ダフト・パンク『ランダム・アクセス・メモリーズ』制作秘話【前編】〜アナログ・サウンドの真の実力を見極めレコーディングに挑んだ

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レコーディングを支えた2人の敏腕エンジニア
ミック・グゾウスキー&ピーター・フランコが語る制作秘話【前編】

『ランダム・アクセス・メモリーズ』でダフト・パンクの2人は1970~80年代のレコーディング・アプローチへの回帰を試みた。一流セッション・ミュージシャンとのコラボレーションやアナログ機材が充実した大型スタジオの使用など、金と苦労をいとわない昔ながらのやり方を貫いたのである(事実、今回かかった費用は100万ドル以上だったらしい)。そうした一大レコーディングを支えたのが、大御所エンジニアのミック・グゾウスキー(上写真)と、ダフト・パンクのパーソナル・エンジニアであるピーター・フランコだ(本文内)。ダフト・パンクは具体的にどのような方法で本作を完成させたのか……2人の証言を元にその部分を明らかにする。(本記事は2013年7月号記事を再掲載したものです)

Text:Paul Tingen Translation:Peter Kato Photo:Ellen Guzauski

 

レコーディングに先立ってアナログ・テープの録音テストをした

 「今回狙っていたフィールを得るためには、2人が影響を受けた1970~80年代のレコーディング・アプローチを用いるほか無かったんだ」

 

 ダフト・パンクのパーソナル・エンジニア、ピーター・フランコが開口一番こう語る。彼がこのフランス人デュオと初めてした仕事は、2006~07年にかけて行われたライブ・ツアーのエンジニアリングだった。そしてこのときのライブ音源をアルバム化した『ピラミッド大作戦』(2007年)により、フランコはグラミーの最優秀エレクトロニック作品賞を獲得した。

 

 「アナログ機材を使うとサウンドがどこか生き生きし、より魅力的になる。耳で聴いてサウンドの違いがはっきり分からなくても、フィールの違いを感じることができるんだ」とフランコが続ける。

 

 「音楽とはフィールそのものだと思う。2人は昔からデジタル・テクノロジーが音楽にもたらす功罪についてかなりシビアな見方をしていた。2006年のツアーでさえ、できるだけデジタル領域に深入りしないよう気を付けていた……A/DとD/Aの繰り返しによるサウンド劣化をなるべく避けたかったんだ。デジタルとアナログの機材が混在しているライブ現場では、演奏音がスピーカーに到達するまでに幾度となくコンバートを繰り返さなければならない。その度にサウンドが劣化するのが2人は不満だった。それで本作ではデジタルを極力避け、アナログ・サウンドをそのまま生かすよう心掛けた」

 

 そうした理由で、レコーディングに先立ってダフト・パンクの2人はフランコとともにロサンゼルスに赴き、ヘンソン・レコーディング・スタジオのスタジオBで実験をすることにした。2008年のことだった。

 

 「ヘンソンではアナログ・テープを使ったさまざまなテストをした」とフランコが振り返る。

 

 「例えばAVID Pro Toolsに録った素材をいろんなレベルでテープに録音し、それを再びPro Toolsに戻したときの違いを比較したり、テープに録った素材をPro Toolsに移し、Pro Tools→テープ→Pro Toolsと移した素材との違いを比べたりと、サウンドを徹底チェックした。このとき得た結論の一つとして、大抵の場合、テープに録った素材をPro Toolsに移したサウンドが最も好ましいということが分かった。音色を微妙に変えるテープ・コンプレッションが、ほとんどの場合プラスの効果として働いていたからだ。アナログ・サウンドの真の実力を見極めるこうしたテストは、過去のサウンドの再現といった後向きな姿勢ではなく、今日得られる最高のサウンドを追求するポジティブな気持ちで臨んだため、とても刺激的で、ちょっとした冒険気分が味わえた。そしてテープ・サウンドの実力を知るにつれ、今回はアナログ的なアプローチを軸にレコーディングを進めようと考えるようになった。実際、ミュージシャンたちとともに行った最初のレコーディングでは、2人はプラグインの使用を控えた。僕がその考えに全面的に賛成したのは言うまでもない」

 

 録音テストの次のステップとして、ダフト・パンクは彼らが持ってきた曲のアイディアを次々とレコーディングしていったという。フランコが語る。

 

 「サウンドはテープとPro Toolsの両方に同時に録り、テープに録ったアナログ・バージョンは後にPro Toolsに移し、Pro Toolsでダイレクトに録ったデジタル・バージョンと同じセッションに保存した。同一素材でもアナログとデジタルで好きなバージョンを選んで使えるようにしたわけだ。アナログ・テープで録ったサウンドもPro Tools上で自由に使えるようにしたことで、このアルバムがこれまでとはどこか違う、何か特別な作品へと発展する予感を覚えた。僕らは聴くことが純粋に楽しいアルバム、ほかに類を見ない特別なフィールや生き生きとしたサウンドを持った作品を作りたいと思ったんだ。2人はこのセッションにSEQUENTIAL Prophet-5、ROLAND Jupiter-6、Juno-106、YAMAHA CS-80などのビンテージ・シンセを山のように持ち込んできた。ジョルジオ・モロダーをフィーチャーした「ジョルジオ・バイ・モロダー」で使われているシンセ・アルペジオは、あのときのセッションでレコーディングした素材の一つで、MIDIを使ってプログラミングしたアルペジオを複数のシンセで同時に鳴らしながら、何層ものサウンドを重ねることで最高の仕上がりになった。2人はシンセの操作に精通した巨匠といった風格で、常に最高のバイブを作り出していた。この段階はかなりルーズなセッションではあったが、そのとき得たアイディアが曲のテーマとして最後まで残ったり、録った素材が完成形でそのまま使われたりすることも多かった」

