SPECTRASONICSの創業者兼クリエイティブ・ディレクター=エリック・パーシング氏は一級のサウンド・デザイナーで、シンセ奏者としての顔も持つ人物。まだ中学生だった1970年代よりシンセに触れ、プレイヤーの視点から“音楽的なサウンド”を追求し、生み出してきた。かつてROLANDに在籍したころは、Juno-106やJupiter-6、MKS-80、D-50といった名機のプリセットを制作。SPECTRASONICSを立ち上げてからも、独自の審美眼で魅力的な製品の数々をプロデュースしている。今回はパーシング氏にインタビューする機会を得たので、メーカーとしてのフィロソフィや開発体制について伺った。
“そのシンセの良さをユーザーに示す”
という視点でのプリセット製作
SPECTRASONICSは、自社の製品でミュージシャンたちにインスピレーションを与え、音楽作品をより良いものにすることを目指している。そして常にイノベーティブ(=革新的)なものを生み出し、なおかつ誰にでも扱いやすい設計にすることが理念。「我々はソフトウェアのメーカーではないのです」と、パーシング氏は語る。
「あくまで“楽器”を作る会社です。開発陣には、それを念頭に置いてもらえるよう接しています。ソフトウェアというのは楽器を伝えるための手段であって、自分たちが作るものをソフトウェアだと思い込まないことが重要なのです」
こうした理念は、パーシング氏自身のバックグラウンドに根差している。氏はエンジニアやプログラマーではなくサウンド・デザイナーであり、いわばエレクトロニックな楽器とミュージシャンの架け橋になる立場。「サウンドに対する審美眼を持っていますので、ミュージシャンの視点からして優れた音なのか、そうでないかというのは、常に考えています」と、自社製品について語る。
「私は1970年代にARP OdysseyやMOOG Minimoogといったシンセサイザーに衝撃を受け、この道に入りました。シンセについて学べることは何でもして、やがていろいろなミュージシャンと交流を持つようにもなったのです。しかし驚いたことに、当時のミュージシャンはシンセを所有して演奏もしているのに、シンセそのもの関しては全くの無知でした。彼らは素晴らしいキーボーディストでしたが“シンセのプレイヤー”ではなかったのです」
無論、パーシング氏はシンセの仕組みにも精通しており、そのころ既にサウンドのデザインに熱を上げていたそう。
「今で言うところのプリセット作りですね。そうした経験は、ROLANDの米国法人に就職してからも生かすことができました。と言うのも、1980年代初頭のROLANDのシンセは製品自体のクオリティこそ素晴らしかったのですが、プリセットの中には音楽に向かないようなものもあって……開発担当のエンジニアが作っていたので、プリセットのすべてが音楽的なものとは言いがたかったのです。“これではシンセの魅力を伝え切れない”と思いましたし、そのシンセで実現できることを示すためにもプリセットのアップデートは急務でした。そこで私が担当することになり、その後、腕を買われて日本のヘッドクォーターへと移ったのです」
このときの経験がSPECTRASONICSの製品開発に受け継がれている。OmnisphereやKeyscape、Trilian、Stylus RMXなどのプリセットがミュージシャンに高く評価されているのは、パーシング氏が“シンセのポテンシャルを十分に引き出すプリセット”を手掛けてきたからだろう。
クオリティを重視するからこそ
製品の点数を絞るという考え方
さて前述の4製品だが、SPECTRASONICSは長らくの間、これらを主力に歩んできた。短期間で数多くの製品をリリースするメーカーもある中、少数精鋭のラインナップで通すのには何か理由があるのだろうか?
