今年4月に発売されたデュア・リパの2ndアルバム『フューチャー・ノスタルジア』。収録曲「ドント・スタート・ナウ」は、10カ国以上でチャート1位を獲得し、その他多くの国々でトップ10入りを果たした大ヒット曲である。この曲を手掛けたプロデューサーは、世界でも指折りのポップ・ミュージック・ライターと言われるイアン・カークパトリック氏だ。2017年にリリースされた「ニュー・ルールズ」も同じく彼が手掛け、デュア・リパの代表作となった。今回は、カークパトリック氏へのインタビューを敢行し、世界的ヒット曲の誕生に至ったプロセスを探ってみた。
Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko
アイディアを即座に形にするには
Cubase Proのトラックリスト機能が不可欠
カークパトリック氏の拠点はロサンゼルス近郊のターザーナという町で、自宅の一角をスタジオとして使っている。
「APPLE Mac ProにSTEINBERG Cubase Proをインストールして使っています。インターフェースはUNIVERSAL AUDIO Apollo 16で、モニターはBAREFOOT SOUND MicroMain 27です。サミング・ミキサー兼モニター・コントローラーとしてSHADOW HILLS The Equinoxを使っています。ほかにBAE AUDIO 1084を2台、EMPIRIAL LABS Distressor、THERMIONIC CULTURE Culture Vulture、GML 9500、SHADOW HILLS Mastering Compressorを置いていますね。KEMPERのアンプ・シミュレーターも用意してあります。ギターを弾くときは耳栓を加工したミュートを弦に挟んで使うんですよ」
普段はほぼコンピューターで完結することが多いというカークパトリック氏。彼の制作環境の基盤となっているのはSTEINBERG Cubase Proだ。
「Cubase信者と言ってもいいくらいで、SX3のころから使っていますよ。今では体の一部のようになじんでいます。ほかのDAWに無いような機能もありますし。Slideという機能は非常に便利です。エディットも素早くできますね。サンプルを管理するメディアベイは特筆すべきものだと思います。10年以上、この仕事を続けているとサンプル素材だけで400GBを超える量になっていますが、メディアベイを使えばすぐに欲しい素材が探せるんです。Cubaseの開発陣と会ったこともあって、常に新しく奇抜なことに挑戦する彼らのスタイルはとても良いと思います。十分安定しているソフトだと思いますし、新しく追加される機能は素晴らしいものばかりですよ。使い方さえ知っていれば自由に何でもできる、それこそ無限の可能性をもたらしてくれるんです。アイディアが浮かぶたびに即座に形にできるくらい自由に使いこなせていると思います。そのためにはトラックリスト機能が不可欠ですね。これ無しではもう仕事ができません」
そんなカークパトリック氏だが、必要に応じてほかのソフトも活用しているという。
「最初に使い始めたソフトはSONIC FOUNDRY(編注:現MAGIX)Acidでした。それからPROPELLERHEAD Reasonに移行して、今も使っています。ABLETON Liveも時折使いますね。ReasonやLiveは、付属のシンセのサウンドやエフェクト類が気に入っているので使っています。特にLiveのSamplerは面白いですね。最初からサウンドのイメージがしっかりしているときはLiveで作業を始めることもあります。けれど最終的にはCubaseにすべてインポートして、ミックス・エンジニアに渡すステムを作るんです」
それ以外にも、カークパトリック氏は制作において多種多様なソフトや機材を使用しているという。
「NATIVE INSTRUMENTS Reaktorも使います。同社のRazorはベース・サウンドを作る際のファースト・チョイスですね。Kontaktはサンプルをコントロールする上で比類ない自由度があります。ROLAND Roland CloudのJuno-106やJupiter-8、それにARTURIAの各製品、NATIVE INSTRUMENTS Massive、XLN AUDIO Addictive Drums、Addictive Keys、SPECTRASONICS Omnisphereなど多くのソフト音源を使います」
プロデューサーやソングライターには作曲をアーティストやほかのプロデューサーに投げて任せるタイプと、自分自身がかかわりながら実践的に曲を仕上げて行くタイプの人間がいる。カークパトリック氏は紛れもなく後者のタイプだ。
「LAのほかのプロデューサーと違うDAWを使っていることが理由かもしれませんし、単にコントロールをしたいだけかもしれません。いずれにしても曲作りのすべての面にかかわっていたいですし、ミックス・エンジニアに手渡されるその瞬間まで見守っていたいと思っています。Cubaseでのエディットやチューニング作業も好きですし、自分でそういった作業を完成させるのも好きです。共同プロデューサーの一人ではなく、単独のプロデューサーとして今までの成功作を作り上げたことに誇りを持っています」
