80KIDZが紐解くダフト・パンク ヒストリー 〜フレンチ・デュオが作り上げた電子のダンス楼閣の軌跡

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今年2月にYouTubeへ投稿した動画「Epilogue」をもって解散したダフト・パンク。仏パリのクラブ・シーンから1993年に登場し、数々の名曲を生み出した後、2014年にはグラミーを受賞するなどスターダムにのし上がった2人組だ。アンダーグラウンドなダンス・ミュージックをポップ・フィールドへ解放した実績は、多くのミュージシャンからも支持されるところであり、後世に受け継がれるだろう。その一端を担えればと思い企画したのが本特集だ。ダフト・パンクから影響を受けたというアーティストたちに、その軌跡を振り返ってもらったので、じっくりと読み進めていただきたい。

Photo by Dan Burn-Forti/Contour by Getty Images

ダフト・パンクが動くタイミングで音楽シーンのトレンドも変化しているように感じます

 こんにちは、80KIDZのALI&JUNです。惜しくも2月22日にフレンチ・エレクトロ界のレジェンド、ダフト・パンクが解散を発表しました。彼らのサウンドに影響を受けて育った80KIDZは、その数日前に約5年ぶりのアルバム『ANGLE』をリリースしたばかりで、“まさか!”と驚きを隠せなかったことを覚えています。ここでは1993年の結成から約28年間にわたってシーンの最前線で活躍したダフト・パンクの軌跡を、ディスコグラフィー中心に振り返ってみたいと思います!(以下、赤字はALI&青字はJUN

 

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【80KIDZ Profile】ALI&とJUNから成る2007年結成のエレクトロ・ユニット=80KIDZ。さまざまな国内外アーティストとの共演や、リミックスを手掛ける。今年2月にはアルバム『ANGLE』をリリースした。

 Release 

『ANGLE』80KIDZ(PARK)

1995年リリースの「ダ・ファンク」は“フレンチ・エレクトロの原型”という感じ

JUN 1990年、まだ学生だったトーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストは、音楽的趣味が合うということで仲良くなり、その後クラスメイトだったローラン・ブランコウィッツと一緒に“ダーリン”というロック・バンドを始めます。

 

 ダーリンは幾つか楽曲をリリースするのですが、ある音楽雑誌から“a daft punky thrash”と酷評されてしまいます。しかし彼らはこのフレーズをとても気に入ったため、バンド名を“daft punk”と名付けたのは有名な話です。

 

 このあとローランが脱退したのを機に、彼らは1993年に自分たちの音楽性をロックからハウス/エレクトロ路線へと方向転換します。以上が、“ダフト・パンク”が生まれるまでの大まかな流れ。ちなみに脱退したローランは、後々4人組ロック・バンド、フェニックスのギタリストとして活躍するという人生を歩みます。これもまた興味深いですね。

 

ALI& 1994年、ダフト・パンクはアップテンポな1stシングル「The New Wave」でデビューします。トラックにはリズム・マシンのROLAND TR-808やTR-909が使われ、これぞ“テクノ”という曲。音もひずんでおり、1990年代っぽい質感がします。まだこの時点ではフレンチ・ハウス/フィルター・ハウスという感じではなく、どちらかというとシカゴ・ハウスのような雰囲気。当時は“ドラムだけ生音でほかは電子楽器”という構成が割と主流でもあった中、ダフト・パンクは“生ドラムの代わりにリズム・マシンを使っても格好良い曲ができるよ”と証明しようとしていたように思います

 

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「The New Wave」ダフト・パンク(UMM)

 

 翌年1995年には名曲「ダ・ファンク」をリリース。“フレンチ・エレクトロの原型”という感じで、今聴いても格好良く、シンプルなビートとうねりのあるシンセROLAND TB-303の組み合わせは“すごい”の一言です。

 

 ちなみにこの曲のMVは、ビースティ・ボーイズなど1990年代に数多くのアーティストを手掛けた、アカデミー受賞歴もある映像監督=スパイク・ジョーンズが撮っているというのも、ちょっとしたトピックです。

