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ルパート・ニーヴ氏が生い立ちから夢までを語った4時間(2007年取材)

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 プロ・オーディオ界のレジェンド、ルパート・ニーヴ氏が、94年の生涯を閉じた。

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 1960年代、NEVEにて生み出したトランジスター採用のプリアンプ/EQ、コンプレッサー、コンソールの数々は、今なお現役で使われる名機の数々として知られる。その後、FOCUSRITEでのForteコンソール開発、コンサルタントとしてかかわったAMEK 9098などを経て、2005年に自身の名を冠したRUPERT NEVE DESIGNSを設立。以後、現在に至るまで製品開発に携わり、常に良い音の希求を止めることは無かった。

 

 サンレコでは、2007年10月号にて、米テキサス州に設立されて間もないRUPERT NEVE DESIGNSへニーヴ氏を訪ね、自宅書斎で4時間に渡るインタビューを行っていた。ここで語られる当初の製品ラインナップの多くはその後継機に役割を移しているが、氏の生い立ちから製品コンセプト立案まで、氏の人柄をうかがえる内容であった。ここに再掲することで、音楽制作に携わる皆様に、氏の功績をあらためて振り返ってもらいたい。

 

 なお、掲載時の記事では、RUPERT NEVE DESIGNSのオフィスや生産現場もレポートしているので、ご興味を持たれた方はバックナンバー(会員限定)からご覧いただきたい(会員登録はこちらから)。

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『サウンド&レコーディング・マガジン』2007年10月号より

 

イヴリンさんの手料理

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テキサス州ウィンバリーのルパート・ニーヴ氏邸

 ニーヴ氏の自宅は、一面に芝生が敷き詰められた公園のような一角に立つ、壁にオレンジの石があしらわれた可愛らしい建物だ。トーマス氏をはじめRUPERT NEVE DESIGNSのスタッフと共に中へ通されると、奥様であるイヴリンさんの手料理が並んでいた。敬けんなクリスチャンであるニーヴ氏のお祈りとともに始まったランチのメニューは、ベビーリーフのサラダとバルサミコ・ソースのドレッシング、サーモンとクラブの2種類のケーキ(ハンバーグ的なもの)、2種類のパン、デザートにはモモ。いずれもイングリッシュ・スタイルの料理だ。

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ニーヴ氏と妻のイヴリンさん


 この思いがけないもてなしを受けた後はニーヴ氏の書斎へ。いよいよインタビュー開始の時間だ。20畳ほどの部屋には、最初に設立した会社で製作したというアンプ、新旧の音響測定機器、各種パーツ類、完成した製品をチェックするためのスピーカー、ハンダごてなどの各種工具類などが整然と並んでいる。ニーヴ氏の過去と現在に囲まれた空間の中で、まずは80年ほど過去までさかのぼっていただくことにした。

 

アルゼンチンの思い出

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自宅書斎でインタビューに応じるニーヴ氏

 ルパート・ニーヴ氏の生年月日は1926年7月31日、今年(編注:2007年)で81歳を迎えた。イギリス生まれだが、宣教師の両親がアルゼンチンのブエノスアイレスへ派遣されたため、生後3カ月で異国の地を踏むこととなる。第二次世界大戦中、17歳で英国陸軍へ入隊するまでをかの地で過ごしたが、その間、技術者としての才能は既に開花していた。12歳でラジオを自作していたというのだ。


 「昔から、質の高いサウンドには興味がありました。とりわけクラシックなどの音楽において。しかし、戦時中はオーディオ機器をなかなか手に入れられませんでした。それで真空管アンプやラジオなどを自分で作り始めたのです。正式に勉強したわけではありません。また自作した機器をオーディオ・ショップなどに売っていました。発端は、私がショップのオーナーにラジオが幾らくらいなのか尋ねたことに始まります。そのときオーナーは“何とも言えないな。何せモノが全く手に入らないのだからね”と言うんです。それで私が“もし入手できるのなら幾らで買い取ってくれますか?”と聞き返したことから、ちょっとしたビジネスが始まったわけです。ちなみに、私が作っていたのはラジオの回路部分だけです。そのころはラジオグラムというラジオ付きのレコード・プレーヤーがあって、キャビネットやスピーカーなどはショップがほかから調達していました」


