細野晴臣『MEDICINE COMPILATION』 27年前に語った“精神世界”、アンビエントの名盤が生まれた背景(1993)

サウンド&レコーディング・マガジン 1993年4月号

11月3日の「レコードの日」に細野晴臣の旧作がリマスタリング仕様のアナログ盤として一挙に発売される。加えて『omni Sight Seeing』『MEDICINE COMPILATION』の2作品はSACDハイブリッド盤も発売。それを記念して、本稿では『サウンド&レコーディング・マガジン 1993年4月号』に掲載された『MEDICINE COMPILATION』のインタビューを公開する。お楽しみあれ。

目次

  1. 細野晴臣インタビュー
  2. 寺田康彦インタビュー

『オムニ・サイトシーング』以来約3年ぶりとなるアルバム『メディスン・コンピレーション』を発表する細野晴臣。折りしもYMO“再生”を表明し、いやがおうでも注目の集まる中でのリリースとなったが、その内容は氏の新しい方向性を示すに十分なものである。
ここではインタビュアーにエブリシング・プレイの鈴木惣一郎氏を迎え、先品の真相に迫るインタビューをお届けすることにしよう。

細野晴臣の1993年『メディスン・コンピレーション』リリース時のインタビュー

 一体いつからだろう? 敬愛する細野晴臣氏に公私共に質問をするようになってから。オフィスで、スタジオで、車の中で、そして細野さんの自宅で、幾度となくイノセントな質問を繰り返してきた。僕自身の勉強不足でその言葉の半分も理解できないときもあったが、氏は常にきちんと話をしてくれた。「サンキュー、ハリー!」。話はすべて音楽にまつわること。トリュフォーがヒッチコックに食い入るような、もはや他人には禅問答と化した氏との対話。毎回発見があり、まるで古代史をひも解くよう。今回のメディスン・インタビューにも大切な教えがいっぱい隠されている。ツイン・ピーカーのごとく、読者の方はそれぞれの力で謎を解いてみてほしい。ではスタートです。
Interview:鈴木惣一朗

LONG SNOWS M00N
~長い雪の月~

前作からすでに3年半という時間が流れていますが、実際の制作はいつからだったんです? 『ラフター・メディテーション』でのララージさんとのセッションが最初でしたっけ?

細野 そうそう、それから2年。中断というか忙しくてアルバムのこと忘れっちゃったの。僕は忙しいのが問題なんだよ(笑)。もう1つの問題は、自分の家に簡易スタジオ(ラクーン)を作ったこと。好きなときにできるという安心感から仕事に集中できなくて……自由過ぎるというのに慣れなくて。

 

うらやましい! ちょうどそのころ僕は仕事でラクーンに通っていましたが、録音の合間に細野さんの部屋を見ると、カルロス・カスタネダの「ドン・ファン」シリーズやメディスン関連の本「ダンス・ウィズ・ウルブス」や「ナショナル・ジオグラフィック」のビデオが大量に床に重ねてあってびっくりしたのですが。

細野 (笑)。一昨年からかな……世間では「ツイン・ピークス」が話題になっているころ、カスタネダの本を読み直していたの。「ドン・ファン」シリーズ自体は10年以上の付き合いだから、自分の中では古いんだけど面白くてね。今読むとまた連うことが分かってくる。当時(74~75年)はね、自分を治療するためのモノが必要だったの、個人的に。精神的な危機というか、肉体的にも神経症、重度の過換気症候群というのに陥ってて……。 

呪術師と私―ドン・ファンの教え

呪術師と私―ドン・ファンの教え

 

どうしてそんな状態に?

細野 サイケの時代だったからアメリカのヒッピーの流れを踏んで、そこら辺で僕もかなり入り込んじゃって……ホント入り込み過ぎちゃったの。でも、だれも僕を直すようなことを言ってくれる人はいないわけ。インディアンだったら長老とかメディスン・マンがいて、生き方とかいろんなことを教えてくれるじゃない。でも、日本ではそういう文化がとっくに廃れていて、いろんな人に聞いて回っても教えてくれないどころか知らなくて……バカに見えてきちゃったの、自分も含めてね。何のためにサイケデリックがあるんだろう? って考えこんじゃった。皆好奇心で憂さ晴らしとかお酒とかで、そういうアメリカの深い思想を遊んじゃったところがある。そのときに自分が“自然のこと"を知らないということを強く意識したわけ。

 

 ここで氏が言うところの“自然”とは、アメリカ大陸の先住者であり、今日インディアンと呼ばれる人たちの「生きるための最高の薬は、自然の中にこそある」というベーシックな教えに触れている。ビジョンを持ちながら創造主である大地~自然に心開いて生きれば、孤独感も無く、自分を取り巻くすべてのものと完全な一体感を得られる。それが聖なる輪(メディスン・ホイール)と呼ばれる彼らの大きな人生観で、生きていく上でのさまざまな変化や移動を素直に受け入れることができるようになると信じられているのだ。実際に当時の真剣なヒッピーたちは、ある種の謙虚さを持ってインディアンの思想を知ろうと彼らに近付いていったが、ローリング・サンダーを除く多くのインディアンはそれを拒絶。サイケの夢と理想は急速に見せかけに終わっていった。

 

今でもその辺のことって細野さんのべーシックな部分になっているわけですね?

細野 傷になっちゃったからね。周りではそれで病院に行く人も多かったけど、僕は行かなかった。ダメだろうと思って、病院の代わりに本を買ったわけ。とにかく本しか無かった。それでカスタネダやほかにもヨガなんかの、いわゆるマインド・コントロール関係の本を読み漁ったの。いまだにはやってるけど。

 

そういった精神世界への接近は、そのときが初めてだったんですか?

細野 子供のころにはあったんだけど、音楽をやり始めるようになって全部忘れちゃって。でも、そのことがきっかけになって思い出したのかな。

 

今回のアルバムにも“癒す、癒されたい”といったことがテーマの曲「アイウォイワイアオウ」がありますが、サイケのころ(笑)と同じ心境?

細野 違うね。当時は自分への治療と同時に、好奇心というのがあるわけだよね。見えないもの、オカルティズムとかへの興味。その中でもカスタネダの「ドン・ファン」シリーズは一番ヘンテコリンだった。奇炒きてれつ。でも、何か残るものが強いわけよね。言葉が残っていく。フィクションと言われているけど、そんなことはどうでもよくて、実際にドン・ファンの言葉が生きて自分に入ってくる。それはただの単語だったりして……例えば“戦士の謙虚さ”とか。その意味が分からないのね、そのときは。何となくは分かるんだけど。“生きてるっていうのは1つの戦いだから"っていうニュアンスとか、“意図をはっきりさせて慎重に物事に対処していくように”という哲学的な教えとか。けれど今読むともっとインディアンの言葉として普遍性を感じる! 当時は奇炒だったけど今は奇妙に思わない。常識だと思うわけ。インディアンならだれでも言うようなことをドン・ファンも言ってたんだということが分かるわけ。だから読み直した。キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」みたいなもんだよね。10年ごとにリバイバルで観てね。最初観たときは、あっちの方じゃ何か吸って観てたりする、いわゆる飛び道具みたいな映画だったわけ。でも10年後はもっと哲学的に公開された。こっちも精神世界とかを学んでいるし、“宇宙船の形は精子の形だ”と初めて分かったり(笑)。

 

 人類学者/カルロス・カスタネダの7巻からなる「ドン・ファン」シリーズ。これはもう読んで体験してもらうしかないが、彼が中米のヤキ・インディアン/呪術師(ブルボ)ドン・ファンから実際に学んだ“ナワリズム”という教えが書かれている。その会見の際、カスタネダはドン・ファンからLSDにも匹敵するペヨーテというサボテンの実をもらい、激しい幻覚症状を起こしながらナワリズムに近付いていった。そのため「ドン・ファン」シリーズはドラッグ・カルチャーの中でも注目を浴び、ヒッピーのバイブルと化していった。現在、カスタネダは南メキシコのグループ“トルテク”で自己の活動を続けているが、日常的にはジョー・コルバトという変名で喫茶店のコックを務めているとの噂。不思議な人だ。

