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3枚組アーカイブ作『Fresh Bread』から見るサム・ゲンデルとサックスとの関係 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.135

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 サックス奏者、ギタリストで、シンガーでもあるサム・ゲンデルは、昨年Nonesuchと契約を交わし、『Satin Doll』と『DRM』の2枚のアルバムをリリースした。エフェクトのかかったサックスを軸とする茫漠としたサウンドは、さまざまなリスナー層を引き付けることになった。一方では、とらえどころのないサウンドに戸惑いを覚えるリスナーも居たことだろう。分かりやすくメロディ・ラインが立っているわけではなく、ビートも曲に強い躍動感をもたらすわけではないからだ。しかしながら、そこから聴こえてくるのは、キャッチーでないことがキャッチーなのだというメッセージではないかとも思える。そして、ゲンデルの音楽が投げかけているものは、古くて新しいアメリカン・ミュージックの本質をとらえているとも思う。

 

 

 

 サム・ゲンデルは、セントラル・カリフォルニア出身で、10歳のころからサックスを演奏し始めた。そのサックスは、引退したカリフォルニア州の警察官から50ドルで購入したという。ジャズ・ミュージシャンを多数輩出し、ネオソウルのトリオとして知られるムーンチャイルドやピアニストでビート・メイカーのキーファーらも学んだ南カリフォルニア大学を卒業している。そこではジャズを専攻しなかったが、ジャズ・プログラムに参加してジャズの知識を深めたという。彼の初期の活動に、現在はNYのジャズ・シーンで活躍するピアニストのリチャード・シアーズがリーダーで、ドラマーのルイス・コールも参加したジャズ・バンド、リックがある。この連載で以前触れたStones Throwのダイレクト・トゥ・ディスクのシリーズ“Direct To Disc”(第131回:3月号)に残した2011年の録音が唯一のリリース音源だ。しかしながら、アナログのみの限定リリースだったため、CDでもデータでも聴くことができない。ただ、シアーズがSoundcloudにアップしている2013年のライブ音源で、ストレートにジャズを演奏する様子を聴くことができる。これはリック名義ではなく、シアーズやドラマーのケヴィン・ヨコタらとのアコースティック・カルテットでの演奏だが、ゲンデルの出自を少しだけうかがい知ることができる。

 

 

 リックでの活動と同じころ、ルイス・コールとの覆面ユニット、クラウン・コアもスタートさせた。こちらは、ノウワーにも通じるコールの持つ音楽性が色濃く反映されていて、グラインド・コアやスラッシュ・メタルをドラムとサックスだけで演奏しているかのようだ。不協和音とスピードをキープするソリッドな演奏からも、ゲンデルがテクニックを持ち合わせたミュージシャンであることがよく分かる。

 

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『Van』Clown Core(8==D)

ルイス・コールとの覆面ユニットの2020年作品。以前は仮設トイレの中で録音したりもしていたが、今回はトヨタ・エスティマ内で演奏

 

 ゲンデルが最初に力を入れた自身のプロジェクトは、インガだった。シアーズのバンドで出会ったヨコタと、ギタリストのアダム・ラトナーとのバンドだ。2015年にリリースした1stアルバム『en』や、盲目のマルチホーン奏者ローランド・カークのカバーを収めたEP『Volunteered Slavery』は、現在お蔵入りとなっている。『en』はアコースティック・ギターとサックスのシンプルな構成が織り成すアンサンブルが素晴らしく、ブラジル音楽からの影響もうかがえ、その後にリリースされたゲンデルのソロ・アルバム『4444』(2017年)にも近い世界だった。一方、『Volunteered Slavery』は10代から愛聴してきたというカークの楽曲のカバーが聴き応えあるのだが、ゴスペルやソウルのエッセンスを強くにじませたブラック・ミュージックとしての魅力がある原曲に、白人ミュージシャンの視点から素直に向き合って新たな感覚でとらえ直している。奇をてらわず、原曲に忠実でもないというスタンスに誠実なものも感じた。

 

 ブラジル出身でLA在住のシンガー・ソングライター、ファビアーノ・ド・ナシメントもゲストで参加した『4444』は、ゲンデルのギターと歌にフォーカスして、美しいメロディとコードが展開される。このアルバムは現在も聴くことができるが、ゲンデル自身は“『4444』を作ったころの自分と今の自分は全然違う”と断言する。

