ダフト・パンク『ランダム・アクセス・メモリーズ』制作秘話【後編】〜エフェクトの大半をNEVE 88Rコンソールとアウトボードで行った

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レコーディングを支えた2人の敏腕エンジニア
ミック・グゾウスキー&ピーター・フランコが語る制作秘話【後編】

『ランダム・アクセス・メモリーズ』でダフト・パンクの2人は1970~80年代のレコーディング・アプローチへの回帰を試みた。一流セッション・ミュージシャンとのコラボレーションやアナログ機材が充実した大型スタジオの使用など、金と苦労をいとわない昔ながらのやり方を貫いたのである(事実、今回かかった費用は100万ドル以上だったらしい)。そうした一大レコーディングを支えたのが、大御所エンジニアのミック・グゾウスキー(上写真)と、ダフト・パンクのパーソナル・エンジニアであるピーター・フランコだ(本文内)。ダフト・パンクは具体的にどのような方法で本作を完成させたのか……2人の証言を元にその部分を明らかにする。(本記事は2013年7月号記事を再掲載したものです)

Text:Paul Tingen Translation:Peter Kato Photo:Ellen Guzauski

 

ダフト・パンク『ランダム・アクセス・メモリーズ』制作秘話【前編】はこちら

 

1970年代のドラムのようにできるだけデッドなサウンドで録る

 コンウェイのスタジオCには、MAD LABSが改造を施したNEVE 88Rコンソールと、12本の1081と12本のカスタマイズ・モジュールから成る合計24本のNEVE製リモート・マイクプリが備えられている。レコーディング・セッション自体は主としてバイブとグルーブ重視のアプローチが採られたが、マイク・セッティングに関してはシビアで、並々ならぬ時間を割いたらしい。

 

 「あらかじめ彼らの欲しいサウンドに沿ったマイキングを施した」とグゾウスキーが説明する。

 

 「多くの場合は、正しいマイク/マイク・ポジション/マイクプリを選択することによってその目的は達成できた。そしてレコーディング時のEQ使用は最低限に抑えた。ミックスについても同様のことが言える。EQくさい不自然なサウンドにしたくなかったからだ。できるだけナチュラルなサウンドを目指し、EQは仕上げに軽く使うという昔ながらのアプローチを大切にした。機材一つ一つの選択によるサウンドの違いは微妙なものだったかもしれないが、丁寧な選択を重ねることによって全体として大きな違いが生まれた。例を挙げるなら、APIのマイクプリはサウンドの心地良さとパンチに特徴があり、とりわけキックやスネアに使用すると最高の音が録れる。一方、NEVEのマイクプリは空気感のあるサウンドと相性が良く、オーバーヘッドやタムなどに使用すると良い。このように求めるサウンドに合う機材を入念に選んでいったんだ。また、連中はルーム・サウンドをできるだけデッドにしたいと要望してきた。1970年代のデッドなドラム・サウンドを意識していたからだ。まあ今回は多少のルーム・サウンドが入ってしまったが、それが逆にサウンドを輝かせることになって良かったと思う。単なる昔のサウンドの再現ではなく、多少なりとも現代的な要素が加わったからね」

 

 続いてグゾウスキーはドラム録りに使ったマイクについて教えてくれた。

 

 「ドラムに使用したマイクは、キックにAKG D112、SONY C-500、NEUMANN U47 FET、サブスピーカーを使用した。キックに複数のマイクをセットしたのは大迫力サウンドを狙うためではなく、そうした方がサウンドをより細かくコントロールすることができると考えたからだ。1つのキック・サウンドをEQで極端に調整するより、複数のマイクで拾った音をミックスした方が思い通りのサウンドに仕上げやすいんだ。具体的に言えば、D112は心地良くソリッドな低域とパンチーな中域が得られる。一方、高域の音像が鮮明で低域が比較的タイトなC-500だとビーターの打音がうまく拾え、またU47 FETならアタックを抑えた豊かな低域が得られ、サブスピーカーはさらに低域が欲しいときに重宝する。このようにマイクの特性を把握しておけば、“キックのアタックを強調したいときはC-500のサウンドを大きくすればいい”といった具合に、EQを使わずとも音色を自在にコントロールできる。もっともマイクを多用したのはキックだけで、スネアに関しては表にSHURE SM57と裏にAKG C451をセットしただけだし、タムは数本のSENNHEISER MD421、オーバーヘッドはSCHOEPS CMC5-Uをペアでセットしたくらいだ。そのほか、ベースはNEVE 1081とTELETRONIX LA-2A経由でライン録りし、キーボードも基本的にDIを通して録った。例外はNEUMANN U87をセットしたRHODESと、ハンマーにDPAマイク&ピアノ線に向けてNEUMANN U67をそれぞれセットしたピアノくらいだ。ちなみにこのピアノ・サウンドは、U67で録ったサウンドをセンター、DPAで録ったサウンドをL/Rへパンニングした」

 

 ミュージシャンたちの演奏は、先に触れたようにアナログ・テープとPro Toolsを使って収録された。フランコが説明する。

 

 「演奏はテープとPro Toolsで録り、テープ上のトラックは後にPro Toolsへ移した。サンプリング・レートは96kHzだったね。このアプローチは、新たな素材をレコーディングするたびに繰り返した。リズム・セクションであれオーケストラであれボーカルであれ、新しいパートを加えたときは常にそうしていた。Pro Toolsの素晴らしさは、何と言ってもあのエディット機能に尽きる。そうした意味で、今回のプロジェクトはダン・ラーナーとデヴィッド・チャニングという2人のPro Toolsエンジニアのサポートが大きな助けとなった。とりわけ、膨大な数のトラックを1つのセッションにまとめていくデヴィッドの手腕には舌を巻いた」

 

 レコーディングで使用したテープ・マシンについて、今度はグゾウスキーが教えてくれた。

 

 「使用したのは24trのSTUDER A827で、使ったテープはATR製だ。テープ速度は38cm/sで、ヒス・ノイズを低減するためDOLBY SRをONにした。DOLBY SRは1980年代後半に登場したノイズ・リダクション技術で、高音のトランジェントを抑えるだけでなく、ボトム・エンドを分厚くする効果が得られる。今回のアルバムで欲しかったのも、ちょうどそういったサウンドだったんだ。テープに録ったサウンドはLYNX STUDIO TECHNOLOGY Aurora 16でA/Dした。これはダフト・パンクの2人が気に入っているコンバーターで、とても素晴らしいサウンドが得られるんだ。また、今回のプロジェクトではANTELOPE AUDIOのデジタル・クロックも使用した。テープ・マシンをSMPTEで制御して、Pro Toolsと同期させるためだ」

 

 ADコンバーターに関してフランコが続ける。

 

 「テープのアナログ・サウンドをデジタル変換してPro Toolsに取り込む場合、音質の鍵を握るのは言うまでもなくADコンバーターだ。2008年に録音テストをしたとき、コンバーターにはUNIVERSAL AUDIO 2192を使用していた。これは優秀なコンバーターだったが、サウンドに色が付き過ぎる傾向があった。少なくとも僕らが2010年に入ってから愛用し始めたAurora 16ほど無色透明なコンバーターではなかったね。Aurora 16のサウンドに、僕らはかつてないほど優秀なコンバーターに出会えたと喜んだ。今回、テープ・サウンドをPro Toolsに取り込んだアナログ・バージョンを多用することができたのは、この優秀なコンバーターが登場したおかげでもあるんだ。ファイナル・ミックスの際、僕らのPro ToolsシステムがHD3からHDXへとアップグレードされたように、デジタルは現在進行形で急速に進化し続けているテクノロジーであり、その可能性は計り知れない」

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ヘンソン・スタジオでオーバーダビング中のフランコ(写真左)とグゾウスキー(同右)

テープ録音とデジタル録音からトラックごとに適した方を選ぶ

 その後約1年半にわたり、一行は前述の作業を繰り返しながら制作を進めていった。ミック・グゾウスキーがエンジニアリングを手掛けたミュージシャンたちのセッションは、主としてロサンゼルスにある幾つかのスタジオで行われたが、ニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオで行われたナイル・ロジャースのギター録りなど、ほかの都市で録られたセッションもある。またパリのギャング・レコーディング・スタジオでは、70代に入った大ベテランのポール・ウィリアムスをはじめ、ファレル・ウィリアムス、トッド・エドワーズ、ジュリアン・カサブランカス、パンダ・ベア、ジョルジオ・モロダーらのボーカルが録音され、フロリアン・ラガッタがエンジニアリングを手掛けた。一方、ダフト・パンクの2人がボコーダーを使った“ロボット・ボーカル”のほとんどは、パリにある彼らのプライベート・スタジオで録られたという。

 

