天井の共鳴器や壁の吸音パネルなど
モニター環境にこだわり抜いた制作スペース
世界でも屈指のマスタリング・エンジニアとして知られるラシャド・ベッカー。2013年にベルリンを拠点とするレーベル=PANからソロ・アルバム『Traditional Music Of Notional Species Vol. I』を発表してからはアーティストとしても注目を集めている。ベルリン市内中心部のクロイツベルク地区にあるプライベート・スタジオで、彼がどのように空間を活用し、制作しているのか話を聞いた。
Text:Mizuki Sikano Interpretation & Photo:Yuko Asanuma
1つのコンバーターとコンピューターで
3つの空間のモニターを制御可能
スタジオの物件の面積は約110㎡で、作業に使用している部屋は87㎡ほどあるという。
「この建物は1862年に建設され、この地区で最も古い建物の一つです。音楽スタジオとして使用されていた物件を、2006年から使い始めました。音響デザインは、ベルリンではその筋で有名なヴィルズィンという人物によるものです。レコーディングやミキシングに、非常に適した造りになっています。壁にはカスタム・メイドの金属製の吸音パネルを設置し、天井にはディフューザー兼共鳴器の箱を設置しました。これは、音に共鳴して揺れる/振動するようになっており、箱によって異なる周波数に反応するようチューニングされています。そのため、ある種のEQのような役割を果たしているんです。木製の箱はベース・レゾネーターです」
かつてはこのスタジオでレコーディングを行っていたが、現在はレコーディングとマスタリングの立ち会いを基本的には断っており、外部の人が訪れる機会は少ないという。最近は、主に自身の制作に使用することが増えたそうだ。
「年間を通して考えると、だいたい7~8カ月をマスタリングに、2カ月をミキシングに、残り2~3カ月を自分の制作にあてているのではないでしょうか」
部屋の中心にはミックス/マスタリングなどの作業を行うセクションがあり、片側には楽器をまとめたセクション、畳が置かれたリスニングのためのセクションを用意している。これらのシステムは、1つのコンバーターと1台のコンピューターに集約されているそうだ。
「ミックスのセクションと楽器セクションは、イーサーネットを通じてつながっています。また、ミックス・セクションとリスニングのセクションは光デジタル・ケーブルでつながっているんです。楽器セクションのノート・パソコンは、ミックス・セクションのコンピューターをミラーリングしています。そのため、ミックス・セクションのコンピューターからどのスピーカーを介しても音が出せますし、入力した音をほかのセクションから出力することができるようにしているんです。こうしたのは同じ音源を異なる環境で聴き比べるため、もしくは聴くときの心構えを切り替えるためです」
スピーカーについては、ミックス・セクションのフロントにGENELEC 8050Aを設置し、サイドに1050Aをセット。楽器セクションではNEUMANN KH120Aを使っているという。
「すべてのスピーカーから同時に音を出すこともできます。部屋中を歩き回って聴くことは、作曲などのプロダクションに役立ちます。ミックスやマスタリングのときでも、スウィート・スポットから離れて、普通のリスナーのように聴くことが大事なのです。制作していると自分の作品に没入しがちなので、物理的に離れてみることが大切です」
頭の中で音のキャラクターを決めてから
実際に楽器を触って音作りをする
エンジニアリングのみならず、近年はアーティストとしての活動でも注目を集めるベッカー。彼の作品の発生源は、音ではなく頭の中のアイディアなのだという。
「音からインスピレーションを受けると、軸がブレてしまいます。そのため、アイディアを固めるところに時間をかけるのです。楽器を触るまでにとても時間がかかる場合もあります。一例を挙げるならば、最近手掛けている『Based On A True Story』というオーディオ・ドキュメンタリーのシリーズ……厳密にはドキュメンタリーではありませんが、SPK(社会主義患者集団)やRAF(ドイツ赤軍)を収容していたシュタムハイム刑務所などをテーマにしています。このシリーズの制作フローは、まず題材のリサーチをして、TheBrainというソフトを使ってキーワードをマッピングしていきます。それをベースに“音のキャラクター”を決めるのです。これが、私にとって最も重要なステップです。それから楽器を触ります。闇雲に音を出しても、遊んでいるだけになってしまいますから。私は録音に対してシビアで“とりあえず15分録ってみよう”といったことはしません。モジュラー・シンセを所有する人で、この作り方をする人は珍しいかもしれません」
楽器セクションには多様なモジュラー・シンセが並んでおり、「この10年ほどでそろえました」とベッカーは語る。
「DOEPFERが発売し始めたころから触れています。なぜならお小遣いで買える安さだったからです。裕福ではなかったので、最初に2年ほどかけてモジュラーを買い集めました。でもNORD Nord Modularと出会ってからは自分の表現したかったことができるようになったので、 長い間Eurorackからは遠ざかっていました。また使い始めたのは、10年ほど前からですね」
スタジオの近くにはモジュラー・シンセ専門店=SchneidersLadenがあり、気軽に相談に行けるのだという。
「私の曲の作り方と同じで、楽器を買うときも目的を持って買いに行きます。ぶらりとどんなものがあるかをチェックしに行くことはしません(笑)。私は“なぜ?”を常に自問することにしていて、それに答えられないものは買わないし、作品にもしないのです」
Close up
実験的な音作りに役立つ次世代インストゥルメント
サウンド・エンジンを内蔵するフィンガー・コントローラー、HAKEN AUDIO The Continuum Fingerboard。モジュラー・シンセなどとの接続も可能で、アコースティック楽器のように触れた指のニュアンスで演奏できる。ベッカーは「楽器としてのポテンシャルが高く、導入した価値のあるものでした。3年半前に購入して研究していますが、使いこなすまでにはあと3年かかりそうです」と話す。
Equipment
[DAW System]
Computer:APPLE iMac、KYMA Pacarana
DAW:STEINBERG Nuendo
Audio I/O:METRIC HALO LIO-8、ULN-8、RME Fireface 800
Controller:HAKEN AUDIO The Continuum Fingerboard、SOFTUBE Console 1 Fader
AD/DA Converter:MYTEK DIGITAL 8x192 ADDA
[Recording & Monitoring]
Mixer:TONELUX MX2、FX2、SM2、CR2、SOUNDCRAFT M12、SHURE Auxpander
Monitor Speaker:GENELEC 8050A、1050A、NEUMANN KH120A
Headphone:AUDEZE LCD-X、BEYERDYNAMIC DT990 Pro
[Outboard & Effects]
Compressor:CHESWICK REACH Stereo Valve Compressor、API 2500
EQ:ADT-AUDIO ToolMST-EQ、SCV AUDIO Model 231、CHANDLER LIMITED Germanium Tone Control
Delay:MOOG MF-104M
Reverb:URSA MAJOR 8x32 MK2
Filter:SCHIPPMANN VCF1、MOOG MF-105M
Pedal Effects:EVENTIDE ModFactor
Others:CHRISTIAN GUENTHER’S XR-1(Ring Modulator)、THERMIONIC CULTURE The Culture Vulture(Tube Distortion)
[Instruments]
Keyboard & Synthesizer:YAMAHA TG77、CLAVIA Nord Modular、Nord Modular Rack、Nord Micro Modular、WALDORF MicroWave XT、OBERHEIM Xpander、DAVE SMITH INSTRUMENTS Prophet 12 Module、MANNEQUINS Just Friends、Three Sisters、etc.
ラシャド・ベッカー
【BIO】ベルリンを拠点に活動するマスタリング・エンジニア/電子音楽家。長年にわたりベルリンの名門スタジオ、Dubplates & Masteringに所属。2019年に完全に独立をして、自身のスタジオclunkを運営している。エンジニアリングと並行して音楽活動も行う
Recent Work
Private Studio 2021
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