古賀健一氏が考える自宅ボーカルREC術

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古賀健一氏は、インディーからメジャーまで幅広く手掛けるレコーディング・エンジニア。宅録経験者であり、自宅での歌録りに対する造詣も深いと言える。本稿では、氏独自の視点でマイク選びや録音の流儀を語ってもらおう。

【古賀健一】青葉台スタジオを経て、2014年に独立と同時にプライベート・スタジオをオープン。ASIAN KUNG-FU GENERATION、ichikoro、8otto、Official髭男dism、CRAZY VODKA TONIC、チャットモンチー、MOSHIMO、The Songbards、ゲーム音楽からクラシック、5.1ch映画音楽まで幅広く手掛ける、スタジオ施工のアドバイスや後進に技術を伝えるレクチャーも行う

人からの薦めを鵜呑みにせず
さまざまなマイクを試すことが大事

 最近は、宅録用に10万円前後のオーディオI/Oを所有するミュージシャンが多いと思います。APOGEE ElementシリーズやUNIVERSAL AUDIO Apollo Twinシリーズ、RMEのFireface UCXやBabyface Proなどが例に挙がります。マイクはもう少し安価なものが使われている傾向で、AUDIO-TECHNICA AT4050やNEUMANN TLM 102、そしてASTON MICROPHONESやSE ELECTRONICS、RODEなどの5万円以下の機種が目立ちます。

 

 皆さんは、どのようにしてマイクを選んでいますか? または選ぼうとしていますか? 知り合いのエンジニアや友人からの薦めで買う方も多いでしょう。でもちょっと危険です。もちろん信頼できる識者に相談するのは良いことで、僕も参考にしていますし、必ず複数人に聞きます。しかしマイクの推薦において普遍的な意見はほとんど無いので、いかなる場合も実際に試してみることが必要不可欠と考えています

 

 マイク選びに際しては、まず録音するソースのことをイメージしましょう。男性と女性で声質が違うわけですし、同性でも人によって異なります。また、ボーカルだけでなくアコースティック・ギターにも使いたい、といった場合は選ぶべきものが変わってくるかもしれません。

 

 さらに踏み込んだ用途も考えてみましょう。デモ録りだけなのかプリプロ用なのか、それとも本番のためなのか。プリプロ用であれば“あわよくば本番にも使えるクオリティを”と考える人が居るでしょうが、最初から本番用と決めているなら、それはすなわち仕事用なので、聴き手やクライアントからお金を払ってもらう作品に見合ったマイクを選ぶべきです。そして、その1本を見付け出すためには相応の努力が必要です。例えば“安いマイクだけど私はこれが好き”と、心底思えるなら良いと思います。しかし多くの場合、そこにたどり着くまでに相当数のマイクを試す必要があります。

 

 最終的には、個人の好みで選べば良いと思います。人からの薦めを鵜呑みにするのではなく、自分が本当に好きだと思える一本を見付け出して買いましょう。“NEUMANN U87だったら万事OK”とかはあり得ません。ですが、いろいろ試した結果がU87AIだったら良いと思います。

上位グレードの無いマイクや
一本で複数の音色を得られる機種

 同様に、高いマイクだから良い、というわけでもありません。以下3つのパターンを考えてみるのも良いでしょう。まずは予算ありきです。

❶いずれ買い替えることを前提に安価な製品を買う
❷リーズナブルだけど長い間使えるものが欲しい
❸高価なモデルを手に入れる!

 恐らくの人が大多数だと思います。低価格ながら先々にも使えるマイクで、僕が使ったことのある範囲ではSE ELECTRONICSやASTON MICROPHONESの製品などが例に挙げられます。その理由は“上位版が無いから”。例えばASTON MICROPHONESはAston OriginやAston Spiritなどの製品をラインナップしており、価格は異なるもののグレードの違いではなく、それぞれが独自のコンセプトをもって開発されています。つまり、最上位の機種から何かを省略したモデルではなく、低価格ながら100%の状態として作られているとも考えられます。メーカーの本気度の高さを感じますし、そういうマイクは個人的に信用できると思っています。先述のAT4050もお薦めです。AT4060Aだと真空管になり、AT5040だと開発コンセプトが変わるので、全く別のマイクになります。

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ASTON MICROPHONESのコンデンサー・マイク。左のAston Originは31,500円前後、右のAston Spiritは45,000円前後(価格はいずれもオープン・プライス:市場予想価格)。価格は異なるもののグレードの違いではなく、それぞれが独自のコンセプトの下、開発されている。大きな違いはAston Originがトランスレス回路、Aston Spiritがトランスを採用している点

 逆に、上位グレードが存在するマイクなら、買い替えることを見越して購入した方がよいでしょう。人間というのは、段階を踏んで上を目指したくなるものだと思いますからね。買い替えたくないのであればのようなマイクか、初めから思い切って高価なもの(25万円以上)を買うのが手です。

 

 ASTON MICROPHONESなどに比べると値は張りますが、一本で複数のサウンド・キャラクター(音色)を切り替えて使えるマイクもお薦めです。例えば、SOUNDELUX USA U195は本体上のFat/Normスイッチで2種類のキャラクターを選択できますし、BLUE MICROPHONES Bottle Rocket Mic Lockerはカプセルを交換することで音色の切り替えが可能です。

