1980年代の未発表音源があらわにするマイルス・デイヴィスのブルースの本質 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.151

1980年代の未発表音源があらわにするマイルス・デイヴィスのブルースの本質 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.151

 マイルス・デイヴィスの未発表音源を収録したブートレグ・シリーズとして、『That’s What Happened 1982-1985:The Bootleg Series Vol.7』がリリースとなった。1970年代後半に音楽の表舞台から姿を消したマイルスは、1981年に『The Man with the Horn』で復帰を遂げた。『That’s What Happened〜』には、復帰2作目の『Star People』(1983年)から、『Decoy』(1984年)、『You're Under Arrest』(1985年)までの未発表のスタジオ音源と、1983年7月7日のモントリオールでのライブ音源が収められている。僕は国内盤のライナーノーツを執筆したので、一足先に音源を聴き、昨年死去した音楽評論家のグレッグ(グレゴリー)・テイトによる長文のライナーノーツやジョン・スコフィールドら音源に参加したミュージシャンのコメントも読むことができた。

『That’s What Happened 1982-1985:The Bootleg Series Vol.7』Miles Davis(ソニー)
2011年から続く未発表音源シリーズの第7弾。合計約4時間にも及ぶ3枚組となっている

 1980年代以降のマイルスの活動は、1960年代の第2期黄金クインテットや1970年代のエレクトリック・マイルスに比べて、批判的に捉えられることも多かった。マイルスが半ば引退状態にあった時代には、ディスコ、パンク、ヒップホップ、レゲエなどが台頭してきた。復帰したマイルスは当然のように、時代と向き合う音楽を作りはじめたのだが、それは、1960年代や1970年代のように時代をけん引する勢いとなるものではなかった。音楽評論家のロバート・パーマーは“カムバックしてからの彼は、フォロワーであることに満足しているようだ”と厳しい批評を当時残しているが※1、実際、1980年代以降のマイルスの作品を聴いていると、常に何か参照すべき音楽があることを感じ取れた。具体的には、プリンスの音楽やゴーゴー、あるいはエレクトロやヒップホップなどいろいろと挙げられるのだが、例えば1970年代のマイルスがジェームス・ブラウンやスライ・ストーンからカールハインツ・シュトックハウゼンの音楽までを参照しつつ、エレクトリック・マイルスの音楽を前進させたのとは異なる状況がある。

※1 THE POP LIFE; In 'Tutu,' Miles Davis Goes Fully Electronic - The New York Times

 マイルスに表れた変化は、エレクトロニクスを積極的に使ったポップスが時代を席巻し、生身のミュージシャンが演奏する余地が次第に減少していった時代の流れと無関係ではないだろう。『You're Under Arrest』の次にリリースされた『Tutu』(1986年)において、マイルスはリズム・マシンとシンセサイザーをこれまで以上に大幅に導入し、気になるミュージシャンを呼び寄せたスタジオ・セッションの代わりに、マーカス・ミラーとプロデューサーのトミー・リピューマによってあらかじめ用意されたトラックでトランペットを吹いた。それは同時代のポップスの録音のやり方そのものであり、マイルスが昔から大切にしてきたセッションもテオ・マセロによる大胆な編集ももはやそこには存在しなかった。それに対しても、“最新鋭のハードウェアでありながら、すでに不思議なほど時代遅れの音になっている”“現代のラップに見られる巨大な電子ドラムの音やスクラッチのリズムに比べると、ドラム・マシンのリズムは丁寧で無害である”とパーマーは手厳しかった。

『Decoy』Miles Davis(ソニー)
前作がテオ・マセロ最後のプロデュース作品となったため、マイルス自身がプロデュースした1984年作。ベーシストとしてダリル・ジョーンズが参加

 

『You're Under Arrest』Miles Davis(ソニー)
マイケル・ジャクソン「ヒューマン・ネイチャー」や、シンディ・ローパー「タイム・アフター・タイム」などのカバーを収録した作品

 