 この早熟な技術者、実は昔も今も楽器は演奏しないという。純粋なリスナーとして音楽に親しんできたのだ。当時よく聴いていた音楽について尋ねてみたところ「オペラや交響曲、ピアノ協奏曲などが好きでした」とのこと。


 「そうした音楽は中古のレコードで手に入りやすかったのです。あのころは中古レコード屋に行っては手当たり次第に買って聴いていました」


最初の職はPAとレコーディング

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ニーヴ氏の書斎。広さは20畳ほどで片側の壁に設けられた棚には測定機器などが並び、電子パーツや工具類も用意されている



 第二次世界大戦終了後、ニーヴ氏はイギリスで最初の職に就く。それはPAオペレーターと78回転のラッカー・ディスクへダイレクト・レコーディングするという仕事だった。


 「PAは競技場などの屋外会場でのイベントがメインでした。例えば馬術競技大会。夏には“ジムカーナ”と呼ばれるイベントが盛んに行われていて、会場の実況中継やアナウンスのためにPAが必要だったのです。その際はホーン・ラウド・スピーカーをよく使っていましたが、その音をよりよくするために、アンプへローカットを加えるといった工夫もしていました。またイベントでは音楽もかけましたが、時にはそこで使うブラス・バンドの演奏を録音しました。当然、ダイレクト・レコーディングです」


 その中でも記憶に残る仕事があるとニーヴ氏。


 「イギリス南西部にあるプリマス市で行われた教会再建記念式典は大きな仕事でした。プリマスは空襲で大きな教会などが壊滅的な被害を受けたのですが、戦後に再建が決定されると着工を祝う記念式典が開催されたのです。当時のエリザベス王女が出席して祝辞を述べるなど盛大な起工式で、ホーン・ラウド・スピーカーを何十本もセットし大規模なシステムを組みました。そして式典の翌日、ある男が私たちのオフィスにやってきてこう言ったのです。“人込みが嫌いだから式典を観に行かなかったが、3km離れた自宅からでも王女のスピーチがよく聞こえた。お言葉のすべてを聞くことができたよ”とね。3km以上離れたところまで王女のスピーチを届かせた私たちの仕事をわざわざ褒めに来てくれたのです。もっとも、そんなに遠くまで届くシステムは、PA的には褒められたことではありませんけどね(笑)」


トランスとの出会い


 PAと録音の仕事は、イヴリンさんと出会った20歳くらいまで続けていたという。しかし、ニーヴ氏は結婚を機に新たな仕事に就く。


 「彼女の父に会ったとき、最初に尋ねられたのが“仕事は何をしているのか?”ということでした。そこで“私はPAと録音です”と正直に答えたものの、彼女の父は“演説するのに何で君らに金を払う必要があるんだ?”と最後まで仕事のことを理解してもらえませんでした。確かに収入が良いわけでもなく、「もっとまともな仕事に就いた方がいいんじゃないか?」と説教され、それがきっかけとなって私は、ハイファイ・オーディオ製品メーカーに就職しました。そこで本格的にオーディオ設計を学ぶ機会に恵まれたのです」


 Porticoシリーズをはじめ、オールドNEVE製品においても、そのサウンドの秘密が優れたトランスにあることは有名な話だ。このトランスとの出会いもこの会社にあった。


 「入社してしばらくすると、私はトランスの設計を任されました。会社では補聴器用の超小型トランスから、オーディオ・アンプ向けの4kW級の大型アウトプット・トランスやパワー・トランスまで、多彩なトランスを扱っていたのです」 


 その後、ニーヴ氏はFERGUSON RADIOというトランス専門のメーカーへ転職し、本腰を入れてトランスへ取り組むことになった。


 「この小さな会社で私はチーフ・エンジニアになりました。もっともエンジニアは私一人しかいませんでしたが(笑)。ここではクオリティを上げながら、コストを下げることに主眼を置いたトランス開発を行っていました。例えば、生産ラインの効率向上などです。チェック工程に私が開発した検査機械を導入し、それまでは6人で1日かかっていた検査を1人でこなせるようにしました。しかも製品クオリティに変わりはなく、むしろ向上したと言っていいでしょう。なぜなら人間の手による検査と違い、機械であればすべてのテストを間違いなくより確実に行えるからです」


