ファッション・ブランドCFCLの船出に贈るイマーシブ楽曲【第9回】realize〜細井美裕の思考と創発の記録

「Lenna」制作から手法をアップデート
譜面を視覚化して録音を効率化

 22.2chで「Lenna」という作品を発表してから、周囲のイマーシブ環境に対する注目度も高まってきていて、発表時に比べてクリエイターからの質問が多くなってきました。Envelop(編注:32chのイマーシブ・スペースやツールを提供する企業。クリストファー・ウィリッツらが創業)や、これまでにも制作で使ってきたHPLを採用したNOVO NOTES 3DXなどイマーシブ環境を意識したツールが出てきたからでしょうか。なるべく多くのフォーマットの特徴を自分の耳でも知っておきたいと思っています。

 

 「Lenna」制作から1年半、つら過ぎてもう2度とやらないと誓ったはずのイマーシブ多重録音作品に、気付いたらまた手を出してしまいました。人はどうしてつらいと分かっていても手を出してしまうのでしょうか……。

 

 CFCL:Clothing For Contemporary Life(現代生活のための衣服)という、サステイナブルを標榜し、体現しているファッション・ブランド。初のコレクションのための楽曲です。クリエイティブ・ディレクターの高橋悠介さんは4年前から知っていて、ディープな音楽にとても詳しい方。ミュージシャンと話していてもなかなかできない会話が高橋さんとは話せてしまうくらい、本当に音楽が好きなんだなと感じる方で、この機会をいただけたことはとても光栄でした。

 

 今回は作曲、歌唱、録音を自身で行い、ミックスは奥田泰次さん(studio MSR)にお願いしました。サラウンドで音をどう配置するかについては一部希望を事前に伝えた程度で、動きなどは奥田さんにお任せしています。“この音は右から、これくらいのスピードであっちに行く”と伝えても、それは普段から音で空間を作らない人の視点のコメントかつ、空間表現につながりづらいのではと思うので、ピンポイントで希望がある以外はリクエストしないようにしています。例えば“一本の糸が編まれていって面になり、立体になる”という今回のコンセプトと、そこで言及されていない情報を補完できるような音が用意できていれば、自分より世界を作れるプロに任せるのが一番。どこまでできているのかは分かりませんが意識しています。

 

 曲名は「- · - ·  · · - ·  - · - ·  · - · ·」。モールス信号でCFCLです。一番身近なモールス信号は恐らく電話をかけたとき、相手のキャリアがソフトバンクだと最初に“プププ、プププ”と鳴る音。あれは“S、S”という信号ですね。なぜモールス信号にしたかというと、言語を選ばないというところと、何かを呼び出したりするときに使うものだから。CFCLには思想があり、それを行動に移すということが重視されているので、ブランドが世界を呼び出すときの音になったらいいなという思いで採用しました。多重録音で、ひとつの声で空間が編まれていくことと、1本の糸が編まれて立体的な衣服になることの親和性も意識しています。CFCLはほとんどがコンピューター・プログラミング・ニットの技術(すごく簡単に言うと3Dプリンターのニット版)を用いて作られているのですが、最初にその編み図(プログラム)を見せてもらったときに、楽譜に似た何かを強く感じて、自分がやっていることがブランドと併走しているような感覚で制作に取り組めました。

 

 また、今回はDolby Atmosでの制作です。そのままインストールできなかったとしてもコンバートしやすく、先方も知っている形式のアドバンテージは大きいと思いました。

 

 録音は奥田さんが外現場で作業する際にスタジオを間借りしました。マイクや機材などの選定とセッティングをしていただいた後は孤独との戦いです。多重録音の数が増えてきてから、楽譜ではなくMIDIのピアノロールを見ている方が録音効率が良いことに気付きました。私はMIDIが扱いやすいABLETON Liveでデモ音源を作ってAVID Pro Toolsでレコーディングするので、その2つのDAWのどちらかのピアノロールを印刷して持ち込んでいます。楽譜だと音の長短が発音のタイミングにしか表現されていないのですが、ピアノロールだとタイムラインのどこでどれくらいの音が重なるかがパッと分かるので、ここのシーンはあと何音重なるのでこういう発声にしようとか、一音一音録る段階で重なりを意識できることが重要です。これに気付く前は闇雲に録り始めて、後から気になるところを差し替えるように録音し直していたので、時間のロスが大きかったなと振り返ってみて思います。また、ピアノロールではベロシティ=強弱が濃淡で可視化できて分かりやすいのですが、デモの音色によっては音高ごとに音量や強弱が均一に聴こえないことがあり、ボリュームについては補足情報程度で参考にするのが安全だと思います。

 

 ちなみにピアノロール譜(と勝手に命名)は同時に同じ音高の重なりが少ないものに限られます。例えば「Lenna」のような大編成の曲では、一つの音が伸びているときに同じ音高が短音で重なったりするので楽譜の方が良いです。どちらの譜面でも、全体を俯瞰(ふかん)しながら録音できるものでなければ多重録音は後でまとまりが無くなってしまいます。

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録音時のセットアップ。右手側に筆者のAPPLE MacBook Pro(AVID Pro Toolsを使用)、左手側にスクリーンショットしたピアノロール画面を印刷した“楽譜”を置いている

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studio MSRで「- · - ·  · · - ·  - · - ·  · - · ·」を録音中の筆者。マイクはMICROTECH GEFFEL UM 900。収録やミックス、チェックの模様は下のムービーで

 

イマーシブ作品のスピーカー・モニタリングは
ファクト・チェックと感覚の拡張

 今回も3Dオーディオ・システム・エンジニアとして久保二朗さんに入っていただき、奥田さんがHPLモニタリングできる環境でミックスを終えた後、RITTOR BASEのシステムで再生してイマーシブの感触を確かめています。

 

 冒頭に書いたように、制作環境は手軽になり、バイノーラルでもモニタリングできる。けれどもそれを実際のスピーカー・レイアウトで聴くところに大きな壁がある。そうなると、イマーシブ・フォーマット・ファクト・チェックみたいなことをしたがる人が出てくるのではないかと思っています。そのまま書き出せばイマーシブ音源としてそのフォーマットで販売できてしまうゆえ、実際に確認されていない音源も出回るはず……。

 

 「Lenna」のミキシング・エンジニアである蓮尾美沙希さんもAES(国際音響学会)の発表の際に話していましたが、イマーシブ作品の制作の第一歩として、実際にスピーカーがきちんとある環境と制作環境が異なる場合、その違いをしっかりと把握することが重要であると実感しました。バイノーラル制作環境を否定しているわけでは全くありません(私もそれでやっていきます!)。バイノーラル環境と、実際のスピーカー環境の両方の特徴を把握しない限り、イマーシブ音響制作をする人の感覚を拡張できないということが、便利なシステムの裏に隠された壁ではないでしょうか。私も乗り越えます。

 

 魂込めた今回の音源、気に入っています。ステレオ版とバイノーラル(HPL)版の2種類を配信しているのでぜひ試聴環境に合わせて聴いてみてください。

 

Mix:奥田泰次(studio MSR)

3D Audio System:久保二朗(ACOUSTIC FIELD)

Photography:川島崇志

Production:8%

Special Thanks:RITTOR BASE

 

細井美裕

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【Profile】1993年愛知県生まれ。慶應義塾大学卒業。大学在学中からボイス・プレイヤーとして数々の楽曲やサウンド・インスタレーションに参加。2019年、サウンド・インスタレーション作品「Lenna」とこの楽曲を含むアルバム『Orb』をリリース。同年、細井美裕+石若駿+YCAMコンサート・ピース「Sound Mine」を発表。メディア・アート作品の制作やオーディオ&ビジュアル・プロデュースも多数手掛けている

miyuhosoi.com

 

Lenna (HPL22 ver.) [feat. Chikara Uemizutaru & Misaki Hasuo]

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  • エレクトロニック
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  • provided courtesy of iTunes

 

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