クリス・デイヴやマーク・ジュリアナといったドラマーは、ほかの楽器プレイヤーと対等か、時にはそれ以上に演奏をリードした。ヒップホップやテクノを通過してきた彼らのドラミングは、プログラミングされたビートを正確にトレースするように機械的な抑制が効いているだけではなく、肉体がたたき出す複雑さや過剰さを両立させた。この十年来、こうしたドラマーの演奏が音楽とシーンを活性化する重要なファクターとなってきたが、今、ドラマーやドラムをめぐって、どのようなことが行われているのか、最近の興味深いリリースを取り上げて考えてみたい。
テキサス州ヒューストン出身で、同郷のエリック・ハーランドやケンドリック・スコットと同じく、NYのジャズ・シーンでファーストコールの一人として活動したジャマイア・ウィリアムスは、現在、ジャズ・ドラマーから離れた場所に到達しようとしている。最新作『But Only After You Have Suffered』は、ドラマーのソロ・アルバムではないというのが正しいだろう。ジェイソン・モランからサム・ゲンデルまでさまざまなゲストを招いているが、その音楽の真ん中にドラムは無い。生まれ育ったヒューストン、11年間活動を続けたNY、その後に移り住んだLA、それぞれの都市の音楽家たちと交わりながらも、どこにも属することのない自分の音楽を孤独に表現したアルバムだ。
『But Only After You Have Suffered』Jamire Williams(rings/International Anthem)
ソランジュやモーゼス・サムニー、ブラッド・オレンジらの作品にも参加するウィリアムスの5年ぶりとなる最新作
ソランジュの『When I Get Home』にプロデューサーとして参加し、モーゼス・サムニーやブラッド・オレンジの制作にもかかわってきたウィリアムスは、ポップとアートのはざ間にある表現の中に自分を置こうとしている。ジャズのイディオムや言語が彼の音楽の基盤にはなっているが、以前、彼が主導したプロジェクト、エリマージで志向した、ジャズがR&Bやヒップホップともつながっていることを証明する、ジャズを拡張する表現には向かっていない。国内盤を自分のレーベルからリリースしておきながら、おかしな話かもしれないが、僕は『But Only After You Have Suffered』をまだ十分に咀嚼(そしゃく)してはいない。容易に形容されることを拒むところもあるアルバムだからだ。ウィリアムスが今回メディアの取材に応じないスタンスを取っているので、なおのことミステリアスな作品となっているのかもしれない。
しかしながら、繰り返し聴くことに誘う何かがある音楽だ。楽器や声、サンプリングなどの緻密(ちみつ)なレイヤーで構成されたアルバムは、以前、ウィリアムスが親近感を口にしたダニエル・ラノワやヴィンセント・ギャロ、あるいは共演を重ねてきたシャソルの音楽にも通じる、パーソナルな表現を成立させている。同時に、不意にインサートされる異質なサウンドが、社会的な現実とつながった表現であることを印象付ける。そして、この音楽は、ほかの楽器ではなく、やはりドラムから派生していると感じられる。クリス・デイヴやマーク・ジュリアナがドラムを演奏のバックグラウンドから解放したのに対して、ウィリアムスはストリングスからサウンド・コラージュまであらゆる局面にドラムを忍び込ませ、すべての演奏のトリガーとなるように仕向けている。
スウェーデン出身で現在はドイツで活動するベーシスト、ペッター・エルドによるドラムにフォーカスした『Projekt Drums Vol. 1』も、特筆すべきプロジェクトだ。キット・ダウンズやニルス・ブロースなどソロでも注目される活動をしているミュージシャンで編成されたラージ・アンサンブルに、6名のドラマーを1名ずつ招いて制作された曲が収められている。ドラマーとして選ばれたエリック・ハーランド、ネイト・ウッド、リチャード・スペイヴンらは、それぞれに全く異なるタイプの曲で演奏する。
『Projekt Drums Vol. 1』Petter Eldh(Edition)
自身が率いるバンド、コマ・サクソなどでも活動するエルドの新プロジェクト。6名のドラマーを招き、それぞれが1曲ずつ参加した全6曲を収録