 優秀な製品を作るには、回路設計だけでなく生産工程における品質管理も重要だ。ニーヴ氏はこの会社でそういった基本理念も培ったことになる。


CQ AUDIOからNEVEへ

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CQ AUDIO時代に製作したアンプ。テープ/マイク/フォノ入力を備えている

 FERGUSON RADIOを経て、1957年、ニーヴ氏は自身初の会社CQ AUDIOを創立する。


 「この会社では小型パワー・アンプや家庭向けテープ・レコーダーなど、さまざまなものを作っていました。しかし、イヴリンと私だけの零細企業でしたから、長くは続かず1960年ごろ倒産してしまいました。その後は設計/開発のコンサルティングも行い、その中には英国空軍向けの通信用マイク開発の仕事などがありましたね」


 しかし、2年ほど後にプロジェクトは終了してコンサルティング契約も切れてしまう。


 「そんなころ、私はプロ・オーディオ市場が急成長していることに気づきました。レコーディング・スタジオも事業としての規模が拡大し、私たちのような技術者が小規模メーカーを立ち上げるには十分になるまで発展していたのです」


 そこでニーヴ氏は再び製品作りを始めた。


 「自宅ガレージを工房に改造して開発に取り組みました。1960年〜1961年くらいのころです。また設計の仕事も2〜3件入ってきました。しかし仕事場はしょせんガレージを改造した小さな空間です。天井が低くて何かを取ろうとするたびに頭をぶつけていました(笑)。そのころ作ったものの一つが、作曲家のデズモンド・レズリーから依頼を受けた4chミキサーです。それが真の第一号機であったかどうかは微妙ですが、最も初期のレコーディング機器であったことは確かです」


 このガレージから出発した小さなメーカー、それが世に言うNEVEである。会社の創立年は1961年、その始まりはごく小規模なものであった。


 「あまりにも狭い作業場だったので、私たちはケンブリッジ市の大きな家へと引っ越しました。事業が軌道に乗ったのは、そこに越してからです。1968年までには従業員を33名も抱える会社にまでに成長し、しばらくするとそこも手狭になり、新しい工場を自宅の近くに建設しました。1973年には500名にまで膨れ上がったのです」


1000シリーズの誕生


 現在でもNEVE製品は世界中で愛用されている。これらはトランジスターを用いた回路が採用されているが、そもそもニーヴ氏は真空管回路を手掛けてきた技術者だった。デズモンド・レズリーのために製作したミキサーをはじめ、初期に製作された製品は真空管タイプだったのだ。しかし、時代の流れはニーヴ氏に決断を迫った。


 「1960年代のトランジスターが使われ始めたころ、私をはじめプロ・オーディオ関係者のほとんどはトランジスターに抵抗を感じていました。高価で信頼性が低く、ノイジーだったからです。しかし不幸なことに当時の評論家の多くはトランジスター・サウンドに大興奮し褒め立てました。そのため大衆の多くはトランジスター・サウンドのクオリティが高いと信じ込んでいたのです」


 そこでニーヴ氏の挑戦が始まった。


 「私は自分の信念と大衆の需要との間のギャップの大きさに悩みました。そして最終的にはそうした苦悩が全く新しい設計、つまりトランジスターを使用しながらサウンド・クオリティを損なうことのないコンセプトを生み出したのです。真空管機器には低ディストーションや低ノイズといった優れた特長がたくさんありました。同時に、当時のプロ・オーディオ機器には例外なくトランスが使われていました。マイクプリであれEQであれ、入出力トランスが必ず搭載されており、そうした点では共通するコンセプトの上に成り立つ製品と言えたのです。私はそうした共通性を踏まえ、真空管機器と同じようなコンセプトでトランジスター機器を作ることを考えました。その結果、とても信頼性の高い優秀な製品が誕生したのです」


