東映デジタルセンターの7.1.4chスタジオでAvid S6を使い制作されたDolby Atmosミックス
Netflixシリーズ『幽☆遊☆白書』は、冨樫義博氏が原作の同名漫画を実写化した、月川翔氏の監督作品。主人公の浦飯幽助と妖怪たちとの関わりが5つのエピソードで描かれており、2023年12月からNetflixにて独占配信中だ。本誌として注目したいのは、サウンドのミックスがステレオと5.1chのほか、Dolby Atmos(空間オーディオ)でも制作されている点。Netflixのプレミアムプランに加入し、対応する再生機器を使用すれば立体的な音場を体感できるが、ここでは制作過程にフォーカスしてレポートしてきたい。
Photo:Takashi Yashima(東映デジタルセンター)、Hiroki Obara(柳屋文彦、大河原将、千田耕平)
Netflixシリーズ『幽☆遊☆白書』
Netflixにて独占配信中
映画やドラマをストリーミング配信しているプラットフォームNetflixにて、独占配信中のNetflixシリーズ『幽☆遊☆白書』。冨樫義博氏が原作の同名漫画を元に実写化したドラマで、主人公・浦飯幽助と霊界の関わりから強敵・戸愚呂弟との戦いまでを5つのエピソードで完結させる。Netflixのプレミアムプラン(1,980円/月額)に登録すれば、Dolby Atmos(空間オーディオ)による立体的な音場が楽しめる。
出演:北村匠海、志尊淳、本郷奏多、上杉柊平、白石聖、稲垣吾郎、綾野剛、他
監督:月川翔
脚本:三嶋龍朗
音楽:やまだ豊
音楽プロデューサー:千田耕平
録音:柳屋文彦
音響効果:大河原将
ミックスの要はセリフ。その録音/整音の方法とは?
『幽☆遊☆白書』のミックスについてダイアログ(セリフ)、音響効果(効果音)、音楽の3つのセクションからひも解いていこう。取材に応じてくださったのは、セリフの録音/整音を手掛けた柳屋文彦氏、音響効果の大河原将氏、音楽プロデューサーの千田耕平氏。この3人に加え、ミックスにおける技術的な面をサポートした東映東京撮影所のサウンドエンジニア、勝田友也氏と長田歩未氏にもお話を伺った。
制作の流れは、柳屋氏、大河原氏、千田氏がそれぞれで仕込みを行い、各自のAvid Pro Toolsセッションを東映デジタルセンターのスタジオ“MA1”に持ち込んでミックスしていくというものだった。仕込みの際はガイドのデータを送りあい、どのシーンにどのような音を入れるのか、事前に共有していたという。『幽☆遊☆白書』は劇作品なので、ミックスの要はセリフだ。その仕込みについて柳屋氏に聞く。
「基本的には、撮影の現場で100%、シンクロ(同録)するつもりで臨むんです。録音に使用するのはピンマイク、ガンマイクのSENNHEISER MKH 416-P48U3、5chサラウンドマイクのsanken WMS-5、32chポータブルレコーダーのSOUND DEVICES SCORPIOなど。ガンマイクをメインとして使いますが、役者それぞれにピンマイクをつけてもらいセリフの芯として捉え、ガンマイクとブレンドしています。ガンマイクは役者1人1人に用意することもあれば、1本で2人の声を拾う場合もあり、多くてもワンカットの中で3〜4本くらいです。サラウンドマイクはカメラの後ろに立てて、響きや臨場感を足すのに使います。各マイクの音は基本的にマルチで録っていて、それらをPro Toolsにインポートして整音します。音質は、納品フォーマットに合わせて一貫して24ビット/48kHzです。なお、撮影の現場でシンクロできない場合はアフレコを行います。『幽☆遊☆白書』で言えば、戦闘シーンはほぼアフレコです」
整音で興味深いのは、セリフのみを抽出する処理。マイクの音声からノイズや物音を取り除き、さらにはブレスを別のトラックに分ける。これは、いつでも他言語版を作れるようにしておくためのNetflixからのリクエストで、言語を差し替えてもセリフ以外の要素が変わらず、オリジナル版の演出意図をキープできるというメリットもある。ブレスを分離させるのは、他言語版にも使う可能性があるから。そして泣き声や笑い声など、言語に関係しない要素も使う可能性があるため分ける。こうした処理にはiZOTOPEのオーディオリペア・ソフトRXがよく使われたそうだ。柳屋氏が続ける。
「なるべくシンクロの音を使いたいので、そこに含まれるノイズをRXのVoice De-noiseやReplace、Gainなどの機能でクリーンアップして、セリフが奇麗に聴こえるようにするんです。この処理が、なかなか大変。足音や物音も抜いてしまいますが、それらは演出的に必要なので、大河原さんが同様の音を作って映像に付けてくださいます」
「柳屋さんが録った音のうち、使ったのはセリフとアンビエンスの響きがメインです。環境音やガヤなどは柳屋さんが現場で録音してくださったものと、自分が作ったものをミックスして仕上げています」と大河原氏が話す。
「効果音はイチから作ったり、ライブラリーから持ってきて加工したりとさまざまですが、すべて自ら制作して編集やミックスまで行っています。制作はPro Toolsでのオーディオベースで、自社のスタジオにはフォーリーステージもあります。今回、月川監督とは多少の打ち合わせをしたものの、基本的には自分から提示して、ご意見をいただく形でした」
