ピノ・パラディーノが追求してきた“遅らせた演奏”のグルーブ 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.136

f:id:rittor_snrec:20200617132649j:plain

 ブレイク・ミルズやサム・ゲンデルを本連載で取り上げてきて、彼らと共演したピノ・パラディーノの音楽もあらためて振り返ってみるべきだと感じていた。というのも、ミルズと作った『Notes With Attachments』のリリースに伴って読むことができたパラディーノの幾つかのインタビュー記事が、とても興味深かったからだ。自分は十分に宣伝されてきて、素晴らしい若いプレイヤーの邪魔になりたくないという理由で、パラディーノはインタビューをほとんど避けてきた。『The Guardian』紙は、このウェールズ出身のキャリア豊かで控えめなベーシストを“この40年間、どこにでも現れるようなミュージシャンであったにもかかわらず、パラディーノはミュージシャンの世界では驚くほど匿名の存在であった”と紹介している※1

※1

 

f:id:rittor_snrec:20210616190243j:plain

『Notes With Attachments』Pino Palladino & Blake Mills(New Deal/Impulse!)
ピノ・バラディーノ(b)、ブレイク・ミルズ(g)の2021年作品。クリス・デイヴ(ds)、ラリー・ゴールディングス(k)らが参加

 

 それでも、キャリア初期に参加したゲイリー・ニューマン『I, Assassin』(1982年)は、パラディーノのフレットレス・ベース無しには成立しない音楽であったし、ポール・ヤングのヒット曲「Wherever I Lay My Hat」(1983年)のベース・ラインは、今も驚きをもたらす。マヌ・カッチェやジョン・ハッセルと参加したティアーズ・フォー・フィアーズの『The Seeds of Love』(1989年)での幾つかの演奏も光っている。そして、そのベースに最も注目が当たったのは、何と言ってもディアンジェロの『Voodoo』(2000年)だ。録音に取りかかる最初のセッションにパラディーノを誘ったディアンジェロは、自分やクエストラブがたたいてみせた酩酊(めいてい)したドラム・ビートからさらに遅れてベースを弾くように求めた。

 

f:id:rittor_snrec:20210616190858j:plain

『I, Assassin』Gary Numan(Beggars/ビート)
ゲイリー・ニューマンの1982年作。前作『DANCE』でのミック・カーン(ジャパン)に続いてパラディーノのフレットレスをフィーチャー

 

 「Dは、“ベースはビートの後ろに置くのが好きだ”と言っていました。それで、ビートの後ろで弾いていたのですが、彼が“もう少し後ろに振ってくれないか”と言ったので、言われた通りに再び弾き始め、意図的に後ろに居て、気持ちの良いポケットを探していたのですが、あるとき、カチッと音がしたのです。彼は私に扉を開いてくれました。私は、このコンセプトがどこから来ているのかを理解しましたし、その考案者からこのコンセプトを紹介されたことをとても幸運に思っています」※2

※2

 

f:id:rittor_snrec:20210616191128j:plain

『Voodoo』D'Angelo(Virgin/ユニバーサル)
2000年リリースの大ヒット作。ベース・ラインはディアンジェロが提示したものを元に、パラディーノが演奏に置き換えていったという

 

 ジャズやブルースでタイミングを後ろに置いてフレーズを弾く(歌う)ことは当たり前に行われてきたが、リズム・セクションのユニットごと、アンサンブルごとを遅らせてしまうセッションが行われた。このとき、パラディーノは既に40歳を超えていて、キャリアの成熟期を迎えようとしていたが、ディアンジェロとの仕事は“ベーシストとしての自分を再構築するきっかけになった”という。B.B.キングの『Deuces Wild』(1997年)の録音で一緒になり、意気投合したのがきっかけだが、ディアンジェロは1980年代のパラディーノのベースを全く聴いておらず、“新人であるかのようにアプローチし、私の前評判に影響されることなく、演奏を受け入れてくれた”という。『Voodoo』の録音で得られたことは、パラディーノのその後の演奏にも影響を与え続け、その発展が『Notes With Attachments』に表現された。

 