 ミュージシャンやシンガーのレコーディングを終えるたびに、ダフト・パンクの2人とピーター・フランコ、ダン・ラーナー、デヴィッド・チャニングらプロジェクト中核メンバーたちは、時間をかけながら録った素材を入念にチェックした。ダフト・パンクがその素材をエディットして曲を本格的に作り上げるのはそれからで、この部分に関しては、サンプルを用いた彼らの初期作の制作方法とほぼ同じだった。

 

 「2人は時間をかけて素材をチェックしながら自分たちの狙い通りのものへとエディットし、少しずつ丁寧に曲を構築していた」とグゾウスキーが振り返る。

 

 「1つのレコーディング・セッションから次のセッションまでに時間が空いたのは、2人がその間にそうした作業をしていたためだ。アルバムの制作期間が長引いたのも同じ理由による。コンウェイでのセッションが終わると、私はキャピトル・スタジオでオーケストラ・レコーディングを手掛け、それから一度ニューヨークに帰り、また数カ月後にロサンゼルスに行ってヘンソンでポール・ジャクソンJr.のギターとグレッグ・リーズのスティール・ギターを録り、さらにクリス・キャスウェルのキーボードを追加で録音した。オーケストラのレコーディングはキャピトルのスタジオAを使い、25人編成のストリングス・セクションをデッカ・ツリーでセットした3本のNEUMANN M50とスポット・マイクで録音した。エレキギターの録音に関しては、キャビネットの前にSHURE SM57、ROYER LABS R-121、NEUMANN U87の3本をセットして、気に入ったものを選ぶという方法を採った。ルーム・マイクとしてU67も使ったね。ギターはライン録りしたものもあって、アンプかラインかの選択は曲によって決めていた。一方、アコギはCMC5-Uで収めたサウンドをNEVE 1083に通し、スティール・ギターはU87で拾ったサウンドを1073→UREI 1176で処理してそれぞれ録った」

 

 当然ながらこれらもアナログ・テープとPro Toolsで録られ、テープ上のトラックはデジタル変換されてPro Toolsへと移された。ダフト・パンクの2人が録ったシンセ・パートと合わせるとトラック数はかなりのものとなったが、曲が完成に近づくにつれて素材の取捨選択は進み、最終的にはデジタル・バージョン/アナログ・バージョンのどちらかのトラックが完全に削除されて、セッション自体はスリム化した。グゾウスキーが説明する。

 

 「テープに録ったサウンドをPro Toolsに取り込んだアナログ・バージョンと、Pro Toolsにダイレクトに録ったデジタル・バージョンはほぼ同一トラックと呼んでも差し支えなかったが、サウンドに微妙な違いがあったのも事実だ。音質的にはストレートにデジタル録音したサウンドの方がやや硬質で歯切れが良く、トランジェントの耳当りも良かった。しかし曲の素材としては、より自然な感じのする、緩いアナログ・サウンドの方が好ましいケースが少なからずあった。いずれにせよ、プロジェクト全体を通して好きな方を使える選択肢が残されていたことが、ダフト・パンクの2人にとっては大切なことだった」

 

 さらにフランコが続ける。

 

 「アナログ・バージョンとデジタル・バージョンのどちらがどのように使われたかは、調べてみなければ正確なことは何も言えない。両者の選択をする際はブラインド・テストを行ったこともあり、そうした場合はセッションのトラック名が変更されることがあった。だからアナログ・バージョンを使用していたとしても、ファイナル・セッションのトラック名に“アナログ”という単語が付かないものが結構あった。サウンドの耳当りが抜群に良いことから、テープ・サウンドをPro Toolsに取り込んだアナログ・バージョンをかなり使用したことは確かだ。デジタル・バージョンはパンチーなサウンドが欲しいときに使ったね」

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レコーディング中ながらリラックスした雰囲気のグゾウスキー(中央)とフランコ(左)。右奥に見えるのが本作にキーボード/オーケストレーション担当として参加したクリス・キャスウェル

エフェクトの大半はアウトボード。NEVE 88Rで1曲ずつ仕上げる

 ミック・グゾウスキーのもとにダフト・パンクから“すべてのレコーディングが終了した”との連絡が入り、グゾウスキーがミックスのためにロサンゼルスへと出向いたのは2012年夏のことだった。ミックス作業はコンウェイのスタジオCで2カ月かけて行われた。

 