 こうして生まれたNEVE製品は世界的な人気を得ることになる。中でも1073に代表される1000シリーズは今でも中古市場で高い人気を誇る。


 「印象に最も強く残っている一番古いモデルは1066です。1000シリーズは1965年〜1966年ごろに発売が開始されたモデル群で、1066の“10”とは……いや、型番の由来を説明するのはとても面倒なので割愛させてください(笑)。いずれにせよ1966年に設計したので“66”としました。1073はその後に作られた製品です。当時の私たちのコンソールは、EQやマイクプリなどのモジュールを組み合わせて構成されていました。クライアントの要望に従ってモジュールを組み合わせてコンソールを構築していたのです。ですから、当時のコンソールはすべてオーダーメイドで、クライアントが指定するスペックによってどのコンソールも微妙に違っており完全に同じものは2つとありませんでした。モジュールも同様で、仕様変更を求めてくるクライアントが少なからずいました。だから一口に1073と言っても、中味が微妙に違うものが数多く存在するはずです」


 つまり、何をもってして“オリジナル”と呼ぶかは難しいのだという。さらには時代的なバリエーションもあるそうだ。


 「当初のモジュールはすべてディスクリート回路を採用していました。IC回路を使用し始めるのは1972年〜73年になってからですが、はっきり申し上げてそのクオリティは褒められたものではありませんでした。1973年といえば私が会社を売却する準備に入っていたころで、新しいオーナーたちがコストを下げようとIC回路へシフトしていたのです。ですから現在市場に出回っている中古NEVEモジュールは玉石混交と言えます」


 いずれにせよ、「モジュール・システムには多くの長所がありました」とニーヴ氏は続ける。


 「サウンド的にはほぼ同じでありながら、クライアントの好みに合わせた構成を自在に作れましたからね。しかし、オーダーメイドが普通の感覚になり、スタンダード・モデルの設定をしなかったのはビジネス的には良くなかったかもしれません。その点、SSLはたくみだったと思います。彼らはスタンダード・モデルを設定し、バリエーションも可能な限り最小限に抑えていました。それに対して私たちは製品ごとにマイナー・チェンジを施しているといった具合だったのです」


トランス神話


 1000シリーズにも、当然トランスが使用されている。そして“オリジナル”議論の議題にもトランスは登場する。例えば “オリジナル機と同じMARINAIRのトランス搭載”といった具合に。だがニーヴ氏は「MARINAIRは、トランス供給メーカーのうちの一つに過ぎない」と語る。


 「MARINAIRは英国空軍に所属していた元軍人が第二次世界大戦後に設立した小さなメーカーで、私とは長年の付き合いのあるところでした。しかし、残念ながら信義上のトラブルがあって取引を中止しました。私の設計したトランスのコピー製品をライバル会社へ供給しようとしたのです。もちろん抗議したのですが、“これは設計の違う全く別の製品だ”などと言い張る始末。法的な措置を講じても時間と費用がかかります。それで、そんな相手とは取引を止めるのが賢明と判断し、別のトランス・メーカーを探したのです」


 その後、新たに取引を開始したST. IVESなどのトランスと比べて、MARINAIRのトランスがことさら優れていたということはないとニーヴ氏。


 「どのメーカーにしろ、私が設計したトランスをそのまま作って納入していたのですから当然です。きちんとしたメーカーなら供給されるトランスに優劣はありませんでした。どこが作ろうが基本的には同じだったのです」


 トランス・メーカーの違いでサウンドに優劣があるというのは「神話に過ぎない」と傍らで話を聞いていたジョシュ・トーマス氏(編注:現RUPERT NEVE DESIGNSジェネラル・マネージャー)も語る。またニーヴ氏は「誰を信じていいのか、何をどう信じていいのか、全く分からないであろうエンド・ユーザーの皆さんを気の毒に思います」と、中古市場の現状を憂慮する一方で、「製品を吟味するときは2つの点に気を付けてほしいと思います」と語る。


