【追悼】ピーター・ジノヴィエフ氏が語るEMSの歴史(2015年取材)

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6月26日、ピーター・ジノヴィエフ氏の訃報が届いた。エポック・メイキングなシンセを作り出し、電子楽器業界の発展に寄与した偉大なる氏のご冥福をお祈りし、2015年に来日した際のインタビューをここに再掲載する。

 

JAPAN FESTIVAL OF MODULAR 2015のゲスト・スピーカーの一人として招へいされたピーター・ジノヴィエフ氏。ピーター氏と言えばイギリスのシンセ・メーカー、EMSの創始者だ。EMSは1970年ころの創業で、代表作は、非常に個性的なルックスが目をひくVCS 3とSynthi AKSだが、当然中古市場では超がつくほどの高値ぶりである。今回短い時間ではあったが、ピーター氏にEMS時代の話を伺うことができた。多忙の中、オファーに快く応じてくれたピーター氏と招へい元の寛容なる対応にこの場を借りて感謝したい。ということで、最初はEMS創業に至るまでの経緯から話を始めてもらった。

Text:H2 Translation:Kotaro Mitsuno
Photo Courtesy of Peter Zinovieff

 

※本記事はサウンド&レコーディング・マガジン2015年8月号「JAPAN FESTIVAL OF MODULAR 2015 イベント・レポート」より抜粋しています(サンレコWeb会員の方はバックナンバーでお読みいただけます

 

資金不足を解消するために設立されたEMS

 「私はもともと地質学者でした。音楽はアマチュア・ミュージシャンとして活動していたに過ぎませんが、アプローチが当時としてはかなり珍しかったと思います。軍の払い下げ機材を部屋中に並べて電子音楽を制作していたのです。それが段々エスカレートし、ついにはPDP-8というコンピューターを使うようになりました。PDP-8はVCO、VCF、VCAをCVで大まかにコントロールする程度のことしかできませんでしたが、当時そんなことをやっていたのは私だけでしたから、人気の作曲家がスタジオに遊びに来たりしたものです」

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軍の払い下げ機材を並べて電子音楽を制作していた当時のピーター氏の作業部屋。所狭しと機材が積み上げられている

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左側一番上に見えるのがPDP-8のフロント・パネル。中央斜めのパネルは、VCS3の元ネタになったパッチ・ボード

 PDP-8はDECというメーカーが開発したコンピューターで、大型の洗濯機ほどの大きさがある。現在のパソコンのようにディスプレイやキーボードは無く、初期のバージョンでは紙テープに書かれたプログラムを読み込ませて動作させるといった代物。そもそも当時はコンピューターと音楽を結びつけるという発想すら無いに等しいころだが、科学者でもあったピーター氏はコンピューターでどんなことができるかを知っていた。それが発想の転換につながったという。

 

 「でも時代はまだ1960年代半ばだから、当時のコンピューターはプログラム一つ書くにも専門の人を雇わないとならないのです。つまり何をするにもお金が必要で、そういった資金不足を解消するために、シンセサイザーの製造、販売を核とした会社EMSを立ち上げたのです。主要メンバーは私とデビット・コッカレル、そしてトリストラム・キャリーの3人。最初はVCS3でした。私が発案したことが始まりです。アメリカでは既にBUCHLAやMOOGが発表されていたと思いますが、我々はそれらを一切参考にはしませんでした。妙な話ですが、私には“きっと成功するに違いない”という自信があったのです。ということで私が提示したアイディアをデビットが形にしてくれました。デビットは本当に優秀なエンジニアで、賢い人間でもありました。私がクレイジーなアイディアを投げても、ちゃんとその通りのものを作ってくれたのです。彼こそシンセ界のキングだと断言します。今でもね」

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デビット・コッカレルによるEMS初期のシンセVCS3

 デビット氏は後にAKAI PROFESSIONALでS900から始まるサンプラー黄金時代に主要開発員として活躍していたことでも有名だ。キャリー氏はEMS設立時以前から、既に著名な現代音楽家として活躍していた。VCS3の話を続けてもらおう。

 

 「VCS3に搭載されたマトリクス・パッチ・ボードのアイディアは、さっきお話しした軍の払い下げ品時代と関係あるのです。部屋の中に何本もラックが立っていて、それらの入出力が大きなパッチ・ボードに結線されていました。つまりパッチ・ボード上でラック同士の結線、変更が容易に行えたのです。だから私的にはVCS3にパッチ・ボードを採用したことは当然の帰結なのです。VCS3は発売後、すぐに評判になりましたが、“もっと小さいのが欲しい”“簡単に持ち運びできるようにならないか?”と多くのオファーが舞い込み、その声に応えたのがSynthi Aです。ちなみにあのケースは当時市場にあった既成品でした。ラッキーとしか言いようが無いのですが、当時、あの大きさで、分解可能で、角の丸みがちょうど良く、我々が欲しかったとおりのケースがたまたま存在していたのです。実はEMSシンセの大半はそういう既成品の余剰品がたくさん使われています。パッチ・ボード、リバーブ・タンク、ツマミ。みんな余剰品だからものすごく安く入手できました(笑)。おかげであのケースが製造中止になったときはとても焦りましたがね!」

