フィリーソウルの音を確立したシグマ・サウンド誕生【Vol.121】音楽と録音の歴史ものがたり

シグマ・サウンド設立とリンクしたギャンブル&ハフ+ベル+MFSBの隆盛

 ギャンブル&ハフがプロデュースし、フィラデルフィアのミュージシャンが大挙参加したアーチー・ベル&ザ・ドレルズのシングル「I Can’t Stop Dancing」は1968年7月にリリースされた。「You're Such A Beautiful Child」をB面に置いたこのシングルは「Tighten Up」には遠く及ばなかったものの、同年8月にはR&Bチャートの5位まで昇るヒットを記録した。

 ジョー・ターシアがフィラデルアフィアの212 North 12th Streetにシグマ・サウンドをオープンさせたのも同年8月だった。ターシアは1年ほど前からその準備を進めていた。4万ドルの借金をして、もともとはレコ・アートという名前だったレコーディング・スタジオを改装。シグマ・サウンドと名付けて営業を開始したのは8月5日だったという。

 この頃、ギャンブル&ハフはハフ・パフ・レコーズという自分たちのインディーレーベルを立ち上げていた。レーベルの第1弾はランドスライズというグループの『We Don't Need No Music / Music Please Music』というシングルで、これはドラムスはアール・ヤング、ベースがロニー・ベイカー、ギターがボビー・イーライとノーマン・ハリス、アレンジャーがボビー・マーチンという布陣。後のMFSBの中心となるスタジオ・ミュージシャンを集めて、ギャンブル&ハフが制作したダンス・シングルだった。録音がシグマ・サウンドだったかどうかは定かではないが、同レーベル第2弾のルース・マクファデンのシングル『Rover Rover / Run, Rover Run』はシグマ・サウンドの最初のレコーディングのひとつだとジョー・ターシアは語っている。これもほぼセッションはほぼ同じ布陣だった。

 ギャンブル&ハフはアーチー・ベル&ザ・ドレルズや元インプレッションズのジェリー・バトラーなどを手掛け、トム・ベルはデルフォニックスを手掛けて、R&Bシーンで着実に地位を築きつつあったが、1970年代のフィラデルフィアのディスコサウンドは、彼らがインディーレーベルで発表した企画物のシングルの中で醸成されていた。1968年にギャンブル・レコードからリリースされたブラザーズ・オブ・ホープの『I’m Gonna Make You Love Me / Nickol Nickol』もその一枚だ。ランドスライズ同様、ブラザーズ・オブ・ホープもシングルを1枚出しただけに終わったグループだが、メンバーはほぼ同一。ボビー・マーチンに替わってトム・ベルがアレンジャーを務めている。

ハフ・パフ・レコードおよびギャンブル・レコードの諸作のレーベル

ハフ・パフ・レコードおよびギャンブル・レコードの諸作のレーベル。左からランドスライズ『We Don't Need No Music / Music Please Music』、ルース・マクファーデン『Rover Rover / Run, Rover Run』、ブラザーズ・オブ・ホープ『I’m Gonna Make You Love Me / Nickol Nickol』(https://discogs.com

 このA面の「I’m Gonna Make You Love Me」はアーチー・ベル&ザ・ドレルズの「Tighten Up」あるいはTSUトルネーズのサウンドからの影響が垣間見える点でも興味深い。「I’m Gonna Make You Love Me」はもともと1966年にギャンブル&ハフが女性シンガーのディー・ディー・ワーウィックに書いた曲で、オリジナルはスローな歌ものだった。だが、ブラザーズ・オブ・ホープのバージョンはソウルジャズ的なインストゥルメンタルで、そこではホーンセクションがメジャー7thの音を強調したリフを聴かせる。

 「I’m Gonna Make You Love Me」はソウル・ジャズ・レコードが2001年に発表したコンピレーションアルバム『Philadelphia Roots』に聴くことができるが、この『Philadelphia Roots』とその続編となる2004年の『The Sound Of Philadelphia (Philadelphia Roots Volume 2 Funk, Soul And The Roots Of Disco 1965-73)』にはほかにも多くのフィラデルフィアサウンド黎明期のレア・シングルを聴くことができる。後者に収録されているザ・フィリー・フォーの「The Elephant」という曲もその一つで、これもメンバーはランドスライズやブラザーズ・オブ・ホープとほぼ同一。ニューヨークのコブルストーン・レーベルからリリースされたダンスシングルだった。後者にはさらにザ・ファミリーというグループが1972年にノース・ベイというインディーに残したスライ&ザ・ファミリー・ストーンの「Family Affair」のカバーバージョンが収録されているが、このザ・ファミリーはもうMFSBそのもの。「Family Affair」は後にMFSB名義でもリリースされ、彼らの1973年のデビューアルバムにも収録されている。

