世界的に活躍するオランダのDJ/プロデューサーのマーティン・ギャリックス。2013年に発表した「Animals」は、イギリスのチャートで1位をマーク。以降もヒット曲を生み出し続け、アフロジャック、アッシャー、エド・シーラン、デュア・リパ、デヴィッド・ゲッタらとも共作を行う。さらに、平昌オリンピック閉会式でのディスコ・ショウや、英『DJ MAG』トップ100での3年連続1位獲得など、現在24歳のギャリックスの勢いは止まることがない。ここでは、インタビューを通して彼の制作環境に密着。オーナーを務めるレコーディング施設STMPD Recording Studiosの様子も紹介しよう。
Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko Photo:Louis van Baar(※)
FL Studioはキャリアを通じて重要な存在
ボーカルのテイク編集にはPro Toolsを使用
オランダの片隅、屋根裏部屋の一角での活動から今や世界に名を馳せるマーティン・ギャリックス。彼が世界的に知られるようになったのは17歳のころだ。音楽一家で育った彼が最初に触ったのはフラメンコ・ギターだったが、2004年、ギャリックスが8歳のときの出来事が人生を変えた。
「エレクトロニック・ミュージックに初めて触れたのはアテネ・オリンピック開会式でのティエストのショウです。彼の音楽が持つエネルギーに僕は一瞬にしてとらわれました。すぐにIMAGE-LINE FL Studioを入手し、趣味としていろいろやり始めたんです。両親も非常に協力的で、ハーマン・ブロード・アカデミーに通いたいと言ったときも応援してくれました」
ハーマン・ブロード・アカデミーはオランダ中部のユトレヒトにある中等教育機関で、一般教養に加えて、ポピュラー・ミュージックの本格的な教育が受けられ、そこにはスタジオ・プロダクションやライブ・サウンドも含まれる。在学中もFL Studioは彼のスタジオの中核的な存在だったという。
「FL Studioは僕のキャリアを通じて、それに音楽スキルを磨く過程でとても重要な存在です。トライ&エラーを繰り返して多くを学びました。アイディアが浮かんだとき、FL Studioを使えば一瞬で形にできます。本当に便利で楽しい仕事道具ですよ! 絵画に例えると、浮かんだアイディアをキャンバスに描こうとしたとき、時間がかかって絵の具が乾き始めてしまうのは望ましくないですよね。音楽制作でも同じで、アイディアを形にするところに時間をかけ過ぎると最初にあったマジックが失われてしまいます。FL Studioのピアノロールでメロディを形にするのはとても簡単です。僕にとっては楽器と言ってもいい存在ですね。プラグインも良いものがあり、しかも見やすいんです。楽器やボーカルのレコーディングにはAVID Pro Toolsを使います。特にボーカルのテイク編集は気軽にできますね。Pro Toolsでボーカルや楽器を録ってエディットを済ませたら、それをオーディオ・ファイルに書き出してFL Studioにインポートし、ミックスやマスタリングをします。このワークフローが僕にとって一番しっくりくる方法なんです」
また、愛用するソフト音源についてはこう教えてくれた。
「一番お気に入りのソフト・シンセはSPECTRASONICS Omnisphere 2です。サウンドが素晴らしく、パッチの量もすさまじくて飽きません。NATIVE INSTRUMENTS Kontaktは大量のクールなライブラリーの中から、ピアノ、ストリングス、アトモスフィア系のサンプルなどを使います。ストリングスは後から必ず生音に差し替えますけどね。ベースにはSYNAPSE AUDIO The Legendをよく使います。ウォームなアナログのバイブスがたまりません! U-HE Divaも素晴らしいですし、LENNAR DIGITAL Sylenth1は今でもよく使います」
自宅スタジオの各所にタイラインを設置
いつでもレコーディングできる状態に
ギャリックス自身がオーナーを務めるSTMPD Recording Studiosでは、アナログ機材を使うことが増えているという。
