウス・ギタリストになった。サックス奏者のデイヴ・ペル・オクテットなどのジャズ・グループでも活動したが、1950年代後半にはライブ・シーンよりもスタジオ・セッションを主な仕事場に見定めた。彼はエレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、マンドリン、ウクレレ、シタールなどの弦楽器を自在にプレイし、音楽的にもジャズ、クラシック、ラテン、ロックンロールまで何でも対応できるギタリストだった。

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トミー・テデスコ(左)とキャロル・ケイ。テデスコの子息のデニーがドキュメンタリー映画『レッキング・クルー 伝説のミュージシャンたち』(2008年)を制作&監督した
Tommy Tedesco - IMDb

 1962年7月13日にフィル・スペクターが仕切るクリスタルズの「He’s A Rebel」のセッションに呼ばれたころには、彼はハリウッドのスタジオ・シーンの売れっ子になっていた。ゴールド・スター・スタジオでの仕事を終えたテデスコは、すぐに次の仕事場であるスタジオに向かった。サンセット・ブールバードの6050番地にあるウェスタン・レコーダーズだ。ビル・パットナムが設立したそのLAのトップ・スタジオでは、プロデューサーのスナッフ・ギャレットが彼を待っていた。

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ビル・パットナムのウェスタン・レコーダーズはサンセット・ブールバード6000番地に加え、6050番地に拡張。1984年にアラン・サイズの経営によるオーシャン・ウェイ・レコーディングスとなり、現在6000番地はイースト・ウェスト、6050番地は写真のユナイテッド・レコーディングスとして稼働している
Homepage | United Recording

 リバティ・レコードのハウス・プロデューサーであるギャレットは契約したばかりの新人、ヴィッキー・カーのデビュー曲をレコーディングするためにLAにやってきていた。カーはテキサス出身の21歳のシンガーで、この日が初めてのスタジオ・セッションだった。

 

 キングズレイ・アボットの『音の壁の向こう側 フィル・スペクター読本』には、この日、ウェスタン・レコーダーズで起こったことについて、数人の証言がまとめられている。ギャレットによれば、スタジオにやってきたテデスコに譜面を渡すと、彼はこう言ったのだという。“いましがた、俺はゴールド・スターでこの曲をフィル・スペクターとレコーディングしてきたばかりだ”と。何とその日、ヴィッキー・カーがレコーディングしようとしていたのも、ジーン・ピットニーが書いた「He’s A Rebel」だったのだ。

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ヴィッキー・カー(1940年〜)はテキサス州出身のメキシコ系シンガー。1stシングル「He's A Rebel」こそ米国内チャートをにぎわすことはなかったが、1967年「It Must Be Him」(この恋に生きて)と同名アルバムがヒット(写真はそのころのもの)。後年にはスペイン語の歌唱作でグラミーやラテン・グラミーを受賞する

明暗を分けた2つの「He's A Rebel」
スペクターはダーレン・ラヴと契約

 エンジニア/プロデューサーのボーンズ・ハウはさらに、その日のウェスタン・レコーダーズにはフィル・スペクターも居たことを証言している。ギャレットがスタジオBでヴィッキー・カーのレコーディングを進めているのと同時に、スペクターも別のスタジオに入っていたというのだ。ゴールド・スターでのセッションを終えたスペクターは、レスター・シルとともにウェスタン・レコーダーズでマスタリング〜カッティングを行っていたようだ。

 

 スペクターとギャレットが同じ日に同じ曲をレコーディングすることになったのは、ピットニーをマネージメントするアーロン・シュナイダーが二股をかけたからだった。スペクターはそれを察知していて、「He’s A Rebel」のレコーディングを急いでいたという説もある。だが、シュナイダーはギャレットへの売り込みも進めていたから、スペクターになかなかピットニーのデモ・テープを送らなかったのかもしれない。

 

 セッション当日のスタジオで、二股をかけられていたことを知ったギャレットは当然ながら腹を立て、以後、シュナイダーから売り込まれる曲を録音することをやめた。しかし、インタビューでは彼はこの件についても、決してスペクターについて悪く言わない。そして、「He’s A Rebel」については、スペクターの制作したクリスタルズ・バージョンの方が良い出来だったことを認めている。

 