『Philadelphia Roots』V.A.(2001年/Soul Jazz Records)

Philadelphia Roots
V.A.
(2001年/Soul Jazz Records)
フィリーソウル初期のレアなシングルをコンパイル。本文で触れた「I’m Gonna Make You Love Me」はきらびやかななピアノとスウィンギンなギターがメロディを担当。ホーンにかかるアンビエンスもポイント

『The Sound Of Philadelphia (Philadelphia Roots Volume 2 Funk, Soul And The Roots Of Disco 1965-73)』V.A.(2004年/Soul Jazz)

The Sound Of Philadelphia (Philadelphia Roots Volume 2 Funk, Soul And The Roots Of Disco 1965-73)
V.A.
(2004年/Soul Jazz)
『Philadelphia Roots』の第2集。「The Elephant」は重厚なホーンとパンチの効いたビート、軽やかなオルガンのメロディというアレンジ

精鋭スタジオ・ミュージシャンとフィラデルフィア伝統のクラシック音楽家の融合

 MFSB (Mother, Father, Sister, Brother)はギャンブル&ハフがシグマ・サウンドに集めたミュージシャン集団の総称だった。MFSB名義のレコード・リリースが始まるのは1973年からだが、ギャンブル&ハフがフィラデルフィア・インターナショナル・レコードを立ち上げた1971年には、その母体は形成されていた。ドラムのアール・ヤング、カール・チェンバース、ノーマン・フェリントン、ベースのロニー・ベイカー、ウィニー・ウィルフォード、ギターのノーマン・ハリス、ローランド・チェンバース、ボビー・イーライ、T・J・ティンダール、ビブラフォンのヴィンセント・モンタナ、パーカッションのラリー・ワシントン、ジミー・ウィリアムス、キーボードはレオン・ハフ、トム・ベル、ハロルド・アイヴォリー・ウィリアムズ。これらのメンバーからなるミュージシャン集団がシグマ・サウンドに常駐し、数多くのアーティストのリズム・セクションとして働いた。MFSBにはさらにチェロ奏者のラリー・ゴールドを中心とするストリングスセクションも含まれていた。

『MFSB』(1973年)のジャケット裏面。上段左から、ロニー・ベイカー(b)、カール・チェンバース(ds)、アール・ヤング(ds)、中段はドン・レナルド(arr)、ローランド・チェンバース(g)、ノーマン・ハリス(g)、レニー・パクラ(org)、下段はヴィンス・モンタナ(vib)、ラリー・ワシントン(perc)、ザック・ザッカリー(a.sax)、ボビー・イーライ(g)

『MFSB』(1973年)のジャケット裏面。上段左から、ロニー・ベイカー(b)、カール・チェンバース(ds)、アール・ヤング(ds)、中段はドン・レナルド(arr)、ローランド・チェンバース(g)、ノーマン・ハリス(g)、レニー・パクラ(org)、下段はヴィンス・モンタナ(vib)、ラリー・ワシントン(perc)、ザック・ザッカリー(a.sax)、ボビー・イーライ(g)

ラリー・ゴールド

ラリー・ゴールド。現在もカニエ・ウェスト、シルク・ソニック、ザ・ルーツ、ラナ・デル・レイ、リゾなどのセッションでアレンジを手掛ける

 フィラデルフィアにはクラシック音楽の伝統があり、フィラデルフィア交響楽団出身の優秀な弦楽器奏者が数多くいた。ギャンブル&ハフは彼らをソウルミュージックのレコーディングセッションに呼び込んだ。それが1970年代のフィリーソウルを決定づけることにもなった。

 「モーツァルトを演奏していたミュージシャンたちにスタジオでファンクを演奏させたんだ」とレオン・ハフは語っている。「モータウンやバート・バカラックもオーケストラを使っていたが、彼らの時代はモノラルが主流だった。彼らには大きな影響を受けたが、ステレオ空間を広く使えるようになった私たちはオーケストラサウンドをさらに拡大したんだ」と語るのはケニー・ギャンブルだ。