 「一つは良い耳を持つことです。サウンドを客観的かつ正確に把握する能力を持つことが大切なのです。もう一つはサウンドを測定する習慣を付けることです。測定手段なしにサウンドを聴いても基準が定まらず、きちんとした評価ができないことがあります。耳の良しあしにかかわらず、自分の判断が揺らぐことにもなるでしょう。ですからリスニング能力と測定装置はサウンドを評価する際に必要な両輪であると言えます」

 

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RUPERT NEVE DESIGNS


 1975年、NEVEは財政上の理由から、とある会社へ売却されることになる。その際、ニーヴ氏は売却先と10年間にわたって競合製品を作らないという契約を結んだ。その後ニーヴ氏が取った道はARN CONSULTANTSとして、音響設計に関する技術コンサルタントを行うというものだった。そして約束の10年が経過した1985年、新会社FOCUSRITEを設立し再びコンソール開発に乗り出す。しかし3年後の1989年には財政的困難に陥り、この会社も明け渡さざるを得なくなってしまった。その後、ニーヴ氏は再びARN CONSULTANTSとしてAMEKとコンサルティング契約を交わした。両者のコラボレーションで生み出されたのが、コンソールの9098およびSystem 9098シリーズのアウトボード群だ。


 このようにニーヴ氏は決して恵まれた環境下で開発を続けてきたわけではないが、その間に生み出した製品はいまだに名機として語り継がれている。FOCUSRITEやAMEKでの活躍については、いずれ紹介する機会もあるだろう。ここは先を急いでRUPERT NEVE DESIGNSへと話を移そう。


 1989年以来、数社のコンサルティングを手掛けていたニーヴ氏は、1994年にウィンバリーへと移住し、その後もコンサルティングを続けていた。しかし、AMEKがHARMANグループへ買収され、事業部門が縮小し始めたことを察知すると、AMEKから離れて新たな仕事を模索し始める。トーマス氏はその当時からニーヴ氏と交流があり、2人はAMEKが完全に弱体化する前に離れて、RUPERT NEVE DESIGNSを立ち上げることにした。その決断には現スタッフであるマイケル・グラス氏やケヴィン・バージン氏、ドレイク・D.ウィリアムズ氏といったニーヴ氏の設計を実際に製品化し、市場へ投入してきたAMEKの仲間がいたことも大きかったという。こうして2005年、RUPERT NEVE DESIGNSが創設された。

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RUPERT NEVE DESIGNSのオフィス前で。後列中央が現ジェネラル・マネージャーのジョシュ・トーマス氏。右端がマイケル・グラス氏でその隣がケヴィン・バージン氏、その左がドレイク・D.ウィリアムズ氏



万能マイクプリを目指した5012


 会社初の製品はPorticoシリーズという名のアウトボード群だ。現在7製品(編注:2007年当時)がラインナップされているが、その最大の特徴はフレキシブルなバス・システムを採用している点にある。ニーヴ氏は「このバス・システムにはミキシング回路が搭載されているので、複数台をデイジー・チェーン接続することが可能です」と説明する。


 「幾つものマイクプリを接続したり、その最後にコンプ/リミッターの5043を接続したりするなどして、小規模ながら強力なミキシング・システムを構築できます。また各製品の入出力にはトランスが設けられていますが、私たちがトランスを作る技術を持っていたことは幸運でした。各モデルの回路に合わせた最適なトランスを設計し、作ることができましたからね」


 では、個々のモデルについて解説していただこう。まずは記念すべきシリーズ最初のモデルである2chマイクプリの5012からだ。


 「製品コンセプトは、既存のどんなマイクとも相性が良く、しかもこれまで作られてきたどんなマイクプリよりも優秀なサウンドを実現することでした。いわば万能タイプです。そのために、さまざまなマイクの特性を研究し直しました。そして低出力型のリボン・マイクから、出力がライン・レベルに達するような超高出力型まで幅広いレンジに対応できる回路を設計したのです。その過程で面白いことにも気づきました。それはマイクは電力を発生させる装置ではなく、電圧を発生させる装置であるということ。言い換えれば、マイクが発生させた電圧にかかる負荷は可能な限り低いことが理想だということです。そこで入力インピーダンスを高く設定した結果、マイクは“楽に呼吸している”ような状態で使えるようになりました。不要な負荷はかからないのです」

