ミュージシャンにしてビート・メイカーという若いアーティストは珍しくないが、昨年Stones Throwからデビューした23歳のジャズ・ピアニスト、ビート・メイカー、そしてラッパーでもあるジャメル・ディーンは、その出自と音楽性において特別な存在となりつつある。彼にとって、最初の音楽の教師はドラマーの祖父、ドナルド・ディーンだった。1960年代末から70年代にかけてのレス・マッキャンの主要なアルバムでグルービーなドラムをたたいたドナルドは、LAのジャズ・シーンを牽引(けんいん)したピアニストのホレス・タプスコット率いるパン・アフリカン・ビープルズ・アーケストラ(PAPA)にも長年かかわり、その演奏現場にジャメルを幼いころから連れていった。ピアノの演奏にまだ自信が持てなかったジャメルをPAPAのメンバーたちは励まし、セッションに参加させた。
PAPAは、カマシ・ワシントンら現在活躍するミュージシャンたちに若いころから演奏の機会を与え、サポートしてきたコレクティブでもある。ジャメルがカマシに出会ったのもPAPAのセッションだった。PAPAとしてのリリースは少ないが、タプスコットの死後も現在に至るまで活動を継続している。コロナ禍の最中にニューヨークのニュースクール大学を卒業してLAに戻ってきたジャメルは、PAPAにかかわる若いミュージシャンらとThe Villageというレーベルを立ち上げ、自分たちの音源とタプスコットやPAPAのアーカイブをリリースし始めた。ジャメルやカルロス・ニーニョも参加したPAPAの新録EP『Nyja's Theme / Little Africa』に続く最新作として、ジャメルのピアノ・ソロ『Ished Tree』がカセット・テープでリリースされたばかりだ。これは、僕のレーベルringsから、CDアルバムとしてもリリースされている。
『Nyja's Theme / Little Africa』Pan Afrikan Peoples Arkestra(The Village)
「Nyja's Theme」はディーンの編曲で複雑な和声とアフロ・ビートが絡む。「Little Africa」はシャラダ・シャシダール(vo)をフィーチャー
『イシェド・ツリー』ジャメル・ディーン(rings / The Village)
カルロス・ニーニョやカマシ・ワシントンの録音にも参加してきたピアニストのソロ。独特のタッチによるリリカルなトーンが美しく響く
自宅のグランド・ピアノで録音された『Ished Tree』は、純然たるピアノ・ソロだ。一部即興もあるが、大半は作曲された楽曲とカバー曲である。ジャメルは、Stones ThrowからのデビューEP『Black Space Tapes』で、通常の五線譜を使わずに、音の周波数とリズムを視覚的に書き出して作曲する独自のやり方を試みた。『Ished Tree』の作曲も五線譜を使わず、黄道十二宮(天球上における太陽、月、惑星が運行する帯状の領域=黄道帯にある12の領域)と星座の位置関係を反映させたクロマチック・サークル(半音階の12音を円周上に等間隔に配置したサークル)によって曲を作っている。西洋音楽と天文学の関係は、古代ギリシャの数学者/哲学者ピタゴラスの“天球の音楽”にまで遡り、これまで多くの音楽家が星座と幾何学にインスパイアされた作曲に取り組んできた。『Ished Tree』でカバーされている女性ジャズ・ピアニストのパイオニア、メアリー・ルー・ウィリアムスの「Cancer」(蟹座)もその一つで、この曲も含んだ組曲は黄道十二宮(Zodiac)をテーマとして『Zodiac Suite』とタイトルが付けられた。
『Zodiac Suite』Mary Lou Williams(Smithsonian Folkways)
アル・ルーカス(b)、ジャック・パーカー(ds)とのトリオで演奏された1945年の録音。オリジナルは6枚組のシェラック盤だった