『Tutu』Miles Davis(ソニー)
数々のヒット曲を生んだトミー・リピューマと、ベーシストのマーカス・ミラーが共同プロデューサーを務めた1986年作

 ただ、マイルスが1950年代から在籍したコロンビア・レコードを離れてワーナー・ブラザースへ移籍した第一弾で予定されていたのは『Tutu』ではなく、共同プロデューサーにプリンスの名も挙がっていた、より野心的で話題性のあるアルバムになるはずだった。『Rubberband』として2019年に日の目を見たラバーバンド・セッションも、そのアルバムに向けたものだと言われている。グラミーを受賞し、商業的な成功も収めた『Tutu』だが、別の作品が出来上がる可能性もあった。結局、1980年代以降のマイルスの音楽は、最後のスタジオ録音でヒップホップに向かった遺作『Doo-Bop』もそうであったように、未完成の、あるいは未発表の音源と共にある。公になった音源だけでは伺い知れない音楽性があると思わせるのだ。『That’s What Happened〜』が明らかにしたのも、そのことだった。

 この未発表音源のうち、スタジオ音源にはブルース基調の演奏が多く収められている。『Star People』に収録された「It Gets Better」や「Star People」のような、スペースを空けることが意識された演奏だ。当時のマイルスの音楽を特徴付けたのは、マーカス・ミラーのスラップ・ベースや、シンセサイザー、リズム・マシンから生み出されるファンクだった。それは1970年代のポリリズミックで時に混沌としていたヘビーなジャズ・ロック/ファンクとは対照的に、メリハリがあって整理されたビートとクリアなサウンドのファンクを打ち出していた。畳み掛けるファンクの間に、緩やかなブルースが時折登場する、それが特に1980年代中盤までのマイルスの音楽の特徴だった。

『Star People』Miles Davis(ソニー)
1983年に発表された作品。マイク・スターンとジョン・スコフィールドによるツイン・ギター編成で録音が行われた。ジャケットをマイルス自身が描いている

 その中で、マイルスは1970年代のワウ・ペダルを強くかけた響きから離れた、少しナチュラルなトランペットを吹いている。グレッグ・テイトはライナーノーツで、マイルスのトランペットが“以前の艶のある愛すべき中音域のトーンに戻っていた”と指摘している。『That’s What Happened〜』は、これまでのリリース作品に含まれたいくつかのブルース基調の曲だけでは見えてこなかった、マイルスのブルースの本質を初めてあらわにした作品でもある。『Star People』でマイルスに抜擢されたスコフィールドは、『That’s What Happened〜』にコメントと言うには長くて魅力的な文章を寄せているが、当時マイルスがブルースに夢中だったのでギターを選んであげて、実際手元に置いてよく演奏していたエピソードを語っている。そして、“私たちはファンクを演奏していたが、彼がその上に演奏していたのは、ジャズに似た別の何か”だと興味深い指摘をしている。かつてマイルスが当事者として臨んだビバップ、発展させたいと興味を持ったジャズ・ロックと同じように、ファンクやブルースの演奏に見出したものをスコフィールドは正しく理解していた。

 特に、ディスク1の大半を占めるのは、ブルースやバラードであり、現在ならアンビエント・ジャズと捉えることもできる演奏だ。それはファンクの合間のクールダウンや、ただのリラックスしてレイドバックしたセッションではなく、緩やかでスペースを保持した演奏を成立させていることがよく分かる。それが、マイルスのブルースの本質だと、この音源を聴いて初めて明確に認識できた。『Tutu』に至る1980年代前半のマイルスのリリースだけでは見えてはこなかったことだ。そして、もう一つ、スコフィールドが明かした興味深いことは、この時代にも、セッションやライブの録音でマイルスが気に入ったパートをギル・エヴァンスが譜面に起こしていたことだ。そこから新しい曲が作られていった。それは、マイルスのブルースにスペースと独特のクールネスをもたらすことにも寄与したはずだ。こうした記録の一つ一つを拾っていくことで更新されていく余地が、この時代のマイルスの音楽にはまだ残されていると思う。

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって