モータウンが導入したElectroniumとその再生プロジェクト 〜【Vol.79】音楽と録音の歴史ものがたり

作曲家出身のモータウン総帥の目に止まった
ヒット曲製造マシン=Electronium

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モータウン・レコードの創始者、ベリー・ゴーディ(1929年〜)。写真は2010年12月撮影。ゴーディとモータウンについては第61回(2019年2月号)で触れている Photo:Angela George CC-BY-SA 3.0

 1960年代後半のレイモンド・スコットはElectronium開発に没入。音楽家としての仕事は、ほとんど無くなっていたという。それでも貯蓄とワーナー・ブラザーズからの印税収入によって、かろうじてウィロウ・パークを維持していたようだ。


 機材開発メーカーとしてのマンハッタン・リサーチ・インクにも、クライアントはなかなか現れなかった。秘密主義者のスコットは彼が何を開発しているのか、明かさそうとしなかったのだから、当然だったとも言える。だが、1970年にようやく転機が訪れる。『ニューヨーク・マガジン』などに、スコットとElectroniumの取材記事が掲載されたのだ。そして、モータウン・レコードの総帥、ベリー・ゴーディがElectroniumに興味を持つことになる。

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『ニューヨーク・マガジン』1970年5月25日号より。レイモンド・スコットのElectroniumは演奏だけではなく作曲も行う、と記されている


 当時、モータウンはデトロイトからロサンゼルスへの移転を進めていた。1963年にロサンゼルスに事務所を開設したモータウンは、そのころから一部のセッションをユニバーサル・レコーディングなどで行っていたが、1968年にはベリー・ゴーディがロサンゼルスに邸宅を購入。1969年にはダイアナ・ロス、ジャクソン5などのアーティストをロサンゼルスに移住させた。1971年にはウェスト・ハリウッドのロメイン・ストリートにモーウェスト・スタジオをオープン。1972年には本社がデトロイトからロサンゼルスに移り、モータウンのデトロイト時代は終わりを告げることになる。

 


 ベリー・ゴーディがレイモンド・スコットにコンタクトしてきたのは、そんな動きの最中だった。業界誌の『ヴァラエティ・マガジン』に転載された記事を目にしたゴーディは、側近たちとともに3台の車でウィロウ・パークを訪問したという。Electroniumに強い感銘を受けたゴーディは、スコットにモータウンのためのElectroniumを製作するよう依頼。この当初のオファーは1万ドルだったと言われる。

 

 スコットがモータウンのためのElectroniumを製作し、それを納品するまでには1年を要した。美しくカーブした木製のキャビネットに納められたモータウン・バージョンのElectroniumは1971年8月にウィロウ・パークからロサンゼルスのゴーディ邸へと搬送された。6週間のインストラクションのために、スコットもロサンゼルスへと飛ぶ契約になっていた。

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モータウンに収められたElectronium。巨大な木製キャビネットに収められている。正面と左右、3枚のパネルがElectroniumの特徴 https://www.raymondscott.net/artifacts/


 だが、それは6週間では終わらなかった。スコットはロサンゼルスに留まり、Electroniumの改良を続けることになった。妻のミッツィとともにウェスウッドにアパートメントを借りて、ベル・エアにあるゴーディ邸のガレージに通い詰める日々が続いた。ゴーディはスコットに多くの要望を出し、それを実現するための予算も惜しまなかった。


 1972年にはモータウンは正式にスコットを雇い入れた。ゴーディは趣味や道楽でElectroniumを所有することを望んだのではなく、本当にそれがヒット製造のためのマシンになると考えていたのだろう。作曲家としてキャリアをスタートさせたゴーディにとって、無限にメロディやフレーズを提案してくれるElectroniumは、魅力的なアイディアだったに違いない。


 モータウンのエレクトロ・ミュージック&リサーチ部門のディレクターに就任したスコットは、それと引き換えにウィロウ・パークを閉鎖することになった。ミッツィが5カ月間かけて、大半の機材を売り払ったという。スコットはロサンゼルス北のヴァン・ヌイスに新しい工房を構え、Electroniumはそこに運び入れられた。それから開発はさらに5年間続いたが、スコットはElectroniumを解体し、次の何かを組み立てていたとも言われる。


 1977年、スコットは何度目かの心臓発作を起こし、手術を受けた。モータウンとの契約もこの年で終了したが、スコットは既に69歳で、リタイアすべき年齢だった。


モータウンのアーティストやエンジニアへ
Electroniumが与えた影響

 モータウンがElectroniumに注ぎ込んだ金額は、最終的には100万ドルに上ったとも言われている。だが、それは全く実用にはならなかったのだろうか?