 

ポップス・グループが次々にEMSを使用

 EMS製品というとVCS3とSynthi Aが有名だが、大型のシステム・キッチンのようなSynthi 100というモデルがあったことは知る人ぞ知る話である。1970年代初頭の一時期だけに製造されたSynthi 100もピーター氏による考案だと言う。

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1970年代のピーター氏のスタジオ。左手に見えるのがSynthi 100

 「当時は放送局の顧客が多く、東ヨーロッパのロシアやルーマニア、ブルガリアにユーゴスラビア、さらにドイツやオランダなどからオファーがあり、その内容は“VCS3じゃ小さい。もっと大規模なものを!”というものでした。放送局にあったスタジオは、さまざまな実験的アプローチが行われる録音スタジオとして稼働することが多かったのです。国営ラジオが多いので、予算もふんだんに使えるし、支払いも間違いないということで、安心して開発に従事することができました」

 

 Synthi 100が実際に作られたのは30〜35台程度だそう。小さな工房だったEMSには“巨大過ぎるプロジェクトだった”というのが製造中止に至った理由だ。MOOGのモジュラーだったら人間2人で持ち上げることも可能だが、Synthi 100はクレーン車が無いと移動できないほどの重量があった。ピーター氏が話を続ける。

 

 「Synthi 100の基本仕様はVCS3が3台と3トラックのシーケンサーで、巨大なパッチ・ボードで信号の流れを制御します。追加オプションとして、ボコーダーを内蔵できたり、コンピューターとの連携も可能でした」

 

 時代は1970年代初頭。この時期、ロキシー・ミュージック(ブライアン・イーノ)やザ・フー(ピート・タウンゼント)、タンジェリン・ドリームにジャン・ミッシェル・ジャールなどメジャーな音楽家たちが次々とEMS製品を使うようになる。

 

 「我々3人はもともと電子音楽、それもアバンギャルドなものが大好きだったから、当然そのシーンで使われるであろうことを想定して設計をしました。ところがポップス・グループの連中が次々導入するものだから、少し戸惑いがあったことも事実なのです。なにしろEMSのシンセでソロを弾くことなど想定していませんでしたから……。ところがピンク・フロイドの『狂気』というアルバムに収録されている「On the Run」で使ったシーケンス・フレーズなどを聴くと見事なものだと感心させられました。実際に彼らのステージを観に行ったところ、6台も並んでいたさまは圧巻でしたしね」

 

 ちなみにピンク・フロイドが使用したのはSynthi AKSというモデルだ。Synthi Aと見た目は同じケースだが、蓋の裏側にシーケンサーとタッチ鍵盤が内蔵してある部分をKSキーボードと呼び、合体することでAKSとなる。KSキーボードが無いものは単なるSynthi Aだ。なおシーケンサーはデジタルで、256ステップまでメモリー可能だった。

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ピンク・フロイドが『狂気』の「On the Run」などで使用し名を挙げたSynthi AKS

 さて、こうして我が世の春を満喫していたEMSだが、それから数年後にはあっけなく倒産してしまう。

 

 「会社はとても順調だったのですよ。でも、あるアメリカの会社が“もっと規模を大きくしないか?”と持ちかけて、蓋を開けてみたら瞬く間に経済的なごちゃごちゃが発生し、あれよあれよという間に倒産してしまった。我々は誰ひとり会社を大きくすることに興味は無かったのです。特に私は反対の姿勢を貫いていたのですが……」

 

 そういう話を聞くと、同じく倒産の憂き目にあったMOOGやOBERHEIM、DAVE SMITH INSTRUMENTSが現在現役復帰したように、EMSも何らかのアクションを起こす可能性があるのでは無いかと気になるところだ。

 

 「後年EMSは形だけですが復活し、現在も友人でもあるロビン・ウッドが仕切っています。彼は世界中から送られてくるEMS製品の修理……と言ってもパーツ調達に難儀しているので簡単には直らないのですが、それをしつつ、自分がやりたかったバンド活動などをする、というような暮らしを送っています。私自身はもう少し若く、そしてコッカレルがそばにいたらもう一度、魔法のシンセサイザーを作りたいですね」

 

 最後に、昨年(編注:2014年)リリースされたAPPLE iPad版のエミュレート・アプリ、iVCS3についての所見を述べてもらった。回答はそのままEMSのシンセに注がれた開発者たちの思想だと受け止めることもできる。

 

 「iVCS3は興味深いですね。うまく仕様を再現できているとは思いました。でも、フィルターが奇麗過ぎますし、オシレーターも正確過ぎますよ。ランダム要素が無いんです。私が同じものをデザインするとしたら、非常に高価になりますが、ランダム要素をそこかしこに導入しますね。本物のエンベロープはあんなに真っすぐな線形の動きをしません。どうせ作るのなら、そういう癖まで再現する必要があると思いますね」

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VCS3を再現し話題となったiPad専用アプリiVCS3(2021年現在、iPhoneにも対応)