続いては音楽のプロデュースについて。どのシーンにどのような音楽を付けるか、作曲を誰に依頼するかなどを千田氏が担当した。詳しく教えてもらおう。
「既に映像がある程度できていたので、それをPro Toolsにインポートし、“こういう音楽が良いと思う”というのを各シーンに付けていきました。そのときは既存の音楽を使用して、監督とプロデューサー(坂本和隆氏、森井輝氏)に見てもらい、こういう方向性で良いのであれば、ということで、やまだ豊さんに作曲をお願いすることにしたんです。やまださんから音楽が上がってきたら、映像に当てていくスポッティングを行いました。当てていく中で、足りない部分や改善すべき点があると感じたら修正をお願いし、また上がってきたものを映像に当てて、やまださんオリジナルの楽曲で監督とプロデューサーに再度提案をするやり方で進めました」
ミックスのスムーズな進行を視野に入れ、途中経過のデータを共有しながら仕込む
先述の通り、各自の仕込みはガイドのデータを共有しあいながら進められた。それぞれが互いの音を想定して仕込んでおくことで、ミックスがスムーズに進行する。
千田氏いわく「例えば効果音については、大河原さんから“こういう感じです”というデータを事前に送ってもらいました。作業途中のものでしたが、効果音とかぶらないように音楽の配置を考えることができたんです」
大河原氏も「千田さんが簡易的に書き出してくださった2ミックスのデータを聴いていたので、音楽を想定して仕込めました。セリフと効果音は大抵、付くものが決まってくるので想定しやすいのですが、音楽は演出によって変わってくるため、聴かせてもらわないことには分からないというか、予測が立てづらいんです」と語る。そして、こうしたデータのやり取りは「たびたび連絡を取りあって、できた分から共有するという形でした」と柳屋氏が振り返る。
ミックスの要となったのはセリフだが、「この効果音はどうしても大きく出さなければならないから、セリフ頑張ってねという気持ちで、あえて下げないこともありました」と大河原氏。この言葉を受けて、柳屋氏が「それも踏まえて仕込んでいたんです」と話す。
「効果音が大きい音量でくるな、っていうところはガッチリ固めてセリフを出す。AvidのPro CompressorやWAVESのRenaissance Compressorなどで結構、コンプレッションしています。かけ過ぎると音質を損ねてしまうので、本当はノーコンプでいきたいくらいなんですけど、そこはもう仕方ないというか。Netflixには、セリフのラウドネスをプログラム全体で計測し、-27LKFS(±2LU)に収めるようにという規定があります。また、セリフのダイナミックレンジは10dBに収めるのが理想、といったレコメンドもある。だから、小声は小声として聴かせたいけれど、音量を上げるような処理をしてレンジを狭めるんです。『幽☆遊☆白書』に関しては、11~12dBほどにしました」
セリフのダイナミックレンジが10dB前後だと聞くと、相当に狭い気もするだろうが、それによりテレビでもイヤホンでも、家庭でも出先でも、さまざまな環境において聴取しやすくなっている。
オブジェクトの大半は効果音だが、音楽にも要所で活用されている
ここからは、Dolby Atmosミックスならではの話題に移ろう。ご存じの通り、Dolby Atmosはチャンネルベースの音響にオブジェクトベースの音響を加えたイマーシブオーディオのフォーマット。チャンネルに相当するものは“ベッド”と呼ばれ、スピーカーにひも付いている。一方、位置情報を用いて配置するのが“オブジェクト”で、Dolby Atmosの旨みの一つと言える。ただし使える数に上限があるため、セリフと音響効果、音楽のそれぞれがどのくらい使用するのか、事前に打ち合わせが行われた。「オブジェクトの大半は効果音に使われています」という千田氏のコメントに続いて、大河原氏がこう説明する。
「オブジェクトの効果が最も分かりやすいのは、動きのある音です。例えば、魔界虫が画面の手前から奥に向かって飛んでいくときの羽音(エピソード1)。“こういうふうに飛んでいく”という動き方が明確なのでオブジェクトを使っているんです。また、浦飯幽助と剛鬼の戦闘シーンで、剛鬼が車の中にいる幽助を狙ってルーフの上から殴る場面があります(エピソード2)。その上からの打撃音にも、オブジェクトの効果が分かりやすく出ていると思います。環境音についてもオブジェクトを使ったものがありますが、それほど多くありません。大抵は7.0chでも十分に空間を作れるし、Dolby Atmosならベッドで賄えるからです」
動きがあるものに優先的にオブジェクトを使用するのは、リミッターのかかり方も理由の一つ。大小さまざまな音を含むベッドよりも浅くて済み、音の抜けや存在感を維持しやすいという。大河原氏は自身のスタジオのDolby Atmos環境で仕込みを行った。「Pro Toolsのパンナーで音の配置を決めて、Dolby Audio Bridge経由でDolby Atmos Rendererに送出し、そのアウトをFocusrite Red 16Lineに送って7.1.4chのマルチスピーカーでモニタリングしていました。MA室でのミックスに膨大な時間をかけられるわけではありませんし、効果音は物量が多いので、仕込みの段階である程度、詰めておく必要があるんです」と語る。
