トーマス・ストレーネンから連なるジャズ表現の多様性とナチュラルなサウンド探求 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.167

THE CHOICE IS YOURS:Text by 原 雅明

 スクエアプッシャーが率いていたショバリーダー・ワンという覆面バンドを覚えているだろうか。ベーシストでもあるスクエアプッシャーは“バンドは窮屈なものだとずっと思ってきた”と長年一人で音作りを続けたが、このバンドの活動には珍しく力を入れた。彼がメンバーとして起用したのは、トロイカ(Troyka)というギター、オルガン、ドラムのトリオだった。ロンドンで活動するジャズを出自とする確かな腕を持つプレイヤーたちで、そこでグルービーなオルガンを弾いていたのが、キット・ダウンズだった。もう10年以上前の話だ。

 ダウンズは、今ではヨーロッパで最も注目されるピアニストの一人であり、パイプオルガン奏者としても知られている。昨年12月に、トーマス・モーガン、眞壁えみとのトリオで来日した際、ピアノの演奏を間近で聴くことができた。終始、柔らかく繊細なタッチをキープし続けていて心地良さを覚えたが、それは尋常なことではなく圧倒もされた。ECMからのデビュー作『Obsidian』は、教会でのパイプオルガンの演奏を録音したアルバムだったが、ドローンのようなサウンドを生み出していたのが印象深かった。

 ダウンズの音楽性はこれに留まらない。エネミー(敵)と名乗るトリオがメインの活動にある。スウェーデン出身でベルリンを拠点とするベーシストのペッター・エルド、ダウンズと共にロンドンの王立音楽院で学んだドラマーのジェームズ・マドレンがメンバーだ。イギリスのジャズレーベルEditionから『Enemy』でデビューし、アコースティックのみでアグレッシブでテクニカルな演奏を展開した。続く『Vermillion』はエネミーではなくダウンズの名義でECMからリリースされたが、一転して落ち着いたアンサンブルと空間を活かした演奏に変化した。そして、最新作の『The Betrayal』は再びエネミーの名義で、フィンランドの気鋭のレーベルWe Jazzからのリリースとなった。ECMらしいリバーブがかかった『Vermillion』とは対照的に、『The Betrayal』はタイトで乾いた音で統一された。重いベースラインと複雑なリズムパターンに透明感のあるピアノという構成が貫かれた。ちなみに録音は、デヴィッド・ボウイがブライアン・イーノと作ったベルリン三部作で有名なハンザ・スタジオで行われた。

 

『The Betrayal』ENEMY(rings / We Jazz)
ペッター・エルド、ピアニストのキット・ダウンズ、ドラマーのジェームズ・マドレンによるピアノトリオ、エネミーの最新作

 

 エネミーの3作はいずれも異なる内容で、同じトリオとは思えない演奏なのだが、それぞれで独自のサウンドを探求して貫いているという点では共通したスタンスがある。それは、ダウンズ個人の活動でも同じだ。『Obsidian』をプロデュースした元ECMのプロデューサーであるサン・チョンのレーベルRed Hookからは、バルカン半島出身の女性5人のボーカル集団PJEVによる伝統的な歌と、微分音チューニングされたアルトサックスとアナログシンセを演奏するヘイデン・チザムとのアルバム『Medna Roso』も昨年リリースとなった。ここでは再びパイプオルガンを演奏し、フォークロアとアンビエントが交わるような世界を生み出した。

 こうした表現の多様性と独自のサウンドの探求は、ペッター・エルドにも共通する。プロデューサーでもある彼が率いるコマ・サクソは、3名のサックス奏者とドラマー、ボーカリストで編成され、サンプリングやポストプロダクションにも焦点が当てられている。また、リズムセクションから音作りを始めるアプローチにこだわり、“Projekt Drums”というプロジェクトも始めた。エリック・ハーランドら一線級のドラマーを招いて、さまざまなアレンジを施している。加えて、この連載※1で取り上げたオランダのプロデューサー、ジェイムスズーとも緊密な関係を築き、その制作やライブに深く関わっている。

※1https://www.snrec.jp/entry/column/tciy146

 

『Post Koma』Koma Saxo(rings / We Jazz)
気鋭のジャズベーシストで作曲家/プロデューサーのペッター・エルド率いるコマ・サクソの最新作