“フィルター・ハウス”というサウンドを世界的に知らしめたヒット・ソング

JUN そして1997年1月、満を持して1stアルバム 『ホームワーク』を発売します。このアルバムからシングル・カットされた「アラウンド・ザ・ワールド」は、ディスコ調かつファンキーなトラックに乗るボコーダー・サウンドが特徴的。やはり何回もリピートされる声ネタが、多くのリスナーの耳に残ったのではないでしょうか。

 

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『ホームワーク』ダフト・パンク(ワーナーミュージック・ジャパン)

 

 『ホームワーク』全体としては、歌モノのトラックは少なく、ループを中心としたシンプルな展開の曲が多い印象。しかし一つ一つのサウンドには荒々しさがあるため、このアルバムは彼らの初期衝動で作っている感じがします。そして収録曲の「ダ・ファンク」と「アラウンド・ザ・ワールド」は、ヨーロッパだけでなくアメリカでも大ヒット。ここからダフト・パンクは一躍世界的に有名になっていくのです。

 

ALI& ちなみに『ホームワーク』が発売された1997年は、レディオヘッドの代表作『OK コンピューター』が出たタイミング。個人的にはここでUKロック・シーンが一度ピークを迎え、ロック主流だったポップス・シーンにエレクトロ的なサウンドが入り始めた印象です。音楽シーン全体的にも、当時はダークなサウンドが主流だった時代でしたが、そんなときに登場した『ホームワーク』はフレンチ・タッチの軽やかなテクノで、ひときわ注目を浴びる一枚だったのかもしれません

 

 なお「アラウンド・ザ・ワールド」のMVは、ビョークやレディオヘッド、ケミカル・ブラザーズなどの作品を手掛けるミシェル・ゴンドリーが監督。2000年前後の時期は、若い映像作家と気鋭ミュージシャンがタッグを組んで“面白いMVを作ろう”というムーブメントもあった時代で、その波にもダフト・パンクはうまく乗っていたのでしょう。

 

 1stアルバム『ホームワーク』から2ndアルバム『ディスカバリー』までは、約4年の月日が空きます。その間はトーマがROULÉ、ギ=マニュエルがCrydamoureというレーベルを運営し、個々に活動していました

 

 1998年にはROULÉから、トーマ本人も所属する3人組ユニット=スターダストが「Music Sounds Better With You」をリリース。この曲は“Music Sounds Better With You”という声ネタやカッティング・ギター、シンプルなビートが抜き差しされながら展開していく4つ打ちのトラックで、“フィルター・ハウス”というサウンドを世界的に知らしめたヒット・ソングとなります。これがきっかけでスターダストはレコード会社からものすごい金額の契約条件を提示されるのですが、トーマはそれを断ったそうです。

ダフト・パンク・サウンドらしさの一つとも言える“ダッキング”という手法

JUN その後トーマとギ=マニュエルは、再びダフト・パンクとして2000年11月に「ワン・モア・タイム」、2001年3月に2ndアルバム『ディスカバリー』を発表。「ワン・モア・タイム」では、MVのアニメーションを日本人漫画家の松本零士氏が手掛けて話題にもなります。

 

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『ディスカバリー』ダフト・パンク(ワーナーミュージック・ジャパン)

 

 『ホームワーク』と『ディスカバリー』を聴き比べたときに感じたのは、前者の方がよりプリミティブなクラブ・ミュージックとして成立するということ。しかし、一般的なポップスとして聴きやすいのは後者の方でしょう。ある程度クラブ・ミュージックになじみがあるリスナーにとっては、『ホームワーク』の方がじわじわと楽しめるのかもしれません。

 

 そのほかのサウンド面で変わったことと言えば、『ディスカバリー』においてボコーダー・サウンドをより自分たちのアイデンティティとして確立させた印象があります。  ダフト・パンクのサウンドで特筆すべきなのは、コンプレッサーのサイド・チェイン機能を使った“ダッキング”と呼ばれる手法。彼らはキックをトリガーにしたサイド・チェイン・コンプをベースや上モノによく使用しており、これはダフト・パンク・サウンドらしさの一つとも言えます。

 

 彼らがダッキングに使っていたコンプとして有名なのがALESIS 3630。比較的安価な機材ですが、恐らく実験的にいろいろと試行錯誤していく中で、偶然彼らのサウンドにダッキングが取り入れられたのではないでしょうか。分かりやすい曲としては「インドゥ・シルバー・クラヴ」(『ホームワーク』収録)だと思うので、皆さんぜひ聴いてみてください。 