ウィリアムスは、黄道十二宮に対応する12の星座それぞれの下に生まれた仲間のミュージシャンに捧げる作品として作曲をした。例えば、「Libra」は天秤座生まれのディジー・ガレスピー、バド・パウエル、セロニアス・モンクに捧げられ、それぞれの気質と星座の特徴を表現した音楽となっている。彼女はこの組曲を1945年にトリオで録音し、編曲したものもニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によって演奏された。ジャメルは大学で『Zodiac Suite』の分析を行い、特に「Cancer」は演奏されているすべての音符のシンボリズムについて研究したのだという。そして、「Cancer」がE♭キーで作曲されていることと、E♭が蟹座を象徴している関係性についての理論を組み立てた。ディジー・ガレスピーからジェリ・アレンまで、この組曲に取り組んだ有名な演奏があるが、ジャメルの演奏も含め、いわゆるジャズ・スタンダードとは異なる音楽として聴こえる。元の楽曲に時代を超えた先鋭的で洗練された響きがあるからだろう。
カールハインツ・シュトックハウゼンにも『Tierkreis / Zodiac』という12の星座をモチーフとした作品がある。12の星座の下に生まれた人の性格を観察することからメロディが作られた。“それぞれのメロディは、その長さや比率において、個々の星座の特徴と一致するように作られている。聴き手はこのメロディを繰り返し聴き、その構造を注意深く観察すれば、さまざまな法則を見出すことができるだろう”とシュトックハウゼンは述べている。もともとオルゴールのために書かれた作品だが、ピアノやオルガン、ギターなどさまざまな楽器編成で演奏された録音が発表されてきた。12の半音を使ったセリー音楽であるが、シュトックハウゼンによる現代音楽の楽曲としては珍しく聴きやすさを感じるメロディがあるのは、『Zodiac Suite』同様に、星座という対象がもたらす整合性から来るのかもしれない。
『Tierkreis - 12 Melodien Der Sternzeichen / Zodiac - 12 Melodies Of The Star Signs』Karlheinz Stockhausen(WERGO)
アコーディオン、バス・クラリネット、チェロ、ベース、ドラムによる2002年発表作。ほかにドミニク・サステックによるオルガンでの録音(2011年)などもある
ジョン・コルトレーンが亡くなる7カ月前に、ドラマーのラシッド・アリとのデュオで録音された『Interstellar Space』では、惑星の名前が曲のタイトルに付けられている。当時のコルトレーンは、占星術に見られる宇宙と人間との間のシステムに関心を寄せていたが、そこに至る以前から、音楽と幾何学との関係を学び、探求を続けていた。マルチ・リード奏者のユセフ・ラティーフは、自身がまとめた『Repository of Scales and Melodic Patterns』(1981年)において、コルトレーンの描いた音階サークルのスケッチを初めて公開した。
プロ/アマ問わず多くのミュージシャンから支持を受けているこの本は、コルトレーンが「Giant Steps」を作曲する際にヒントを得たと言われる作曲家/音楽学者ニコラス・スロニムスキーの『Thesaurus of Scales and Melodic Patterns』を下敷きにしたもので、作曲や即興のためのアイディアを与える音階と旋律のパターンがまとめられている。音階サークルのスケッチは1960年代初頭にコルトレーン本人がラティーフに渡したとされるもので、コルトレーンはコンサートの合間にこうしたサークルをいつも描いていたという。
『Interstellar Space』John Coltrane(Impulse!)
1967年にヴァン・ゲルダー・スタジオで録音、1974年発表のラシッド・アリ(ds)とのデュオ。晩年のフリー・ジャズ作だが“構造”も聴き取れる
「彼が取ったリスクはランダムなものではなく、論理的だった。演奏のテクニックをよく聴くと分かるんだ」
大好きだというフリー・ジャズのピアニスト、セシル・テイラーのピアノ・ソロについてジャメルはこう述べたのだが、まるで『Interstellar Space』のコルトレーンについて語っているかのようだ。音楽の幾何学に魅せられていたコルトレーンは、最後にコードの変化や安定した拍子で区切ることを放棄し、混沌としたフリーの世界へと至ったと説明されることもあるが、『Interstellar Space』は幾何学を手放してはおらず、さまざなパターンを内包している。ジャメルのピアノ・ソロを聴くことは、あらためて、そのことにも気付かせるのだ。そして、ジャメルのような若いアーティストたちが再発見する過去の音楽は、時に新しい音楽として現れることもある。
原 雅明
【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』