荒内佑『Śisei』を皮切りに振り返るNYダウンタウン・ミニマルの多様性 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.138

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 以前、この連載で作曲家のジュリアス・イーストマンを取り上げたが(編注:Vol.134)、その音楽を生んだニューヨークのダウンタウンのシーンについて、最近振り返る機会があった。きっかけは、荒内佑の初のソロ・アルバム『Śisei』だった。これまで取り組んできたceroの音楽とは対照的に、室内楽を念頭に置いて作曲された。オフィシャルのインタビュアーとして彼にいろいろ話を聞いた際※1、アーサー・ラッセルやイーストマンなど、このシーンから生まれたミニマル・ミュージックの影響にも話は及び、それはアルバムにも反映されていることを知った。『Śisei』はミニマル・ミュージックだけではなく、クラシック音楽、特にフランス印象主義の音楽語法や現代音楽の技法から、ヒップホップのサンプリング・マナーまでが参照されている。ただ、その中でも、ラッセルらのミニマル・ミュージックは、音楽のみならず、音楽に臨むスタンスという点でも、『Śisei』にインスピレーションを与えている。

※1

 

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『Śisei』arauchi yu(KAKUBARHYTHM)
千葉広樹(b)を共同プロデューサーに迎え、角銅真実(vib)、コーリー・キング(vo)らが参加した荒内佑(k)の初ソロ

 

 クラシック音楽の中心であるリンカーン・センターやジュリアード音楽院があるアップタウンに対して、ダウンタウンは1960年代から実験的な音楽の拠点となり、アップタウンが受け入れなかったスティーブ・ライヒやフィリップ・グラスのミニマル・ミュージックの出発点ともなった。そして、1970年代後半には、ここから新しいミニマル・ミュージックを提示する若い作曲家が登場した。ラッセルやイーストマンのほか、トロンボーン奏者でもあったピーター・ズンモ、サックス奏者でラブ・オブ・ライフ・オーケストラ(LOLO)を率いたピーター・ゴードン、エレクトリック・ギターのみのオーケストラを組織したリース・チャタム、歌曲集からアンビエントまで手掛けたヴィト・リッチなど、ユニークな作曲家が相互に影響を与えながら活動した。

 

 彼らはクラシック音楽の素養はあるが、多様な音楽/音楽家ともかかわって、現代音楽のミニマリズムの枠では定義できないミニマル・ミュージックへと至った。ゴードンはキャプテン・ビーフハートに10代で出会って影響を受けた後、ロバート・アシュリーとテリー・ライリーに師事した。ズンモは、フルクサスやジョン・ケージのパフォーマンスをきっかけに即興でセリエル音楽を作るアイディアに没頭した。ラ・モンテ・ヤングのピアノの調律師だったチャタムは、初期のラモーンズに影響を受け、グレン・ブランカらとギター・アンサンブルの作品を作り始めた。リッチはウルスラ・マムロックやエレノア・コーリーといったクラシック音楽の作曲家に学ぶ一方で、オーネット・コールマンに師事し、ローリー・シュピーゲルが開発したソフトウェアMusic Mouseを使った電子音楽も制作した。

 

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『Trust in Rock』"Blue" Gene Tyranny and Peter Gordon(Unseen World)
現代音楽とロックの接点を探る画期的なイベントでの音源。ポップな作品も残したティラニーやLOLOの原点と言える

 

 彼らの活動は、同時代に登場したディスコ、パンク、ヒップホップともつながり、それ以前のロックやジャズ、ソウルからも影響を受けていた。例えば、ゴードンはポスト・セリエル音楽を研究するアカデミックな世界に属していたが、リズムやハーモニーについてはモータウンの曲、特にホーランド=ドジャー=ホーランドから学んだという。そのことを感じ取れる初期の音源の一つが、1976年に録音されて2019年に初めて日の目を見た『Trust in Rock』だ。ロバート・アシュリーやカーラ・ブレイ、イギー・ポップともコラボレーションしたピアニスト/作曲家のブルー・ジーン・ティラニーとゴードンらのライブ音源だが、ロック・バンドのような編成のアンサンブルで、彼らの志向するミニマル・ミュージックのアイディアを探求した。ルーズなジャム・セッションのような雰囲気だが、冗長なソロは一切無く、短いフレーズの積み重ねとポリリズムも使って作曲された楽曲を演奏した。この後、ゴードンは彼の名前を有名にしたLOLOを本格的に始動し、ラッセルとの活動も始めた。