細野晴臣1993年のインタビューより

Photo by Eiji Kikuchi

BUDDING TREES M00N
~本が芽吹く月~

アルバムの制作途中、非常に印象的な光景を憶えているんです……細野さんが自室で黒のタートルのセーターにバリのスカートという不思議な格好で、床にしゃがんでエレキ・ギターを持ってドリフターズっぽいの弾いてましたよね(笑)。それに50年代のロッカ・バラッドやカントリー・ミュージックを意識的かつ集中的に聴いていたと思うんですが?

細野 バリ・スタイルのドリフターズか……いいよねー(笑)。

 

最初はそういうオールディーズものを作るんだと思ってたんですけど。

細野 僕もそう思ってたんだけど、そのアイディアを大切に取っておきたいと思っちゃったの。だから、このアルバムはある意味で僕のたった一部でしかない。本当にやりたいことがまだできていないとも言える。オールディーズがこんなに好きなのに、何で生かせないのかという気持ちがある。だけど、今できることを今やりたいっていう気持ちの方がやはり強いのね。この時代のこの時期にしかできないもの。早くそれを済まして次に行きたいという気持ち。この時代は早く過ぎてほしい。

 

やはり、そういった自分の趣味性の部分と、今の空気感との間に音楽的な葛藤があるわけですね。

細野 そう、葛藤がある。

 

実は僕も最近、突然フィル・スペクター入りしちゃったんですが、なぜそういったオールディーズが新鮮なんでしょう?

細野 分析しだすと見えなくなっちゃうかもしれないね。1つ1つ取り上げると、音域が狭く、部屋の鳴りがあって、空気感がすごくあって……録音の感じは一番大事。音があったかい。それはその時代の空気感でもあるわけ。50年代からが中心だと思うんだけど、“グッド・オールド・デイズ”という時代。アメリカもベトナム戦争以前で、いい時代だった。未来が輝いていた。その時代のメッセージは死んでいないと思うんだ。音楽っていうのはタイム・マシンのように時代を通り越して伝えてくるものがあるでしょ。で、考えたんだけど、あの歌詞! 単純でしょ。

 

日本語に直すと恥ずかしいくらい。

細野 そうそう、恥ずかしいくらいシンプル。ところが、今その単純な歌詞を聞いていると、とても共鳴できる。でも、今の時代に同じようなことをやっても共鳴できない。というのは、その時代の持つ強いリアリティがそこに埋まってて、今コピーをしてやるだけではムナシイ。ただの趣昧になっちゃう。だからできない。

 

ヴァン・ダイク・パークスもアメリカではスクエアな存在として見られていて、今では若者たちから無視されてしまっていますが、彼はそのグッド・オールド・デイズのシンプルなメッセージを今にぶつけたいと言っていましたよ。

細野 うん。アメリカでは既に50年代と90年代の思想が断絶してしまっているからね。当時のものを持っている人たちは、今全然出てこれない。ジョン・セバスチャンとかバーバンク派とか、引きこもっちゃってる。

 

現在のロサンゼルスやサンフランシスコの状況は、バーバンク派やビーチ・ボーイズといったいわゆるウェスト・コースト・ロックの影は全く無く、「MONDO 2000」という雑誌を中心としたサイバー・パンクが根付いている。かつてのヒッピー時代のサブ・カルチャー・ヒーロー/ティモシー・リアリーの人気は依然強く、そこに流れる音楽はテクノ・ハウス。レイブ・パーティはかつてのアバロン・ボール・ルームのごときパワーで若者の人気を集め、そのさまはまさに90年代のサイケ~セカンド・サマー・オブ・ラブ。YMOがそこに殴り込みする日は近いと噂されている。

 