 ヴィッキー・カーの「He’s A Rebel」はマーチング・スタイルのドラムに特徴があるが、これはアール・パーマーがたたいたものだった。パーマーやテデスコに支えられたカーの「He’s A Rebel」の出来も決して悪くない。だが、スペクターが創造した驚異的なサウンドは、リバティ・レーベルの新人のデビュー盤をたやすく押しつぶした。8月にリリースされた2枚のシングルは見事に明暗を分け、クリスタルズの「He’s A Rebel」は全米チャートのNo.1に駆け上ったが、ヴィッキー・カーの「He’s A Rebel」はチャートの100位にも入らなかった。

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ヴィッキー・カー「He's A Rebel」のレーベル。右にスナッフ・ギャレットのプロデューサー・クレジットが記されている
Vikki Carr - He's A Rebel / Be My Love (1962, Vinyl) | Discogs

 「He’s A Rebel」でのダーレン・ラヴの歌唱が気に入ったスペクターは彼女と契約を結び、彼女を起用した次のレコーディングに進んだ。それはボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズというグループのデビュー・シングルだった。フィレス・レコードは男性シンガーのボビー・シーンと契約を結んでいた。スペクターは彼にダーレン・ラヴとファニタ・ジェームズを加えた3人組をボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズと名付けて、売り出すことにしたのだ。

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ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ。写真下のダーレン・ラヴと上のファニタ・ジェームズはブロッサムズのメンバーであった。活動期間は1963年まで

 そのデビュー・シングルには「Zip-a-Dee-Doo-Dah」という曲が選ばれた。1946年のディズニーのミュージカル映画『Song Of The South』の中で歌われ、1947年にはアカデミー歌曲賞も受賞している曲だ。オリジナルはノスタルジックで牧歌的なムードを持つが、スペクターは白人聴衆にも親しまれているこの曲を彼流のロックンロールに作り変えた。グループ名はボブ・B・ソックスを筆頭にしていたが、重要なのはダーレン・ラヴとファニタ・ジェームズのゴスペル色の強いボーカルだった。

 

より多くのすご腕ミュージシャンが集められた
「Zip-a-Dee-Doo-Dah」セッション

 「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のレコーディング・セッションは1962年8月24日にゴールド・スター・スタジオで行われた。エンジニアは再びラリー・レヴィンが務めることになった。スペクターとレヴィンの間に強い絆が生まれたのは、この日のセッションを通じてだったようだ。

 

 スタジオに集められたミュージシャンはクリスタルズの「He’s A Rebel」よりもさらに増えていた。マーク・リボウスキーの『He’s A Rebel 蘇る伝説』には11人のミュージシャンが列挙されている。ドラムスはハル・ブレイン、パーカッションはフランク・キャップ、テナー・サックスはスティーヴ・ダグラス、バリトン・サックスはジェイ・ミグリオリ、ピアノはアル・デルロイとニノ・テンポの連弾、エレクトリック・ギターはビリー・ストレンジ、アコースティック・ギターはジョン・アンダーソン、そして、ベース奏者は3人居たと書かれている。アップライト・ベースのジミー・ボンド、高音のFENDERベース(Bass VI?)のウォリック・ディーン、そして、DAN ELECTROを弾くキャロル・ケイという布陣だ。

 

 ただし、キャロル・ケイがベースを弾いたかどうかについては、異なる記述もある。ケイのWikipedia(英語版)には、彼女は「Zip-a-Dee-Doo-Dah」ではエレクトリック・ギターを弾いたと書かれている。1963年に発表されたボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズのアルバム『Zip-a-Dee-Doo-Dah』にはミュージシャン・クレジットがあるが、ケイの名はギタリストの欄にしかない。とはいえ、当時はジャケットにスタジオ・ミュージシャンのクレジットがあること自体がまれだったから、その正確性には疑問もある。

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ボビー・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のレーベル。前回掲載したクリスタルズ「He's A Rebel」のレーベルと比較すると、下端部はフィレス・レコーズの住所が記載されていたが、ここでは“A DIVISION OF PHIL SPECTOR PRODUCTION”となっている
Bob B. Soxx And The Blue Jeans - Zip-A-Dee Doo-Dah | Discogs

