世界中でリバイバルを巻き起こしている「真夜中のドア/stay with me」。Spotifyで2,300万回以上再生され、Apple MusicのJポップ・ランキングでは92カ国でトップ10入りを記録した(2021年1月18日時点)。編集部は、松原が所属していた音楽プロダクションの代表であった菊地哲榮氏と、松原のボーカル録音を数多く行った水谷照也氏へのコンタクトに成功。名曲の生まれた瞬間を尋ねた。
Interview:Yuki Nashimoto Photo:Yoichi Kawamura(メイン)
最後までシングルにするか迷っていた曲
1stアルバムの制作に1,000万円かけた
「真夜中のドア/stay with me」
松原みき
RELEASE:1979年11月5日(ポニーキャニオン)
渡辺プロダクションでアイドルを担当していた菊地氏。その後独立して、音楽プロダクションのポケットパークを設立する。最初に所属したのが松原であった。デビュー・シングル「真夜中のドア/stay with me」が発売される経緯を、菊地氏に聞いた。
「デビュー・シングルを「真夜中のドア/stay with me」にするか「Manhattan Wind」(1stアルバム『POCKET PARK』収録曲)にするか、最後の最後まで迷っていました。長い目で見たらジャジーな『Manhattan Wind』の方がゆっくり売れていくというビジョンもあって。当時はアイドル全盛だったので、ポップス色の強い『真夜中のドア/stay with me』になったんです。
制作時の曲名は「Stay with me」だったと菊地氏は言う。
「偶然にも先に堺正章さんの「STAY WITH ME」がリリースされてしまったので、急きょ頭に“真夜中のドア”を入れたんです。だってサビは“stay with me…”って歌っているから(笑)。そういった経緯があって、『真夜中のドア/stay with me』が発売されました。みきは同曲が初めてのレコーディングでしたので、すごくナーバスで緊張していましたね」
そうしてデビューした松原。テレビ番組『夜のヒットスタジオ』にも多数出演し、知名度を獲得していった。松原には社運がかかっていたと菊地氏は話す。
「1stアルバム『POCKET PARK』の制作に1,000万円くらいかけましたからね。オリコン最高13位で20万枚くらい売れていたと思います。レコードが売れた時代でした」
みきちゃんはポリシーをしっかり持っていて
音についてエンジニアと相談することもあった
レコーディングに使われた機材について、松原のボーカル録音を数多く担当していた水谷氏に聞いた。
「レコーディングしていた場所は、一口坂スタジオ。いつも広めの部屋で録音していたと記憶しています。マイクをオフ気味にセッティングして、自然な歌声の響きをキャプチャーするんです。APIのコンソールを使って、NEUMANN U87で収音していました。曲によってはAKG C414を立てて、輪郭をはっきりさせる場合もありましたね。コンプはUREI 1176。リダクション・メーターが少し振れるくらいのセッティングです。みきちゃんは自分のボーカルだけではなく、サウンド全体に対してもこだわっていました。納得するサウンドに仕上がるよう、エンジニアに相談したりするんです。しっかりポリシーがある子でした」
そんな松原の魅力について菊地氏が語る。
「みきはジャズ・シンガーであるお母さんの影響を受けていて、ものすごく耳の良い子だったんです。絶対音感もあった。音程やニュアンスの違いに誰よりも気付きます。勘が良いんですよね。生まれながら持っているものが光っていた。だから彼女には好きに歌ってもらうスタイルで、レコーディングをしていましたね。彼女は本当に音楽が好きで、ビリー・ホリデイの曲をよく口ずさんでいたなあ」
特集「私の礎となった名盤」