「MOOG MinimoogやSEQUENTIAL Prophet Rev2、OB-6などのハードウェア・シンセもあります。アナログ機材には魅了されやすく、このスタジオにも大量に備えていますね。アナログ機材は録音後にサウンドを極端に変えられず、実用性に欠けるかもしれませんが、デジタルでは決して真似できないものがあるのも事実です。MOOGを見てみてください。MOOGをモデルにしたプラグインは大量にあっても、オリジナルに近いものは一つも存在しません。とにかくDAWを離れてハードウェアをいろいろ試すのはとても楽しい作業ですよ」
また、ギャリックスは自宅スタジオもレコーディングに適した環境として整備。今日では、ギャリックスは基本的にそこで作業をしているそうだ。
「今は、ラージ・モニターとしてPMC MB3 XBD-A、ニアフィールド・モニターとしてGENELEC 8351を使っています。GENELECは使い始めて3年ですが、とてもリアルなサウンドですね。そのほか、SONY C-800GとNEVE 1073、TUBE-TECH CL 1Bを使っています。この3つを組み合わせたサウンドは素晴らしく、ポップ・ボーカルの業界標準の一つなのもうなずけますね。世界中どこのスタジオに行っても自宅スタジオと同じ機材を使えるのは大きなアドバンテージです。自宅では、各所にタイラインを設置し、マイクをつないでスタジオに直接レコーディングできるようにしています。さっとギターを手に取り、レコード・ボタンを押し、気ままにジャムする。後でそれを聴き返し、どこでマジックが起こっていたかを探します。グランド・ピアノYAMAHA C6にもマイクを常設し、いつでもレコーディングできる状態にしています。僕のほぼすべての曲は、このようにギターかピアノで作り始めるんです」
ギャリックスは、1人での制作も行うが、ほかのアーティストやソング・ライターとの共同制作も好きだと語る。
「共同作業の利点は、他人から学べることと、他人のアイディアやオプションに自分自身を適合させなければならない状況に身を置けることですね。アーティストとのコラボレーションを考えるとき、まず僕にとって大事なのはその相手と共感し、一緒に作業ができるかどうか。コラボする状況や過程はさまざまです。中には僕のスタジオで数日を過ごすアーティストも居ますし、APPLE FaceTimeなどを使ってリモートで作業をすることもあります。エルダー・ブルックの「Fire」は、リモート作業で完結した好例です。ただ、僕はコラボをする際、物理的に同じ場所に居る方が好きですね。誰かと同じ場所で同じものを作り上げるときに起こるマジカルな瞬間はほかでは得難い特別な経験です」
STMPD Recording Studios
STMPD Recording Studiosは、もともとはデヴィッド・ゲッタなど、数々のアーティストが愛用するFC Walvischというスタジオだった。Studio 3以外をすべて改装し、2020年に施工が完了。ギャリックスのホーム・スタジオ同様、音響設計はPinna Acousticsに依頼したという。機材面は、伝統的なスタジオ・クオリティとモダンなデジタル・ワーク・フローのハイブリッドを狙った機材をそろえ、NEVE GenesysコンソールのインプットとアウトプットがUSBケーブル1本でラップトップに接続可能。コンソールのオートメーションはDAW上でプラグインとして使用できるという。
共用部とオフィスのデザインはギャリックスの自宅のインテリアを手掛けたデザイナーに依頼。「ウォームでくつろげる雰囲気になった」とギャリックスは言う
Studio 4
コンソールはNEVE Genesys G48を設置。モニターは、PMC IB-1S(L/C/R)、Twotwo.6(サラウンド)、YAMAHA NS-10Mを配備している。アウトボード類は、コンソール横にTHERMIONIC CULTURE The Phoenix Mastering PlusやTUBE-TECH CL 1Bが並ぶ。UREI 1178などが収納されたラック上には、MOOG Minimoogの姿も見られる。さらに、45㎡のライブ・ルームが隣接
Studio 2
STMPD Recording Studiosで作業をするマーティン・ギャリックス。このスタジオには、NEVE Genesys Black G32をメインのコンソールとしてセッティングしている。モニターはYAMAHA NS-10M Studio
Studio 1
コンソールはSONY MXP3036を使用し、モニターはGENELEC 8351を採用
Studio 6
モニターはGENELEC 8351。NATIVE INSTRUMENTS Komplete Kontrol S61 MK2を常設するなど、ソングライティングなどの作業に適したスタジオになっているという
Mix Stage
全部で8部屋あるスタジオのうち、1つは映画のミックス・ステージ(ダビング・ステージ)として設計。世界に9つしかないDolby Atmos Premier Studioの認証を得たスタジオとなっている。コンソールは、AVID Pro Tools | S6 M40を導入している
どの曲もすべて違う方法で出来上がった
どんな方法でもインスピレーションを得られる
ギャリックスは彼の作品のうち特に著名な楽曲を幾つか例に挙げて話を続けてくれた。まずは2015年にリリースされたプログレッシブ・ハウスの楽曲「Forbidden Voices」。カナダのバンド、ドラゴネットのマルティナ・ソーバラの声をサンプリングして作ったメロディをフィーチャーした楽曲だ。
「もともとアカペラのメロディがあったのですが、歌詞とメロディが気に入りませんでした。けれど声自体は非常に良く、実際僕は相当そのサウンドが気に入っていたのでそれをFL Studioに取り込んでリバースしてピッチをいじり、さらに細かくスライスしてメロディを作ることにしたんです。その後、アムステルダムからドミニカ共和国に向かう飛行機内で曲を完成させました。最終的には自宅に戻ってスピーカーを使い完成させたんですが、ほとんどの作業は機内で行いました」
カナダのバンド、ドラゴネットの女性ボーカルであるマルティナ・ソーバラの声をサンプリングしてメロディが作られたプログレッシブ・ハウスの楽曲
2019年にリリースされた「Summer Days」は、マックルモアと、フォール・アウト・ボーイのリード・シンガーであるパトリック・スタンプをフィーチャーしたダンス・ポップ・ソング。この曲についてギャリックスはこう語る。
「楽器パートはラフなアイディアがあったので、ブライアン・リーやジャラミー・ダニエルズとセッションして曲を詰めました。そうして出来上がったフレーズが“I got this feeling on a summer day, knew it when I saw her face”なんです。その直後に別曲でベースを録音する機会があり、「Summer Days」にも何か生の要素があるといいんじゃないかと思いました。そして完成したのがこの曲で一番目立つ要素となったベース・ラインです。元から考えていたのではなく、後から自然発生的にできたというのが特に素晴らしいですね」
アメリカのラッパー、マックルモアと、ロック・バンド“フォール・アウト・ボーイ”のシンガー、パトリック・スタンプが参加。ジャンルの枠を超えたコラボ曲
同じく2019年の「No Sleep」は、ビッグなEDMドロップを持つダンス・ポップで、スウェーデンのシンガー・ソングライター、ボンをフィーチャーしたもの。「文字通り寝ることができなかった様子を表した曲」とギャリックスは語る。
「ベルギーのフェス、Tomorrowlandで2人の曲「High on Life」を披露したときに、観客からとても素晴らしい反応が返ってきたんです。ボンも僕もアドレナリンが出まくって、そのままホテルの部屋でこの曲を作り上げました。そのとき感じた興奮やインスピレーションから完成した曲ですね」
スウェーデン出身のシンガー・ソングライター/プロデューサーであるボンとのフェスでの共演をきっかけに制作が進められたダンス・ポップ
2020年のプログレッシブ・ハウスの楽曲「Higher Ground」は、同じくスウェーデンのシンガー・ソングライター、ジョン・マルティンをフィーチャー。この曲は、最初から最後までピアノを使って作られたという。
「ジョンと一緒にメロディと歌詞を作り、全部が完成したらレコーディングし、それを基にプロダクションを練り上げていきました。どの曲もすべて全然違った方法で出来上がったのは素晴らしいですよね。これも音楽制作の楽しさだと思います。曲作りにルールなんてありませんからね。どんな方法でもインスピレーションを得ることはできるんです」
昨年5月にリリースしたプログレッシブ・ハウスの楽曲。スウェーデンのシンガー・ソングライターであるジョン・マルティンがボーカルを務める
