橋の外側から木の上へ
国立公園内で100mのケーブル敷設
ついに作品完成です。設営一番の難所は、ケーブルを地上ではなく林の木を伝って配線していくところでした。環境を壊さないことが絶対条件である国立公園敷地内での展示では、普段当たり前のように置いていたケーブルや機材庫も再考しなければなりません。
配電盤のある位置から林の中にある展示場所までは直線距離で100m強。通常の展示であれば電源をスピーカー近くまで引いて、そこに再生機やオーディオ・インターフェースを仕込むことが多いと思いますが、今回は大きく2つの懸念点をクリアする必要があり、エンジニアの田鹿充さんやキュレーターの林曉甫さん協力のもと下記の調整を進めました。
1つ目は、機材庫をどこに設置するか。これについては、
- 台風や大雨で氾濫する可能性がゼロではない川のすぐ近くであること
- スタッフが常駐しないインスタレーションのため、機材庫近くの動線の管理が難しいこと(近付けないように杭を打ったりすることは環境保全上できない)
……などの理由で、鑑賞者の動線から外れた配電盤のすぐ近くに機材庫を設置し、そこからオーディオ・ケーブルで展示場所まで引っ張ることにしました。
2つ目は、展示場所にあるスピーカーまでどうケーブルを持っていくか。実は機材庫から展示場所までに小さな川をまたがねばならず、まずはその川にかかる小さな橋の外側(歩行者が触れない場所)に沿わせていきます。橋の先には東屋があり、その屋根の高さを利用してケーブルを地面から頭上に持ち上げ、そこからは木を伝ってまさに送電線のようにしてスピーカーまで持っていきました。
さらっと“送電線のように”と書いたのですが、ここで登場するのが通常の設営では出会えない“山師”の方です。普段から天川村の木々のメインテナンスをされている高所作業のプロフェッショナル。まず地上で配線経路を確認してから、実際に取り付ける木に登っていただき、太い幹から生えている枝の上でまず1つ目のインシュロックに遊びを持たせて1周(ずり落ちぬよう枝をストッパーに)。それに2つ目のインシュロックを小さな輪っかになるよう取り付けます。そしてその輪っかにケーブルを通していくのです。木を傷付けず、見た目にも美しく整えていただきました。
閉じることができない聴覚を考慮した
作品の音と刻々と変わる自然音とのバランス
そしていよいよスピーカーの調整。最初、地上から4m辺りの場所に設置してみたところ、音源である川が地面の高さより3mほど低い位置にあることもあり、理想ではスピーカーから鳴る音と川の音をモーフィングさせたように聴かせたいところが作品の音と川の音が分離してしまったので、シンプルに1mほど位置を下げて解決。鳴らす音については機材庫のマシンで調整をするエンジニアとトランシーバーを使って微調整を繰り返し、田鹿さんとひたすらに結界を行ったり来たりして詰めていきました。
最後に時間をかけたのが音量です。作品の一部である本当の川の音とそれを取り巻く木々の音は、直近の雨量や風の強さによって毎日変化します。実際に設営で滞在していた数日の間でも雨量によって自然の音に変化があり、相対的な音量バランスを固定することは現実的ではありません。次に判断するポイントとして挙げられたのは、川の音が大きいときに合わせるか、小さいときに合わせるか、でした。結論としては後者を選択しました。理由は単純で、そもそも今回の展示は私がスピーカーから鳴らしている音ではなく、目の前を流れる川の音に気付いたり、より鮮明に聴こえるような体験を作ることが目的であったので、川の音が大きければ川の音に気付くはず……。作品の音が聴こえづらく、この作品はどんな音を鳴らしているのか耳を澄ませるという行為自体を生む装置として設置できれば、主張の強い音は不要、と考えました。
作品の音が全く聴こえなくなることは余程の悪天候でない限り起こらないのですが、例えば私が下見で訪れた日に見た、透き通る水に日が差して虹が溶けたような繊細な川……それを凌駕してしまうような音を鑑賞者に浴びせてしまうことはどうしても避けたかったのです。嫌なものを見たくないときに目を閉じることはできるけれど、耳は閉じることができない。目は見るものを選べるけれど、耳は選べない。なんともネガティブな思考ですが、巡り巡って誰かの気付きになったらいいな……。
気付きの深さ、みたいなことを最近考えていて、作品を一つ展示したときのすべての鑑賞者の気付きの総量=気付きの深さ×気付いた人の数、とするとき、私はいつも気付きの深さをできるだけ深くしたい傾向にあると思いました。その結果、初見で分かりにくかったり、マニアックだと言われたりしてしまいがちです。でも、気付きをどこまでも深くしていいのが作品と呼ばれるものなんじゃないか?という、自己防衛と紙一重の持論をここに記しておこうと思います。そうでもしないと攻めていられないです。
“既に有るもの”と作品を溶け合わせられる
屋外展示作品ならではのダイナミクス
こうして現場で十分に設営にもコンセプトと向き合うことにも時間もかけられた作品は、機材トラブルも無く、無事展示が終了しました。初めての屋外展示では、作品のダイナミクスを無限に広げられるという発見がありました。そもそも電源が無い、壁も床も無い……何も無い土地に、どういう資源を使ってどういう“見えない空間”を作るかから考えさせられる。美術館のホワイト・キューブの展示では幾ら引き算しても物理的にはホワイト・キューブでしかなく、マイナスになることは無いとしたとき、屋外展示の場合はゼロを通り越すと既に有るものが見えてくるかもしれない。引き算でも、その効果によっては結果、労力やお金と時間がかかった作品を置くよりも膨大な何かをプラスに転じさせることになるのでは!? 無限の解像度を持つ環境にうまく溶け込むことでその作品がどこまでも続いているような空間が作れるのでは!?……幼魚を川に放つときの、小さなバケツに入った水と川の水がつながった瞬間、その水の境目が分からないような、そんな作品を作れたらいいなと、思ったのでした。
来月はうって変わって、初めてのDolby Atmosに挑戦の巻です。ではまた〜!
Erode(2020), Miyu Hosoi
Sound Engineer:Mitsuru Tajika
Assistant Engineer:Ryo Kozuki(artical), Toru Koda
Hardware Design:Takahiro Nagao(NEW DOMAIN), Kohei Kawashima(NEW DOMAIN), Keizan Saito(NEW DOMAIN)
System Support:Tatsuya Motoki, Asuna Ito
Equipment Cooperation:artical
Special Thanks:Akio Hayashi, Takahiro Kaji, Hideki Masutani, Minako Yoshino
細井美裕
【Profile】1993年愛知県生まれ。慶應義塾大学卒業。大学在学中からボイス・プレイヤーとして数々の楽曲やサウンド・インスタレーションに参加。2019年、サウンド・インスタレーション作品「Lenna」とこの楽曲を含むアルバム『Orb』をリリース。同年、細井美裕+石若駿+YCAMコンサート・ピース「Sound Mine」を発表。メディア・アート作品の制作やオーディオ&ビジュアル・プロデュースも多数手掛けている