ライブ・マジックを作品に宿すべく誕生した レコーディング・ラウンジHighBreedMusic 〜THE CHOICE IS YOURS - VOL.125

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 ニューヨークのブルックリンから、興味深いレコーディング音源のリリースがスタートした。“ 世界初のレコーディング・ラウンジ”と銘打ったHighBreedMusicは、ライブ・パフォーマンスとレコーディングとの間にある溝を埋める、理想的な録音環境の実現を目指している。スタジオでの録音作品を聴くことと、その楽曲をライブ演奏で聴くことには、当然ながら違いがある。演奏するアーティストも、制作にかかわる人々も、常にその違いを考慮してきた。HighBreedMusicを立ち上げたタリーク・カーン氏は、ブルーノートやユニバーサル・ミュージックでプロデューサーやレコーディング・エンジニアを務めてきた。アメリカで活躍する日本のキーボード奏者、BIGYUKIの制作にも携わってきた人物だ。レコーディング・ラウンジのコンセプトについて、氏はこう話す。

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HighBreedMusicを主宰するタリーク・カーン氏とブルックリンのスタジオ。デスク脇にUNIVERSAL AUDIO Apollo16や、BURL AUDIO Mothershipなどをラッキング。モニターはATC SCM45A ProとYAMAHA NS-10M Studioが確認できる。関係するアーティストなどの情報がWebサイトに掲載されている
Photo by Andreas Hofweber 

highbreedmusic.com

 

 「コンセプトを思い付いたきっかけは、キューバのハバナで幾つかのプロデュースを計画していた2006 年のこと。その一つは、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブやチューチョ・バルデスとも共演していた、素晴らしいヨルバ系のソウル・シンガー、ヤネット・バルデスとの制作だった。ショウで彼女が歌っているのを見て、信じられないほど感銘を受けた。霊にとりつかれたような、でもソウルフルな歌声だったんだ。レコーディングのために、当時僕のスタジオがあったモントリオールに彼女を招いた。そこで彼女は素晴らしい曲を作ったけど、スタジオでは全く歌えなかったんだ。程度の差こそあれ、これは多くのアーティストが直面していることだ。感動的なライブを披露しても、スタジオではそれを再現することができない」

 

 このときカーン氏は大胆な行動に出た。スタジオの下の階にはライブができる十分なスペースがあったので、スタジオの床にドリルで穴を開けてケーブルを通した。そして、そのスペースに観客を入れてライブ会場にしたのだ。アンプ類はスタジオの階に置いて音響的に隔離し、オープン・マイクはボーカル用だけの状態にした。マイクから離れた場所にスピーカーを設置して、スピーカー音のマイクへのかぶりを最小限に抑えつつ、STEINBERG Cubaseに取り込んだ音声を観客に向けて流した。こうして素晴らしいライブとレコーディングが成立し、レコーディング・ラウンジのコンセプトも見えたのだという。これがきっかけとなり、ブルックリンにスタジオとライブ会場となる場所を作ることとなった。

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スタジオで行われているライブの様子
Photo by Ivan Brown

 「HighBreedMusicの目標はとてもシンプル。年齢やジャンル、知名度に関係無く、ニューヨークで最も尊敬されているアーティストとその文化をありのままに、魅力的なパフォーマンスを通じて紹介することだ」

 

 HighBreedMusicは、いわゆるレコード・レーベルではない。レコーディング・ラウンジのプラットフォームとなるスタジオであり、音楽コミュニティであり、デジタル音楽のチャンネルでもある。音源の配信はそのアウトプットの一つだ。日本では、高音質配信サイトのe-onkyo musicから、トランペッターのキーヨン・ハロルドのライブ音源が先日配信された。ブルーノートからリーダー作『The Mugician』を発表しているハロルドは、ジャズのみならず、ディアンジェロやマックスウェル、ビヨンセなどのプロデュースやライブにも深くかかわっている。『The Mugician』の楽曲を中心にした3曲がレコーディング・ラウンジで演奏されたが、アルバムとは全く異なった仕上がりであった。例えばアルバムではファロア・モンチのラップをフィーチャーして打ち込みのビート使った「Her BeautyThrough My Eyes」は、ニア・フェルダーのギターやマーカス・ストリックランドのサックスなどバンドのサウンドだけで成り立っていて、圧倒的な音の濃密さに驚かされた。