 CBSから資金提供を受けたフィラデルフィア・インターナショナルの最初のアルバムアーティストはビリー・ポールだった。1971年のアルバム『Going East』では冒頭からオーケストラを伴ったソウルジャズ的なサウンドが展開する。ミックスの洗練度も高い。1968年の開設当初のシグマ・サウンドは手作りのインディペンデントスタジオで、トラブルが絶えなかったというが、3年後のこのアルバムの完成度は、ターシアが前進を続け、シグマ・サウンドがトップスタジオの仲間入りをしたことを示すものだ。

『Going East』
Billy Paul
(1971年/Philadelphia International)
冒頭の「East」は東洋的なフレーズを奏でるオーケストラと、タイトなリズムが折り重なる壮大な楽曲。そのほか「There's Small Hotel」「Jesus Boy」といった壮大なバラードや軽快な「Magic Carpet Ride」など、ソウル・ジャズをベースに多彩な楽曲が並ぶ

 シグマ・サウンドにはフルオーケストラを入れるほどのルームはなかった。大抵は9人編成のストリングスセクションを使い、それをダブルで重ね録りしていたという。ターシアはそこで面白いテクニックを考案した。クラシック上がりの弦楽器奏者はヘッドホンをして演奏することを嫌う。そのため、ターシアはストリングスセクションの近くにモニタースピーカーを置くことにした。録音時には弦楽器に立てたマイクがモニタースピーカーの音も拾ってしまう。だが、ターシアは全く同じセッティングで、ストリングスをダブルで重ね録りする。このときにすべてのチャンネルを逆相で録る。すると、モニタースピーカーの音は打ち消される。

ジョー・ターシアの子息、マイク(2021年逝去)がYouTubeにアップしていた、シグマ・サウンドでのストリングスレコーディングのスライドショー

 オーケストレーションを好むギャンブル&ハフのプロダクションに対応するため、ジョー・ターシアはマルチトラックレコーディングにも積極的だった。1968年にはシグマ・サウンドにScullyの8trレコーダーが2台あったというし、すぐにScullyの16trレコーダーも導入している。コンソールはスタジオ開設当初はELECTRODYNE。1971年にチャンネル数を増やした2台目のELECTRODYNEコンソールに交換している。その後にMCIの24trレコーダーを導入。アメリカのスタジオで最初に24trレコーダーを導入したのはロサンゼルスのTTGスタジオだったが、シグマ・サウンドは2番目に早かったとされる。

シグマ・サウンド初期に使われていたというScully 284シリーズ

シグマ・サウンド初期に使われていたというScully 284シリーズ
https://www.historyofrecording.com/scully284.html

 シグマ・サウンドの地下にはエコーチェンバーも備わっていた。このエコーチェンバーはレコ・アート・スタジオ時代の残存物で、長さ12m。高さ3.6mもあるもので、1972年まで使われた。その後はEMTのプレートリバーブに取って代わられた。

ザ・スタイリスティックスとターシアの生み出すサウンドの品位

 1971年のシグマ・サウンドから生み出された歴史的名盤にはザ・スタイリスティックスのデビューアルバムもある。これはトム・ベルのプロデュースで、ギャンブル&ハフはかかわっていないが、ベルのソングライティングとターシアのサウンドプロダクションが驚くべき高みに到達している。

 スタイリスティックスはフィラデルフィア出身のコーラスグループだが、アヴコレーベルからリリースされたこのデビューアルバムは、トム・ベルと夫人のリンダ・クリードのソングライターチームが、スタイリスティックスのリードシンガーのラッセル・トンプキンスJr.を抜擢して作り上げたソングブックとも言っていい内容だった。プリンスがこれまでに書かれた最も美しい曲と讃えてカバーした「Betcha By Golly Wow」をはじめ、「Stop Look Listen (To Your Heat)」「You Are Everything」「People Make The World Go Round」など名曲がずらり並ぶ。コーラスパートは実は少なく、ラッセル・トンプキンスJr.のファルセットボーカルを大きくフィーチャーした内容だ。

『The Stylistics』
The Stylistics
(1971年/Avco)
名曲ぞろいのデビューアルバム(邦題『スタイリスティックス登場』)。豪華なオーケストレーションやエレクトリックシタールなど、スタイリスティックスのサウンドを代表する要素が既に確立されていた