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古賀氏の所有するマイクの一部。写真右の青いマイク=BLUE MICROPHONES Bottleは40万円以上もするハイエンド・モデルで、本文に登場したBottle Rocket Mic Lockerと同様にカプセル(収音部。マイク上部の丸い部分)の交換に対応し、サウンド・キャラクターを切り替えることができる

 同様に、一つ持っておくだけで複数の選択肢を得られるものとして、シミュレーション・マイクも挙げられます。現在ANTELOPE AUDIO Edge Duo、SLATE DIGITAL Virtual Microphone System、 TOWNSEND LABS Sphere L22などの製品が発売されており、いずれも専用ソフトでさまざまなマイクのシミュレーション・サウンドが得られます。各マイクのキャラクターを試せるので勉強になりますし、何より自分の好みも分かってきます。

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シミュレーション・マイクのSLATE DIGITAL Virtual Microphone System(オープン・プライス:市場予想価格125,000円前後)。コンデンサー・マイク、マイク・プリアンプ、プラグインという専用ツールから成り、プラグインにはさまざまなマイクのシミュレーションが用意されている。それらを録り音にかける仕様

良いマイクを持っていなくても
“借りる”ところから始めればよい

 エンジニアは機材を持っているわけだから、ミュージシャンに貸し出すのも良いと思います。さすがに超高価なマイクを貸すのは難しいですが、ミックスの品質を担保するには、ある程度のものを貸して、使用方法とアドバイスなどを伝えた上で録ってもらうのも良いのではないでしょうか?

 

 逆の立場から考えると、良いマイクを持っていないミュージシャンは、すぐに資金を用意できなくても借りれば良いのです。知り合いのエンジニア、音響機器のレンタル・ショップ、楽器店など頼れるところを探しましょう。大枚をはたかなくても良いものは探せますし借りられます。少し厳しい言い方になりますが、資金や機材が無いことを口実にして妥協するのが一番良くない。それではいつまで経っても良い音源は作れません。COVID-19の影響で宅録の必要性が高まっている今だからこそ、ミュージシャンが自分自身でテイクのクオリティを上げるべきだと思うのです。もちろん自己責任になりますが、ひと工夫をすればテイクの質も向上するでしょうし、僕らエンジニアも“悪い素材をマトモにする”のではなく“良い素材をより良くする”という建設的なアプローチでミックスできます。ただし、知人間の貸し借りにおいて、決して無料でやり取りしましょうというわけではありません。お互いで相談して決めてください。

ピッチ補正をかけたければ
ミュージシャン自身で行うのが良い

 自己責任に関連してもう1つ。録音後にピッチ補正をしたいなら、ミュージシャン自身で頑張ってほしいと思います。ピッチ補正は、必ずしもエンジニアの仕事ではないと僕は考えています。特に宅録の素材を扱う場合、歌録りの場面を見ていないわけですから、ピッチがスケール・アウトしていても、それが単なるミスなのか意図的なものなのかは判断し切れないのです。なので“良い感じにピッチを直してください”といったあいまいなリクエストは論外。テイク選びに責任を持つことはもちろん、ピッチのエディットをするなら、そこまでが宅録の仕事だと思います。補正の技量に乏しく、ケロってしまったりするならば、録り直してみたりテイクを変えてみてください。ピッチ補正の前にしっかりテイクを選ぶことが大事なので、これを機にチャレンジしてみてはいかがでしょうか?

 

 ピッチ補正ほどではないものの、ボリューム・オートメーションの設定にも、個人的には大いに取り組んでいただきたいです。“エンジニアには録ったままの音を渡すべき”といった風潮もありますが、ミックスは各トラックをアーティストの持つイメージに近付けていく工程なので、明確なビジョンがある場合は先に提示してもらった方が近道。それを元にエンジニアとしてのアイディアを入れて、より完成度を高めていけるわけですから。ただし、コンプレッサーのかけ過ぎには注意してください。後からでは絶対に戻せません。

 

 ボリューム・オートメーションの要領としては、僕の場合は“歌詞がよく聴こえるように書く”というのがあります。歌詞があるのによく聴こえないというのは、もったいないからです。具体的には子音が立って聴こえるように書きますが、その効果を最大化させるには録りの段階で滑舌良く歌っていただく必要があります。これに尽きます。素材の旨味を引き出そうにも、引き出したい要素が含まれていなければ不可能ですし、やはり録り音そのものが何より大事なのです。