 

 

 「当時はサックスに飽きていたんだと思う。『4444』では、自分が慣れていることとは違うことに挑戦したかったんだ。サックスにまた興味が出てくるまで、ほかのことに挑戦してみようと思った。一時的に試してみたことだったけど、今までとは別世界だったね。まるで、サックスを演奏していない人の役を演じてみたんだ。でもその役回りは、自分の本当のアイデンティティの邪魔になり出したから、元に戻したんだ」

 『Fresh Bread』国内盤ライナーノーツのインタビューより

 

 インガの音源を封印したのも、同じような理由ではないだろうか。事実、『4444』以降、ゲンデルの音楽は一変する。マシューデイヴィッドのレーベルLeavingから立て続けにリリースされた『Double Expression』(2017年)、『Pass If Music』(2018年)、ベーシストのサム・ウィルクスとの『Music for Saxofone & Bass Guitar』(2018年)では、再びサックスに戻り、それを茫漠としたサウンドスケープの中で響かせた。それらは、『Satin Doll』と『DRM』のサウンドの原型である。即興のライブでたまたま一緒に演奏して以来、そのサックスに引かれて、ライブやレコーディングに誘い、ピノ・パラティーノとのアルバム『Notes With Attachments』にも声をかけたブレイク・ミルズのゲンデル評が面白い。

 

 「彼は自分の音楽をサックスらしくない音にするために積極的に努力している面白いミュージシャンなんだ。僕の好きなミュージシャンというのは、自分の楽器の音にある種の不満を持っている人たちだ。外に目を向けて、他のものに主に耳を傾け、自分の楽器を取り巻く文化をないがしろにしている。そういう人たちを、クリエイティブに面白いところに押し込んでいく。それが僕をワクワクさせるんだ」

 Welcome to Blake Mills’ Weird World of Sound | Pitchfork

 

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『Notes With Attachments』Pino Palladino & Blake Mills(New Deal/Impulse!)

ピノ・バラディーノ(b)、ブレイク・ミルズ(g)の2021年作品。クリス・デイヴ(ds)、ラリー・ゴールディングス(k)ら精鋭メンバーが参加

 

 『Fresh Bread』には、レスター・ヤングやウェイン・ショーターの演奏の断片を聴き取ることができる。ゲンデルは本当にさり気なく、彼らのフレーズをサウンドスケープの中に解き放っている。確かに、サックスを素直に鳴り響かせることへの反発はあるだろうが、斜に構えた態度の表明には感じられないのだ。レスター・ヤングの「Stardust」からリル・ナズ・Xの「Old Town Road」までがひとつながりのサウンドスケープの中に溶けこんでいくことに、音楽の未来があると言ったら大げさだろうか。だが、ゲンデルの音楽に引かれるのは、緩やかに流れる時間の中でさまざまな音楽的な記憶を描き出してもいるからだろう。それ故に、Nonesuchがかつて世界のさまざまな音楽をリサーチしてリリースしたExplorer Seriesにならって、彼のことを探求者と呼びたくもなるのだ。ゲンデルの最も新しい参加作品が、カルロス・ニーニョのアルバム『More Energy Fields, Current』と、マギー・ロジャースのシングル『Love You For A Long Time[Live]』であることも象徴的だ。

 

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『Fresh Bread』Sam Gendel(astrollage/Leaving Records)

自宅で録音されたパーソナル・アーカイブとライブ音源で構成された全52曲を収録。日本限定でCD化され3枚組でリリース

 

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『More Energy Fields, Current』Carlos Nino & Friends(rings/International Anthem)

7月7日リリースの最新作は、ヒップホップ〜ジャズ〜アンビエントなどを渡り歩いてきたニーニョが、これらの要素を総括した仕上がり

 

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『Love You For A Long Time[Live](feat. Sam Gendel, Sam Wilkes)』Maggie Rogers(Capitol)

2019年のシングルをゲンデル&サム・ウィルクスのサポートを得てセルフ・カバー。ゲンデル&ウィルクスのデュオ作のような音像がピアノ弾き語りと重なる

 

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって