モニター・スピーカー増強計画 〜【第16回】DIYで造るイマーシブ・スタジオ 古賀健一

 前回のコラムの最後に、Apple Musicの空間オーディオ・ミックスをするために、“大幅なスピーカー・システムの見直しを決断せざるを得なくなった”と書きました。今回はその考えに至った過程と、これからのプランを書きます。

ヘッドフォンでのバイノーラル再生を意識してLFEに頼らない低域作りを目指す

 スタジオを作って10カ月ほど、限界を感じたタイミングは意外と早かったです。それは、先日配信となったAdo「踊」の空間オーディオ・ミックスをしていたときに決定的になりました。打ち込みメインのEDM調の曲で、シンセ・ベースやキックが何層に重なって分厚いサウンドを構成しています。

 

 今の僕のメイン・スピーカーはPMC Twotwo.6。スペック上、低域の再生周波数は40Hzですが、−3dBなのか、−6dBなのか、はたまた−10dBなのか、ここからは分かりません。ですので、購入前に代理店であるオタリテックの皆様に独自に計測してもらい、納得した上でTwotwo.6を買いましたが、そのときの詳細なデータがすぐに頭をよぎります。

 

 ましてや、今回は別のエンジニアの方が手掛けたステレオ・ミックスを参考にゼロから作る空間オーディオ・バージョン。ステレオでいうマスタリング的な作業も自分自身が担うので、今の低域の見え方では仕事ができないと思いました。

 

 空間オーディオではヘッドフォンやイアフォンでのリスニングが主です。スピーカーだと、どこかの低域の周波数から再生できなくなり、音が聴こえなくなりますが、ヘッドフォンのようなフルレンジで再生できる装置では、全部の帯域が筒抜けになってしまいます。しかし、スピーカーが低域を再生できていない環境だと、打ち込み主体の曲では低域が物足りなく感じ、LFEにさらに低音を追加してしまいます。なぜならLFEに送ると、とても気持ち良いからです。

 

 この結果、それらのチャンネルが最終的に合成されて再生される空間オーディオのヘッドフォン環境において、低音過多になる傾向が自分自身のミックスでも続いていました。“じゃあ、LFEを使わなければいいじゃん?”と思う方も居るでしょう。実際、Apple Musicの空間オーディオ作品を聴いていると、ほぼLFEを使っていない楽曲も増えてきています。しかし、LFEが全く鳴らない作品はスピーカーで再生したときにどこか寂しさを感じます。

 

 この問題を解決するために、L/C/Rのスピーカーを一回り大きなTwotwo.8に替えるテストをすることにしました。実際、本稿執筆時はL/RをTwotwo.8(デモ機)にしており、格段にミックスしやすいです。Twotwoシリーズは、サイズが違ってもアンプ部分やクロスオーバー周波数が同じなので、乗り換え後の調整や、スピーカーの音のつながりが変わりにくいのも良いところです。

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左(Lch)がこれまでより一回り大きなPMC Twotwo.8。右(Cch)は従来から使っているTwotwo.6C。センター用スピーカーはツィーターもセンター位置に来る使用のため、Twotwo.8Cは特注仕様となる

 海外のスタジオ写真を見たときに、なぜL/C/Rのスピーカー・システムがラージばりにガチなのか、その理由が分かった気がします。

サブウーファーを追加することで低域の実音感が増す

 次のパワーアップ個所はLFE=サブウーファーです。海外のスタジオやPMCが造ったDolby Atmosスタジオを見ていると、サブウーファーが左右に2台ずつ重なって鎮座しています。この写真を見たときの僕の第一声は“格好良い〜!!”、第二声は“やばっ!これいくらだ?”です。

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PMCのWebサイトに掲載されている同社のスタジオ/ショウルーム。上の画像はロンドンのスタジオで、元はピアノ工場だったところを改装したとのこと。VRで全周が見られる。サブウーファーが左右に2台ずつ、スタックされているのを見て、筆者も試してみたくなった

https://pmc-speakers.com/pmc-studios/london

 一体こうしたスピーカー構成を採るのはなぜなのか? パワー分散? 音響軸? 部屋のモードへの対応? そうした疑問が湧きます(どれも理に適っているように思えます)。

 

 音圧が最大になるところを“腹”、音圧がゼロになるところを“節”と呼ぶのですが、節点駆動と言って、部屋のモードの節点に音源(スピーカー)がある場合、そのモードは生じないというスピーカーの設置方法があります。このような理由から、例えば“低音は方向性が無いから、ウーファーの置き場所を選ばない”という言葉を僕はあまり信じていません。

 

 多くの疑問が湧く中、幸い発注していたサブウーファー2台目が日本に届いたので、デモ機と合わせて合計3台(Lch2台、Rch1台)を試してみることに。何事も百聞は一聴にしかずです。

 

 2台にするR側のスピーカーは、1つを3dB下げ、2つで6dB下がればOK。スタジオ造りの最初から一緒に試行錯誤しているオタリテックの兼本吉彬さんと、ワクワクしながら、重い重いTwotwo Sub2を運びます。めっちゃ手が滑るんです、このエンクロージャー。で、大体こういう大変なときに、うちのアシスタントは不在です。もはやネタですけど、100%居ません(笑)。

 

 89dBCでレベル調整が済み、再生したところ、2人でうなりました。これはいい!! 今までは身体に来る振動がメインでしたが、直接耳に届く低音も加味され、明らかに音場がリアルになりました。こんな音の世界が僕のスタジオのサイズであったとは、正直驚きです。しかし低音の存在感が増せば増すほど、ムラも出てきます。100Hz以下に効くSALOGICの定在波パネルを一つ追加し、より良い音場をさらに演出しました。これを置いたときのピンク・ノイズの測定変化に、兼本さんが一番驚いていましたが。

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サブウーファーTwotwo Sub2の2台体制をテスト。1台の出力を3dB下げて試用してみたが、低音の存在感が格段にアップすることが分かった

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100Hz以下の暴れを抑制するSALOGIC製パネル(写真右)を追加設置してみた

 この実験の最中、PMCが新しいスピーカー・システムPMC8&6シリーズを発表しました。Dolby Atmos向けにDOLBYとガッツリ組んでいるようです。DSPも進化し、時代に合わせた目覚ましいパワー・アップを遂げています。

 

 僕の選択肢は2つ。すべてを最新に乗り換えるか、今のシステムをブラッシュアップするかです。

 

 ブラッシュアップに必要なスピーカーは、Twotwo.8 L/R、Twotwo.8 C(特注)、Twotwo Sub2×2。やっとの思いでサブウーファーを2台にしたのに、さらに2台増やせとは鬼です。なので、追加融資の相談も同時に進行させることにしました。正直、個人運営の会社がポンと買える金額ではありません。しかし、あの音を一度聴いてしまったら、これをいろんな人に体感してほしい。さらに現時点でDolby Atmosをやる場合、自分が責任を持ってマスター・ファイルのクオリティ・コントロールをしないといけません。今まではマスタリング・エンジニアの方々や、レーベルにお任せしていればよかったですが、まだその方法が確立していない時期で、自分がしっかりと責任を負う必要があります。そのような状況下で、このアップデートは必要不可欠だと決心しています。

 

 そんな中、最大の課題はTwotwo.8シリーズが新製品との関係で、生産が限定的になることです。なので、現時点でTwotwo.8 Cを作ってもらえない可能性が大いにあります。その場合、この計画は大きく頓挫しますが、現在、オタリテックを通して交渉中です、頑張れ兼本さん!というところで、今回のコラムを終わりにしようと思います。

 

古賀健一

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【Profile】レコーディング・エンジニア。青葉台スタジオに入社後、フリーランスとして独立。2014年Xylomania Studioを設立。これまでにチャットモンチー、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Official髭男dism、ichikoro、D.W.ニコルズなどの作品に携わる。また、商業スタジオやミュージシャンのプライベート・スタジオの音響アドバイスも手掛ける。
Photo:Hiroshi Hatano