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2chマイクプリのPortico 5012


 実際、5012のほかに5032、5016などにも搭載されているこのマイクプリは、リボン・マイクに適しているというユーザーからの評価が多く寄せられているそうだ(編注:現在は5211、5017、5024などに継承)。さらにこのマイクプリにはSILKという特殊な機能も設けられている。


 「SILKはAMEKでの研究を進化させた機能で、デジタル・サウンド特有の粗さを滑らかにします。特に高域をスムーズにする効果があるのです」


 5012の次は、これまでニーヴ氏が手掛けてきたラインナップとは一線を画す製品、アナログ・テープ・レコーダーのエミュレーター5042だ(編注:現在はAPI 500互換モジュール・タイプの542に継承)。

 

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アナログ・テープ・シミュレーターのPortico 5042

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 「テープ・マシンを作っていた経験を生かし、その当時の試行錯誤や培ったノウハウを用いました。実は、当時作成したテープ・マシンの設計図を基にエミュレーター回路を設計したのです。また新たに小さなトランスを設計しました。信号をこのトランスに通すことによってサウンドを変化させるというコンセプトなのですが、これは信号がテープを通ることによって生じる変化のメカニズムと同じであり、テープ・マシンによるサウンド変化と全く同じ効果を得ることができます」


 5042と同時期に発表された5032には、マイクプリのほかに3バンドEQが搭載されている。そしてEQ製品としてはより本格的な5バンド装備の5033もラインナップ。これらEQの特性は「長年の経験を踏まえたもの」とニーヴ氏は語る。

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マイクプリ+EQのPortico 5032

 

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 「例えば、キックなどのローエンドに属する楽器は、ある急こう配のカーブ設定がとても有効であり、3dB/octくらいの緩やかな勾配を持ったEQは高周波数帯域でその効果が好まれます。さらに6dB/octの勾配を持つシェルビングEQは、二次倍音を大幅に強調でき、楽器の音を綿密かつ劇的に変化させることができるでしょう。こうしたさまざまな経験を踏まえてEQの特性を決定しました。周波数帯域も同様で、私やほかの技術者がクライアントの意見も取り入れながら耳でチェックして入念に選んでいるのです」


 マイクプリ、EQとくればやはり気になるのはコンプ/リミッター。オールドNEVE製品では2254Eなどが有名だが、Porticoシリーズには5043というモデルが用意されている(編注:現在はAPI 500モジュール543などに継承)。

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2chコンプレッサーのPortico 5043

 

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 「これは昔のコンプと同じようにFF(フィードフォワード)とFB(フィードバック)いずれのモードにも対応している点が特徴です。前者は現代的なサウンドが得られ、アタックの早いサウンドのステレオ素材などに効果的でしょう。一方、後者はビンテージ・コンプのようなサウンドの立ち上がりがややスローでリッチなサウンドとなっており、ドラムなどに適しています」

 

 さらに、今年になって登場した5016は、マイクプリとDIが一体化したモジュール。DIの位相を調節できることでも話題となった(編注:現在はAPI 500互換モジュールの517に継承)。

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マイクプリとDIを併装したPortico 5016

 

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 「使い方としては、例えばベースをマイクとラインの両方で録るときに重宝するでしょう。マイクはサウンドが最もよく録れるベスト・ポジションにセットされますが、そのマイクで拾ったサウンドの位相がベースからダイレクトに出力されるDI信号の位相と完全に一致することはまれですからね。5016であれば位相を合わせたパンチのあるサウンドを得られると思います」

 

新機軸の空間コントロール・マシン5014

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アナログ・ドメインでステレオ・イメージをコントロールするPortico 5014

 このPorticoシリーズの中で最新モデルとなるのが5014だ(編注:現在はPortico II Master Buss Processorに統合)。これは“ステレオ・フィールド・エディター”と名付けられており、ステレオ・ソースのダイレクト音とアンビエンス音をコントロールできるという。つまり空間の広がり感をコントロールできるエフェクトと言えるだろう。その開発のきっかけを「フラストレーションです!」とニーヴ氏は笑って教えてくれた。

