ポストクラシカル時代に高まるジュリアス・イーストマン再評価の機運 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.134

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 コロナ禍ではさまざまな配信が行われてきたが、“リンカーン・センター・アット・ホーム”は日常の中でのクリエイティビティの向上を働きかけるユニークなプロジェクトとして注目されたLincoln Center at Home。これは、ニューヨークを代表する総合芸術施設であるリンカーン・センターが、子供たちやその家族のために開いたオンライン上のポップアップ教室で、アーティストが行うパフォーマンスやレクチャーなどが平日に毎日無料配信され、アーカイブも公開されている。僕がこのファミリー向けの配信プロジェクトに興味を持ったのは、ジュリアス・イーストマンの楽曲「Stay On It」が、当たり前のようにさり気なく取り上げられていたからだった。クラシック音楽の演奏家やダンス・カンパニーのパフォーマーらが参加した配信に添えられた解説には、簡潔にこう記されていた。

 

 「このオーケストラ演奏は、同性愛者であり、ブラック・アメリカンとしてのアイデンティティを追求した作曲家ジュリアス・イーストマンによる「Stay On It」で、米国に欠かすことのできない有色人種の労働者たちに捧げられています」
Stay On It · Lincoln Center at Home

 

 作曲家、ピアニスト、ボーカリスト、そしてダンサーでもあったイーストマンは、1990年に49歳で亡くなったが、死後に評価を高めた。というのも、多くの楽曲を作曲したにもかかわらず、録音作品としてのリリースが生前には一切無かったからだ。1980年代にイーストマンがミュージシャンとして参加した、アーサー・ラッセルによるプロジェクト、ダイナソー・Lの『24→24 Music』や、メレディス・モンクがECMからリリースした『Dolmen Music』を聴いたことがある人でも、イーストマンのクレジットを気に留めた人は少なかっただろう(かくいう僕もそうだった)。

 

 1940年ニューヨーク生まれのイーストマンは、14歳でピアノを習い始め、1960年代半ばにコンサート・ピアニストとしてデビューした。その後、作曲家、ピアニストのルーカス・フォスに見出されて、彼を中心に組織された前衛的な現代音楽を志向するクリエイティブ・アソシエイツに参加した。さらに、フォスの招きでアメリカにやってきたチェコ出身の作曲家、フルート奏者のペトル・コティークが主宰したS.E.M.アンサンブルのメンバーにもなった。このアンサンブルは、ジョン・ケージやモートン・フェルドマンら現代音楽の作曲家から、ムハル・リチャード・エイブラムスらジャズ・ミュージシャンとも積極的なコラボレーションを行ってきた。

 

 ヒッピー・カルチャーのメッカだったサンフランシスコを経てニューヨークにたどり着いたアーサー・ラッセルは、ピーター・ゴードンやジョン・ギブソンといったポストミニマル・ミュージックを担う作曲家たちと交流を深める一方で、DJのニッキー・シアーノとレフトフィールドなディスコも作り出した。そして、ラッセルが音楽監督を務めたアート・スペースのザ・キッチンを中心に、1970年代後半から1980年代前半にかけてダウンタウン・ミュージックと呼ばれるシーンが形成された。イーストマンも、そのシーンに積極的にコミットして、ザ・キッチンで開催された「ニュー・ミュージック・アメリカ」という小さなフェスを新曲発表の場としていった(「ニュー・ミュージック・アメリカ」は後に全米各地で毎年開催される北米最大規模の実験的な音楽フェスへと発展した)。

 

 イーストマンは定期的にザ・キッチンで演奏し、何度かヨーロッパ・ツアーも行ったが、商業的な録音は残さなかった(残せなかったと言うべきかもしれない)。ライブ演奏の録音からコンパイルされた初のアンソロジー『Unjust Malaise』(2005年)によって、イーストマンの楽曲が公に紹介された。「Stay On It」はその冒頭の収録曲だった。1973年に作曲されたこの曲は、ミニマル・ミュージックにポップ・ミュージックの影響を反映した最初の作品の一つであり、楽譜の中に自由な即興演奏の余地を残した作品としても評価された。イーストマン自身は、「Stay On It」に聴くことができる、ミニマルな各セクションが累積的に重なって楽曲を構成していくプロセスを生み出す作曲技法を“オーガニック・ミュージック”と呼んだ。