ダイナミクスで生楽器の確固とした存在感を出す
楽曲の息遣いを生かすことが重要
曲をリリースできるクオリティに仕上げることは、多くのビート・メイカーにとって難しい作業だろう。自分も例外ではないとギャリックスは語るが、それでも自ら仕上げまで行うことを好むそうだ。
「現時点で僕のリリース作品のうち98%は自分でミックスとマスタリングをしています。過去には外部のミキシング・エンジニアにも依頼しましたが、今では最終段階で本当に詰まってしまったときだけにしています。大体の場合はミックスよりもサウンドが問題のことが多いんですけどね。いわばパズルのようなもので、完成形が頭の中にあれば、後はあるべき場所にしかるべきパーツを当てはめて組み上げていくということなんです」
ミックスの仕上げについて、彼はこう続ける。
「作業の初期段階ではできるだけ素早く全体像を描き上げることがポイントです。それからこの曲で誰をフィーチャーしたいか、どういう方向に持って行きたいかを考えます。それがすべてクリアになり、レーベルからリリースの許可が出てから仕上げに入るので、今は膨大な数の未完成曲が眠っていますよ。これは単に仕上げ作業を正確に行うのに時間がかかるからです。ファイナル・ミックスをFL Studioで行う前にまずはPro Toolsでボーカル・ミックスを行います。使うプラグインはPLUGIN ALLIANCE、UNIVERSAL AUDIO UAD-2、 SONNOX、VALHALLA DSP、SOUNDTOYSの製品が主ですね。XFER RECORDS OTTやCYTOMIC The Glueもお気に入りで、素晴らしいサウンドのコンプです」
ポップスやEDMの世界で音圧競争が標準的なものとなって久しいが、ギャリックスはどう考えているのか。
「最初は、この競争に参加していたことは否定しません。例えば「Poison」では音圧の極致まで、苦痛なほど追い詰めていました。それが当時の世間のサウンドだったんです。エネルギーの塊を感じますし、限界を超えたレベルから来るポンピング効果はすさまじかったです。皆これがビッグでファットなサウンドだと感じていました。けれど音圧競争は終わりに近付いているのを感じます。実際、ダイナミクスというものが存在しない状態でしたから、僕としては歓迎ですね。ダイナミクスは感情を生み出しますから。生楽器が美しいサウンドを生み出し確固とした存在感を出すためにはダイナミクスが不可欠です。個人的には曲の中で十分なダイナミクスが表現されていれば全体的な音量の大小なんて気にしません。昨今のストリーミング・サービスがすべてを同じ音量にすることを強いている以上、よりダイナミクスを追求し、楽曲の息遣いを大事にすることが重要だと思います」
次に皆の前で演奏できるときこそ
本当の自由というもののエネルギーを感じられる
ギャリックスの活動は年々多面的になり、アーティスト、プロデューサー、ビート・メイカー、ソング・ライター、エンジニア、それにレーベルとスタジオのオーナーとしての顔まである。そして彼のメインと言えるDJ活動も活発だ。世界各地のEDMフェスティバルにて主役を務め、その中にはCoachella、Electric Daisy Carnival、Ultra Music Festival、Tomorrowland、Creamfieldsなどのビッグ・イベントが見て取れる。しかし、新型コロナの世界的なパンデミックに伴い、こうした活動は3月以降止まってしまっている。
「新型コロナが僕の生活を完全に変えたのは事実です。一面では良いこともあり、例えば数年振りに本当の休日を持つことができました。最後に完全なオフがあったのはブレイク前の15歳のときだと思います。それに家族や友人と過ごす非常に貴重な時間も増えました。一方で当然悪い影響もあります。多くのメジャーな音楽系の会社が従業員を解雇しないといけない状況になっているのは本当に悪夢ですよ。どれだけの会社が持ちこたえられるかも分かりません。2021年はまた皆の前で演奏できることを切に願っています。そのときこそが本当の自由というもののエネルギーを皆が感じられるときになり、誰もが忘れることのできない瞬間になるでしょう」
世界中の人が皆その瞬間を待ち望んでいる。ギャリックスにとっては2013年に経験したブレイクスルーのときと同じ衝撃となることであろう。