『ツイン・ピークス』以降、音楽や映画などで、うまく言えないけどある種のダーク・トーンっていうか“静かな浮遊感”が蔓延していると思うのですが、今回のアルバムにもそれと同質のモノを強く感じます。

細野 だったらうれしいね。時代の中に生きていたいというのが僕はすごくあるから。それが出ないと生きてないっていう気持ちがしちゃう。ずっと前から静かでいてしかも過激なものが世界の新しい潮流だって信じていたから……いまだに信じているんだけど。そこにはさっき鈴木君が言ったような説明できない何か法則があるみたいなんだよ。チガイ……。

 

チガイ? 違い? 何ですか?

細野 感じるもの。ダーク・トーンでも静けさでもいいけど。僕のCDが同じだってさっき言ったでしょ……「ツイン・ピークス」とかと。ところが違うものもあるわけでしょ。その違いっていうのが言葉で説明できない。

 

 おそらくこれは“人それぞれ、万物すべて異なる”という思想からくるサウンドの微細な違いのことを言ってるのだろうか? 分からない。

 

細野 音を出すための法則がある。精神構造がある。その音じゃなきゃイヤなわけよ、作る人は。全体像の仕上がりが自分の精神状態の反映じゃないとイヤなわけ。でしよ?

 

ええ。

細野 そこが違う。それまでは音楽が良ければよかった。(自分とは切り離した部分で)非常に構造的に作ったりとか、エンターテイメント性の方を気にしたり、カッコ良さとか、喜びとか、それが今までは価値観っていうか、作る上での目的だったと思うの。ところがそうじゃなくて、自分の精神状態を反映させる音の方向性を、自分も含めて皆が採り始めてるんだよ。

使用機材について細野晴臣が語った

BIG WINDS M00N
~大風の月~

今回使用した機材を教えてください。

細野 コンピューターは98ノート。マックは人に貸しちゃいました。部屋が狭くなって。

 

「M」は使わなかったんですか?

細野 やらなかった。老後の楽しみにとってある(笑)。あとはプロテウスを結構使ったかな。身近にあるものしか使わないから。この音がいい一って探し求める方じゃないから。

 

そこにあるものを受け入れよ……う~ん東洋的だ。ミックスは寺田(康彦)さんでしたよね。

細野 うん、ずいぶん久しぶり。80年代前半はよく仕事したんだけど。

 

ミックスの方向性は?

細野 いや、何も言わない。聴いているものが大体一緒だし。

 

「どうぞ」って言ったの?

細野 そうそう、今回僕はほとんど受け入れ体勢。それでいいと思ったの、このアルバムに関しては。次は分かんないけど。やりだすとキリが無いからね……100%作っちゃうから。目盛り1mmまで違うとイヤな性格だし。そういうワガママな人間です(笑)。それに疲れちゃったの。

 

それでいいんですか?

細野 いいの。今までは、彫刻だったら最後まで完成させて、磨いて、ケースに入れて、値段付けて……というスタイルだったけど、今回はざっと形をデザインして、あとは中山(ケイ)君や寺田君に任せるというふうにした曲も幾つかあったな。

 

かつてのトロピカル時代の曲「ハニー・ムーン」をセルフ・力バーしてますが。

細野 歌ってみたら「あちゃ一」と思ったね。恥ずかしくて。歌詞が若造の歌詞だからちょっと抵抗が。でも、あのころの曲、僕好きなんだよ。

 

ティン・パン・アレーの時代を踏むあのメロディ、今でもいいですよね。

細野 うん。ああいうメロディいまだに僕の中にあるんだ。出したくて仕方無いんだけど。でも、このまんま出さないでサヨナラしちゃうかもしれない(笑)。僕、その後突然YMOに行っちゃったじゃない。

 