録音の位置に気を付けつつ
身近なもので反射音の発生を防止

 では自宅で歌を録る際には、どのような点に気を配れば良いのでしょうか? まずは録音の位置。部屋の真ん中やコーナーに向かってマイクを置いてはいけません。部屋鳴り(反射音)が多分に含まれてしまい、ミックス時にリバーブやディレイでごまかすことになりがちです。つまり“ドライで近い音”では勝負しにくくなるため、ミックスの表現の幅が狭まってしまうのです。部屋の形状や家具の配置などにもよるので、どこで歌うのがベストかは一概には言えませんが、自身がコーナーに立って広い方に向かって歌うなら、部屋の真ん中やコーナーにマイクを立てるよりもベターだと思います。また、声が反射しそうなところにバスタオルや毛布などをつるすのでも大分変わります。リフレクション・フィルターはピークやディップ、金属の鳴りも生み出すので、使ったからと言って必ず良くなるとは限りません。簡易防音室も、高域が集中的に吸われるものがあったり、平行面も多く、注意すべきだと考えています。意図せず無指向性で録音した人もいました(笑)。

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自宅での歌録りの位置を模式化した図。左上のように真ん中で歌うと四方八方から一定の反射音がマイクに入り、右上のようにコーナーにマイクを設置するとコーナーからの反射音が多分に入り込む。下のように、歌い手がコーナーに立つのがベター。マイクと壁の平行を避けよう

  そのほか空調のそばを避けたり、ウィンド・スクリーンをきちんと装着することも大事。そして“クリック漏れ”に気を付けること。最近はIZOTOPE RX7などで除去できるようになってきましたが、作業がとても大変です。バラードや落ちサビ、ブレイクなどでは特に注意してください。かぶっていないに越したことはないので、クリックを大きく聴く場合は密閉型ヘッドフォンやイアモニを推奨します。さらに裏技で、歌い終わった後に無音状態で10秒間ほどレコーダー(DAW)を回しておいてください。部屋の環境音が録れるので、逆相にしてボーカル・トラックに混ぜれば不要な音を消すことができます。

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オーディオ修復プラグインのIZOTOPE RX7。ノイズやひずみ、リバーブなどの除去が行え、サウンド・エンジニア/アーティストからの信頼も厚い。ただ、録音の段階でノイズが入らないように努めるのが一番なので、まずはその対策を考えてみよう

宅録で最も注意すべきは“ひずみ”
修復が難しく録り直すのがベター

 宅録の歌素材を受け取ったときに個人的に一番気にすることは、意図しない“ひずみ”です。ひずみは修復がほぼ不可能で、ミックス時にコンプやEQをかけるたびに増幅されてしまいます。僕はミックスだけでなくボーカル・ディレクションも行いますので、納品ファイルのひずみを確認したら、場合によってはリテイクをお願いすることもあります。ギターやベースなどの楽器も同様で、“本当にこれで良いのか?”というのを確認してからミックスに入ります。また、どのような環境で録るのかを確認してから録音方法を相談したり、機材を貸し出すなどしています。ちなみに“録音時にコンプレッサーをかけないといけないのですか?”という質問をよく受けます。安心してください、無理にかけなくて大丈夫です。

 

 最近は自分のスタジオに来てもらって録ることがほとんどなのですが、ミックスにおいて宅録素材を扱う際には、まずアウトボードに通して“スタジオで録った体(てい)の音”を作ります。プロ向けの音響機器と安価な機材の違いは、低音の伸びと密度感、適度なひずみでしょう。後者には、どうしてか明るい音に作られた機材が多い印象で、だからこそ中低域以下の情報量に差が出てくるのかもしれません。

 

 僕がミックスする際のアウトボードの定番ルーティングは、FOCUSRITE ISA430(チャンネル・ストリップ/センド・アウトから出力)→RUPERT NEVE DESIGNS 542(テープ・シミュレーター)→コンプ→DBX 520やEMPIRICAL LABS DerrEsser EL-DS(ディエッサー)→ ISA430(リターン・インに入力)というもの。コンプは曲によって機種を変え、CHANDLER LIMITED LTD-2やDBX 165A、UNIVERSAL AUDIO LA-3A、 1176AE、LA-610のオプト・コンプ、RETRO 176などを使います。録音時はマイクとマイクプリとコンプのキャラで音を決めます。EQは一切しません。

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古賀氏の所有するアウトボードの一部。宅録素材の処理において最初に使用するというFOCUSRITE ISA430(チャンネル・ストリップ)は、中程に見える2Uの青いアウトボードだ。その上にはWESAUDIO Beta76やUNIVERSAL AUDIO LA-610、下にはDBX 165AやBBS AUDIO DPR 402などが見える

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こちらも所有アウトボード。宅録素材の処理にも使用しているのは、一番上に設置されたUNIVERSAL AUDIO LA-3A、中程に2台マウントされているカーキ色のCHANDLER LIMITED LTD-2といったコンプだ

 僕はレコーディング・スタジオに入る前からRODE NT2-Aなどを使って宅録をしていたので、低価格帯の製品の音質は理解していますし、受け皿も広いと自負しています。どのような素材を受け取っても、大抵は驚きません。ただ、宅録されたボーカルについては、音質うんぬん以上に“自分のテイクを客観的に聴けていない”と思うことが多いです。僕は先述の通りディレクションも行っていますので、歌録りに関して相談があれば、気軽にご連絡いただけたらと思います。

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古賀氏のプライベート・スタジオにあるブース。調音パネルを組み合わせてルーム・チューニングを行っており、ボーカルからドラムの録音まで対応する。写真は2018年末に撮影したもので、現在はアップデートのため改装中

 

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