バイノーラルの認知度が上がった分
作り手ももっと踏み込んだ作品を提供したい
幼少期より日常音や環境音のレコーディングを始め、それらをヒップホップやIDMなどとミックスするスタイルを得意とするサウンド・クリエイター、Yosi Horikawa。10年以上前からバイノーラル録音などを行い、自身の作品に取り入れては発表を続けている。今回はそんな彼に、バイノーラル録音やそれに関連するツールなどを中心にインタビューを行った。
Photo:Chika Suzuki(メイン・カット、*)
ヘッドホンで聴いてみると
“ゾクッ”とするくらいリアルな音が録れていた
Yosiがダミー・ヘッド・マイクやバイノーラルという言葉を知ったのは、大学生のころ。しかし、それ以前から臨場感のあるレコーディングに対しての興味は強かったと話す。
「中学生のころにダイナミック・マイクを2本購入してステレオ・レコーディングしてみたら、とても立体感のある音になることが分かったんです。高校のときは、初めてコンデンサー・マイクを1本買って“リアルな音だ”と感激し、その後コンデンサー・マイク2本でレコーディングしたら、“どんどん耳で聴いたようなサウンドに近付いてきたぞ!”と衝撃を受けましたね。バイノーラルの存在を知ったのは大学生になってからですが、自分がレコーディングで面白いと思っていたことと、何となく似ているなと思ったのです」
当時のYosiは、ダミー・ヘッド・マイクNEUMANN KU 100のビジュアルにも驚いたという。
「ちょうど周りでも“バイノーラルってすごいらしい”と話題になった時期でした。しかし、KU 100はめちゃくちゃ高価だったので、これは手が出せないなと思いましたね。ただ、それに代わる方法としてインイア・タイプのバイノーラル・マイクの存在を知ったのです」
当時のYosiは、一部の熱心な人たちが公開していた制作方法を元に、インイア・タイプのバイノーラル・マイクを自作。このことについて、こう説明してくれた。
「まず回路図を入手し、材料を集めて、割と小さくて性能の良いマイクと9Vのバッテリーで駆動するマイク・アンプを作りました。それで録音した音源をヘッドホンで聴いてみたら、“ゾクッ”とするくらいリアルな音が録れていたんです。例えば、レコーディング中に後方からバイクが通り過ぎるのですが、その音がとてもリアルに収録されていました。そのころはバイノーラル録音にとてもハマって、いつもレコーディングしに外出していましたね」
トラックになじまない
そこがバイノーラルの面白いところ
次第にYosiは、自作のバイノーラル・マイクで録った音を、自身の楽曲に取り入れるようになったという。当時の楽曲制作についてYosiはこう振り返る。
「バイノーラル・マイクで録った音は楽曲とうまくなじまず、最初は“使いにくいな”と感じたのを覚えています。ただし、その違和感が逆に面白いと思ったので、2013年にリリースした自身のアルバム『Vapor』ではその手法を取り入れた楽曲をたくさん収録しました。例えば、「Cave」では自作のバイノーラル・マイクで録った鍾乳洞内の水滴音が“良い意味で”不思議な奥行き感を出していたのでそのまま採用しています。水滴音に含まれる3〜4kHz辺りの盛り上がりはひんやりとした感じを強調していたため、ほとんどEQ処理はせずにトラックに重ねているんです。基本的にバイノーラル録音した素材は、その特性上膨らんでしまう帯域をEQ補正するくらいで、バイノーラル録音独特の立体感や奥行き感はあえて触らないようにするのがこだわりです。パンニングもほとんどしません。既に広がりがあるため、空間系エフェクトもあまりかけないことが多いです。もちろんトラックにはなじまないですが、そこがバイノーラルの面白い部分だと思っています」
「Letter」での書き殴るような音は
トレンドの“ASMR的アプローチ”
ちなみに『Vapor』には、Yosiの人気曲の一つである「Letter」という曲も収録されている。この曲中でのバイノーラル録音について聞いてみたところ、意外な答えが返ってきた。
「この曲に登場するペンで書き殴るような音について、よく“バイノーラル録音ですか?”と聞かれることが多いのですが、実際には単一指向のコンデンサー・マイク2本をORTF方式で録っているだけなのです。両マイクの開き角度を110°にして距離を17cm開けると、左右の耳で聴こえるようなニュアンスで録音できます。マイクを音源にできるだけ近付けてレコーディングしているので、どちらかというと「Letter」は今トレンドの“ASMR的アプローチ”になっていると言えるでしょう」
Yosiは、現在レコーディングに使用しているマイクについても教えてくれた。
「コンデンサー・マイクのSENNHEISER MKH8040を両サイドに2本ずつ使っているのですが、マイク同士の開き角度が90°、距離は20cm開いています。これはDINと呼ばれる方式です。上下方向の情報は無いですが、横方向だけはきっちり録ることができます。録った音をそのまま使うというよりは、音楽表現としてトラックとミックスするのには使いやすいかなという気もしますね」