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ダフト・パンクがダッキングに用いたというコンプレッサーのALESIS 3630

ALI& 忘れてはいけないのが、ダフト・パンクがロボット化したこと。2003年5月に公開されたアニメーション映画『インターステラ5555』は、『ディスカバリー』の全曲をフィーチャーした内容となっていますが、同作のインタビュー動画でダフト・パンクは、“ロボットのような見た目になってしまったのは、1999年9月9日にコンピューターのバグで機材が爆発し、その事故に巻き込まれてしまったためだ”と話しています。

ダフト・パンクのパフォーマンスはDJたちにも大きな影響を与えた

JUN 3rdアルバム『HUMAN AFTER ALL~原点回帰』が出たのは、2005年3月。実は2001〜2005年辺りにかけて、ダフト・パンクに影響を受けたアーティストがたくさん登場しており、シーンとしてはフレンチ・ハウスから派生したフレンチ・エレクトロが盛り上がっていた時代でした。そんな中での『HUMAN AFTER ALL~原点回帰』の発売は、完ぺきなタイミングだと言えます。

 

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『HUMAN AFTER ALL~原点回帰』ダフト・パンク(ワーナーミュージック・ジャパン)

 

 ダフト・パンクを語るにあたって欠かせないキーワードの一つが“サンプリング”。往年の楽曲から声ネタをサンプリングし、リズム・マシンのビートに乗せる手法は、『ホームワーク』から『ディスカバリー』、そして『HUMAN AFTER ALL~原点回帰』までにおいて、すべて共通していると言えます。ダフト・パンクのサンプリング・ネタを探すのも、実はかなり面白いので、気になった方はやってみるとよいでしょう。

 

 そして、最初で最後となった世界ツアー“ALive”は、2006年4月にアメリカのコーチェラ・フェスティバルからスタート。8月には、SUMMER SONIC '06のヘッド・ライナーとして来日します。僕は8月13日に開催された大阪公演でダフト・パンクのステージを見たのですが、照明とスクリーンの映像、大きなピラミッドの演出、そこに音圧が合わさり、とにかく衝撃的でした。最初の1音目で全身に鳥肌が立ったことを今でも覚えています。

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2006年4月29日にコーチェラ・フェスティバルのステージでパフォーマンスするダフト・パンク
Photo by Karl Walter/Getty Images

ALI& またダフト・パンクのステージは、ライブ・アレンジされた数々の楽曲も素晴らしいです。曲をそのまま流さず、その場限りのアレンジを聴くことができるのは、今では当たり前に感じるかもしれませんが、当時はかなり珍しい方だったと思います

 

 単なるDJプレイをするのではなく、エンターテインメントとしての“ステージ・パフォーマンス”を見せたいという気持ちが大きかったのでしょう。恐らく彼らのチームはとても考えたのだと推測します。結果としてダフト・パンクのパフォーマンスは一般のリスナーだけでなく、世界中のDJたちにも大きな影響を与えたことでしょう。

『ランダム・アクセス・メモリーズ』は“リファレンスの中のリファレンス”

ALI& 2007年11月には、ライブ・アルバム『Alive 2007』をリリースします。この年の大きなトピックとしては、カニエ・ウェストがダフト・パンクの「Harder, Better, Faster, Stronger」(仕事は終わらない)を大胆にサンプリングした楽曲「ストロンガー」(『グラデュエーション』収録)を発売したこと。同曲のMVにはダフト・パンクも出演しています。

 

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「ストロンガー」(『グラデュエーション』に収録)カニエ・ウェスト(ユニバーサル)

 

 ヒップホップ・ファンはダフト・パンクを知らない人もいっぱい居たと思いますが、この曲のおかげで知った人も多かったことでしょう。当時はヒップホップがアメリカのメインストリームでしたので、ダフト・パンクにとっても“後の活動への追い風”となった印象を受けます

 

 約3年後の2010年12月には、ダフト・パンクがサウンド・トラックを担当したSFアクション映画『トロン: レガシー』が公開されます。

 

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『トロン:レガシー オリジナル・サウンドトラック』ダフト・パンク(ユニバーサル)
ⓒDisney

 

JUN これは“嵐の前の静けさ”だったのか、2013年5月には4thアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』を発表。ダフト・パンクのトレード・マークであるボコーダー・サウンドは健在ですが、1970〜80年代のディスコやファンクを再解釈したバンド・サウンド中心の作品となっています。また、ファレル・ウィリアムスが参加したリード曲「ゲット・ラッキー」は世界中のチャートで1位を獲得。もうこの時点で、名実ともにダフト・パンクはレジェンド的な存在となります。

 

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『ランダム・アクセス・メモリーズ』ダフト・パンク(ソニー)

 

 前作まではサンプリングを多用してきた彼らでしたが、今作ではファレル・ウィリアムスやナイル・ロジャース、ディスコの父と呼ばれるジョルジオ・モロダー、ミック・グゾウスキー、ボブ・ラディックなど、参加ミュージシャンやプロデューサー/エンジニアを自由に選んでいる印象。このアルバムで、ダフト・パンクが“やりたいことを全部やる”というような感じに見えます。

 

ALI& とは言え『ランダム・アクセス・メモリーズ』は発売以降、今でも世界中のポップスに強い影響を与え続けています。すべてにおいて完ぺきなチームと環境で制作されたアルバムで、2010年代最高の作品と言っても過言ではありません

 

 実際に2014年の第56回グラミー賞では“最優秀レコード”“最優秀アルバム”など、ノミネートされた5部門すべてにおいて受賞。きっと『ランダム・アクセス・メモリーズ』は、後生のアーティストにとっても“リファレンスの中のリファレンス”として輝き続けるでしょう。 

ステージで派手に動けないDJにとってのライブ・パフォーマンスの基礎を築き上げた

ALI& 2016年にはザ・ウィークエンドの楽曲「スターボーイ」と「アイ・フィール・イット・カミング」(いずれも『スターボーイ』収録)を共作し、アメリカを中心に好成績を収めます。「アイ・フィール・イット・カミング」においては、コード進行がダフト・パンク感満載ですね。

 

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『スターボーイ』ザ・ウィークエンド(ユニバーサル)

 

 そして時代は一気に2021年2月22日へ。冒頭で触れたように、ダフト・パンクのYouTubeチャンネルに動画「Epilogue」がアップされ、彼らの広報担当者が解散を認めました。

 

 「Epilogue」の挿入歌は『ランダム・アクセス・メモリーズ』に収録の「タッチ feat. ポール・ウィリアムズ」ですが、そもそも彼らはシンガー・ソングライター/俳優であるポールの大ファン。彼がサントラを手掛けたロック・ミュージカル映画『ファントム・オブ・パラダイス』がきっかけで、電子音楽に興味を持ったという話もあるくらいです。映画内には、シンセサイザーが登場するシーンもあるのでチェックしてみてください。 

 

JUN ダフト・パンクの結成から解散まで、約28年間をざっと駆け足で振り返ってみましたが、いかがでしたでしょうか? 各アルバムの発売時期を見てみると、いずれもダフト・パンクが動くタイミングで、音楽シーンのトレンドも変化しているように感じます。またダフト・パンクが存在していなかったら、現在のポップスのプロダクションに電子楽器だけでなく、“サンプリング”や“ダッキング”といった手法もあまり取り入れられていなかったかもしれません。

 

ALI& そして、彼らはすべてのDJにとっての“ライブ・パフォーマンスの基礎”を築き上げてくれた、と言っても過言ではないでしょう。派手に動けないDJが、いかに視覚的にも聴覚的にも観客を楽しませるライブをするか、そのお手本を教えてくれたように感じます。そしてそれは、2010年代以降に現れたEDMムーブメントにも影響を与えているのかもしれません。マスク・スタイルのDJは、ダフト・パンク以降スタンダードになったと思います。

 

ALI&JUN 最後に、80KIDZの好きなダフト・パンク曲を一曲ずつご紹介します。ALI&は「ダ・ファンク」、JUNは「アラウンド・ザ・ワールド」で、どちらも『ホームワーク』の収録曲です。皆さんも彼らの作品を聴き返して、お気に入りの一曲を見つけてみてください。ありがとう、ダフト・パンク!

 

 

【特集】ダフト・パンク 1993-2021

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