 「このアルバムでは8曲中4曲しかドラム・キットが使われていません。これは意図的に決めたことです。私たちは、ドラム無しでスウィングすることを試み、後からパーカッションを加えて、少しだけ定義付けしたかったのです。これは、私にとってはかなり珍しいアプローチでした。ベーシストとして、私はドラムについていくことに慣れています。つまり、ドラマーが先導するのです。でも今回は、ベースから始めて、幾つかの曲ではそれを中心にドラムを組み立てるのが楽しかったですね」※2

※2

 

 この挑戦には前段階があり、アデルの『21』(2011年)やジョン・レジェンドの『Darkness and Light』(2016年)、ディアンジェロのツアーなどで共に演奏してきたクリス・デイヴのドラムと試みてきたことの成果でもある。『Notes With Attachments』の冒頭を飾る曲「Just Wrong」が生まれた背景を、パラディーノはオープンに説明している。

 

 「クリスとは、リズムを使った演奏で、時間通りに演奏しているにもかかわらず、スピードを落としているように聴こえる方法について話していました。例えば、4/4拍子で演奏しているときに、ドラマーと一緒に3連符の音を中心にリック(短い定型フレーズ)を弾くことができます。聴き手には、スピードが落ちているようにも、完全に休止しているようにも聴こえるかもしれませんが、実際にはパルスがあるのです。その会話から、クリスが素晴らしいグルーブを生み出し、私はそれに合わせて演奏を始めました」※3

※3

https://bassmagazine.com/artists/pino-palladino-pathfinder

 

f:id:rittor_snrec:20210616191544j:plain

『21』Adele(XL Recordings/ソニー)
3千万枚以上を売り上げた2011年作品。デイヴとパラディーノのタッグに、ジェームス・ポイザー(k)、マット・スウィーニー(g)らが屋台骨を支えている

 

 この演奏はさらに見直され、キー・センターをずらしたコードの連なりが出来上がった。これを聴いたミルズは、ビーチ・​ボーイズ『ペット・サウンズ』にインスパイアされた楽器編成やアレンジ面での新たなアプローチを提案した。そして、この曲に、サム・ゲンデル、ラリー・ゴールディングス、ロブ・ムースという、活動するフィールドが異なる3名の演奏が加えられた。ゲンデルのサックスからスタートする「Just Wrong」は、パラディーノのベースとミルズのギターやエレクトリック・シタールが背景を作り上げると、サックスがスウィングを生み、ゴールディングスがMellotronで再生したサックスと、ムースのバイオリンとビオラによるストリングス・パートが、次第に素晴らしいレイヤーを作り出していく。そして、デイヴのたたくドラムは、中盤からメロディ楽器のように登場する。

 

 

 「Just Wrong」ではゲンデルの、ほかの曲ではマーカス・ストリックランドやジャック・スワルツ・バルトのサックスが、パラディーノの言うスウィングを生み出す。そして、ディアンジェロやフェミ・クティとの演奏から得られた曲(「Soundwalk」「Ekuté」)や、エルメート・パスコアールとそのバンドのベーシスト、イチベレ・ズヴァルギからインスパイアされた曲(「Man from Molise」)もある。アルバム全体は、パラディーノが長年愛してきたジャズや映画のサウンドトラックへのオマージュであり、インストゥルメンタル音楽に新たな貢献を果たした作品となった。

 

 偶然にも、『ディアンジェロ​《ヴードゥー》がかけたグルーヴの呪文』が翻訳出版されたばかりだ。本書で浮き彫りにされる、「Untitled (How Does It Feel)」のビデオが植え付けた強烈なイメージと『Voodoo』の音楽性との乖離は今も埋めがたいが、録音に参加したパラディーノたちのその後の活動は、『Notes With Attachments』がそうであるように、その音楽性を正しく伝え、発展させてきた。

 

f:id:rittor_snrec:20210616192201j:plain

『ディアンジェロ​《ヴードゥー》がかけたグルーヴの呪文』フェイス・A・ペニック、押野素子 訳(DU BOOKS)
ブラック・フェミニストの著者が現代の視点から、『Voodoo』を中心にディアンジェロのルーツから現在までを解読。訳者はディアンジェロ来日に帯同歴あり

 

編集部付記:6月17日に、NPR『Tiny Desk Concerts』にて、ピノ・パラディーノ+ブレイク・ミルズの演奏が公開された。

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって