坂本龍一『左うでの夢』(1981年)

『サウンド&レコーディング・マガジン』のバックナンバーから厳選したインタビューをお届け! 創刊号(1981年)から、表紙を飾った坂本龍一『左うでの夢』の取材をWeb化いたしました。YMOのメンバーとして活動している中でリリースされた、ソロ3rdアルバムで、10曲中6曲が自身のボーカル曲。デジタル・レコーダーがスタジオに導入され始めた当初の坂本の音作りが、ここで語られます。

 

どこかで純粋にレコーディング・エンジニアとして雇ってくれないかな

 

『千のナイフ』『B-2 UNIT』に続く坂本龍一のソロ・アルバム『左うでの夢』が先頃発売された。「ポップ・ミュージック」でお馴染みのMのロビン・スコットと、アフリカン・リズムを打ち出し話題を呼んだトーキング・ヘッズのギタリスト、エイドリアン・ブリューを海外から迎え、他にYMOのメンバーなども参加するなど、さまざまなアーティストがこの1枚に結集している。しかも、YMOの『BGM』から使用している、32chデジタルで録音されているのだ。このアルバムのレコーディングを中心に、坂本龍一の音楽づくり観、そのノウハウなどを聞き出してみよう。

R.スコットとの共作が結局ソロに

―この『左うでの夢』の最初のコンセプトとしては、ロビン・スコットとエイドリアン・ブリューがどういう型の参加だったんですか? で、結果としては?

坂本 具体的にはR.スコットと完全な共作にしようと考えていたんだけど、レコーディングを進めていく中で、やっぱりボクのソロ・アルバムということで、だんだん実質的にもそうなっていったんだ。エイドリアンは最初の予定どおり、セッション・ギタリストとしてだけど。

 

一それは結局、坂本さんの我が強くなっていったということで?

坂本 そう、お前は頑固だとかいわれたけど。

 

一R.スコットとの打ち合わせは充分にできたんですか?

坂本 日本にくる前に電話でちょっと話したくらいで、あまりできなかったのね。ただ彼が『B-2 UNIT』をかなり聴いてたらしくて、わりと予想どおりみたいな感じだったんだ。

 もっとも、レコーディングに入る前、ロビンにボクの家にきてもらって、ふたりでいろいろ写真や絵を見たり、 レコード聴いたりしたんだけど。それに、録音方法としては、即興的っていうか、スタジオの現場で積み重ねていくというやり方だったのね。その場その場のインスピレーションで録っていこうという。それは、ボクの演奏だけに限らず、一緒にやってくれるアーティストにも、これをやってくれとかいう指定しゃなくてね。計算以上の思いつきでいいものを集めたいという気持ちから。

 

一その構想はいつ頃からあったんですか?

坂本 もうずい分前からなんだ。ロビンとエイドリアンの参加は、5月頃から決まっていて、ロビンの方から話があったのは今年のはじめだった。

 

一レコーディング期間は?

坂本 7月16日から8月18日。 日曜が何回か休みなだけで、ほとんど休みなし。結構時間かかったのね。

 

一坂本さんのR.スコット像というのは?

坂本 やっぱり「ポップ・ミュージック」というのは、 とっても素晴らしい作品というか、勝れたシングルだと思うのね。だからその印象が強かったんだけど、その人が『B-2UNIT』好きだというんで実に意外だったわけ。そういう面も持ってるのかな―、とね。

 

一いわゆる、細野さんのようなポップ感覚を持った人が、坂本さんを認めているみたいなことと同じ感覚ですかね。

坂本 そうみたいね。電話で話した時なんか、わりとアバンギャルドとか好きでね。そういうのやりたいと言ってたんだけど、実際は彼非常にポップな人で、そのへんで少し趣味の違いとか出てきて。

 

インスピレーションは惜しまずに収録

―レコーディングのプロセスを具体的に教えてください。

坂本 毎日その日その日曲つくっていってね。曲つくるといっても、さっき言ったように、でき上がった音楽をつくるんじゃなくて、例えば、ドラムのアイディアだけがあって、それをベースに、ベースのリフ、ギターのリフだけとかを録ってくとかね。何かひとつでも面白そうな要素がちょっとあれば、それをどんどん入れてっちゃって、だから、テイクとしては13ぐらいあるんだけど、実際レコードになったのは10曲になったんだ。インスピレーションで聴こえてきたものは、惜しまず入れていった。だから時間もものすごくかかったのね。なんかこう計算された音楽から離れたい、という気持ちからね。

 

一ということは、いちばん最初にリズム・ボックスを、とか決められてるわけじゃないんですね。10曲のうち、最初に入れた楽器は何が一番多かったんですか?

坂本 やっぱりリズム・ボックスだね。ドラムは、ボク自身とユキヒロとふたりでやったんだけど大体録ってから最後に入れたりが多かったのね。YMOでは、殆ど最初ドラムから録ったりしたんだけど。リズム・ボックスは、ローランドのTR-808を使って、 まずパターンをつくってやってみて、それを満足するまで考えていって、次にメロディーを入れたりした。あとシーケンサーだけれど、実際には使わなくとも一応入れといたのね。まずコンピューターの信号を入れて、今度はMC-8とMC-4両方なんだけど、可能性として考えといたの。結局無駄になったのが多かったけど。

 

一今回のレコーディングは、いろんな人が参加してるようですが。

坂本 ロビンは楽器があまり得意でないので、一応ないんだけど、ボクの次に多いのが、仙波(清彦)君というパーカッショニストで、彼は矢野顕子のツアーの時一緒だったんだ。邦楽の専門家ですごく優秀な人でね。それともうひとリロビン(トンプソン)という人がいて、日本に住んでる人で、シュトックハウゼンとかにも参加していてね、今は雅楽を勉強してて、彼には、サックスとか笙(しょう)とか纂策(ひちりき)、それとバス・クラリネットをやってもらったのね。そのバス・クラリネットではフリーなソロを吹いてもらってね。それと、去年、京都一のニュー・ウェーブ・ディスコ、モダンをやってた佐藤かおる(薫:2020年補足)って人がいて、彼にヴァイオリンを弾いてもらったり……。

 

一そうすると『千のナイフ』『B-2UNIT』に比ベると、楽器的に……。

坂本 そう生が多くなったのね。人も多いし。

 

一例えば、その参加メンバーの中で、レコーディング中にアイディアで加わった人っています?

坂本 そのロビンがそうなんだ。彼はうちの事務所のピーター(バラカン:2020年補足)のイギリス時代の友達で、こういう人がちょっとレコーディング見にきたい、ということできて、その時いろいろ話した結果、じゃあ楽器持ってきてみて、ということで、実際やってみたら良かったんでね。

 

ミキシングは自分のスタイルを確立

―それと、坂本さん自身がミキシングまでを担当してるそうですが。

坂本 去年の『B-2 UNIT』の時は、エアー・レコードのスタジオのスティーヴ・ナインと、デニス・ボーベルだったでしょ。でも今回は、アルファの小池(光男:2020年補足)君というYMOのエンジニアにも手伝ってもらったけど、ほとんどボクがメインでね。『千のナイフ』の時からなんだけど、ボクが卓の前に座ってやってた。

 

一そのへんのノウハウはどこで学びました?

坂本 自分でも不思議なんだけど、どこで覚えたのかな―。でも昔からいろいろアレンジとかしてたでしょ。でその時は必ずトラック・ダウンまでつき合ってたし、そこでバランスもとったりしてたからね。例えば、南佳孝とか大貫妙子とかずい分やってたんだよ。もう5〜6年卓には触わってるから、そこらのエンジニアよりいいよ(笑)。どっかで純粋にエンジニアとして雇ってくれないかな。

 

一そこまで言うところを見ると、かなり自分自身のやり方を確立してるようですが、それはどんな方法ですか?

坂本 そうだな―、それは企業秘密だからあまり詳しくは言えないけど、SNを良くするために位相を使ってノイズを取るとかね、いろいろあるんだけども外国で仕事したりするでしょ、イギリスなんかで。そのイギリスのテクニック、ミキサーの音づくりの方法をだいぶ学んだのね。スティーヴ・ナインなんか、ビートルズをやってた人で、クリス・トーマスが『アビイ・ロード』をやって、その時からずっと彼と一緒にやってて、だからそういう伝統的なイギリスの大ベテランなんだ。それとデニス・ボーベルって人はダブ・レコーディングの王者でしょ。そんな人達の仕事を実際に目のあたりにしたわけだからね、ずい分勉強になったんだ。

 そうだなー、イギリスの音とアメリカの音ってだいぶ違うでしょ。アメリカってのはわりとナチュラルで爽やかで、イギリスってのはやっばりつくった音、っていう感じで、機材もたくさん使うしね。イコライザーとかコンプレッサーの使い方とかも極端だしね。それと音の厚みっていうのかな、例えば音が奥にあったり近くにあったり、それをエコーだけでそうするんじゃなくて、位相とかいろいろ使ってするんだけど、そういうのがすごく細かいんだよね。やっぱリイギリスとアメリカで、例え同じ建物であっても、LAとか砂漠にできた街に住む感覚と、でっかい石を置いてできた街の感覚と違うでしょ。そんな感じね。

 もっと具体的に言うなら、例えばエコーなんかもものすごくシビアでね、へたすると8種類くらい使うかも知れないな。スネアの音って普通真ん中にあるでしょ、それがエコーでバーンと鳴った時、左右少し遅らせて、それも違う遅らせ方でバシッとか、いろいろでるんだけどね。

 

―今回も『BGM』に続いてデジタル録音なんですか……?

坂本 『BGM』の時から田町のアルファ・スタジオにデジタル(レコーダー)が入ったんだよね。『B-2 UNIT』の時はアナログの24chだったけど、今回は3Mの32chでね。アナログに比べて全然SNがいいし、テープ質が良くて、クリアなの。音がないところはシーンとしてて、ノイズといえば、アンプとエフェクター、それとエコーが一番大きいんだけど、 テープから出てくるノイズが全然ないんで、立ち上がりとか下がる時なんか、 まるで違うのね。

 

一デジタルのためのサウンド・コンセプトとかアレンジとか、特別に考えたものは?

坂本 音色はね、今言ったようにすごくクリアな面があるんだけど、非常に困るのがテープ編集できないということ。テープ切れないのね。24ch使ってる時は、切ったりつないだリテープ音楽的なことできたけど、それが無理。だからデビッド・カミンガムとか、ああいったテープ音楽的発想できないのは残念だね。でも、それをどうしてもやりたい時は、24chのスタジオもあるからそれを使って、一部だけコピーしてやったりしなくてはならないので、非常に面倒臭いんだ。

 あとはねー、普通は最後に2chにトラック・ダウンするわけでしょ。32chから2chとか、24chから2chへ。でも今回の場合は、デジタルの4chにトラック・ダウンしたんだ。これ実際にはクロック信号が1ch入ってるから3chなんだけど、それをそのままカッティングしちゃったのね。だからまったくアナログを通らずに済んだ。普通のアナログの2ch使うと、そのためのアンプを1回通るし、そこからラッカー盤にいくわけだから、それはもうアナログで、SNとかテープ質悪くなってるわけ。で今回のはデジタルからデジタルで、そういうノイズは乗っからないんで、何回コピーしても平気なんだ。それがそのままラッカー盤に移るわけだから、レコードになった時の音質がデジタルそのもの。そんな分からないかもしれないけど、音はクッキリ。

 

上向きのエネルギーを持った音楽に

―ところで、『千のナイフ』と『B-2UNIT』の関係と、今回の『左うでの夢』の関係は?

坂本 『B-2 UNIT』が『千のナイフ』を受けついでるとかいうのはないと思う。あれは切れちゃってるから。で『B-2 UNIT』と『左うでの夢』は、音的にはかなり違うんだけれど、逆説的な関係があるというか……。『B-2 UNIT』というのは、わりとエネルギーが下降してくものだと思うのね。で『左うでの夢』は、その逆に、上向きのエネルギーを持った音楽をつくろうとしたんだ。音楽にエネルギーがあるとしたら、前回はなるべくそれを0に近づけて音楽じゃなくなる方向へ行こうと思ったけど、今回はエネルギーを増やそうという、だから、1日追ってって、そこから熱くなろうというか、そういう意味での関係はあるのね。

 

一では、今まで坂本さんが体験してきた、自由劇場とかフリー・ミュージックといったもの、それとYMO、そのバック・グラウンドとの関係は?

坂本 難しいねー。あのー例えば、演劇の音楽やってたってのは、まだ学生の頃で、わりと片手間にやってたのね。その頃は現代音楽とか、フリー・ミュージックとかコンセプチャル・ミュージックとかが自分の音楽って思ってたから。要するに、まあエンターテイメントというか、演劇の音楽というのは一種のそれだと思うのね。それで片手間って意識があって、なんか簡単につくってしまって、それが芝居の人とかお客さんに喜んでもらえる。もちろんそのために書いたんだからあたり前なのかも知れないけど、自分の中にそういう大まかにいってポップな面というのがあるということを隠し切れなくてね。以前はそれをいやなものだと思ってたんだけど、最近はそう思わなくなって、むしろ確かにあるんだからそれをそのまま出したりしてるわけ。それから、コンセプチャルになりたいとかフリーになりたいとか、そういった志向もそのまま出してるのね。

 自分の持ってるものを最大限に、自分の脳を道具としてフルに活用するみたいな感じでつくった、といえるね。だから今までやってきたこと全部影響してるわけなんだ。

 『B-2UNIT』の時は、そういう今までやってきたことを全部抑えて0にして、という発想あったけど、今回は、 自分にとって自分の脳が道具だとしたら、その道具に任せて
出てきたもの全部出すというね。

 

多くなった“声”のサウンド表現

―それでは、新作『左うでの夢』を、読者にどこを聴いてほしい、というアピールを。

坂本 ひとつは、だんだん歌をね、というか声を出すようになってきたんだ。『B-2UNIT』で歌ったのが最初だったけど、その後、『BGM』で「音楽の計画」、シングルの「フロント・ライン」があって、ボクの歌ハッキリ言ってヘタだけどね、ヘタな中でも一生懸命歌ってるから、ちょっとずつ進歩というか上達してるみたい(笑)。自分では前のよリマシな歌になってると思うんだ。特に気に入ってるのは、津軽弁の言葉を使って歌ったのがあるのね(「かちゃくちゃねえ」)。それは単純な言葉の繰り返しなんだけど、津軽の人でないと、日本語だかなんだか分からないような言葉なのね。英語じゃないってのは分かっても、ほんとに日本語なんだろうか、という感じで。

 今回、歌を英語にしようか日本語にしようか、とても迷ったの。迷ったけど、こうしようという解決案出ないまま試行錯誤でやったんだ。結果的には日本語の方が全然多くてね。

 

一その歌についてだけど、それをサウンドとして、あるいは感情としてとらえるか、ということになると、坂本さんとしては……。

坂本 どっちも面白いね。結局ね、ボクっていうのは、ほっとくと言葉で感情表現しにくい人なんだ。もうちょっとコンセプチャルな言葉とか、意味のないサウンドとかがいいみたい。怒ったぞ、悲しいぞとか、言葉がなくても声自体の表現というのはありうるわけでしょ。非常にコンセプチャルな声だけの表現、そういうやり方ね。感情表現を歌いたいとは思わないのね。ボク自身あまり感情表現ってないからさ、怒るくらいで、殴っちゃうとかね。だから、意味のある言葉でも、わりと分かりやすい単語の青空とか人とか手とか、そういったもの並べるとか、ボク自身が書ければそっちの方が面白いと思うわけね。書ければやりたいんだけど、今のところ能力がなく、できない。今回はもちろん自分で書きたかったけど時間がなくて人に頼んだんだ。津軽弁のは矢野顕子で、他に糸井重里とかね。とっても残念なことだけど、まあその分歌を一生懸命やってるから。

 ちょっと長くなったけど、もうひとつは、今、猿に非常に興味持ってて、例えば猿に音楽はあるのか、とか考えててね。音楽をもっと拡げていくと、遊びとか文化ということになってね。で彼らには決まった常識があるかというとなくて、でも音で表現することはあって、キーキーいったり叩いたりね。それを実際聴いたり見たりしていたら糸井(重里)君が、テレビ番組一緒につくんないか、って言ってきてね。猿をネタにつくることになったんだ。それは、猿の出す音のコラージュで、短い曲を1曲つくったのね。その番組とは、東京12ch系の「ピアノふおる亭」(9/1放送)っていうんだけど。その曲がえらく気に入っててね、それをそのままLPに入れちゃったんだ。いろんなリズム・バッキングやる猿と、メロディーっぽいものやる猿とがいて、ボクが勝手にコラージュしてるんだけど、実に面白いんだ。イーノを越えてるんじゃないかな。

 

―(笑)。さて、最後の質問になりますが、この次のソロは、一体どうしたいですか?

坂本 そうだな―、またエイドリアンともやりたいけど、そのイーノとぜひやってみたいね。やっばりイーノをアジアにひっぱってきて、例えばボクとふたりで東南アジアに行ってテープを録ってきて、それをデータにして、共作したいね。ぜひ実現させたいね。彼とはまだ会ってないけど。

 

 以上で坂本龍一のインタビューは終わった。彼の言葉の中に再三再四“コンセプチャル″という言葉が出てきたが、彼の音楽自体はそうであっても、話す言葉は多少そういう部分もないでもないが、とても分かりやすく丁寧だ。それは彼の人柄にもよるのだろうが、聞かれたことに対しては、誤解のないように正確に答えようとしているのが良く分かる。言葉による伝達テクニックは、決してうまい方ではないが、そのひと言ひと言に、彼の自信みたいなものを感じた。

 

会員登録で全バックナンバーが閲覧可能

 

Webサイト『サンレコ』では会員登録で『サウンド&レコーディング・マガジン』の創刊号から直近まで、全バックナンバーの閲覧が可能です。

www.snrec.jp

backnumber.snrec.jp