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ピーター・フランコ。2006年のライブ・ツアーのエンジニアリングで初めてダフト・パンクと仕事を担当し、そのライブ盤『ピラミッド大作戦』(2007年)でグラミーの最優秀エレクトロニック作品賞を獲得。その後、ダフト・パンクのパーソナル・エンジニアを務めている。写真はAVID Pro Toolsで作業を行っているところ

本作で聴けるシンセ・サウンドは大半がモジュラー・シンセ

 最初のテスト/作曲セッションが終わると、2人はプロジェクトを離れ、2年ほど映画『トロン:レガシー』のサウンドトラック制作に携わった。シンセだけでなく、フル・オーケストラを起用したこのプロジェクトは、生身のミュージシャンと仕事をすることの面白さやメリットを2人に実感させるきっかけを作ったのかもしれない。ダフト・パンクが本作の制作に再び戻ったのは、このサウンドトラックがリリースされた2010年ごろだった。彼らの頭の中では新作の完成イメージが以前にも増して鮮明になっており、1970~80年代のレコーディングで名をはせた一流ミュージシャンたちとのコラボを正式に決定する。

 

 「2人は若手アーティストたちを刺激したかったんだ。再び本物の楽器を手に取りたいという衝動に駆られる、そんな強い刺激をみんなに与えたかった」とフランコが続ける。

 

 「セッションの再開にあたり、2人はまず2008年にレコーディングしたアイディアや素材の一部を録り直したり、新たなアイディアを録って素材を蓄えた。そして次にダン・ラーナーというPro Toolsエンジニアの助けを借り、素材をエディットしていった。このプロセスは、ロサンゼルスのコンウェイ・レコーディング・スタジオで行われる本番セッションに向けて自分たちの心の準備をする期間でもあった。何せ本番は大ベテラン・エンジニアのミック・グゾウスキーや一流セッション・ミュージシャンたちとの仕事になるんだからね。セッションを再開するにあたり、2人はパリのスタジオからモジュラー・シンセを持ち込んできた。業者に依頼して仕上げてもらったカスタム・モデルで、ライン録りのほかにギター・アンプで鳴らして録音するケースもあった。もっとも、モジュラー・シンセを使ったレコーディングのほとんどはパリで行われており、ロサンゼルスで録られたものはほんのわずかだった。このアルバムに占めるモジュラー・シンセの役割は大きく、耳にするシンセ・サウンドの大半はモジュラー・シンセによるものだ。さらに言えば、ドラム・サウンドの多くもモジュラー・シンセで作られた。最も典型的な例としては、「ドゥーイン・イット・ライト」のシンセとドラム・パートがある。モジュラー・シンセの多用は2人が今回強くこだわったアプローチの一つで、LFO、フィルター・エンベロープ、アナログ・ディレイなどを駆使しながらシンセで音色を作るのは、今や忘れられつつある“芸術”だからね」

 

 レコーディングの準備が整うと、彼らはロサンゼルスにあるコンウェイのスタジオCでの一流ミュージシャンたちとの本番セッションに臨んだ。初期の本番セッションに参加したミュージシャンの中には、ベーシストのネイザン・イーストやジェームス・ジナス、ドラマーのオマー・ハキムといった有名ミュージシャンも含まれていた。彼らのレコーディングに関してはミック・グゾウスキーが担当した(グゾウスキーは後日、アルバム全部のミックスも手掛ける)。グゾウスキーは、アース・ウィンド&ファイアー、マイケル・ジャクソン、クインシー・ジョーンズなど、ダフト・パンクの2人が本作のリファレンスとして挙げる作品を手掛けてきたベテラン・エンジニアであり、そのほかにもエリック・クラプトン、バート・バカラック、マライア・キャリーなど有名アーティストの作品にも関与している。ディスコ、ソウル、イージー・リスニングといったスムーズな音楽の質感作りを得意とするその手腕は、ダフト・パンクにとって大きな魅力だった。

 

 「ダフト・パンクの2人は目指すサウンドを頭の中でかなり具体的にイメージしていた」とグゾウスキーが振り返る。

 

 「だから狙いははっきりしていた。アナログ的なビンテージ・フィーリングにあふれながらも、明らかに現代のものと分かるモダンなサウンドが欲しいと、そう要望してきたんだ。プラグインを使用しないこと、さらにはアナログとデジタルの両方で録音したいといったリクエストも口にした。また、2人は所有するシンセをスタジオに持ち込んできた。モジュラー・シンセをはじめ、OBERHEIM OB-8やJuno-106などの古いシンセなどを幾つもね。最初のセッションでは、ミュージシャンたちにさまざまなアイディアで演奏してもらった。そうやって録った素材を後で2人が自由にエディットするためだ。ミュージシャンたちへの2人の指示はとても具体的かつ的確で、大抵は狙い通りの結果を得ていた。その一方でミュージシャンの即興も奨励し、セッションでは実に多くの素材を録った」

 

後編に続く(会員限定)

 

インタビュー後編(会員限定)では、 エフェクトの大半をNEVE 88Rコンソールとアウトボードで行ったというミックス作業の全容に迫ります。

 

【特集】ダフト・パンク 1993-2021

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