この演奏が興味深いのは、ハープやシンセサイザーも加わるアンサンブルとドラムとのコンビネーションにある。さまざまな現代的なグルーブのディティールを丁寧かつ大胆に演奏していき、ベース・ミュージックのうねり、エレクトロニカのグリッチ、ネオソウルの揺らぎなどが、アンサンブルの構成の一部を成し、ドラムがその演奏全体をコントロールしているようだ。単に既存のビートをトレースして再演するのではなく、演奏の細分化と再構成によって、ドラムをソロ楽器のように機能させる可能性に取り組んでいる。例えば、デイデラスにインスパイアされたという、ガード・ニルセンのドラムをフィーチャーした「Gimsøy」は、デイデラス特有のメロディアスな展開を幾つかの楽器に分解して、ドラムも加えた組合せで、アンサンブルとして再構成する。どれかの楽器が突出するわけではなく、メロディとビートが一体化したようなビート・ミュージックの本質をとらえた演奏を生み出している。
シンガー、作曲家のシミン・サマワティとドラマーのケタン・バッティを中心に異なるバックグラウンドを持つ23名のオーケストラによる『Trickster Orchestra』も聴かれるべきアルバムだ。それぞれイランとインドをルーツに持つサマワティとバッティは、シミノロジーというクロスカルチュラルなカルテットでも活動している。各々のルーツをたどり、異なる言語、文化の間を行き来する音楽の探求をテーマにECMからリリースを重ねてきたが、特にバッティによるリズム面へのアプローチはとりわけ現代的なテーマを扱っている。彼は、人がJ・ディラのよれたビートに呼応して首を振ることに注目をし、そこにある真似る(ミメーシス)という行為をオーケストラの演奏に適用し、よくある“クラシックと、ヒップホップやテクノの融合”といった試みとは異なる領域に踏み込む※1。よりビートにフォーカスして、ベルリンを拠点とする室内楽団、アンサンブル・アダプターと録音された『Laughter Leading / Festzurren』も併せて聴いてみてもらいたい。
※1
https://bluenote-club.com/diary/336364?wid=81145
『Trickster Orchestra』Cymin Samawatie, Ketan Bhatti(ECM)
総勢23名で構成されたオーケストラ作品。ペルシャ語、ヘブライ語、アラビア語などさまざまな言語の歌が吹き込まれている
『Laughter Leading / Festzurren』Ketan Bhatti & Ensemble Adapter(Col Legno)
現代音楽のアンサンブルから即興的でインタラクティブなビートを引き出したケタン・バッティの野心作
オーストラリア出身でロサンゼルスで活動する、ミシェル・ンデゲオチェロのバンドのドラマーでもあるエイブ・ラウンズのソロ・アルバム『The Confidence To Make Mistakes』は、シンプルにドラム、パーカッション、それにボーカルから構成されている。ポリネシア人でベーシストの父とイラク/ハンガリーの血を引く母を持つラウンズは、ミルフォード・グレイヴスからの影響も表明し、サンプリングやループのテクニックも通過したソロ・ドラムの新たな可能性を追求している。他文化とのつながりだけではなく、聴覚とほかの感覚(視覚、味覚、触覚など)とのクロスモーダルの現象からのフィードバックもあるという。ピノ・パラティーノ、ブレイク・ミルズ、サム・ゲンデルとの『Tiny Desk(Home)Concert』※2でも、ラウンズのドラムを聴くことができるが、彼のドラムは今後、さまざまなシーンで重用されていくのではないだろうか。
※2
『The Confidence To Make Mistakes』Abe Rounds(Colorfield)
ミシェル・ンデゲオチェロのバンドや、ピノ・パラディーノとも共演するラウンズによる初のソロ作品
今回は紹介しきれなかったが、ネイト・スミスの『Kinfolk 2: See The Birds』、マカヤ・マクレイヴンの『Deciphering The Message』、ガード・ニルセンの『If You Listen Carefully The Music Is Yours』も、ぜひとも聴いてみてもらいたい作品だ。
原雅明氏 出演イベント情報
日本イスラエル文化交流プログラム
Super New: Israel -Talk & Listening Session-
[日程]2021年12月11日(土)
[開場/開演]17:00/18:00 ※アフター・パーティーは20:00スタート
[会場]Just Another Space(東京都目黒区上目黒1-3-9 藤屋ビル3F)
[出演]原雅明/サラーム海上/Rejoicer
チケット情報など、詳しくはdublubのHPまで:
原 雅明
【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルのDJや選曲も務める。早稲田大学非常勤講師。近著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』