 「2人はエディットを済ませたPro Toolsセッションを携えてやってきた。余分なトラックを削除し、残ったトラックもきちんと整理整頓した、とてもオーガナイズされたセッションだった。最初の手順として、私は72ch入力のNEVE 88Rコンソールにすべてのサウンドを立ち上げた。もちろんトラック数が72本以上に及ぶPro Toolsセッションもあったので、そうしたものについてはサブミックスをPro Tools内で作った。次に曲全体にざっと耳を傾け、各トラックをチェックした。その後、基本的なバランスを整える作業へと入った……その曲のメイン・パートが何かを判断した上でベース→ドラム→キーボード、あるいはベース→ドラム→ギターといった順番で各トラックのバランスを大まかに決めていった。私の場合、個々のトラックの細かい調整に時間をかけることはあまりしない。ミックスは基本を守るべき地道な作業であり、高い創造性の求められる類の仕事ではないと私は考えている。各パートのバランスを整えるのがミックス本来の目的で、サウンドを明るくしたりラウドにする作業ではないはずだ。ミックスを手掛けていると、2人が定期的に顔を出してはコメントやリクエストをくれた。彼らは別の部屋に自分たちのPro Toolsシステムをセットアップしていて、私がミックスを進めている間もエディットをして、曲に変更を加えることがあった」

 

 「ミックスにはかなりの時間を費やさなければならなかった」とグゾウスキーは続ける。

 

 「たくさんの細かな要素が方々にちりばめられていたからだ。基本的なセットアップをし、曲に耳を傾け、バランスを調整し、隣の部屋でダフト・パンクの連中がエディットを施していれば、それを反映させながら結果を修正するといった、実に悠長な作業だった。だが、私たちに焦りは無かった。何せ夏いっぱいの猶予があったんだからね! 気長に構え、じっくり取り組んだ。ちなみに今回のミックスでは、1つの曲を仕上げてから次の曲に取り掛かるという流れが基本だった。もちろんNEVE 88Rはオートメーションに対応していたが、アナログのアウトボードを多用していたため完ぺきなリコールができず、ほかの曲のミックスに途中で移るとセッティングの再現に手間がかかるからだ」

 

 グゾウスキーによるとミックスで使ったエフェクトはほとんどがアウトボードだったそうだが、唯一プラグインとしてUNIVERSAL AUDIO UADのPrecision De-Esserも用いたという。その理由をグゾウスキーが語る。

 

 「歯擦音を狙い通りの正確さで処理してくれるから、これだけは手放せなかった! しかしPrecision De-Esserを除けば、ほかの処理はすべてコンソールのEQやコンプレッサーとアウトボードで行った。キックとスネアに関してはパラレル・コンプレッションを用いた。使用したコンプレッサーはLA-2Aもしくは1176だった。また、ドラム全体にもAPI 2500や、場合によってはCHANDLER LIMITED TG12413 Zener Limiterでパラレル・コンプレッションを施した。アウトボード以外では、コンソール内蔵のEQとコンプレッサーもよく使ったね。リバーブは主にEMT 140を使った。ベースに関してはほとんど処理しなかった。ミックスの中に埋もれてしまわないよう、コンソールのEQで中域を多少持ち上げたくらいだ。それと稀なケースだが、わずかながらコンプレッションする必要に迫られたときはLA-2A/1176/コンソール付属のコンプのいずれかで対処した。ギターもミックスではさほど手を加えていない。ナイル・ロジャースのギターも、5kHzをコンソールのEQで持ち上げるくらいの処理しかしていないんだ。キーボードとシンセについても同様のことが言えるね」

 

 参加アーティストのボーカルやダフト・パンク2人によるボコーダー・サウンドの処理についても、「プロセッシングは最小限だった」とグゾウスキーは語る。

 

 「とはいえ、私はボーカルにかなり神経を集中させるタイプで、とりわけ自然なサウンドと歌詞がはっきり聴き取れる仕上がりにはこだわっている。そこでボーカル・サウンドがミックスを突き抜けて前面に出るよう、大抵はトップ・エンドをある程度強調した。さらにLA-2Aでコンプレッションし、また空間処理としてEMT 140とLEXICON PCM42もしくはEVENTIDE H3000を組み合わせて使用することが多かった。さらにダフト・パンクのボコーダー・パートに関して言えば、可能な限り人間っぽくソウルフルなサウンドにしてほしいとリクエストされた。そうするためにはサウンドをやや強くコンプレッションしたり、歌詞をはっきり聴き取れるようにするべくコンソールのEQで細かい操作をすることも必要だった。ちなみにボコーダー・パートに使用したコンプは1176だったね」

 

 録音/ミックス時のモニター環境に関しては、GUZAUSKI-SWIST GS-3Aというパワード・スピーカーを用いたという。グゾウスキーいわく、素晴らしい音がするそうだ。