 中でも、「People Make The World Go Round」はそのアレンジメント〜サウンドプロダクションが驚異的だ。シンセサイザーのノイズを使ったイントロダクションから始まり、リズムセクションが変拍子を含むスローなファンクリズムを淡々と刻み出す。曲中ではストリングス、ホーン、マリンバなどが入れ替わり、印象的なフレーズを散りばめる。とても1971年の音楽とは思えないプログレッシブなサウンドだ。

 この曲も多くのカバーバージョンを生み、1994年にはスパイク・リー監督の映画『クルックリン』にフィーチャーされた。同曲は映画の中でも最も重要な扱いを受け、スタイリスティックスのオリジナルバージョンと、映画のために新録されたマイク・ドーシーのカバーバージョンの両方が使われたが、ナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースした新録バージョンよりも、スタイリスティックスのオリジナルバージョンの方がクールで、むしろ現代的に響く。サウンドトラックCDのためにハーブ・パワーズJr.がリマスタリングしたスタリスティックスの「People Make The World Go Round」はハイファイでステレオ感にも富むものになり、20世紀の録音作品の金字塔と言いいたくなる素晴らしさだ。

『Crooklyn, Music From the Motion Picture』
V.A.
(1994年/Geffen)
1970年代のブルックリンを舞台に、アフリカ系アメリカ人ミュージシャンの大家族を描いたファミリードラマのサントラ。「People Make The World Go Round」はDISC1にカバーが、DISC2にオリジナル(リマスター)を収録する

 ビリー・ポールの『Going East』やスタイリスティックスのデビューアルバムが制作された時点では、シグマ・サウンドはまだ16trで、ELECTRODYNEのコンソールだったと思われる。楽器編成の大きさやアレンジの複雑さから考えて、トラック割りやダビング作業は難しかったはずだが、Scullyの16tr、ELECTRODYNEコンソール、そして、地下のエコーチェンバーを使ったこの時期のターシアのサウンドプロダクションには、格別の品位が感じられる。

2台目のELECTRODYNEコンソールを導入したころのシグマ・サウンド。右のラックに収まるパッチベイの上に、ALLISON RESEARCH KEPEXが見える

ビッグヒットを連発の裏で求められた多トラック化への対応

 1972年以後、ギャンブル&ハフのフィラデルフィア・インターナショナルはビッグヒットを連発する。オージェイズの「Back Stabbers」を含む同名のアルバム、ビリー・ポールの「Me And Miss Jones」を含む『360 Degrees Of Billy Paul』、ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツの「If You Don't Know Me by Now」を含むアルバム『I Miss You』など。この時期のどこかで、シグマ・サウンドは24trレコーダーを導入し、同時にDolby Aのノイズリダクシションも装備した。これは当時の東海岸では唯一のマルチトラックレコーディング環境だった。

 だが、マルチトラックレコーダーを駆使して、ギャンブル&ハフやトム・ベルの求めるサウンドを実現するには、ターシアはミキシング作業における課題を克服する必要があった。8trから16trへ、16trから24trへ、トラック数が増えれば増えるほど、ミキシング・コンソールの操作は複雑なものになっていく。チャンネルのオン/オフやフェーダー操作はもう一人のエンジニアの両手では不可能だった。そこでターシアはアシスタントの手を借り、ミュージシャンの手を借り、時には食堂から従業員を呼んできて、ミキシング操作を手伝わせることもあったという。

 この頃、アメリカのコンソールメーカーの多くは、ミキシングオートメーションの開発に入っていた。QUAD-EIGHT/ELECTRODYNEもapiもMCIもオートメーション卓を試作していたが、レコーディングスタジオの現場で誰よりもそれを必要としていたのはジョー・ターシアだった。そして、彼は自身のアイディアの実現のために、カリフォルニアのALLISON RESEARCHにアプローチした。ALLISON RESEARCHは1970年に最初の製品であるKEPEXを発表したガレージメーカーだった。

 

高橋健太郎

高橋健太郎

音楽評論家として1970年代から健筆を奮う。著書に『ポップ・ミュージックのゆくえ』、小説『ヘッドフォン・ガール』(アルテスパブリッシング)、『スタジオの音が聴こえる』(DU BOOKS)。インディーズ・レーベルMEMORY LAB主宰として、プロデュース/エンジニアリングなども手掛けている。音楽配信サイトOTOTOY創設メンバー。X(旧Twitter)は@kentarotakahash

Photo:Takashi Yashima

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