 コンピレーションの『Three Willow Park』の最後には、レイモンド・スコット名義ではないトラックが収められている。「Three Motown Electronium Adaptations by Hoby Cook」と題されたそれはモーウェスト・スタジオのエンジニアだったホビー・クックが、Electroniumを使って制作した3曲のデモのメドレーになっている。

Three Motown Electronium Adaptations by Hoby Cook

Three Motown Electronium Adaptations by Hoby Cook

  • Hoby Cook
  • ポップ
  • ¥153
  • provided courtesy of iTunes

 

 クックは1973年にモータウンに入社した若いエンジニアだったが、スコットとは気が合ったようだ。そのころにはゴーディのElectroniumへの興味はしぼみつつあった。そこでElectroniumの実用性についての調査を命じられたクックは、それが価値あるものだと示すためのデモ・セッションを行ったのだという。


 この「Three Motown Electronium Adaptations by Hoby Cook」には興味深いサウンドが聴き取れる。R&B〜ファンク的なベースのシーケンスと、それに重なるメロディが電子音によって生成されていくのだ。これを出発点に、ヒット曲が生まれてもおかしくないと思わせるデモになっている。


 このクックのデモ録音にはスコットはかかわっていないということだから、それはモーウェスト・スタジオで行われたものだろう。ウィロウ・パークの閉鎖後、ロサンゼルスには2台のElectroniumが存在し、スコットの工房とモーウェスト・スタジオの両方に置かれていたのかもしれない。


 クックはさらに、Electroniumで作り出したリズム・シーケンスとスタジオ・ミュージシャンが同時演奏するセッションも行ったようだ。Electroniumに合わせて、ジャストでスウィングしない演奏をすることにミュージシャンは苦心し、不平を述べたとクックは語っている。


 このセッションは結局、完成には至らなかったようだが、クックはこんな証言もしている。「カル・ハリスはあれをたくさん使った。マイケル・ジャクソンも魅せられて、ジャクソン5のレコーディングに使いたいと望んでいた」。このカル・ハリスというのは、モーウェストのエンジニアだったカルヴィン・L・ハリスのことだろう。『Three Willow Park』のブックレット中には、スコットがモータウンで録音したと思われるElectroniumのデモ演奏のテープの写真があり、箱にはアーティスト:レイモンド・スコット、エンジニア:CLHと書かれている。このCLHもカルヴィン・L・ハリスのイニシャルに違いない。

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「In The Hall Of The Mountain Queen」「Twilight In Turkey」「The Toy Trumpet」という3つのデモを収録したテープの箱。ミズーリ大学カンザスシティ校のマー・サウンド・アーカイブに所蔵されているものを、Raymond Scott Archives Blogを主宰するジェフ・ウィナー(写真左)とアーヴィン・チューシド(同右)が発見。ウィナーが指差しているモータウンのロゴの下に、エンジニア名として“CLH”と記されている http://raymondscott.blogspot.com/2010/07/reel-thing.html


 カルヴィン・L・ハリスはデトロイトのヒッツヴィルUSAでも働いたエンジニアで、モーウェストに移動後、チーフに昇格して、多くのアルバムのミックスを担当するようになった。コモドアーズの1975年のアルバム『Movin' On』などではシンセサイザー・プログラマーとしてもクレジットされている。この時期の彼の仕事の中に、Electroniumで生成されたフレーズが使われているのかもしれない。

 