 2012年に邦訳されたケント・ハートマン著の『レッキング・クルーのいい仕事』にはもう一人、別のギタリストの名前がある。グレン・キャンベルだ。ということは、キャンベルがギターを弾き、ケイはベースを弾いたのかもしれない。いずれにしろ、ビリー・ストレンジのギター・ソロの背後にもエレクトリック・ギターのカッティングが聴こえるから、3人目のギタリストが居たことは間違いない。

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グレン・キャンベル(1936〜2017年)はアーカンソー州出身。スタジオ・ミュージシャンを目指してロサンゼルスに移り、レッキング・クルーの一員となる。ビーチ・ボーイズやリック・ネルソンのツアーにも参加。シンガー・ソングライターやテレビ番組の司会、俳優としてもマルチに活躍した

レッキング・クルーのいい仕事 (P-Vine Books)

レッキング・クルーのいい仕事
ケント・ハートマン
加瀬俊 訳
(スペースシャワーネットワーク:P-Vine Books/2012年)
スペクターやビーチ・ホーイズ、バーズ、サイモン&ガーファンクルなどのセッションに参加したレッキング・クルーの面々を、その出自から紹介

過大入力ギリギリを狙った
「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のミックス・バランス

 「Zip-a-Dee-Doo-Dah」はスペクターがそれまでに無いヘビーなベース・サウンドを追い求めた曲だった。ピアノの低音部を含めたユニゾンのベース・サウンドが押し寄せる一方で、ハイノートの楽器は見当たらないのが同曲のアレンジだ。また、この曲以後のスペクター・サウンドではゴールド・スターのエコー・チェンバーがふんだんに使用されるようになる。

 

Zip-A-Dee-Doo-Dah

Zip-A-Dee-Doo-Dah

  • Bob B. Soxx & The Blue Jeans
  • ポップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 ラリー・レヴィンが語った「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のレコーディング時のエピソードは、多くの本で紹介されている。ミュージシャンは11人か12人で、ゴールド・スターのコンソールは12インプットだったから、ルームに立てられた12本のマイクですべてのサウンドを拾い上げるレコーディングだったに違いないが、スペクターはその各チャンネルのレベルをどんどん上げていった。耐え切れなくなったレヴィンは、すべてのインプットをオフにしてしまった。過大入力でアンプやスピーカーを飛ばすことを恐れたのだろう。

 

 今一歩で完ぺきなバランスを取れると思っていたスペクターは怒りを爆発させた。レヴィンはそのインプット・レベルでは到底、録音はできないと釈明した。そして、各チャンネルのインプット・レベルを一つずつ許容できる範囲まで戻していった。だが、最後のチャンネルに手を伸ばす前にスペクターが叫んだ。“ストップ、それだ、そのサウンドだ”と。

 

 ビリー・ストレンジのギター・チャンネルはまだオフのままだった。だが、レヴィンがそれを告げても、スペクターは今のバランスが完ぺきだとした。ストレンジのギターはほかの11本のマイクに回っているだけで十分だったのだ。間奏のギター・ソロでは音が遠くなるが、スペクターは全く気にしなかったという。ヒット曲になるかどうかは、間奏が始まる前に決まっていると考えていたからだった。

 

 マーク・リボウスキーは「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のサウンドをヘビー・メタルの先駆けと評している。ストレンジのギターのディストーションが効いているからだろう。このセッションでストレンジはフェンダー・ツイン・アンプの出力管、6L6の4本のうちの2本を引き抜いていたのだという。するとアンプはひずみ、出力は落ちる。それを利用して、ペダルを使わずに、ファズ・トーンに近いサウンドを得ていたようだ。

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1950年代後期、ツイードのFENDER Twin-Amp(写真はリイシュー)。パワー管は2本または4本のバージョンが混在する。1961年ごろにブラウン・フェイス期のTwin-Amp(パワー管×4本)に切り替わる。ビリー・ストレンジの使用したアンプがいずれかは判断できないが、ストレンジは2本のパワー管を抜いて出力を下げたとインタビューで語っている

 「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のB面には「Flip and Nitty」というインストゥルメンタルが収められているが、そこでは忍耐の強いられるA面のレコーディングを終えたミュージシャンたちが、アップテンポのブルース・セッションで羽目を外す様子が聴き取れる。スペクターはフィレスのシングルのB面にしばしば、こういうインストゥルメンタルを収録した。ミュージシャンは自由な一発セッションでギャラをもらって、楽しく仕事を終えることができるし、スペクターはそれに自身の作曲クレジットを与えて、A面のヒット曲の作曲者と同額の印税を手にすることができる、という一石二鳥のアイディアだった。