そうそう、行かなきゃよかったのに(笑)。あのメロディはYMOじゃ出てこないですよ。

細野 ね―、そう思うね。トロピカルのころ(70年代中期)と今は、僕の中ではYMOにはさまれた時代。その80年代は僕にとって特殊な世代なんだよ。YMO解散後も意識の中では続いてたんだなって、今つくづく思う……このアルバムも含めて。だからYMOは再結成じゃないの。やっと今、入口から出口に至ったんだなっていう気がしてる。出口から外に出る感じ。自由になれそうな……そうしたらさっきのオールディーズもやれるかも。

 

音数が前作にも増して少ないと思うのですが。

細野 実際に音は48トラックびっしり入ってた。大きなキャンバスにメチャクチャに描く感じでやってたから。だからミックスのとき削る音によって全く違う音像になっちゃう。そこは苦労したね。

 

前作がオムニバス(『オムニ・サイトシーング』)で、今回がコンピレーションと、ある種のエディトリアル感覚がここ4〜5年の細野さんの大きな特徴になっていると思いますが。

細野 うん、音楽的な僕の生き方の中核になってきているような気がするね。かといってハウスではないという。

 

 はっぴいえんど解散後、氏は73年に初のソロ・アルバム『HOSONO HOUSE』を発表し、そこからトロピカル3部作と呼ばれる『トロピカル・ダンディ』(75年)、『泰安洋行』(76年)、『はらいそ」(78年)の、ほんわかエキゾチック時代に突入していく。その間に作られた曲はどれもメロディが美しく、矢野顕子さんをはじめ多くの音楽家から愛されている事実は皆知ってるよね。

「そのとき、スナメリが僕を動かしてると思ったね」と細野氏は答えた

HARVEST MOON
~穫り入れの月~

細野 レコーディングは11月に終わったんだけど、最後の日に元気出てきちゃって(笑)。「アイウォイワイアオウ」とかできちゃったんだよ……2~3時間で作っちゃった。このアルバムはこのまま作り続けているともっと良くなる(笑)。いつもそんなこと言ってるけど。だから、実は今が一番調子がいいのかもしれないな。一番好きなことがはっきりしている。

 

今、一番興味を持ってることを教えてください。

細野 このアルバムを作ってるときは、いわゆる先住民~インディアンやアイヌの思想が世界的なレベルで見直されていて、これはもうずっと続くと思うんだ。僕自身も趣味とかじゃなくて、生き方にしようと思ってるし。それでミックスが終わった後、九州にイルカを見に行ったの、突然。そこでスナメリという種類のイルカに出会って……成長しても1メートルくらいの小振りののイルカ。すごくかわいいんだ! 漫画みたいな形、メタリック・グレーできれいなのよ。1匹というと恐れおおいので僕は1人と言いますが、1人のイルカがガラス越しに僕に向かって笑いかけたわけ「キリキリキリキリ」という例の音を出しながら。何か言ってるんだよ。だから僕もうれしくて、「イヤー」とか何か言ったの。そんな気持ちになったのは久しぶりで、とても印象的だった。それで東京に帰ってきたらイルカ博士のジョン・C・リリーさんのビデオの監修の仕事が舞い込んできた。それをやったら今度は日本イルカ・クジラ・リサーチ・センターという団体の人たちと知り合って、僕は会員になっちゃった(笑)。こういう偶然を彼らは“ドルフィニシティ”と呼ぶんだけど……シンクロニシティのイルカ版。そのとき、スナメリが僕を動かしてると思ったね。

 

 ここ10年くらいの間で、急激に関心が高まった海生ほ乳類/イルカ。大脳皮質表面積が人間より広く、別の意味で人間とは別の進化の頂点にいると言われている。進化学的にはラクダの先祖が海に戻り進化を遂げ、イルカとなったとされているが、バシャールなどのスペース・チャネリングの世界では、地球上で人間以外の文明を持つ生物がイルカとされており、ある種の異星人的見方もされている。「人間はイルカとの文明調和を図った後に、地球外生命体とコンタクトするべきだ」というのがバシャールの教えで、実際に最近流行の出産方法であるラマーズ法は“人がイルカから”教わったもの。

 

