11月3日の「レコードの日」に細野晴臣の旧作がリマスタリング仕様のアナログ盤として一挙に発売される。加えて『omni Sight Seeing』『MEDICINE COMPILATION』の2作品はSACDハイブリッド盤も発売。それを記念して、本稿では『サウンド&レコーディング・マガジン 1989年9月号』に掲載された『omni Sight Seeing』のインタビューを公開する。お楽しみあれ。
「部分は全体を含んでる」……細野晴臣氏との密談の中で、最近やたら出てくるのがこの言葉。新作『omni Sight Seeing』を聴いて、その意味がやっとわかった気がする。HOSONOの部分部分をオムニバスにした結果、そのすべてがよく見えるアルバムとなった。これが氏のすべてであると言ってもいい。コンセプト・メーカーであるHOSONOが自らのアルバムのコンセプトを放棄した瞬問、真のソロ・アルバムが出来上がった。コンセプトやテーマにマスキングされることなく、音楽王ならぬ裸の王様、細野晴臣のすべてがここにある。祝、HOSONOのカムバック!!
インタビュー 解説:鈴木惣一朗
撮影:大熊一実
CHAPTER1
BRTH OF OMNI SOUND オムニ・サウンドの誕生
まず.アルバム制作を決意したのはいつですか?
細野 決意したのはもうずいぶんなんだけど(笑)、去年の四月かな。パリに行った頃。その頃、実はマルタン・メソニエ(※1)のレーベル、“ノヴァ”でアラブ風なスクラッチっていうかヒップ・ホップみたいなものを、アラブやヴェトナムの人達と作ろうとしてた、12インチ・シングルを。ところが、マルタンのレーベルが経済的理由でなくなっちゃって、どうしようかと思ってたんだけど、とにかくマルタンに会いに行った。そしたら、アミナ(※2)という歌姫を紹介されて、いろいろ話してたらライ(※3)の状況がわかってきた。いろんな背景が。それで考えこんじゃった……。
それが去年の夏頃ですね?
細野 うん。こいつは難しいなと思った。アラブ人一緒に作るのは難しいと。
そのあと桑原茂ーさんの企画(※4)でインドに行ってますが?
細野 そう、クリスマス・アルバム。その時にはアジット・シンやウッタム・シンという、みんな“〜シン”という名前なんだけど、インドで映画音楽の作/編曲をやってる人達に会った。非常に優秀な人達で大親友になったんだけど、今回のアルバムではやらなかった。
僕は去年、細野さんがアルバムを作るという話を聞いて、これはアラブからインドからヴェトナムからモロッコから、はたまた邦楽の世界まで、すべての音楽の集大成となると秘かに思っていたんです。
細野 うん。でもインドは僕にとっては別格なの。インド音楽はずいぶん前から親しんでるんだけど、インドのこぶしの感じとアラブのこぶしの感じはずいぶん違う。
その違いとは?
細野 今の時代のこぶしがインドには感じられない。古典的っていうか、もっと悠久の時間っていうか、今って感じはしない。これからだとは思うけど。今の世界の危機感を表面に出していないというか。おそらく今世紀末にはインドは世界一の人口になるから、その辺で何か出てくるかもしれないけど。
CHAPTER2
APPROACH TO COOL JAZZ クール・ジャズへの接近
作業的にはまず「キャラヴァン」から始めたわけですか?
細野 そう。時間が交錯しちゃうんだけど、子供の頃、レス・ポール・ヴァージョンの「キャラヴァン」をよく聴いてた。TVのCMでやってて、それがかかる度にボーッとしてた。大好きだった。それで、その頃SP盤でいろんなジャズ・バンドを聴いてたんだけど、意識的に再び聴き始めたのは4〜5年前。
それはどういったジャズなんですか?
細野 40年代のもの。30年代のコーギッシュ(※5)と呼ばれる甘い歌。クルーニングのような唱法は好きだったし、ハリウッド映画の感じとか、タップ・ダンスも好きだった。
ヴァン・ダイク・パークスのような音楽ですね。
細野 そう(笑)、あの感じ。ソープ・オペラ。アメリカの良き時代の音楽って30年代に集結してるから。だから40年代って戦争に突入する時代だし、幸せな感じから変わっちゃうんだよね。だから敬遠してた。50年代はまたよく聴いてたんだけど、ポップスに入れ換わる時代だから。
すると40年代の音楽はスポッと抜けてたと?
細野 で、きっかけになったのは、何の気なしに買ったクロード・ソーンヒル(※6)のレコード。
いつですか?
細野 YMOの頃。何か知らないけど、強く魅かれるものがあって、これは並々ならぬものがあるなと。僕は「スモール・ホテル」という彼の曲が好きで、当時アルファ・レコードの社長だった村井さんに話したら、彼もその曲が好きで。村井さんっていう人は大変なジャズ・フリークで、「そうか、こういう人達にとってはバイブルのような音楽なんだな」ってわかった。それで、しばらく聴くのが好きで、よく聴いてた。ライナー・ノーツも読まずにひたすら。3年ぐらい前かな、ライナー読んでびっくりしちゃった。ギル・エヴァンスがアレンジしてるし、クール・ジャズの原型を作った人で、マイルス・デイヴィスがそっくりそのままソーンヒルのスタイルをまねて『クールの誕生』というレコード作ったりしてるし。
ソーンヒルがクールの創設者?
細野 うん。ついに認められた、近年になって。ソーンヒルっていう人は非常に不幸な人で、戦争をはさんで活動ができなくなっちゃった人。しかも音楽的にプロ受けしちゃって、成功しなかった。
その40年代のジャズが細野さんに与える影響とは?
細野 僕には幻想が大切だからね。40年代のジャズには幻想やストーリーがある。ソーンヒルっていう人が中心にいて、ビッグ・バンド作って、本当はダンス・バンドなんだけどマニアックにのめり込んでいくという。
細野さんみたいですね。
細野 そうね(笑)。で、彼の回りには.ギル・エヴァンスやチャーリー・パーカーとか、マイルスとか、いろんな天才逹がいるという。でも、結局、ソーンヒルはボール・ルームの演奏の直前に心臓マヒて死んじゃう。よくあるジャズの世界のドラマなんだけど、僕そういうの好きなの(笑)。「レッド・ニコルズ物語」(※7)とか。
CHAPTER3
SHOWA TO HEISEI 昭和から平成へ
「キャラヴァン」、「エサシ」を録り終えた頃、一時レコーディングを中断してますけど、それは何故?
細野 その頃、音楽やってる感じじゃなくなっちゃった。時代の狭間を観察していたかった。ただ単に昭和が平成にということではなくて、90年代に向かって時代が変わってゆくときだから。
それは自分の中のバイオリズムですか?
細野 僕のバイオリズムでもあるし、地球や社会のバイオリズムともシンクロしている。また、ロックっていうジャンルは僕と同い年だから.厄年を向かえてるとも思うし。非常に僕は日本的な考え方をしてるんてす。古典派。だから中断してた。
それでは“オムニ・サイトシーング”(全方位観光)のコンセプトが生まれたのはいつ?
細野 最初は“オムニバス”っていう感じでコンセプチュアルにはしたくなかった。で、アルバム・タイトルも『OMNIBUS』って最初つけたんだけど、レコード会社の人に弱いって言われてね。もっとアピールしないとって。アピールしなくたっていいやーとも思ったけど、申しわけないんで(笑) 。それで考えた。アラブやインドのことも考え合わせて、どっちみち僕は観光だし、日本人としての自分のレベルがまだまだ観光だと。江戸っ子の物見遊山っていうか。でも、今回、アラブの音楽家と友達になって、アラブに片足突っ込んだ。日本人は文化をすぐ消費するとも言われて。それで僕は消費していかない方向を(アラブ文化に対して)考えなきゃいけない、音楽も責任があるなと思った。心を通い合わせないと音楽は作れないと。
細野さんの今までの仕事を見たときに、地域や民族、文化に対するエキゾティシズムが細野さんをスパークさせてきてると思うんですが,もはやそういった観光気分では作れないということですか?
細野 僕の中でそれは変わってきた。エキゾティシズムだけで音楽を作る動機が薄れてきてるというか。いま、僕が日本の民謡やジャパネスクに関してわかってきたというか、見えてきたというのはエキゾティシズムからじゃない。両足突っ込んでるわけだし(笑)。自分と日本の民謡の関係がわかってきた。だから,今回アラブの人たちとやったときも、アラブ人と同じような気持ちでやった。アラブをエキゾティックと見て、研究してやれば、全曲アラブ色で今回のアルバムを作ることはできた。それは、簡単。でも、しなかったのは、彼らのこぶし(※8)を僕は持てないし、それとは違った交流の仕方を考えないとアラブ人とはできないと思ったから。だから僕は、彼らの心の中のアラブとか、音楽的な部分で理解し合うことが重要だと思ったんだ。
それでは細野さんにとって、今、エキゾティックな音楽とは?
細野 それが「キャラヴァン」。アメリカの音楽なんだョ。
ひねってきてるねー(笑)
細野 ひねくれてるなあ(笑)。わかってもらえるかなー。
CHAPTER4
MAKING OF OMNI SOUND メイキング・オブ・オムニ・サウンド
レコーディングのスタイルについて教えて下さい。
細野 最初は家で16trいじってた。フォステクス。卓は田中君(エンジニアの田中信一氏)のハンドメイドでモニター・スピーカーはタンノイの古い、でっかいスピーカー。これあんまりモニターできないの(笑)。音的に偏ってて。
楽器は?
細野 アップライト・ピアノ、M1、U-110、アープ・オデッセイ、TR-808、そんな感じかな。あんまり高級品は置いてない。最初は家でベーシックを作ろうと思ったんだけど、SMPTEのノイズがどうしても他のトラックにもれがちで。おそらくアースの問題だと思うんだけど。それで家でやるのは中止してマグネット→プランクトン→DMSとスタジオを渡り歩いた。
今回のアルバムを聴いて、その静けさ、エコーの少なさ、デッドなサウンドの妙な気持ち良さに驚いたのですか?
細野 しずか一で、じみーな音にしたかったから。ミックスを飯尾君(エンジニアの飯尾芳史氏)にお願いした。リバーブを使わないエンジニアって少ないんだけど、彼はその数少ないエンジニアのひとり。ビートがある音楽で、エコーを使わずに豊かにするのって一番難しいミックスだと思う。飯尾君はセンス、最高!
リバーブの話をもう少し聞かせて下さい。
細野 この数年間で定着したシミュレーション・リバーブは、何のシミュレーションかというと部屋でしょ。例えば、ロンドンだったらベニューと呼ばれるホールだったり、ディスコだったりして。つまりは、石の部屋のエコー、ヨーロッパ的と言うか。その部屋で、僕は音楽やりたくないと思った。つまりは砂漠に出ちゃいたいという。砂漠って、すべての音を吸いこんじゃって静かでしょ(笑)。あと、僕の好きな30年代〜40年代の音楽にはエコーが使われてなく、自然な鳴りがしている。それは木の音なんだよね、石の音じゃなくて。
フェアチャイルド(※9)を使いだしたのはいつ頃からですか?
細野 ユキヒロのレコーディングで、ロンドンのエアー・スタジオて見てから。スティーヴ・ナイが使ってて、これはあった方がいいなと思って。チューブ的なかかり具合いが良いんだよ。高級品の新しい機材って、ナチュラルでしょ。それが強引にかかる。昔のシングル盤みたいな音っていうか。でも、今回のレコーディングでは何曲か、飯尾君にお願いして外してもらった。これは謎なんだけど、SSLコンソールとフェアチャイルドの相性って悪いんだよ。ニーヴのコンソールだったらおそらく良いと思うんだけど。
これは極端な話ですが、エルヴィス・コステロに言わせるところ「SSLは音楽じゃない」と。
細野 う一ん、そうだと思うよ、僕も。暖かい音を作りたいのならニーヴ。SSLは音がやせるというか、よく言うと引き締まる。で、今回悩んだんだけどエンジニアはどうしてもシステムを優先するんてSSL。一番やりやすい機材だから。飯尾君もニーヴが良いのはわかってるんだけど、どうしても機能性をとってね。
いつもレコーディングで面白い実験をしますが、今回は?
細野 そうだなあ、「キャラヴァン」に入ってるレス・ポール・ギターの音かな。あれ、元はDX7の音なんだよ。それをギター・アンプで鳴らして、僕が持ってるリボン・マイク(ベロシティ・マイク:※10)で録った。このマイクは映画の仕事でもらったんだけど、別名“鉄仮面”っていうんだ(笑)。重くて大きくて、良い音。歌もそれで録ったんだけど40Wぐらいの卓上電球の感じ。
CHAPTER5 LE VOIX DE GLOBE
地球の声
ワールド・ミュージックの火付け役として、現在の日本でのブームをどう見てますか?
細野 みんなに聴いてもらいたいと思ったから、それはいい。ただその裏には、日本人独特の消費が始まってるとも言える。それは仕方がないことなんだけど。
少しシニカルな見方ですが、現在のブームは、リゾート感覚でアラブやインド、アジア諸国を楽しんでるにすぎないという声も。
細野 いいんだよ、それはそれで。僕自身もそうだし(笑)。ただ言えるのは、今のままではひとつのブームとして終わってしまうと思う。音楽的なところで、普遍性を持ったスター、マイケル・ジャクソンのようなのが出てこない限り終わる。ただ、そのブームを通過した後, もっと違う形に発展した音楽は出てくると思う。それは可能性あると思う。ブームが終わろうが関係なく、より発展した音楽が、スターが生まれる。
細野さんの音楽はワールド・ミュージックなんでしょうか?
細野 その言葉自体は、いま、使いやすい言葉だからね。でも、僕の音楽は違う。僕のはプライベートなものだし、ワールド・ミュージックって、トランス・パーソナルなものだから、自分のよって立つ文化を武器にして強力に打ち出した音楽家は、ワールド・ミュージックっていう運動に参加できるけど、僕のは観光だから参加できない(笑)。僕の音楽はまだ“地球の声”(※11)ではないし。そこに向かってのプロセスにしかすぎない。
OMNI SOUND 解読の手引き
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マルタン・メソニエ
キング・サニー・アデの『シンクロ・システム』のプロデュースが、古いところでは印象深い。ヨーロッパ人が考えるダンス音楽というところから一歩進んでプロデュースするようになったのがシェブ・ハレッドやパパ・ウェンバのアルバムといえる。生とシンセサイザー、非12平均律と12平均律が融合したモダンなポッブ音楽の見事なサンプルだ。日本の北島三郎や伊藤多喜雄などに興味があり、プロデュースしてみたいとのこと。 -
アミナ
マルタン・メソニエが力を入れてブロデュースしているアーティスト。昨年来日してライヴを行なった。その時マルタンもギターで参加した。ところで、ライのアーティストでは、シェブは男性、シャバは女性。 -
ライ
またの名をアラビック・ポップ。今日では、ワールド・ミュージックと呼ばれている。ウードやズルナという楽器を使った伝統的なトルコ音楽に、リズム・マシンやシンセサイザーなどの最新テクノロジーをブレンドした音楽のことで、発祥地はパリ。パリに流れ込んだアラブ系の難民達と、パリのテクノ・ミュージシャンとのドッキングによって生まれた。去年あたりから、パリにとどまらず、ロンドンやベルリンでも同時多発的に盛り上がりを見せ、今年になって爆発的なブームとなった。ロンドンの3ムスタファズ3、パリのマルタン・メソニエ、日本の細野晴臣がライをうまく味付けしている。現在、最も注目されているポップ・ミュージックだ。 -
桑原茂一さんの企画
去年発売される予定だった『ピース・オン・アース』(プロデュース/桑原茂一、制作/クラブ・キング)のこと。これは去年の夏、インドで実際に録音されたクリスマス・アルバムで、細野も現在のミュージシャンとセッションした。編曲をインド映画音楽の巨匠アジット・シン等が手掛け、おもいっきりユニークなクリスマス・アルバムに仕上がっている。中でも謎の歌姫によるインド版「アヴェ・マリア」は、宗教の垣根を通り越し、珠玉の内容。今年のクリスマスに発売される予定だ。 -
コーギッシュ
ジャズでは音楽性を表現する形容詞が細かく使い分けられることが多い。ジョン・ルーリーが映画で連呼していた「クール」や「ホット」などもお馴染み。
ただ、このような言葉が、当時と現在、アメリカと日本では感覚的に異なることには注意したい。例えば、ファンクは本質的にクールなものという見解もある。 -
クロード・ソーンヒル Claude Thornhill(p)(1909〜65)
ポール・ホワイトマン〜ベニーグッドマン~レイ・ノーブルなどの楽団に在籍したのち、自己のクロード・ソーンヒル楽団を結成した。アレンジャーとして,ギル・エヴァンスも参加していた。パーカーやガレスピーらが推し進めるバップとほとんど同時期にクールを作り出したのは有名。エーテル・サウンドなどとも呼ばれるようになった独特な和声感覚が斬新だった。 -
レッド・ニコルズ Red Nichols(cornet)(1905〜65)
サム・レイン〜ポール・ホワイトマンなどの楽団を経て、'26年ファイヴ・ペニーズを結成する。「五つの銅貨」という伝記映画も残っているほどポピュラーな存在だった。
うら若きベニー・グッドマン、ジャック・ティーガーデン、ジーン・クルーパ、ジミー・ドーシーらが参加していた。「チャイナ・ボーイ」「アラビアの酋長」などという曲題が面白い。 -
こぶし(マカーム maqām)
1/4音(クォーター・トーン)を含む音階とその体系。チャーチ・モードのような呼び名がついており、ウード(フレットレス)や1/4音が出せるシンセサイザーで表現されている。メリスマの技巧も1/4音域に近いものがある。 -
フェアチャイルド
真空管仕様のコンプレッサー/リミッター。'60年代中期のブリティッシュ・ビート・グループのサウンドを特徴づけた中心機材のひとつといえる。
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リボン・マイク
ウェスタン・エレクトリック/アルテック639B。そのほかRCA77DXもリボン・マイクの代表的存在である。
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地球の声
地球の声―-LE VOIX DE GLOBE―-とは、ライ・ミュージックのキーワード。ロンドンのグローブ・スタイル・レーベルがこの生みの親で、アングロ・サクソン圏の音楽とハッキリ違いを打ち出すため、「自分達の音楽は地球の声」であると言いきった。彼らはキーワードを作るのが好きで、カントリー&イースタンなんて言葉も作ってしまった。
細野晴臣本人による曲目解説
このCDは、できるだけでっかい音で聴いていただきたいと思う。一見、地味に作ってあるけど、入り込めばいろんな要素が見つけられるし、自分の旅ができると思う。ヘッドフォンでもスピーカーでも、どっちでもいいから、とにかくでっかい音で!
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ESASHI
この曲との出会いを話そう。徹夜明けの朝、TVでキンカン製薬提供の“のど自慢”を見ていた僕は、北海道江差町から来た14歳の少女のこぶしにしびれてしまった。この無名の少女(木村香澄)は「江差追分」しかレパートリーを持たず、好き嫌いを通り越してこの歌を完全にマスターしていた。そこで彼女を探し出して録音。その後、それをどういった形にするかわからないまま時は過ぎ、場所は移り、パリ。アラブ人達とのセッション中に試しに聴かせてみたところ、彼らが大いに燃え、完成したテイク。この少女は今回の仕事で町でも大評判となり、北海道新聞にもとりあげられ、コーフンを隠せない様子。僕も江差に来て下さいと言われていて、何よりもそうした縁ができたことが嬉しい。単なる好奇心だけで終わらず、大切なことが残った。 -
ANDADURA
インカ文明とエジプト文明を結ぶ紐、それは人類の古い皮質に秘む魂の影。“ニュー・エイジ・サイエンス”の構築を目指す生物学者、ライアル・ワトソンによれば、アンダドゥーラとは南米にある部族の言葉で、「分身」を意味する影。日本人の僕は、アラブ音楽との関係を語るにあたり内的観光と言う手段を選んだ。それは光の経路(レイ・ライン)と呼ばれる、インカのピラミッドからエジプトのピラミッドへの旅。ここでアミナが歌っている“マナ”と言う言葉は、“私の目”と言う意味で、アラブ音楽のキーワード。アラブやエジプトでは目が非常に大切。レイ・ラインを辿って、僕が見たものは何だったのか? -
ORGONE BOX
平成第一号作品。自分の中では嬉しい、新しい曲。シーケンサーをいじっていたら、「僕はミニマル音楽を忘れられない」ということがわかった。ミニマル音楽を捨ててはいけないと。ミニマルは今の時代の基本だと思う。ミニマルとはいつ終わって、いつ始まるかわからない時間の断片というか永遠……。スティーヴ・ライヒの音楽はそうした意味において完全なミニマル音楽。だけど僕は、その上に時間の方向性をつけた。一方向に流れていく現代の時間を。そこにメロディをつけたり、物語が出てくる。だから、本当の意味で言えば僕の音楽はミニマル音楽ではなくて、要素としてのミニマル音楽を時間軸につけただけ。でも、それはいわゆるポップスのAがあってBがあって、またAがあってというようなリピートされる音楽ではなくて、行ったきり戻らない音楽! -
OHENRO-SAN
これは観光の集大成、極地。87年に封切られた「人間の約束」(吉田喜重監督作品)に挿入したものの一部。その映画でも、コウコツの老夫婦が四国八十八ヵ所をお遍路するというシーンがあるが、日本人にとって観光を突き詰め、浄化させていくと、このお遍路さんに辿り着く。 -
CARAVAN
引用の集大成。ゴースト・ミュージシャンによるゴースト・バンド、はたまた蜃気楼ミュージック。ピアノはデューク・エリントン、ギターはレス・ポール、ドラム・ソロはジーン・クルーパー、歌はジャパニーズ・イングリッシュのビリー・エクスタイン。昭和の時代に、清水靖昇くんの事務所のスタジオでベーシックを録ったが気に入らず、最後まで収録を悩んだ曲。 -
RETORT
これは2〜3年前、上野(耕路)くんと「12の夜」というシェイクスピアの音楽をやってたときにできた曲で、でもあまりにイタリアっぽすぎてボツになったもの。この種の曲を聴くと日本人は即「ニーノ・ロータみたいだ」と言うけど、僕もそう思う(笑)。でも、それはイヤだね、本当に。ニーノ・ロータ以前には、もちろんヨーロッパ音楽の深さというものがあって、それを追求していくとどうしてもニーノ・ロータに辿り着いちゃう。だから、困った人だね、この人は。“レトルト”とは蒸留器の意味……私という人間は、ひとつの蒸留器である。 -
LAUGH-GAS
これはフランス革命200周年記念に寄せるアシッド・ハウス音楽。11分26秒収録されているが、もっとやりたかったくらい。このアルバムの、ある種のテーマでもある“アラビックとミニマル音楽の集大成”でもあるのだ。 -
KORENDOR
これはアンビエントっていうか、『S-F-X』のときの「地球の夜にむけての夜想曲」の感じ。ただ今回は、純粋な意味でいうアンビエントではない。ストーリー性があるから。“日本の田園の中でピアノを弾く、気が狂った宇宙人”と言うイメージ。途中でピアノのソロが聴こえるでしょ、ソーンヒルっぽい感じの。アンビエントってあんなことしちゃいけないはずだし。アンビエント音楽の中で、気が狂った宇宙人がピアノを弾いているとは言えるけど。あとはギャビン・ブライヤーズの感じもあるね。あの人もアンビエントなのにストーリーがあるから好き。彼はアンビエントを超えて、アートの領域に入ってるけど、僕のはコミック(笑)。 -
PLEOCENE
これが僕のサービス。ポップスらしいポップス、起承転結があって。最後に安心させたいという気持ちを込めて。この曲がなかったら怖いでしょ(笑)。僕って意外とサービス精神あるんですよ、これでも。ちなみにこの曲の『銀河鉄道の夜』でも使った曲で、一緒に歌っているのは福沢諸くん。
COMMENT
ENGINEER
飯尾芳史(トップ)
今回は僕の好きな音の感じと、細野さんが望んでいた音の感じが一致していたんで、とても楽しくやれました。基本的にいつもそうしているんですが、エコーを全体的にかけるのではなくって、かける音とかけない音をはっきりさせて、効果的に使うようなミックスを行なっているんです。でもそのためには、元音が太くないとダメ。その点、細野さんて、昔っから音が太いですからね。全く問題なしでした。でも時間はかかりましたよ。ふたりが「これが良い」と思うテイクって、少しずつ違いますから。だから各曲2〜3パターンのミックスを作りました。この作品、音がかたすぎないんで、大きい音で聴いても全然うるさくないんですよ。そこがすごく気に入ってます。
MANIPULATOR
木本靖夫(インテンツィオ)
細野さんは自分で打ち込みなんかもやられる方なので、あんまり僕のやることってなかったですね。音色選びなんかも、「こんな音ないかなあ?」と言われると「はいこれ」みたいな感じ。最近は自宅にPC-98、M1、U-110といった機材を揃えて、ある程度のデータを作ってからスタジオ入りされるんで、それをそのまま使えたりもしましたしね。御存じのとおり追求の厳しいレコーディングなわけですが、特にすごいのが“ハネ具合い”。細野さんらしさが打ち込みに出ています。見ててとっても勉強になりましたよ。ベロシティに関してもそう。とにかく自分の思ってるとおりになるまで何通りもチャレンジされるんで、それも良い刺激になりました。
OMNI SOUNDをより楽しむための細野アルバム10選 by鈴木惣一朗
細野がJ.テーラー化して、「ちょっと黙るつもりです」したファースト・ソロ・アルバム。狭山での家族との生活、音楽家としての生活が、エンジニア吉野金次氏によって切り取られ、録音された。そのためか、細野はこの作品がとても恥ずかしいらしく、作品とは呼べないとまで言っている。しかし「終わりの季節」、「恋は桃色」、など名曲ぞろい。木のぬくもりにも似た温かいサウンドが実にバーバンクしてて結構!
トロピカル3部作の記念すべき第一作。音楽における異邦人としての視野を意識し始めた細野は、地球の南半球一周を歩みだす。当時の細野はM.デニーやアーサー・ライマン等のエキゾティック・サウンドやスリー・サンズ、アーサー・キット等のおかしな音楽に夢中で、音楽仲間からは「最近細野はヘンだぞ、大丈夫か」と心配されたという。はっぴいえんどの幻影を完全にふり切った。ハリー・ホソノの誕生である。
細野のアーティスト性が確立された重要な作品だ。当時のフュージョン・ブームに完全に背を向け、沖縄、ハワイ、アジア等をLA経由でエキゾティック音楽とし、自らのポップスに取り入れた。アート・ワークも含めて実にできすぎという感じで、これじゃあヴァン・ダイクが怒るのも無理ない。カヴァー曲も楽しいが、オリジナル曲のグレードの高さでは他を寄せつけない。「エキゾチカ・ララバイ」など、GOODだ。
本人はこのアルバムを気に入ってない。レコーディング中、やりたいことが分散してしまって、よくわからなくなってしまったそうだ。細野はそのオムニ・サウンドをソイ・ソースとしてくくろうとしたが、あまりの内容に失敗している。それもそのはず、この中にはYMOの爆弾が潜んでいたから。しかしながらファンの間ではこれを最高傑作と言う人は多い。いやはや作家とファンはわかりあえないもんですな一。
YMOの前夜祭のようなアルバム。実にこの3ヵ月後に、YMOの1stが発売されてしまうのだから。横尾忠則とともに訪れたインド、ボンベイでの地獄のような激しい下痢。そしてそれを救ったマドラス総領事夫人のおかゆ。そしてコチンの月を横切ったUFO等が1枚のアルバムの中に収められている。A面を細野、B面を西原朱夏という人が演奏しているが、どうも怪しい。もしかしたらB面も細野では? という気がする。
イミュレーターIとともに作られたと言っても過言ではない、ド・テクノ・アルバム。しかしとても温かい音。LDKスタジオを酷使し、細野独特の手ざわり感のあるテクノに仕上げている。かなりアナクロ的な内容で、 当時(現在でも?)細野が夢中だった、アンビエント&ミニマル的な手法が目立つ。「フニクリ・フニクラ」、「スポーツ・マン」等のポップものも、YMOとはまた違った感じで楽しい。
ロックにおけるSFXといえば、当時テクノ&ヒップ・ホップしかなかった。細野はそのふたつの音楽を掛け合わせ、ノン・スタンダード・ミュージックとした。細野が持つファンクヘのスノッヴなセンスが爆発しており、その後のF.O.Eの基盤を作った。同時期、細野はロック音楽では得られぬ刺激をサイエンスに求め、中沢新一等とともに観光をしまくる。この時期よりオムニ・サイトシーングの旅が始まったのだ。
当時、クラシック音楽への回帰を続ける細野にとって、北ヨーロッパの冷たい音楽の感触は強烈だったらしく、この映画をより寒い地方へと導いた。 ドヴォルザーク、ボロディンといったチェコ的な交響曲にも似た20の小品は、そのどれもが愛らしく、オルゴールの調べのよう。DX7の音をエディットせず、プリセットのままた使ったりするセンスも抜群で、ユニークな映画音楽作家としての第一歩をしるす作品となった。
沖縄に行ったことのない人でも、行った気にさせてくれるアルバム。同名映画のサントラ盤だが、細野が肌で感じた異国情諸が実に気持ち良い。アンビエント音楽を超える80年代のスーパー・イージー・リスニングと言えよう。それにしても、この時期の細野は実に多作で、こうしたアプローチの作品をいくつか残しており、そのどれもがそれぞれ(地域/時間/次元)の情緒によって構成されていて興味深い。
細野の中での映画音楽家への憧れと、今まで禁断の土地と決めていた邦楽の世界へのチャレンジがこのアルバムのポイント。映画音楽、邦楽をパーソナルな音楽として楽しむため、カヤグム(韓国の12弦琴)を購入。足柄の孔雀庵にこもって、ホーム・レコーディング。バーバンクから日本の古典音楽、ポップスから映画音楽と、その舞台は移っているが、80年代版『HOSONO HOUSE』として聴けば、また楽しい。
「レコードの日」の関連情報
Release
『omni Sight Seeing』
細野晴臣
Sony Music Direct:MHCL-10137
- ESASHI
- ANDADURA
- ORGONE BOX
- OHENRO-SAN
- CARAVAN
- RETORT
- LAUGH-GAS
- KORENDOR
- PLEOCENE
Producer :細野晴臣
Mixed by :飯尾芳史、細野晴臣
Computer Programmed by :木本靖夫
Studios :マグネット、DMS、アルファ etc.