 

 「これは私とラリー・スウィストで共同開発したスピーカーなんだ。レコーディングに使ったらダフト・パンクの2人がとても気に入り、1組お買い上げいただいたという逸話もある。3ウェイ・システムのスピーカーなんだが、中域/高域のユニットが低域のウーファーから完全に分離した構造になっている点に特徴がある。つまり低域をどんなに大きく鳴らそうが、低周波の振動がボディを介して中域/高域ユニットに直接伝わることが無く、結果としてひずみの抑えられたクリアなサウンドが得られるんだ」

 

 「GS-3Aがこのアルバムで果した役割は大きいよ」とフランコが補足する。

 

 「びっくりするデザインだが、サウンドは途方も無く素晴らしい。これによってモニター環境が大幅に改善され、レコーディングのときもミュージシャンたちが自分の演奏やサウンドをより的確に把握することができるようになった」

 

ミックスがラウドになり始めたらダフト・パンクの2人が制止に入る

 2ミックスのマスターに関しても、Pro Toolsとアナログ・テープの両方に落としたとグゾウスキーは語る。

 

 「テープ・マシンは38cm/sに設定した1台と、76cm/sに設定した2台の合計3台のAMPEX ATR-102だった。38cm/sにセットしたものはカスタム回路が搭載されていて、これにミックス・ダウンしたサウンドはほかより豊かなサチュレーションが得られ、またトランジェントの角が丸まった印象で最も好ましく感じられた。しかしアルバムに収録された曲の大半には、76cm/sにセットしたテープ・マシンのマスターを使用した。まあ正直な話、この3台のテープ・マシンのサウンドに違いはほとんど無かった。しかしオーディオ・マニアでもあるトーマは、その違いがはっきり分かると言っていた」

 

 ちなみにレコーディング~ミックス作業を通して、ダフト・パンクの2人は昨今の音圧戦争に全く興味が無いと話していたらしい。

 

 「サウンドがちょっとでもラウドになり始めると、2人は全体をトーン・ダウンするよう私にリクエストしてきた」とグゾウスキーが言う。

 

 「2人の頭の中には確固たるサウンド・イメージがあり、例えば私がスネアのサウンドを処理し過ぎたり、パンチーにし過ぎたりするたびに私を制止した。2人がアルバムの完成イメージを頭の中で鮮明に描いていたこともあり、彼らの理想に近い仕上がりにするためには、ミックスの試行錯誤を何度も繰り返さなければならなかったが、私もいつのまにか完全に夢中になっていた。ミックス・サウンドが少しでも良くなればと、わざわざ2台の古いEQをマスターにインサートし、次いで色付けのないクリアなサウンドが特徴のAVALON DESIGNのEQ、さらにNEVE 33609で順次処理していくといった具合にね……(笑)」

 

 100万ドル以上の制作費と膨大な時間&労力をかけて完成した『ランダム・アクセス・メモリーズ』。そのファイナル・マスター・テープがダフト・パンクの2人にとって何物にも代えられないほど貴重なものであったことは想像に難くない。その思いを象徴するかのように、マスター・テープをロサンゼルスからポートランドにあるボブ・ラディックのゲートウェイ・マスタリングまで宅配業者を使って送ることに、2人は難色を示していたようだ。その様子を見兼ね、ピーター・フランコはクルー・メンバーのサム・クーパーとともに2人をポートランドまで車で送る申し出をした。ハリウッドのロード・ムービーのような展開である……。フランコがこう振り返る。

 

 「マスターを他人の手に委ねることなく東海岸まで確実に運ぶには、車で移動する以外に手段は無かった。飛行機に乗るのは無理だった……荷物検査の金属探知器などが磁気テープに悪影響を与えたら困るからね。僕自身、今回のプロジェクトはとても前向きで充実していたから、それを最後まで見届けたかったという気持ちもあった。ダフト・パンクと僕らは四六時中スタジオにいたし、参加してくれたミュージシャンやスタッフは誰もが一流のプロであり、人間的にも素晴らしい人たちばかりだった。レコーディング現場は良い意味でアットホームな雰囲気に包まれ、楽しい仲間や面白い先輩たちと過ごすサマー・キャンプのような気分が味わえたんだ。そうした雰囲気が、このアルバムのサウンドにも現れていると思うね」

 

インタビュー前編では、 アナログ・テープの録音テストを繰り返しレコーディングの方向性を定めた2008年の作業を振り返ります。

 

【特集】ダフト・パンク 1993-2021

www.snrec.jp

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