 

 「昔のレコーディング・スタジオやエンジニアの多くはデッドな録音環境を求めていました。それは多数のマイクをセットし、デッドな音を録ってミックスの際にリバーブやエコーをかけるというアプローチを採っていたからです。デッドな音の方がリバーブなどをかけやすいですからね。しかし私はそうしたアプローチで録られた音がどこか不自然に感じられました。特にクラシックやコーラス作品などでね。それはホールそのものの残響やオーディエンスのざわめきという存在すべき音が欠けていたからでしょう」


 そこでニーヴ氏は考えた。「そこに存在する音をすべて録り、そのバランスを整えるというコンセプトで録音すればいいのではないか」と。しかしニーヴ氏はレコーディング・エンジニアではない。そこで、2ミックスであってもアンビエンスをコントロールできるマシンを思いついたわけだ。


 「5014はダイレクト音とアンビエンスの差異を区別して増幅し、左右のチャンネルへとフィードバックできる回路を搭載しています。これによりダイレクト音とアンビエンスを自在にコントロールすることを可能にしたのです」


 トーマス氏によると、5014はどのモデルよりも開発に時間をかけたそう。そして「ルパートは映画『レッドオクトーバーを追え』のDVDでその効果をデモンストレーションしてくれました」と語る。


 「これは潜水艦が主な舞台となっている映画ですが、その艦内の響きをクローゼットの中など、もっと狭い空間にしたり、あるいはもっと大きな空間を連想させるアンビエンスにしてみせました。これを応用すれば、異なる空間で録音されたサウンドに統一感を与えることもできますし、ボーカルやキックなど、センター定位している素材を前後に動かすこともできるのです」

  

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12年間の構想を具現化した5088

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5088(現在はパネル・カラーが変更されている)

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 Porticoシリーズに加え、RUPERT NEVE DESIGNSは今夏、新たな製品の発売を開始した。それが16chのアナログ・コンソール、5088だ。


 「5088のコンセプトは1995年から私とジョシュの頭の中にありました。小型ながら強力なミキシング・システムの構想をね。しかし気付けば、実現までに12年もかかってしまったのです」


 5088の構成はとてもシンプル。各チャンネルには、テープ/ライン/バスという3系統のインプットがあり、1系統のダイレクト・アウト、8系統のAUX、8系統のグループが装備されている。ただしマイクプリは無い。EQもコンプも無い。それらはすべて5088上部にペントハウスと呼ばれるラックを載せ、その中にPorticoシリーズをセットし、バスを使って組み合わせていくという仕様だ。ペントハウスは2段まで重ねられる。また拡張シャーシを用いればチャンネル数を増やすこともできる。つまり製品コンセプトは、5088をスタンダード・モデルとしたモジュール型コンソールなのだ。


 ニーヴ氏が仕事を始めた時代は1台のコンソールですべてをまかなっていた。しかし現在は各種アウトボードが併用されることが一般的だ。そういう意味で5088は非常に現代的な仕様と言えるだろう。その上で5088はコンソールとしての高い基本性能を備えている。例えば、8系統用意されたAUXの1/2、3/4にはSFP(Send Follows Pan)という機能があり、AUXのパンをチャンネルのパンと連動させることが可能。これによってエンジニアはモニター・ミックスを素早く作り上げることができる。さらにAUX5/6のAUX TO GROUPS機能を使えば、AUX MASTERの代わりにGROUP MASTERを指定でき、本来8つしか作れないグループを最大16まで増やすことも可能。そして、5088が最も優れているのは、やはりその音質だとニーヴ氏は語る。


 「5088のノイズ・レベルは、かつて私が設計したノイズ性能の最も優秀なモデルよりもさらに10dB低くなり、ダイナミック・レンジを広げることに成功しました。これにより、人間の可聴域を超える周波数帯域に存在するとされる“微量な信号”までをも損なわないよう、慎重に扱うことができるようになったのです。これは高電圧系の採用、解像度の向上、新型トランスなど、さまざまな工夫を重ねた結果です。過去に培った膨大なノウハウを至るところに注ぎ込みましたからね。ちなみに今回はトランス・メーカーの名は公表しません。妙な憶測を呼ぶ原因になりますから(笑)」