Movin' On

Movin' On

  • コモドアーズ
  • R&B/ソウル
  • ¥917

 1974年デビュー、1982年まではライオネル・リッチーが在籍していたことでも知られるバンド。分厚いホーンとタイトなバンドでのファンクを主体としながら、この3rdアルバムではシンセがリードを取るインスト・ナンバー「Cebu」なども収録している。クレジットでは、ハリスが扱ったのはARP製シンセ

 

 モーウェスト・スタジオのマネージャーだったガイ・コスタもスコットとの経験をこう回想している。


 「私たちがどれだけの喜びを共にしたかを説明するのは難しい。彼はエクスペリメンターであり、マッド・プロフェッサーだった」


 1976年にはカルヴィン・L・ハリスはシュープリームスのアルバム『Mary, Scherrie & Susaye』を手掛けている。その2曲目に収録された「Sweet Dream Machine」という曲はこんな歌詞を持っている。

あなたが私の中に、私があなたの中に、一日中、一晩中、スウィート・ドリーム・マシン
連れてって、連れてって、私の行きたいところに、スウィート・ドリーム・マシン

Sweet Dream Machine

Sweet Dream Machine

  • シュープリームス
  • R&B/ソウル
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

オリジナル・メンバーのメアリー・ウィルソンにシェリー・ペイン、スーゼイ・グリーンが加わった最終ラインナップ。「Sweet Dream Machine」のサウンド自体は、その歌詞の内容に反して電子音要素はほとんど無い

 

  Electroniumが置かれていたモーウェスト・スタジオで、こんな曲が作られていたことは妄想をたくましくさせる。レイモンド・スコットが思い描いた“作曲家と機械のデュエット”は、この時期のモータウンで密かに実現していたのかもしれない。


現代にElectroniumを復活させるプロジェクト
その過程で発見された新しい事実

 モータウン・バージョンのElectroniumは、現在はディーヴォのマーク・マザーズボーが所有している。現存する唯一のElectroniumだが、残念ながら、動作する状態ではない。

現存する唯一のElectroniumは、ディーヴォのマーク・マザーズボーが所有。このYouTubeムービーではジェフ・ウィナーも登場している

 

 レイモンド・スコットが死去した1994年には、それはスコットの元にあったようで、1996年にマザーズボーがミッツィから譲り受けた。2000年代に入って、エンジニアのダレン・デイヴィソンとともに、そのリストアを進めているというニュースも伝えられた。だが、内部のパーツやケーブルに欠損が多いため、実現には遠い状態が続いているようだ。


 ロンドン在住のサウンド・アーティスト、スズキユウリがElectroniumをソフトウェア上で再現するプレゼンテーションを行ったのは、2019年だった。スズキはマザーズボーとスコットの遺族の助力を得て、残された回路図やメモからElectroniumの複雑な構成を解析。AI開発を専門とするクリエイティブ・スタジオCOUNTERPOINTの協力の下、GOOGLEのMagentaライブラリーを使って、可能な限りElectroniumの機能を再現したという。

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在ロンドンのアーティスト、スズキユウリが2019年に取り組んだElectronium Project。タッチ・パネルとAIを使ったソフトウェアでElectroniumを再現する試みで、ロンドンのバービカン・センターで行われた『AI: More Than Human』(2019)にて展示された Electronium Project:Yuri Suzuki, Counterpoint, Gabriel Vergara II, Oscar Arce, Adam Cheong-MacLeod, Jacob Kouthoofd, Martensson, Mark Mothersbaugh, Jack Hertz http://www.yurisuzuki.com/artist/electronium-project

 この開発を通じて、スズキはスコットの方法論がバッハの対位法を基本としていること、ループを作ることと偶然性を重視することにおいて、現代の音楽家に近しい志向を持つことを発見したようだ。とはいえ、実機のElectroniumの内部コンポーネントには、多くの謎が残ったともされる。