Scarbee MM-Baseでメインのベースを入れ
サブベースとTrillianのスラップを追加
カークパトリック氏は自宅スタジオで時には一人で、時にはコライターたちと共に曲作りをしている。「ドント・スタート・ナウ」の制作過程について彼はこう語った。
「何年もやっていると波長が合う作家が出てきますよね。なので僕も同じ人たちと一緒に作業することが多いです。キャロライン・フロイエンとエミリー・ウォーレンはその一員で、「ドント・スタート・ナウ」は彼女たちと作りました。ワイオミングにあるエミリーの自宅で作り始めたのですが、最初は非常に難産で、何をやってもうまくいかなかったんです。いったんあきらめて出かけることにし、最終的にディスコで一晩明かしたのですが、これが多分良かったんでしょうね。僕はあまりピアノが得意ではないので、XFER RECORDS Cthulhuの力も借りつつコードを演奏していると良いアイディアが降ってきて、そこにエミリーとキャロラインがさまざまなパートを足してくれました。後からベース・ラインとドラムを入れたんですが、ベース・ラインはこの曲の中で一番気に入っているパートです。ダフト・パンクや昔のユーロビートを混ぜた感じで、まさにあの晩ディスコで過ごした影響が大きかったと思います」
「ドント・スタート・ナウ」のベースラインは非常にセクシーで、ベーシストが実際に弾いたかのような生々しさがある。
「メインのベースに使ったのはNATIVE INSTRUMENTS Scarbee MM-Bassです。キーボードで弾いてエディットして使いました。そこにサブベースを足して、ドロップ・セクションではSPECTRASONICS Trilianでスラップのサウンドも入れています。サムスラップの音も使いましたね。曲の終わりにはストリングスも入れています。これはKontaktのSession StringsとREFX Nexusの70's風のストリングス・パッチを混ぜたサウンドに生の弦を足したものです」
BASS
物語を伝えるように歌ってもらうことで
サウンドの説得力が増す
「ドント・スタート・ナウ」ではボーカル・プロダクションもカークパトリック氏が手掛けている。
「デュアは僕のスタジオでレコーディングすることが多いですね。そのときには僕が所有しているTELEFUNKEN Ela M251や、時にはSHURE SM7も使います。実際ここで録ったボーカルの多くはSM7を、しかも手持ちで録ったんですよ。もちろん他人が録ったボーカルや編集したボーカルを受け取ることもありますが、そのテイク編集がどれだけ素晴らしかったとしても、全テイクをリクエストしています。常にオプションを手元においておきたいですし、自分で微調整もしたいですからね。ボーカル録りの際、シンガーには“ピッチはあまり気にしないで、それよりもエモーションを出してくれ”と伝えています。歌詞を朗読しているのではなく、実際に物語を伝えるように歌ってもらうことでよりサウンドの説得力も増しますから。歌詞を読み上げているだけだとアーティストとの共感が得られず、よくあるダメなポップスになってしまうんです」
レコーディングを終え、テイクを大まかに選別してエディットを加え、複数のOKテイクを作るのが彼の流儀だそうだ。
「すべてのボーカル・テイクを録り終えたら、そこから使用できる部分を選び、CELEMONY Melodyneでチューニングしました。ANTARES Auto-Tuneも使いますが、Melodyneの方が圧倒的にコントロールが効きますね。まるで神様にでもなったような気分ですよ! ボーカルのテイク編集が一段落したら、もう一度最初からテイク選びをします。最終的にはOKテイクが3つ出来上がりましたね。それぞれのピッチ補正をした後、その中からあらためて最終テイクを選びました。何時間もテイク選びをすると客観性を失いがちですから、最後の最後に直感に従って素早くテイクを決めるために編み出した手法です」
ボーカル・レコーディングの終了後、カークパトリック氏は2週間を費やして楽曲を仕上げにかかった。これにはファイナル・ミックス用にエンジニアのジョッシュ・ガドウィン氏へ送るステム作成と、ラフ・ミックスも含まれている。
「ボーカルを入れた後も幾つかの変更がありました。デュアのボーカルを入れることでより曲への理解が深まったんです。彼女のA&Rからはブリッジが付け足しのように聴こえるという意見をもらったので、ブリッジにはボーカル・チョップを足しました。それと、ドラムのファットさが足りなく感じてしまいました。最初はディスコっぽくなり過ぎないか、古臭くなり過ぎないかを気にしていたのですが、最終的には古さと新しさを完ぺきなバランスでミックスさせることが必要だと思ったんです。ザ・ウィークエンド「キャント・フィール・マイ・フェイス」を聴いたときにドラムがとてもファットで良い感じに思えたので、ドラムも追加することにしました」
PROCESSING FOR VOCAL CHOP
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100tr近い大規模なラフ・ミックス