 

 LOLOやラウンジ・リザーズにも参加したズンモがリリースしたアルバム『Zummo with An X』も、このシーンを代表する作品だ。アンプリファイドされたラッセルのチェロやガイ・クルセヴェクのアコーディオン、ビル・ライルのタブラをフィーチャーした音楽は催眠的なミニマリズムとポリリリズムが共存する。ズンモは、1980年代初頭にこのアルバムを録音したころの状況について、こう語っている。

 

 「僕らは皆、さまざまな交流を通じてお互いを見つけた。興味深い傾向としては、さまざまなレベルでお互いに関連する友人、音楽仲間を見つけることができたことだ。これは、特定の楽器を探すことよりも優先された。つまり、作曲家がアイディアを持っていて、それを作曲家が内部で聴いている音で実現しなければならないという考えからは、根本的に離れていたのかもしれない。それよりも、社会的な単位をまとめることが重要だった」※2

※2

 

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『Zummo with An X』Peter Zummo(New World Records)
ダンスやバレエの音楽も手掛けて作曲家として評価を高めたズンモが、朋友アーサー・ラッセルと残した初期の代表作

 

 「アーサーの作品に関して言えば、彼はファンクやディスコを本質的な部分まで削ぎ落とし、ドライ(エフェクトがかかってない状態)に保ち、荒削りな部分もその一部であった。今の時代は、荒削りな部分を滑らかにして、ウェットでフルに混ぜる傾向がある」

 

 ズンモたちは、彼らのコミュニティを優先させ、その関係性から生まれる音楽の可能性に賭けたのだ。それは、クラシック音楽や現代音楽では当たり前の、必要な楽器と演奏家をまず見つけることより優先された。また、ラッセルがエコー以外のエフェクトをかけず、ソリッドで粗削りな部分を残したことが、彼らのミニマル・ミュージックをより魅力的なものにして、ポピュラー音楽のリスナーにも訴えかけるサウンドにした。それは、粗削りなヒップホップのサンプリングやディスコのエディットから、ラッセルが学んだことである。

 

 LOLOでフルートを吹いていたチャタムは、パンク・ロックのメッカだったCBGBでラモーンズを初めて見て、ヤングやライリーがインドの古典音楽を、ライヒが西アフリカの音楽を参考にしたのと同じように、自分の表現を投影するハイブリッドなスタイルをラモーンズの音楽に見出したのだという。

 

 「彼らは3つのコードを使っていて、僕は1つのコードしか使っていなかったかもしれない。でも、彼らとの共通点を感じたので、CBGBでひらめいた。幸運なことに、LOLOのギタリストがちょうどFENDER Stratocasterを手に入れたところだったから、それを貸してもらい、バレー・コードと簡単なブルースのリフの弾き方を教えてもらった」※3

※3

 

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『A Crimson Grail』Rhys Chatham(Nonesuch)
200本のエレクトリック・ギターや16本のベースを使い、リンカーン・センターの公園で録音されたチャタムの代表作

 

 この話もまた示唆的だ。チャタムらは一つの文脈だけにとどまろうとはせず、しかも、それまでのミニマル・ミュージックが参照した外部の音楽を、アメリカのポピュラー音楽に積極的に見出していった。だから、よくあるジャンルの融合にはならなかったのだ。そして、『Śisei』も、端正な室内楽とサンプリングの粗さを両立させることで、融合ではなく、表現のグラデーションを生んでいる。それは、ポストクラシカルと呼ばれる、アコースティック楽器とエレクトロニクスがスムーズにつながる音楽との違いを明らかにするとともに、ダウンタウンのシーンが残した音楽の新たな可能性を示してもいる。

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『I Was Crossing A Bridge』Vito Ricci(Music From Memory)
舞台音楽として作曲された『Music from Memory』を中心にコンパイルされ、再評価のきっかけとなった編集盤

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって