360 Reality Audioの仕組みとコンテンツ制作の方法

360 Reality Audioの仕組みとコンテンツ制作の方法

ソニーの360立体音響技術を使った新たな音楽体験=360 Reality Audio。本稿では、その仕組みをステレオなどと比較しながら紐解いていく。また、360 Reality Audioコンテンツの制作に必須のプラグイン=360 WalkMix Creator™の使い方も詳しく解説しているので、じっくりと読み進めてほしい。

取材協力:ソニー

音に位置情報を加えた“オブジェクト”。スタジオには13台のスピーカーを推奨

 さて、冒頭(360 Reality Audioの楽曲をリスニングする方法とは?)で360 Reality Audioが上下左右の全方位=全天球を音場とすることに触れたが、ステレオやサラウンドとは仕組みの上で何が違うのだろう? 最も大きいのは、360 Reality Audioが“オブジェクト・ベース”であることだ。

 

 ステレオやサラウンドは、スピーカーのレイアウトに基づいて一つ一つの音を配置し、ミックス全体の音像を作るチャンネル・ベースのフォーマット。故にスピーカーの位置が変われば、それに伴い音の定位も変化する。例えばLch寄りにギターを配置した後、左のスピーカーを大きく外振りにすれば、元より随分と離れたところに定位して聴こえるようになる。しかしオブジェクト・ベースの360 Reality Audioでは、スピーカー・レイアウトによって音の定位が変わることはない。それは個々の音声データに“全天球のどこにあるのか”という位置情報を付け、スピーカー・レイアウトに合わせてレンダリング(再現)するという仕組みを採っているからで、基本的には環境に依存しない再生が可能。また、その位置情報を持った音声データがオブジェクトと呼ばれる。

 

 360 Reality Audioのミキシングにおいて、全天球を見渡すためのミニマムなレイアウトとしてレコーディング・スタジオに推奨されているのが、13台のスピーカーを使った構成だ(下前方3台+耳の高さ5台+頭上5台)。ステレオやサラウンドとの共通点は、複数のスピーカーによるファンタム音像で定位を表現するところ。ステレオは2台のスピーカーから出る音の音量差や時間差などでファンタムを作り出すが、360 Reality AudioはVBAP(Vector Based Amplitude Panning)なる方法を用い、スピーカー間に配置されたオブジェクトを複数台で表現。スピーカーが多いほどクリアに聴こえるファンタムが増え、ち密な表現が行える。無論、スピーカーのある位置にオブジェクトを配置することも可能だ。

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レコーディング・スタジオに推奨されるスピーカー・レイアウトは、13台から成る(下前方3台+耳の高さの5台+頭上5台)。これらはその模式図で、上の方は天井から見下ろしたイメージ。下前方3台=青、耳の高さの5台=紫、頭上5台=赤で、前方9台は聴取位置から左右30°に置く。リア4台は110°だ。下の図は横から見たところで、下のスピーカーは20°、上のスピーカーは30°。これらはあくまで推奨の角度であり、その通りに設置できなくてもスピーカーの位置を実測し、360 WalkMix Creator™に入力すれば環境に合わせてレンダリングできる。また、360 Reality AudioはLFEチャンネルを持たないが、モニター用としてベース・マネージメントのサブウーファーを併用することができる

コンテンツ制作に必要なプラグイン、360 WalkMix Creator™の設定方法

 オブジェクトの配置をはじめ、360 Reality Audioコンテンツの制作にはAudio Futuresの360 WalkMix Creator™を使用する(2022年1月に360 Reality Audio Creative Suiteから名称変更)。Mac/Windows用のプラグインで、最大128のオブジェクトを扱うことが可能。以下のDAWソフトに対応しているのでチェックしておこう。

  • AVID Pro Tools
  • ABLETON Live 11
  • APPLE Logic Pro
  • STEINBERG Cubase 11
  • STEINBERG Nuendo 11
  • MAGIX Sequoia 16
  • PRESONUS Studio One 5
  • COCKOS Reaper(VSTのみ)

360 WalkMix Creator

360 Reality Audioコンテンツの制作に必須のMac/Windows用プラグイン=360 WalkMix Creator™(64,900円/税込)。ソニーとVIRTUAL SONICSが共同開発し、VIRTUAL SONICSの子会社Audio Futuresから発売されている。全天球にオブジェクト(位置情報を持った音声データ)を配置するパンナーのほか、ヘッドホン・モニター用のバーチャライズ機能(画面左下のヘッドホン・アイコン)、各種スピーカー・レイアウトへのレンダリング用プリセットなどを備える

 ここからは、主にPro Toolsでの使用を想定して話を進める。まず、使用する音の素材は360 Reality Audio向けに何か特別な録り方をする必要は無く、通常のマルチトラックでOK。既存のプロジェクトを使って360 Reality Audioミキシングを行うこともできる。モニタリングについては、13台のスピーカーが無くても大丈夫。360 WalkMix Creator™の中にステレオをはじめとする幾つかのスピーカー・レイアウト・プリセットが入っているので、自身の環境に合わせたものを選んでレンダリングすればよい。またヘッドホン・レンダリング機能もあるため、オンにするとバーチャライズが実行され、標準プロファイルでのモニタリングが行える

 

 それでは、360 WalkMix Creator™の設定を見ていこう。まずは各トラックとマスターに360 WalkMix Creator™をインサートする。前者で各トラックがオブジェクトになり、それらの遅延が後者で補正される仕様だ。また360 WalkMix Creator™がインサートされた各トラックの音声は、それぞれ360 WalkMix Creator™にオブジェクトとして配置されレンダリングされるため、トラックで音作りに使うプラグインは360 WalkMix Creator™の前段にインサートする。なお360 WalkMix Creator™は現在、Pro Tools|HDXシステムのDSPには対応していないので、プレイバック・エンジンにHDXを選択しない、もしくは各トラックのプラグインやミキサーをハイブリット・エンジンでネイティブ動作させる必要がある。

 

 さて、既にお気付きの方も居るだろうが、360 WalkMix Creator™を挿すとそれ以降の要素……センドやフェーダーなどが音声に作用しなくなる。だが、フェーダーを絞り切ったりミュート・ボタンを押したりしてはいけない。と言うのも、360 WalkMix Creator™からは音声とは別に遅延補正用のパルスが出ており、ポストフェーダーでマスターの360 WalkMix Creator™に送られているから。フェーダーを絞り切りにすると、そのトラックの遅延が補正されなくなるので要注意だ。また、各トラックの出力をマスターの出力に合わせておくのもパルスの送受信において必須。出力はバスに設定するのではなく、オーディオI/Oなどの物理アウトプットにしておこう。

 

 続いてはオーディオ・デバイスの設定。360 WalkMix Creator™のオーディオ・デバイス(モニタリング用デバイス)とPro Toolsのプレイバック・エンジンは、異なるものを選択しなければならない。360 WalkMix Creator™では、オーディオI/O=実際のモニター音声出力に使うデバイスを選び、Pro Toolsのプレイバック・エンジンの方はコンピューターの内蔵出力などにしておくのが無難だろう。くれぐれも両者がバッティングしないように気を付けたい。

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360 WalkMix Creator™のオーディオ・デバイス選択欄。“出力デバイス”の項目でオーディオI/Oを選択し、DAWのプレイバック・エンジンはコンピューターの内蔵出力にするのが無難な設定。両者で同じものを選ばないようにしよう

360 Reality AudioのミックスTips〜慣れ親しんだ手法の導入も可能

 トラックの360 WalkMix Creator™を開くと分かる通り、一つの360 WalkMix Creator™からプロジェクト内の全オブジェクトを閲覧/制御することができる。配置はもちろん、音量やソロ/ミュート、もともとステレオ・トラックだったオブジェクトの左右幅などがパラメーターとなっているが、Pro Toolsのフェーダーやセンドを使いたいという人も居るだろう。その方法を紹介しておく。

 

 まずは、トラックやサブミックスといったソース(これらを“ソース・トラック”とする)を個別のAUXトラックに送る。つまりソース・トラックとAUXトラックを“一対一”の関係にするわけだ。そして、各AUXトラックに360 WalkMix Creator™をインサート(これらを“オブジェクト・トラック”とする)。こうすれば全ソース・トラックに対してPro Toolsのフェーダーやセンドが効く上、オートメーションやコントローラーでの制御も可能になる。もちろん、センド&リターン用のエフェクトを立ち上げたAUXトラックにも360 WalkMix Creator™のインサートをお忘れなく。

 

 もう1つ、ミキシングに役立つテクニックを紹介しておこう。ステレオ・ミキシングのマスター処理に通じるものだ。先述の通り、360 WalkMix Creator™の中で制御できるのは主にオブジェクトの配置や音量だが、ミックス全体に同一のEQやコンプをかけたいという場合もあるだろう。まずはEQについて説明すると、すべてのオブジェクト・トラックに同じプラグインEQを挿し、それらのコントロールをPro Toolsのグルーピング機能で共通化。こうすれば、一度のセッティングで全オブジェクト・トラックに同一のイコライジングを施せるので、ステレオ・ミキシングのマスターEQのような効果が得られる

 

 同じ要領でコンプも……となりそうだが、例えばキックのオブジェクト・トラックとシンセ・ミックスのオブジェクト・トラックに挿したコンプでは、設定が同じでもかかり方が違ってくるので、マスター・コンプ的な効果は期待できない。そこでPro Toolsのサイド・チェインを活用する。

 

 手順としては、まず各オブジェクト・トラックに同一のプラグイン・コンプをインサート。次に、ソース・トラックをトリガー信号用のバスへセンドしてソース・トラックのモノラル・ミックスを作り、オブジェクト・トラックのコンプにサイド・チェイン入力する。これにより、すべてのオブジェクト・トラックのコンプがトータル・ミックスの音量で動作するため、マスター・コンプ的な効果が得られるわけだ。またコントロールを共通化しておくと、パラメーターの変更が一回で済むので便利だろう。繰り返しになるが、EQもコンプも360 WalkMix Creator™の前段へ挿すようにしよう。

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360 WalkMix Creator™を使ったミキシングでトータル・コンプ的な処理を行うには、ソース・トラックをサイド・チェイン・トリガー用のバスでモノラル・ミックスし、それを各オブジェクト・トラックのコンプへサイド・チェイン入力する。詳細は本文を参照されたい

 現在、360 Reality Audioコンテンツには“ラウドネス値をどのくらいにすればよいか”という基準が規定されていないものの、既存の曲を360 Reality Audio化した場合に、オリジナルのステレオ版と聴き比べられることがあるかもしれない。それを見越して、リファレンスとなるステレオ・ミックスを360 WalkMix Creator™でオブジェクトにし、ソロ/ミュート機能を使って360 Reality Audioのミックスと比較しながら作業したり、外部のラウドネス・メーターで測定したりするのも手だ。ここで紹介したマスター処理的なテクニックを活用すれば、全体の音圧感を稼ぎやすくなるかもしれない。ただし過剰に処理すると、360 Reality Audioならではの空間が感じられにくくなるだろうから、その辺りはさじ加減が必要と言える。

エンコードの前に必要となるプリレンダリングの意味と勘所

 360 WalkMix Creator™で仕上げたミックスは最大128のオブジェクトを含み、最終的には360 Reality Audio Music Formatにエンコードされる。360 Reality Audio Music Formatは360 Reality Audioの音楽配信に最適化された形式で、国際基準であるMPEG-H 3D Audioに規定される音声フォーマットのサブセットとして定義されている。

 

 ところで、いくらMPEG-H 3D Audioに圧縮するとは言えミックス内の全オブジェクトをスマートフォンで受け取るのはまだ現実的ではない。360 Reality Audio Music Formatはデータ容量と通信速度、スマホでレンダリング/バーチャライズする処理量が考慮された複数の“Level”のフォーマットとして定義されている。最大オブジェクト数24個/平均ビット・レート1.5MbpsのLevel 3をはじめ、16個/1MbpsのLevel 2、10個/640kbpsのLevel 1、そして360 Reality Audio Music Format外だが5個/320kbpsのLevel 0.5。これらをマスターとして作成する必要がある。そのために360 WalkMix Creator™で行うのが“プリレンダリング”。オブジェクトの数を減らしつつも、聴こえ方を極力オリジナルの状態にキープするという作業だ

 

 まずは360 WalkMix Creator™を開いたままにして、Pro Toolsのバウンス機能にアクセス。バウンス・ソースは360 WalkMix Creator™を挿したトラックの出力を選択し、ファイル・タイプはWAV、ファイル・フォーマットはインターリーブ、ビット/サンプル・レートは24ビット/48kHzを選ぶ。バウンス先のディレクトリを360 WalkMix Creator™のExportフォルダーに設定して書き出すと、バウンスしたトラックのトゥルー・ピーク・レベルが検出されるので、0dBを超えていないかどうかをチェックする。必要があればノーマライズしてもよい。

 

 次にExportプレビュー/調整画面でSAM/WAVという項目を選択し、 Level 0.5~Level 3のすべてにチェックを入れてみよう。“オブジェクトを幾つに収めるか”の度合いだ。チェックを入れると解析が始まり、完了後に編集欄から結果を見ることが可能。真っ先に目に入るのが“Dynamic”(ダイナミック)と“Static”(スタティック)の2種類のオブジェクト表示だろう。Dynamic(動的)とは元のままのオブジェクトのことで、Static(静的)は複数のオブジェクトをバスにミックスしてまとめた固定定位のオブジェクトである

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Exportプレビュー/調整画面。中央下のLevel 0.5~3にチェックを入れると、それぞれの解析が始まる。事前に左上の“SAM/WAV”にチェックを入れておこう

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Level 3の解析結果。画面右に、どのオブジェクトがダイナミック/スタティックになっているかが出ており、ユーザーが自由に設定し直すこともできる(ダイナミック・オブジェクト使用数には上限あり)。左上では、解析の際に用いられるアルゴリズムをプルダウン・メニューから選択可能だ

 ダイナミック・オブジェクトは使用できる数に上限が設けられているが、バスにミックスされないので分離が良く、音質の面で有利。動きがある場合は、それがスタティック・オブジェクトよりもビビッドになるので、際立たせたいパートをダイナミックにしたいものだ。どのオブジェクトをダイナミックにするかは、Dynamic object priority欄のアルゴリズムがジャッジする。ボーカル曲などであれば、曲の中で部分的に音圧が高いオブジェクトを優先的にダイナミックとする“部分的音圧重視”を選ぶのがよいだろう。ただし、解析後にユーザーが曲の中で重要と感じるオブジェクトを自らダイナミックに指定することもできるので、どのオブジェクトがダイナミックになっているか確認するようにしよう。

 

 Static object configuration欄はスタティック・オブジェクトを幾つ、どこに作るかを設定するもので、“4.4.2”を選ぶのがお勧め。耳の高さの4個+上前方4個+下前方2個を意味し、10個のオブジェクトで全天球をカバーするにあたって最も効率が良いとされている。Level 3の場合は全24オブジェクトのうち10がスタティックとなるため、残りの14をダイナミックにできるわけだ。

 

 さて、Exportフォルダーに書き出されたものを見てみると、各オブジェクトのWAVファイルと拡張子“.sam”のファイルがある。.samは各オブジェクトのメタデータで、何分何秒のタイミングでどこに位置しているかが書き込まれている。2022年2月23日にリリースされた360 WalkMix Creator™の最新バージョンで360 Reality Audio Music Formatへのエンコード機能が追加されたので、納品用のデータまで作成することが可能だ

 

 作品のディストリビューションは、現在The OrchardとNexToneが担当。インディーズの方々にも朗報なのが、TULLYも近日に対応する予定というニュースだ(2月16日現在の情報)。本誌発売日には既に実現しているかもしれないが、料金を支払えば誰もが利用できる仕組みなので続報を待ちたい。

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48オブジェクトのミックスをLevel 3でExportフォルダーに書き出したところ。24のWAVファイルはオブジェクトで、一番下の拡張子“.sam”のファイルは位置情報を記録したもの

 このあとは、編集部のオファーにより実現した“360 Reality Audioコンテンツ制作の実際”をお伝えする。音楽を革新することになるかもしれないサウンド体験とミックス手法を学んでいただき、自らの糧としてもらえると幸いだ。

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