 

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『Unjust Malaise』Julius Eastman(New World Records)

2005年リリースの3枚組アンソロジーCD。「Stay On It」ほか「Evil Nigger」「Gay Guerrilla」といった後年の曲も収録

 

 ダウンタウンのシーンにかかわり、イーストマンのライブにも立ち会ってきた作曲家で批評家のカイル・ギャンは、『Unjust Malaise』の長いライナー・ノーツにおいて重要な指摘をしている。まず、「Stay On It」が同時代のスティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスのミニマル作品と比較しても非常に優れていたこと。この時代のミニマリズムが抽象的なパターンにこだわる一次元的でコンセプチュアルなものであり、厳格さが残るムーブメントであったのに対して、イーストマンは15年後のミニマリズム、つまり1980年代以降のポストミニマル・ミュージックやサンプラーを使った音楽が振り切っていった方向性を先取りしていたこと。さらに、ミニマリズム(クリーンで抽象的なパターンの重視)と即興演奏(ゴチャゴチャしていて演奏者の個性を重視)を一緒にしてはいけないという、クラシック音楽を学んだ作曲家の既成概念を軽々と覆してしまったことも指摘している。

 

 イーストマンの再評価は、DJラプチャー(DJ /rupture)として知られるジェイス・クレイトンが、New Amsterdamから2013年にリリースした『The Julius Eastman Memory Depot』がその先鞭を付けたが、特にこの数年は、イーストマンがS.E.M.アンサンブルと演奏した「Femenine」のさまざまなカバーが登場してきている。この楽曲はイーストマンのピアノを中心としたミニマルな展開とあざやかな色彩を感じるようなアンサンブルが特徴的だが、2016年に初めて日の目を見た。今この原稿を書いている段階ではリリースされていないが、ロサンゼルスの気鋭のアンサンブル、ワイルド・アップによるイーストマン楽曲の連続リリースがアナウンスされていて、その第1弾にも「Femenine」が選ばれた。

 

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『The Julius Eastman Memory Depot』Jace Clayton(New Amsterdam)

DJラプチャーとして知られるジェイス・クレイトンによる「Evil Nigger」「Gay Guerrilla」。ピアノとMax for Liveプラグインを駆使した演奏

 

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『Femenine』Julius Eastman(Frozen Reeds)

1974年のS.E.M.アンサンブルによる録音。7木管、ピアノ、ビブラフォン、パーカッションがあざやかなアンサンブルを奏でる72分

 

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『Femenine』Julius Eastman(Another Timbre)

UKの現代音楽アンサンブル、アパートメント・ハウスによる演奏。2020年リリース。Another Timbreは現代音楽/実験音楽を精力的にリリースするレーベル

 

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『Julius Eastman Vol. 1: Femenine』Wild Up(New Amsterdam)

6月18日にリリースされる、LAの気鋭アンサンブルによるイーストマン作品集第1弾。先行公開された冒頭部は現代的な音像

 

 「Stay On It」も「Femenine」も、比較的に聴きやすく、緩やかな高揚感をもたらす心地良さもある。しかしながら、白人中心の音楽エリートの中で、ゲイのブラック・アメリカンの作曲家としてのアイデンティティに向き合ってきたイーストマンは、「Evil Nigger」や「Gay Guerrilla」といった直接的なタイトル(NiggerもGayもイーストマンは誇りに思うべきものとして扱っている)を付けた後年の楽曲では、シャープで硬質な響きのピアノをダイナミックに鳴らし、不協和音も増して、持続音が時に不安定な揺らぎに変わった。それもまた魅力的で説得力のある表現として残っている。イーストマンの再評価は今後、よりオープンな再解釈へと進んでいくだろう。近年の活発なリリースはそのことを予感させる。

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって