1人で複数の楽器を演奏して録音された最初期のオーバー・ダビングのレコードに、シドニー・ベシェの『Blues Of Bechet / Sheik Of Araby』(1941年)がある。ニューオーリンズ・ジャズを代表するクラリネット/ソプラノ・サックス奏者のベシェはワンマン・バンドを名乗り、この10インチのSPレコードに収録した2曲でピアノ、ベース、ドラムも自ら演奏した。「Sheik Of Araby」の録音では最初にピアノを演奏し、その録音を聴きながらドラムをたたいてリズム・セクションから演奏していく予定が、いざ録音に臨むと混乱して次々と楽器を持ち替えて演奏したという。
実際にこの曲を聴くと、ピアノもドラムも背景で小さく鳴り響き、ベシェの代名詞である強烈なビブラートの効いたクラリネットとソプラノ・サックスがデュオ演奏をしているかのようだ。音のバランスの細かな調整ができなかったにもかかわらず、録音はオーバー・ダビングでもダイナミックな演奏を記録できることを示した。しかしながら、このレコードはサイドマンが職を失うという理由で米国音楽家連盟の反発を買い、オーバー・ダビングが禁止されるという事態にまで発展した。この過剰な反応は、その後に録音芸術が大きな発展を遂げていく中でも、オーバー・ダビングに対してしばしばネガティブな反応が起こることを予言していたのかもしれない。
盲目のジャズ・ピアニスト、レニー・トリスターノはベースのピーター・インドとドラムのロイ・ヘインズとのトリオで録音した『Ju-Ju / Pastime』(1952年)において、ピアノのトラックをオーバー・ダビングした。アルバム『Lennie Tristano』(1956年)においても、オーバー・ダビングやテープ速度の操作で物議をかもした。評論家やリスナーから批判を受けたことで、リリース元のAtlanticは後にリリースしたピアノ・ソロ『The New Tristano』(1962年)で“どのセクションにおいてもマルチトラック、オーバー・ダビング、テープ速度の操作は一切使用していません”とわざわざただし書きを入れた。トリスターノはオーバー・ダビングの実験をホーム・スタジオで続け、フリー・ジャズを先取りするような無調の楽曲「Descent into the Maelstrom」(1953年録音で1970年代に日の目を見た)など、作曲と即興の境界をあいまいにし、当時のジャズの規範も超えるような斬新な制作を行った。
『Lennie Tristano』レニー・トリスターノ(Atlantic)
前半の数曲でオーバー・ダビングとテープ速度の操作が加えられた。オーバー・ダビングで複数の拍子を同時進行させたり、ハーフ・スピードに落とした録音に合わせてピアノを弾き元に戻すなどの作業を、トリスターノ自身が行った
1960年代後半以降はマルチトラック・レコーダーの使用によって、ポップスやロックではオーバー・ダビングが駆使されて録音作品の価値が高まっていった。特にロックは録音芸術としてジャンルのアイデンティティを確立したと言える。一方、ジャズはライブで即興演奏される音楽であり、ミュージシャン同士の、時には観客の反応も含めた相互作用から生まれるライブの再現が理想とされた。それがロックとの違いであり、譜面に書かれた芸術として成立するクラシックとの違いでもあった。だからこそ、トリスターノがホーム・スタジオで通常の演奏では作り出せない複数の音色やハーモニックなフレーズを駆使して、ほかのミュージシャンとリアルタイムにやり取りすることなく行われた録音は、好意的には受け止められてこなかった。ライブで簡単に再現できないことは不誠実であり、ジャズという音楽の本質を失っていると見なされたのだ。オーバー・ダビングは本物ではないという価値観は現代でも変わることはなく、オーバー・ダビングをしていないことは誇らしげにジャケットに記載されることもある。
だが、ジャズの歴史を振り返ると、少なからぬミュージシャンが半世紀以上にわたってオーバー・ダビングを取り入れてきた。時にはベシェのように1人で複数の楽器を演奏して録音もした。それらの作品は、ディスコグラフィの本流ではないところに位置付けられた。ジャズとは少し異なる音楽として評価することに留まっていたのだ。しかしながら、こうしたジャズと非ジャズの評価の住み分けは、近年ますます形骸化してきたように感じている。というのも2020年以降、特に1人で(あるいは少人数で)複数の楽器を使い、オーバー・ダビングで制作された作品のリリースが目立ったからだ。その背景には、ライブができないというコロナ禍の特殊な状況も当然ながら影響を与えている。
”ずっとツアーをし続けるミュージシャンというのは、体力的にも経済的にもサステイナブルな存在ではないことに気が付かされた”とは、ジャズとクラブ・ミュージックの両方のフィールドで活動を続けてきたキーボード奏者/プロデューサーのマーク・ド・クライヴ・ロウの最近のインタビューでの発言だが、ライブ活動をしてきたミュージシャンの多くが感じていることではないだろうか。目の前に観客の居ない配信を前提としたライブは、スタジオでの録音との違いを曖昧にする。前号で紹介したダイレクト・トゥ・ディスクの一発録りもそうだが、スタジオ・ワークの中にライブ性が取り込まれようとしているのかもしれない。一方で、個人の制作は即興を取り込んできた。それは、今から70年前にトリスターノが投げかけた問いから始まっている。彼はライブではできない方法での即興の可能性があること、その手段としてテクノロジーを使うことを意図したが、機材と環境の発展に伴い、こうしたアプローチは今ではさまざまな作品に見ることができる。
ニューヨーク・タイムズ紙は、2020年のベスト・ジャズ・アルバムの2位に『Mama, You Can Bet!』を選んだ。ジョージア・アン・マルドロウがジョティ名義で1人で制作したアルバムだ。“この音楽をジャズと呼ぶことでブラック・アメリカンの伝統の中で即興ミュージシャンであることの意味を語り直している”と評された。この作品は彼女のもう一つのルーツであるヒップホップのプロダクションとも共存しているが、同様の有り様をマッドリブとドラマーのカリーム・リギンスによるアルバム『Pardon My French』でも聴くことができる。2人が制作したこれまでの作品がそうであったようにサンプリングと生演奏の境界は曖昧だが、ドラムの自由度は高まり、リアルなジャズへさらに接近した。これらは、録音を聴いて即興のインスピレーションを得たトリスターノとつながる音楽でもある。
『Mama, You Can Bet!』ジョティ(SomeOthaShip Connect)
プロデューサー/シンガー/マルチ奏者のジョージア・アン・マルドロウの別名義。ワンマン・ジャズ・アンサンブルを名乗るプロジェクトの最新作だ。オーバー・ダビングで重ねられた声が作品の要となっている
『Pardon My French』JAHARI MASSAMBA UNIT(Madlib Invazion)
共に制作してきたマッドリブとカリーム・リギンスだが、本名義では初の作品。2人の融合性が増し、架空からリアルな世界へ踏み出している。リギンスもジャズでたたくスタイルとは異なる一面を見せる
また、サックス奏者のクリス・ポッターが普段のバンドのアンサンブルとは異なるアプローチをオーバー・ダビングによって実現した『There Is A Tide』や、ボーカリストのサラ・セルパがオーバー・ダビングによって作り出した声のハーモニーをほかの楽器と同等に組み立てた『Recognition』のように、ミュージシャン側からのオーバー・ダビングへの積極的なアプローチも目立っている。これらは一部に過ぎないが、コロナ禍はこのような制作に拍車をかけた。そして、このことはジャンル音楽から個人的な音楽への転換と、その創造性の広がりの表れなのかもしれない。
『There Is A Tide』クリス・ポッター(Edition)
BLM運動とコロナ禍が発端となりサックス奏者のクリス・ポッターが、ドラムやベース、ギター、キーボード、サンプラーなどをすべて一人で使って制作された。サックスのほかにクラリネットやフルートも重ねたアンサンブルが特に印象的
『Recognition』サラ・セルパ(Biophilia)
ポルトガル出身のサラ・セルパによるドキュメンタリー映画と連動したアルバム。サックスのマーク・ターナー、ピアノのダビィ・ビレージェス、ハープのジーナ・パーキンスのトリオと共演し、自身のボーカルとともにオーバー・ダビングが行われた
原 雅明
【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』