 5088最大のトピックはダイナミック・レンジの広さにあるとのことだが、そのための技術についてニーヴ氏が解説してくれた。


 「現在の技術ならヘッド・ルームにかなりの余裕を持たせることができます。+33dBuくらいまでなら十分に上げられるのです。しかし、レコーディング機器でそこまで対応しているものはないため実用的ではありません。そこでステップダウン・トランスを使ってレベルを下げる方式を採用しました。ですから、見掛け上はPorticoシリーズと同じ+23dBuですが、最初から+23dBuの回路と、10dBuステップ・ダウンして+23dBuにする回路とでは明らかな違いが生じるのです。また5088は多くのモジュールを接続することを前提としていますが、そのためにノイズが増えることはありません。拡張しても本来の性能は損なわれず妥協の必要は一切ないのです。そこにはやはりトランスが大きな役割を果たしています」


 この5088のトランスは当然、新設計だ。そして、実はその材料にも秘密があるという。


 「私たちが“トランスフォーマー・スチール”と呼ぶその材料には実に多種多様なものがありますが、私たちは極めてリニアかつダイレクトなトランス特性が得られる素材を採用しています。ここから先は企業秘密なので詳しく話すつもりはないのですが(笑)。トランス開発に力を注ぎ続けてきた私たちの製品開発の方向性は決して間違っていなかったと信じています」


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生産工場で基板を持つニーヴ氏



 インタビューの終了時間が近づいてきた。最後に、将来の展望について尋ねてみると、「急務は顧客を増やすことです」とニーヴ氏。


 「利益を上げることは、どんなビジネスにおいても大切なことです。そのためには人々が本当に求めている製品を知ることが必要であり、根気強い市場調査を行わなければなりません。それには時間が必要ですが、過去に犯した過ちを繰り返すつもりはありません。ビジネス規模を手っ取り早く大きくしようと会社を他人に売った結果、会社の支配権を失い、自分たちのしたいことができなくなった苦い過去が私にはありますからね。ですから今回はゆっくり時間をかけて会社を育てていこうと思っています。ただ私はもう81歳ですし、あなた方ほど時間が残されていないことは確かです(笑)。ですから、私はあなたがたよりも速いペースで歩まなければなりません(笑)」


 ニーヴ氏は生来の“良いサウンド”ファンだ。全く稚拙な表現だが、ほかに言葉が見当たらない。ブエノスアイレスでクラシックを聴いていた少年時代も、そして今も。


 「私は5.1ch作品を自宅で聴くことがありますが、そのクオリティには正直なところ満足していません。その問題が録音/再生機器のクオリティに由来するのであれば、その正しい役割を見つめ直すことによって、最終的にはハイクオリティなサウンドがより身近になるのではないかと考えています。例えばDSDは素晴らしい理想的なシステムですが、高価であり商業的には成功していません。しかし、そうしたハイクオリティ・システムをもっと開発するようメーカーを説得できれば、音楽はかつてないほど進化するでしょうし、音質に対する人々のこだわりも復活すると思います」


 夕暮れの書斎でニーヴ氏は、最後にこんな話をしてくれた。冗談めかしたストーリーだが、その夢に込められた切実なる思いが伝わってくる。


 「レコーディング・サウンドのスタンダード・クオリティを引き上げる研究にはとても価値があると思います。そうした努力は音楽だけでなく、もっと重大な社会貢献へとつながる可能性もあるのですから。それによって戦争や争いがなくなる可能性だってゼロではないかもしれません。家に押し入ってきた強盗にハイクオリティ・サウンドの音楽を聴かせたら、その強盗が感動のあまり笑顔になったり泣き出したりして、“いい音楽ですね。すみませんでした。もう盗みなんか働きません”などと言いながら帰ったり(笑)。さすがにこれはあり得ないかもしれませんが、私が思い描く夢の一つに、誰もが自宅のオーディオ・システムでハイクオリティ・サウンドを楽しめるようになる時代の到来というのがあるのは確かなのです」

 

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