リバーブはValhalla VintageVerbを多用
カークパトリック氏のラフ・ミックスのセッションはおよそ100trにもなる大規模なものだ。
「例えば、ドロップ前のセクションでは、ここのコードのためだけに別のプロジェクト・ファイルを用意したんです。ピアノとシンセの組み合わせ方をなかなか決められなかったもので。25種類の違うサウンドがあって、それを最終的に4つにまとめ、それを元のプロジェクトに戻して使いました。打ち込みのトラックはオーディオ化することが多く、このセッションではサブキック以外をすべてオーディオに書き出してあります」
PROJECT WINDOW
カークパトリック氏は続いて、ラフ・ミックスで使うプラグイン・エフェクトを紹介してくれた。
「UNIVERSAL AUDIO UAD-2のLA-3Aや、OEKSOUND Sootheがあります。Sootheはディエッサーとして使うことが多いです。XFER RECORDS OTTも大好きなコンプレッサーです。ヘビーにかけても薄くかけても効果的で、ブライトにしたいときや、ミッドレンジが変に曇っているときに使います。リバーブはVALHALLA DSP Valhalla VintageVerbを多用しています。これより良いリバーブなんてあるんですかね? 同社のValhalla Shimmerもすごく良くて、面白い使い方ができるんです。例えばリバーブをオーディオに書き出して、それをタイム・ストレッチするとかね。VALHALLA DSP以外にはWAVES Abbey Road Collectionも良いですね。Reasonに付属するオールドチックなリバーブも大好きです」
リスナーの注意を引くためにはリバーブやディレイが消えるポイントに常に気を配ることが欠かせないという。
「エンジニアが加えるリバーブには特に神経質になります。曲のダイナミクスに影響を与える要素には幾つかあって、ボリュームや明るさ、それからステレオ・フィールドも非常に重要です。サビで爆発的にワイドにしたり、特定の部分でドラムをモノラルにしたり左右に広げたりすることで曲をダイナミックに彩ることができます。またリバーブのテールをカットすることで極端なコントラストを付けたりもします。スペースを作り出した上で、あえてそれを破壊することもできるんですから」
サミング・ミキサーとしてThe Equinoxを使っているカークパトリック氏は、このスタジオでファイナル・ミックスを仕上げることも視野に入れていると話す。
「ミキシングについてはずっと学んでいて、昔からオンラインの記事や『Sound On Sound』誌を読んで勉強しています。このスタジオにある機材はどれも役に立っていると感じていて、時にはマスタリング・コンプレッサーを使ってレベルを整えたりもするんです。THERMONIC CULTURE Culture Vultureも時折使いますね。あるいはTEENAGE ENGINEERING OP-1を通してひずみを足す、なんてこともするんです。けれどほとんどの処理はDAWで行っています。ひずみを足すのは特に気に入っている手法で、Culture Vultureを入手する前はFABFILTER SaturnやIZOTOPE Trashをよく使っていました」
最後にカークパトリック氏は、エンジニアに送るデータの形式についてこう言及してくれた。
「ドライ・データは欲しいと言われたときだけ送ります。LAではエンジニアがミックスにCubase Proを使っていないということが、実は利点でもあるんです。ミックスに回すデータをすべて自分でコントロールできますからね。エンジニアの方がうまくできると思えることは委ねますし、自分の方がうまくできると思った部分ではなるべく自分がコントロールするようにします。前述したように、リバーブは特に気にしますし、音楽的な観点からは、汚さとクリーンさの完ぺきな組み合わせこそがフレッシュなサウンドを生み出せると思っているので、この点に関しても常にコントロールするように気を付けています。何かを完成させるのは歯がゆいことも多いですが、それでもすべてをしかるべきサウンドにするためにとても集中しているんです」
LEAD VOCAL
『フューチャー・ノスタルジア』
デュア・リパ
ワーナーミュージック・ジャパン:WPCR-18328
1.フューチャー・ノスタルジア
2.ドント・スタート・ナウ
3.クール
4.フィジカル
5.レヴィテイティング
6.プリティー・プリーズ
7.ハルシネイト
8.ラヴ・アゲイン
9.ブレイク・マイ・ハート
10.グット・イン・ベッド
11.ボーイズ・ウィル・ビー・ボーイズ
12.ドント・スタート・ナウ (ライブ・イン・LA・リミックス)*
13.ドント・スタート・ナウ (パープル・ディスコ・マシーン・リミックス)*
14.フィジカル (レオ・ゼロ・ディスコ・リミックス)*
*=日本盤ボーナス・トラック
Musicians:デュア・リパ(vo)
Producer:イアン・カークパトリック、Koz、スチュアート・プライス、他
Engineer:イアン・カークパトリック、ダニエル・モイラー、マット・スネル、他
Studio:ゼンセブン、グリーン・オーク、TaP、他