 Electroniumの再現プロジェクトはこれだけではなく、ムーグ・クックブックのメンバーであるブライアン・キーヒューが、2017年からアナログ構成のElectroniumの再現プロジェクトに取り組んでいる。このプロジェクトにはオーストラリアのシンガー・ソングライター、ゴティエが資金協力しているとも伝えられる。ゴティエは2011年に「Somebody That I Used To Know」を大ヒットさせ、翌年のグラミー賞を獲得した人気アーティストだが、彼が2011年に発表したシングル「State Of The Art」のMVのアニメーションには自動作曲/自動演奏マシンらしきものが登場する。D575と名付けられているこのマシンは鍵盤付きなのがElectroniumとは異なるが、ゴティエがレイモンド・スコットを意識して、この曲を作ったのは間違いない。というのも、この曲の「State Of The Art」というリフレイン部にはスコットの声がサンプルされているからだ。その声は『Manhattan Research Inc.』に収録の「Auto-Lite Wheels」から取られている。

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Raymond Scott ArchivesのFacebookページより。2016年にダレン・デイヴィソンを尋ねたブライアン・キーヒュー(写真)は、デイヴィソンが試みたリストアの工程をたどり、技術的な助言をしたという https://www.facebook.com/RaymondScottArchives/photos/a.145254022151342/1235510036459063

 

ゴティエ「State Of The Art」のMV。2011年リリースの3rdアルバム『Making Mirrors』(国内盤は2012年)収録曲で、このアルバムでグラミー受賞を果たした。MVではD575という自動演奏マシンが登場する。ゴティエは後年、ジャン=ジャック・ペリーと交流を持ち、Ondlineを用いたパフォーマンスや録音をしており、電子楽器への関心がうかがえる

激変する音楽業界の中で生まれた
作編曲家出身の名プロデューサー


 ガイ・コスタはレイモンド・スコットを“マッド・プロフェッサー”と呼んだが、電子機材に偏愛を注いだと言っても、スコットはジョー・ミークのようなノン・ミュージシャン的異才ではなかった。彼は並外れた才能を持つ作曲家/編曲家であり、1930年代から50年代にかけては巨大な成功を手にしていた。しかし、Electroniumの開発に取りつかれ、1960年代になると音楽家としての仕事をほとんど閉じてしまったのだ。


 その背景には、1960年代になって、音楽界の様相が大きく変わっていったこともあっただろう。ロックンロールの時代がやってきて、ジャズ・エイジのオーケストラ・コンダクターは次第に居場所を失っていった。それゆえ、彼は違う領域を切り開く、新しいテクノロジーを欲したのかもしれない。


 ところで、スコットが作曲家/編曲家としては退いていった時期に、アメリカ音楽界で巨大のセンセーションを巻き起こしたサウンドの開拓者は、やはり、作曲家/編曲家からそのキャリアをスタートさせている。彼はレス・ポールやレイモンド・スコットのような機材オタクではなく、目新しいテクノロジーを手にしていたわけでもなかったが、ミュージシャンとレコーディング・スタジオの使い方に魔術的な手腕を示し、前人未踏のサウンドを編み上げた。プロデューサーという存在を違う次元に押し上げたと言ってもいい。


 フィル・スペクターの名で広く知られている彼の本名はハーヴェイ・フィリップ・スペクター。生まれたのは1939年12月26日、ニューヨークはブロンクスだった。彼が生み出したスペクター・サウンドはザ・ビートルズやザ・ビーチ・ボーイズに大きな影響を与えたことで知られ、それゆえオールディーズ的なイメージが強いかもしれないが、世代的には彼と1960年代に登場するロック・アーティストの間には大きな隔たりはない。ジョン・レノンは1940年生まれでほぼ同世代。ニューヨークでは1941年にポール・サイモンが、1942年にはルー・リードやキャロル・キングが生まれている。スペクターは彼らよりわずかに年上だっただけだが、10代半ばからレコード業界に入り、1950年代の終わりには既にソングライター/アレンジャーとして頭角を現わしていたのだ。

 

高橋健太郎
音楽評論家として1970年代から健筆を奮う。著書に『ポップ・ミュージックのゆくえ』、小説『ヘッドフォン・ガール』(アルテスパブリッシング)、『スタジオの音が聴こえる』(DU BOOKS)。インディーズ・レーベルMEMORY LAB主宰として、プロデュース/エンジニアリングなども手掛けている。音楽配信サイトOTOTOY創設メンバー。Twitterアカウントは@kentarotakahash
 

 

www.snrec.jp

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