有名な話ですが、イルカの調教士はだれでも1回イルカの言葉を聞くそうです。「うん、分かったよ」とか「そうだね」といったような言葉を。その神秘体験で調教士はイルカに対して真摯というか、自分と同じ生き物という謙虚な見方をするようになるんですって。

細野 うん、イルカに関わった人は皆そういう世界観が変わるような体験するね。これは僕の中ではインディアンに対する気持ちと同じなんだよ。イルカに対する気持ちとインディアンに対する気持ちは一緒なんだ。

 

イルカに乗ったインディアン!?(笑)

細野 いい傾向じゃないかな、これは。そうした世界観の変化って個人の中で始まるでしょ? 体験とか実感とかがますます大事な時代になってきてると思うんだよ。ドットの3-Dグラフィックも自分の実感……他人には説明できない。あんなようなものが僕のアルバム、音楽にもあると思うんだ。焦点を合わせてくると見えてくる世界。世の中は全部そうなってきてる。これからはバーチャルじゃなくて……

 

リアリティ!

細野 そうそう。バーチャルが貧しいのは実感が無い点、五官の喜びが無い点、リアリティが無い点だよ。

 

 ここで氏が言うところの“リアリティ”とは、もちろん日常の中で感じることのできるリアリティのことだが、リアリティそのものはいろんな形をとる。物理的な世界を超えたサイケデリック&サイキックの世界で、例えば君が“月まで飛んで行ってしまった”としたら、それは君にとっての実感であり、リアリティ! 君は本当に月に行ってしまったのだ。アルバム『メディスン・コンピレーション』を使えばどこへでも行けるよ。ノー・ドラッグ! スーパー・リアリティ! 試してみて、ホント。

 

 

寺田康彦 INTERVIEW

ミックスダウンを主に手掛けたのは寺田康彦

 今回ミックス・ダウンを主に手掛けたのは、細野晴臣とは『はらいそ』からの付き合いである寺田康彦氏氏。ミックスの過程や話題のスーパー・ビット・マッピングに関して、話をうかがってみた。

細野さんのプライベート・スタジオでは作業したのですか?

寺田 僕は1日だけ遊びがてら行きました。全部あそこで作ったというわけではなくて、外のスタジオに行っていろいろなものをダビングしています。で、また外で録ったものを持ち帰って作業したりしています。行ったり来たり。2年くらい前のテープを引っ張り出して、それを作り直したりもしてた。「アイウォイワイアオウ」は元は昔LDKで僕か飯尾(芳史)君がやったもの……リズムだけ録って止めた曲があって、そのマルチをたまたま聴いていて、これはカッコいいということで焼き直しみたいにして作ったんです。その日の内に詞を考えて、音録りも自宅でやって、ミックス・ダウンだけ音響ハウスです。

 

ミックスはどのように進行したのですか?

寺田 細野さんは自分で卓を触われますから、今までは指定も細かかったんです。でも、今回はもっと客観的に……人に見てもらった方がいいんではないかと考えているような気がしました。若い人を探して一緒にやったり、そういう人の発想を受け入れたりしている。

 

アレックス・パターソンとかだとドラッグやりながら延々ミックスをしているらしいですが、このアルバムではどんな雰囲気で?

寺田 お香は焚いていました(笑)。あと、インディアンが使う薬……安定剤みたいな葉っぱを燃やしたり、インディアンのビデオを流したり。

 

たくさんの音がマルチに入っていたそうですが。

寺田 大変でしたね。1曲の中に音素材がいっぱい3曲分くらい詰まっていました。同じ音で違うフレーズを弾いたものとか、同じフレーズの音色違いだったり、パーカッション系のものでパターン違いとか。何を消去していくかで、曲のイメージががらりと変わる……作ろうと思えばそこから何曲でも作れる感じでした。

 

ミックスに当って特に注意したことは?

寺田 やっぱり低域ですね。TR-808やTR-909のキックは難しいんです。クラブで大きな音で聴いているときはいいんですけど、小さな音で聴くとコツコツいってる感じになる。細野さんはキックとかベースを録ると車の中で音をチェックするんですよ……ボリュームを上げていって歪み出したら、その低域は駄目。気持ちいい低域はよっぽど上げないと歪まない。それを基準にしていました。

 

歪ませないためにはどういう方法を?