他方、音楽にはオブジェクトをどのように使っているのだろう? 千田氏に聞く。
「例えば、効果音が同時に鳴っているシーンで“どうしても、このストリングスの刻みを聴かせたい”と思ったらステムをオブジェクトに移して、ベッドで鳴らしているほかの音よりも少し手前にしてみる。そうすると、ちょっと浮き出て聴こえるようになるんです。オブジェクトの話ではありませんが、セリフも効果音もある中で音楽の存在感を維持したいときは、センターチャンネルをがっつり抜くようなことをしました。また、魔界虫が動くシーンでは音楽が邪魔にならないように、ハイトの成分をカットしています。セリフ/効果音とのすみ分けは、 MA室で合わせてみないと分からない部分もあるので、現場で判断しながら決めていったんです」
セリフには基本的にベッドを使っているそうだが、先ほど大河原氏が話していた幽助と剛鬼の戦闘シーンでは、剛鬼が上の方から発する声にオブジェクトを使用している。また、コエンマが霊界から話しかけてくるときの“天の声”は、ベッドで上方から鳴らしているそうだ。
複数のコンピューターからの音を柔軟にフェーダーアサインできるS6
東映デジタルセンターMA1でのミックスは、合計5台のApple Mac ProとAvidのモジュラー・コントロールサーフェスS6、GENELECの7.1.4chマルチスピーカーなどを用いて敢行された。Mac Proの内訳は、セリフ、効果音、音楽のそれぞれをPro Tools Ultimateで再生するための3台。そして、Pro Tools Ultimateへのマスター録音とDolby Atmos Rendererの駆動に使うものが各1台。すべてオーディオI/OのAvid Pro Tools| MTRX×1台につながっており、接続は再生用の3台と録音用の1台がDigiLink、Dolby Atmos Renderer用の1台がDanteとなっている。Pro Tools| MTRX内ではルーティングが行われ、セリフ+効果音+音楽のミックスを録音用マシンに送出。録音用マシンの出力はDolby Atmos Rendererに送られ、そのRe-Renders出力から5.1chのダウンミックスを録音用マシンに戻し、Pro Tools UltimateのAUXに挿したNUGEN Audio VisLM-HのNetflixプリセットでラウドネスを測っている。「Netflixさんに納品する作品は通しでラウドネスを測るので、ミックスの段階から常に計測しています」と話すのは、エンジニアの勝田氏だ。
「ですので、“このまま進めると規定値を超えてしまいます”とか“もう少し音量を入れても大丈夫です”などとお伝えして、どう調整していくかを皆さんに相談していただきました。お三方とも、規定値に収めつつ監督の演出意図を体現できる方法を探りながら、ミックスされていたと思います」
ミックスに活用されたツールとしては、S6も重要。かつてのAvid ICONサーフェスは、1台のマシン(コンピューター)から8ch単位でフェーダーアサインする仕様だったので、例えば効果音のマシンから20chアサインする場合は“フェーダー8本×2ユニット+4本”となり、3ユニット目の残りの4本にセリフや音楽を立ち上げられず、ブランクが生じていた。しかしS6では、複数のマシンから1ch単位でアサインできるようになったので、同一のフェーダーユニットにカテゴリーの異なる音を並べることも可能。ミックスがよりフレキシブルに行える仕様だ。「複数のマシンの音を柔軟にフェーダーアサインできるのは、とても良いことだと思います」と大河原氏も評価している。
こうして作られたミックスは、Dolby Atmosの納品ファイルADM BWFに書き出された。そして東映デジタルセンターでは、別途ステレオミックスも作られている。「そのチェックにはMA室のテレビも活用されていました」と振り返るのは、エンジニアの長田氏だ。
「配信コンテンツの視聴にはテレビがよく使われると思うので、一般的な環境で聴いたらどう感じられるか?というのを皆さんで確認し、それに伴う微調整もされていました」
どのバージョンのミックスも、迫力がありつつセリフを明瞭に聴かせ、手元でボリュームを調整することなく安心して視聴することができる。柳屋氏、大河原氏、千田氏に所感を伝えると「それは良かった!」という声が上がった。大河原氏が締めくくる。
「セリフが聴こえにくいからといってボリュームを上げると効果音がうるさく聴こえてしまう……ということが往々にしてあると思うんです。そういうことをなくしたいがための“ダイナミックレンジを抑えてください”のリクエストだと思いますし、今回はうまくいったんじゃないかと思います。迫力をなくしてしまうのは簡単ですが、そうすると全体が平坦に聴こえます。迫力を損なわずに、ストレスなく聴けるミックスというのが我々のやりたかったことなんです」
サウンドはもちろん、映像作品トータルとして抜群の完成度を誇る『幽☆遊☆白書』。本稿でのレポートを参照しながら、ぜひ細部まで楽しんでほしい一作だ。