Yosiは、もう一つよく使っているマイクがあるという。
「ラベリア・マイクのSOUND PROFESSIONALS MS-TFB-2もメインで使用しています。フランスの森の中でMKH8040と録り比べた音源があるのでぜひ聴いてみてください。個人的には、MKH8040でレコーディングした音の方が、奥行き感や方向感が強い印象ですね」
マイクに依存する時代から
プラグインが主流の現代へ
さまざまなマイクを紹介してくれたYosiだが、最近はバイノーラル・プロセッサー・プラグインにも注目していると話している。
「近年いろいろなメーカーからたくさんリリースされているのですが、中でも3Dパンナーやリバーブを搭載したVRサウンド・プラグインのPLUGIN ALLIANCE Dear Reality DearVR Proは結構良いです。Ambisonicsで録った音源をバイノーラルや5.1〜13.1chまでのマルチチャンネルに変換することもできます。シグナル・プロセッシングに特化したプラグインとしては、HARPEX Harpexがお薦め。Ambisonicsで録った音源を元に、マイクの指向性や角度などをシミュレーションして狙った方向の成分だけをつまみ出すことができます。これまでマイクの角度や距離、風よけなど物理的に工夫していたことが、プラグインひとつでシミュレーションできてしまうのはとても便利です」
Yosiはこれまでのバイノーラルを交えた作品制作を振り返り、こう語ってくれた。
「KU 100が出たころは、物理的なマイクの性能に依存する時代だったと思うのですが、近年はやはりプラグインが主流になっているのかなという印象です。特にAmbisonics対応マイクは全方位の情報が録れるため、これを元にするとプロセッサー・プラグイン一つでいろいろな変換が実現できます。ただし、プラグインによってかなり精度に違いがあるので、いろいろ試した中で一番信頼できるものを探すことが大切でしょう」
“新しい音が録れる=新しい発想が生まれる”
僕の中でこれは間違い無い方程式
さまざまなマイクを駆使して録音を試みてきたYosiだが、最近はクワザイ・バイノーラル(Quasi-binaural)マイクに注目していると話す。
「クワザイ(Quasi)とは日本語で“擬似の”という意味。クワザイ・バイノーラル・マイクは、マイクの周辺にあえて擬似耳や耳周辺の特性を表す障害物を備えたマイクのことです。以前機会があって試したことがあるのですが、かなり立体感のあるサウンドを収音することができると感じました。普通のステレオ録音とは違って、不思議な奥行きと広がりが収音できると思います。インターネット上で作り方を共有したWebページがあるので、これらを参考にしながら今度はこういったクワザイ・タイプのバイノーラル・マイクを作ってみようかなと考えていますね。人間の顔とは似ても似つかぬ形になってたりするのですが、録り音は意外とリアルなんです」
Yosiは、今後もいろいろなバイノーラル・マイクを制作して作品に生かしていきたいと語る。
「さまざまなマイクを使ってバイノーラル録音を試してみたいです。僕の中で“新しい音が録れる=新しい発想が生まれる”という方程式は間違い無いので、これからもぜひ音楽制作に活用していきたいですね」
続けてYosiは、サラウンド・システムでのライブ・パフォーマンスも計画しているという。
「本当は、今年の夏に4chのスピーカー・システムを用いたインド・ツアーをやる予定だったのです。コロナが落ち着いたら、また実現させようと考えています。そのため、バイノーラルだけでなく、これからはAmbisonicsマイクを使った録音も増えていくことでしょう」
最後にYosiは、近年リスナー側の立体音響に対する意識が高くなってきていると感じているそうだ。
「先に「Letters」の話題でも少し触れましたが、僕の音楽を聴いて“これバイノーラル録音ですよね?”と言う人が居ること自体、かなりびっくりすることだと思います。10〜20年前は好きな人たちの間でしか使われていないような言葉でしたから。特に2019年のアルバム『Spaces』以降、こういった人たちが一気に増えた印象です。恐らくVRやASMRに関するコンテンツの流行や普及に伴って、個人でもAmbisonicsやバイノーラル方式で録音をする人たちが増加したためでしょう。また、こういった特殊マイクも割と導入しやすい価格帯で提供されることが多くなりました。バイノーラルの認知度が上がった分、作り手ももっと踏み込んだ作品を提供したくなりますね!」
Yosi's Studio
Yosi Horikawa
【Profile】 サウンド・クリエイター。EPや1st/2ndアルバムは、いずれも英国ザ・ガーディアン紙などに取り上げられる。また、英国のグラストンベリー・フェスティバルなどにも多数出演する
【特集】バイノーラルで作る音楽の未来