 

 ダウンズやエルドの活動を見ていると、UKジャズや北欧ジャズというくくりには収まらない振れ幅がある。ジャズのフォーマットにのっとっているときも、そうでないときも自由度の高い表現を成し得ている。ジャズに新しい要素を採り入れるとか、ジャンルを横断するといった気負いは感じられない。自然に発展していった表現であり、それを聴くリスナーもジャンルやシーンといったフィルターを外して接することができる。彼らの音楽を聴いているとそう感じるのだが、それは一体どこから生まれたものなのだろうか。

 さまざまな要素が彼らの背景には絡み合っていて、アメリカとは異なるヨーロッパのジャズの独自性もあるが、特に指摘したいのは、2000年代にECMとそのサポートを受けたノルウェーのレーベルRune Grammofonがリリースしてきたサウンドが作った流れだ。フラ・リッポ・リッピのルネ・クリストファーセンが立ち上げ、キム・ヨーソイがアートワークを担当したRune Grammofonは、ポストECMというべき、同時代のポストロックやエレクトロニカとも共鳴する新しいサウンドの受け皿となって精力的なリリースを重ねていった。それは、2000年代以降のECMのラインナップにも影響を及ぼしたのだが、ノルウェーのドラマー、トーマス・ストレーネンはまさにその流れから登場した存在だ。

 ストレーネンがサックス奏者のイアン・バラミーやトランペット奏者のアルヴェ・ヘンリクセンらと結成したフードは、ヘンリクセンも関わったスーパーサイレントと並んで、フリーフォームなエレクトリック・ジャズを演奏した。一方でストレーネンは、スウェーデンを代表するピアニストのボボ・ステンソンをフィーチャーしたリーダー作『Parish』をECMからリリースし、フードとはまったく違う室内楽的な世界を展開し、さらにアコースティックのみのユニット、Time Is A Blind Guideへと発展していった。このユニットのデビュー作『Time Is A Blind Guide』にピアニストとしてフィーチャーされたのが、ダウンズだった。

 

『This Is Not A Miracle』Food(ECM)
トーマス・ストレーネン率いるエレクトロニックプロジェクト、Foodの3作目

 

『Time Is A Blind Guide』Thomas Strønen(ECM)
トーマス・ストレーネン率いるグループ、“Time Is A Blind Guide”のデビューアルバム

 

 ストレーネンの歩みについてはアルバム『Bayou』のライナー代わりの拙稿※2に詳しいが、フードのようなオープンで自由な演奏は、ジャズ/エレクトロニックシーンのどちらからも当時はなかなか評価されにくかったのは事実だ。1990年代までの即興演奏とは異なるミニマリズムやフォームがあり、分かりやすいビートを持たないアブストラクトなサウンドだったからだ。しかしそれゆえに、ダウンズのような志向を持つ次の世代が登場するきっかけを間違いなく作ったと言える。ECMからデビューをしたノルウェー在住のピアニスト、田中鮎美もその一人だ。ダウンズに代わってTime Is A Blind Guideに招かれた彼女のピアノは独自のサウンドを持っていて、アコースティック中心のアンサンブルを重視した演奏にシフトしているユニットに欠かせない存在となっている。そのTime Is A Blind Guideの7年ぶりの来日ツアーがまもなくスタートする※3。東京公演ではECMからリリースのあるドラマー、福盛進也の新ユニットRindohが共演を務める。ストレーネンから広がったサウンドが、日本人にとってより身近なものとして感じ取れるまたとない機会になると思う。

※2https://bluenote-club.com/%E3%80%90newest-ecm-vol-10%E3%80%91thomas-stronen-bayou/

※3)2月6日より福岡、大阪、東京で開催。詳細:https://www.universal-music.co.jp/thomas-stronen/news/2023-12-15/

 

『Lucus』Thomas Strønen, Time Is A Blind Guide(ECM)
Time Is A Blind Guideの2作目。和歌山生まれの日本人女性ピアニスト田中鮎美が参加

 

原 雅明

【Profile】音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサーを務め、LAのネットラジオの日本ブランチdublab.jpの設立に関わり、DJや選曲も手掛ける。早稲田大学非常勤講師。近著Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって

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