 

Flip and Nitty

Flip and Nitty

  • Bob B. Soxx & The Blue Jeans
  • ロックンロール
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

 

寄せ集めのセッション・ミュージシャンが
レッキング・クルーに発展

 アルバム『Zip-a-Dee-Doo-Dah』のミュージシャン・クレジットには、レオン・ラッセルやドン・ランディの名前もあり、まさしくレッキング・クルーの中心メンバーたちが1962年から1963年にかけてのフィレスのレコーディングに貢献していたことが示されている。『レッキング・クルーのいい仕事』では当初は寄せ集めだったメンバーたちがクルーに発展したのは、「Zip-a-Dee-Doo-Dah」のセッションがきっかけだったという分析もある。

 

 1962年の10月に発売されたボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズの「Zip-a-Dee-Doo-Dah」は、全米チャートの8位に昇るヒットになった。フィレスのシングルが2曲連続でトップ10ヒットを生むと、それを見たロサンゼルスのロックンロール・プロデューサーたちは、こぞってスペクターと同じセッション・ミュージシャンを起用するようになる。かくして、レッキング・クルーの面々はすさまじいほどの売れっ子になっていった。

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『ジップ・ア・ディー・ドゥー・ダー』
ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ
(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル/2015年)
1963年リリースのグループ唯一のアルバムは、2015年にCDとして限定復刻された
Zip-a-Dee-Doo-Dah (Original Album Plus Bonus Tracks)

Zip-a-Dee-Doo-Dah (Original Album Plus Bonus Tracks)

  • Bob B. Soxx & The Blue Jeans
  • ポップ
  • ¥1681

 

 ロサンゼルスのスタジオ・シーンを塗り替えた彼らの多くは1930年代以後の生まれであり、ジャズやポピュラー・ソングを演奏することもできたが、ロックンロール以後の感覚も備えていた。キャッチーなリズム・トラックを生み出すことのできるセンスとアイディアが、それ以前のジャズ・エイジのミュージシャンたちとの違いだった。彼らの出身地がさまざまだったことも興味深い。ハル・ブレインはマサチューセッツ州ホルヨーク出身、キャロル・ケイはワシントン州エヴァレット出身、トミー・テデスコはニューヨーク州ナイアガラ・フォール出身。音楽産業とは縁の無い田舎からやってきた苦労人の彼らは、ミュージシャンとして称賛を浴びることよりも、クレジットされぬ日々のスタジオ・セッションで、確実にギャラを受け取ることの方を選んだのだった。

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アルバム『Zip-a-Dee-Doo-Dah』の裏ジャケット。フィレスはミュージシャン・クレジット(下部中央)に記載していた。クレジットされている面々は以下の通り。ホーンズ:スティーヴ・ダグラス、ジェイ・ミグリオリ、ロイ・ケイトン、ギター:グレン・キャンベル、ビリー・ストレンジ、キャロル・ケイ、アーヴ・ルービン、ピアノ:アル・デロイ、ニノ・テンポ、レオン・ラッセル、ドン・ランディ、ドラム:ハル・ブレイン、パーカッション:フランク・コップ、ベース:ジミー・ボンド、レイ・パールマン、ウォリック・ディーン

 ロサンゼルスでスペクターは完ぺきなチームを手に入れた。アレンジャーのジャック・ニッチェ、エンジニアのラリー・レヴィン、そして、レッキング・クルーのミュージシャンたち。しかし、望み通りの帝国を築き上げるには、まだ課題が残っていた。一つはレスター・シルと縁を切って、フィレス・レコードを自分だけのものにすること。もう一つはニューヨークの音楽出版社に頼ることなく、ヒットする曲を手に入れることだった。

 

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高橋健太郎

音楽評論家として1970年代から健筆を奮う。著書に『ポップ・ミュージックのゆくえ』、小説『ヘッドフォン・ガール』(アルテスパブリッシング)、『スタジオの音が聴こえる』(DU BOOKS)。インディーズ・レーベルMEMORY LAB主宰として、プロデュース/エンジニアリングなども手掛けている。音楽配信サイトOTOTOY創設メンバー。
Twitterアカウントは@kentarotakahash

Photo:Hiroki Obara

 

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