寺田 基本的にはEQでやりました。頭の中で考えるとコンプレッサーがいいような気がするんですけど、かえってそのまま音を出していった方がうまくいった。良かったのは昔のタスカムの卓に付いていたEQ。それと中山君が持っていたタスカムの4chパラメトリックEQも良かったですね……Qもすごく効くし。SSLのEQではあの手の倍音の無いキックは処理できない。タスカムのだとかけるだけで倍音が出てくる……低域のブーンとしたところが出る。タスカムの製品って昔からそういう傾向で、YMOも『BGM』のときにタスカムの卓を使っていました。

 

ミックス時に使ったエフェクターは?

寺田 H-3500でフェイザーなリコーラスなりをひんぱんに使いました。リバーブはAMSとレキシコン480とソニーR7。ソニーのロング・リバーブものはかなり使いました。

 

アンビエンド系の音楽で音同士をうまく混ぜるにはどうすればいいですか?

寺田 ディレイとリバーブがうまく溶け合う感じにすること。ディレイのギザギザが見えないように、リバーブを上に塗ってあげる。そうするとき
れいな減衰が得られます。ディレイだけだとがたがたになってしまいますからね。

 

新しいマイクを使ったそうですが。

寺田 ソニーのチューブ・マイクC-800Gを使いました。U67と比べたんですけど、素直でレベルが大きい。低域の感じもいいし、抜けもいい。ボーカルとシャーマン・ドラムに使ってます。素直だから、声がそのまま出る。細野さんは自分の声の低域が嫌いで、今までは自分でカットしちゃってた。でも、今回は、そこが一番好きなんだからって言ってそのまま残しておいてもらった。

 

スーパー・ビット・マッピングのCDとして仕上げたわけですが、音質的にどう違うのですか?

寺田 広がりがいいですね。リバーブの感じもいい。量子化を20ビットで行なうから、16ビットだと粗く聴こえたフェード・アウトがスムーズになったり、リバーブの余韻もなめらかになる。抜けも良く、今回のアルバムには合ってましたね。

 

具体的にどういうシステムで作るのですか?

寺田 まず、20ビット以上のものに落とさないと意味が無いんです……アナログか20ビット以上のデジタルにですね。今回の場合はアナログ+ドルビーSRに落としました。そして、それをスーパー・ビット・マッピングの機械を通してUマチックに落とすと、16ビットなんだけども20ビット分の信号が入っているようなものにできるんです。

  

「レコードの日」の関連情報

record-day.jp

www.110107.com

 

Release

2020年11月4日に発売される『MEDICINE COMPILATION(メディスン・コンピレーション)』のリマスター盤

『MEDICINE COMPILATION』
細野晴臣

Sony Music Direct:MHCL-10137

  1. LAUGHTER MEDITATION
  2. HONEY MOON
  3. DEIRA
  4. QUIET LODGE EDIT
  5. MEDICINE MIX
  6. SAND STORM EDIT
  7. MABUI DANCE #2
  8. AIWOIWAIAOU
  9. ARMENIAN ORIENTATION
  10. AMBIENT MEDITATION #3

Musicians :細野晴臣(Vo、ac.g、k、etc.)、ララージ(zither、kalimba)、中山ケイ(808、b、Oxygen harp、sampling、p、perc)、コシミハル(p、voice)、矢野顕子(vo)、マリア・ブラッキン(vo)、木津茂理(cho)、民謡子(cho)、上原知子(vo)、照屋林賢(三味線)、チト河内(pan-drums)、原田裕仁(pan‐drums)、福沢モロ(voice)、他
Producer :細野晴臣
Engineers :細野晴臣、寺田康彦、田中信一、吉野金次、中山ケイ
Studios :ラクーン、音響ハウス、ビクター、ソニー信濃町

www.sonymusicshop.jp

 

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