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キーヨン・ハロルド(右から3人目)のレコーディング・ラウンジでの音源『High Breed Music Presents:Keyon Harrold-Live From Brooklyn NYC』は、e-onkyo musicにて配信中
Photo by Nikki Birch

www.e-onkyo.com

 

 32ビット/96kHzのハイレゾ音源なので、立ち上がってくる音の生々しさやきめの細かさはもちろん感じるのだが、解像度が上がったということよりも、観客を含めた演奏空間の広がりが聴く側にも伝わり、よりダイレクトな聴取体験を共有している感覚を覚えることに新鮮さを感じた。マイクなどのセッティング、演奏者のモニタリング環境、観客からのフィードバックなど、さまざまな要因がそこには作用しているのだろう。

 

 「HighBreedMusicは、まずアーティストが最も快適な環境、観客、素晴らしい照明、そしてショウの興奮(と少しのウイスキー)に身を置き、金銭的なプレッシャーを一切排除して、最もパワフルなパフォーマンスを実現することを目標としている。彼らは自分たちがレコーディングをしていることにさえ気付かない。そして僕は曲を受け取り、典型的なスタジオ・アルバムのレコーディングと同じように音楽的なプロデュースを行う。レコーディング・ラウンジでのレコーディングの違いは、通常のスタジオ・パフォーマンスでは決して達成できない、特定のタイプのマジックを持っているということなんだ」

 

 プロデューサー/エンジニアとしてカーン氏は多忙な日々を送っている。最近では、エリカ・バドゥやディアンジェロも参加する謎のアーティストとして話題のスリングバウム(テリー・スリングバウム)の録音を手掛けた。キーヨンやクエストラヴ、クリス・デイヴから、デーモン・アルバーンやFKAツイッグス、BIGYUKIも録音に参加した。それらはレコーディング・ラウンジとは別の録音だが、こうした仕事に数多くかかわっていく中で、見えてきたことがあるという。

 

 「性別、民族、年齢、音楽的背景を問わず、何百人ものミュージシャンやボーカリストが、ニューヨークの幾つかの異なるシーンで一緒に仕事をしていること、そしてほかの都市や国からニューヨークに来たアーティストともコラボレーションして一緒に仕事をすること、それらの間にはつながりがあると感じているんだ。それは巨大な音楽コミュニティだけど、実際にどれだけつながっているのか、外の世界には知られていない。そのレべルの人たちはみんな顔見知りだし、一緒に仕事をしたこともあるけど、別のレーベルに所属していたり、特定のジャンルの音楽しかやっていない会場で演奏していたりする。特定のジャンル、成功や聴衆の規模というバイアスを取り除いて、世界で最も才能のある音楽シーンを正確に提示してくれるようなリソースが無いんだ」

 

 レコーディング・ラウンジの先にあるビジョンは、このリソースを示すことだという。そしてCOVID-19 以後のレコーディング・ラウンジにも取り組み、夏にはアプリをリリースして、最高品質のストリーミング・コンサートも始まるようだ。今回、カーン氏に話を聞くために、同じブルックリンのビルにスタジオを構えるSTUDIO Dedeの吉川昭仁氏に仲介していただいた。Dedeでもオリジナル録音の映像配信がYouTubeで始まった。プロデューサーやエンジニアという立場であるが故に提示できるビジョン、音源が持つ可能性に注目していきたい。

 

原 雅明

音楽に関する執筆活動の傍ら、ringsレーベルのプロデューサー、LAのネット・ラジオの日本ブランチdublab.jpのディレクター、ホテルなどのDJや選曲も務める。単著『Jazz Thing ジャズという何かージャズが追い求めたサウンドをめぐって』ほか

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