「クオリティの高い製品を作ろうとすると、この数に絞らざるを得ないのです。我々にとって、クオリティと数の多さは決して相容れないものです。オフィスではよく“僕らは全く速くない。ただ、出来栄えはものすごく良い”と話しています。そして実際に良いもの、つまりワールド・クラスのクオリティを持った製品を作ろうとすると時間がかかります。例えばKeyscape。ダルシトーンというスコットランドの楽器をサンプルとして収録しているのですが、サンプリングにあたって現物を取り寄せたところ経年劣化による故障が見付かって。メーカーも既に存在しなかったため、修復をして一音一音サンプリングして……とやっているうちに6年ほどが過ぎました。ほかにも同様の楽器があって、高品質な状態にリペアして丁寧にサンプリングしていったので、Keyscapeの開発だけにざっと10年の歳月がかかったのです」
驚きである。しかし、この丹念な作り込みが、各製品のロング・ライフに結実しているのだろう。「まさに“楽器のメーカー”という感じがしませんか?」とパーシング氏。
「もちろん形態としてはソフトウェアですから、社内にはエンジニアも居ればプログラマーも居ます。ただ、我々はエンジニアリングと音楽の両立に成功している。エレクトロニックな楽器の開発現場では、エンジニアリング・ファーストで、それにミュージシャンやサウンドへの希求が付いてくる場合が多いと思うのです。サウンドに対する優れた判断力とイノベーティブなソフトを開発する力。これらを兼ね備えた企業は意外と少ないわけですが、SPECTRASONICSは両立できている稀有な存在だと自負しています」
では、企業としての体制はどのようなものなのか? 尋ねてみると、やはり少数精鋭であることが分かった。
「コア・チームとしての常勤スタッフは30~40名です。タイトな組織の方が、いろいろなことに対して素早く効率的に対応できるからです。このチームに付随して多くの方々に携わってもらっており、契約ベースでプロジェクトに参加する方も居ればアーティストに協力を求めることもあります。ただ、有名なアーティストの方が開発にかかわるのは最終テストの段階で、音楽のプロのリアクションを確かめたり、楽器としての有用性があるかどうかを確認する意味合いです。その上で、最後の調整を加えて発売にこぎ着けるわけですが、アーティストのファースト・インプレッションというのは非常に貴重です。チェックの光景を撮影しておくので製品プロモーションにも使えますし、これまでにジョージ・デューク氏をはじめ、さまざまな方にご協力いただきました。我々の製品を使って、素晴らしい音楽が生み出されていく過程を映像に残しておける。公開されたものを見ると、あらためてSPECTRASONICSの責任は重大だと感じますね」
トレンドを意識するのではなく
“新しさ”を追い求める音作り
仕上がった製品がユーザーの元へ届いた後、どのようなレスポンスがあるのだろう? 「Omnisphere 2を発売したときのことが印象深いです」とパーシング氏。
「サーバーが落ちたのです。と言うのも、Omnisphere 2は2015年1月のThe NAMM Showでアナウンスし、その年の4月にリリースしました。発売に先駆けてカウントダウンを行ったり、ティザー・コンテンツを用意して盛り上げていたわけですが、リリースの瞬間に世界中のユーザーが一斉にアップデートを始めたことで、サーバーが完全に動かなくなってしまって。我々としても入念に準備をしてきたつもりでしたが、何回リブートしても次の瞬間にはまた落ちるという有様でした。その間、苦情のE-Mailが何百通、何千通と送られてきて、結局すべてをリカバーするのに数カ月をかけてしまったのです。しかしポジティブにとらえると、それくらい皆さんがOmnisphere 2に期待をしてくれて、すぐにでも欲しいという思いだったのでしょう。ものすごくショックだったと同時に、ありがたいとも思いました。その後、どこかのニュース・メディアに“インターネットを壊滅させたシンセサイザー”と書かれてしまいましたが(苦笑)」
ちなみに、初代Omnisphereの開発時には、自らの“プリセットの美学”を追求したのだという。
「新しい音作りの方法、新しいサウンドというものを次々に試していきました。プリセットを作るときには、思いのほか時代のトレンドを意識することは少ないのですが、とにかく新しいものを作ろうとはしていて。“このシンセなら、こんなことができる!”というサウンドをどんどん作っていくのです。また、過去と同じことは繰り返しません。そうやって出来上がった音をあらためてチェックして、使えるものと使えないものを選んでいきます。前例踏襲や何かのコピーではなく、新しいものを作り続けられるのはクリエイターとして非常に幸せなことです。そして、我々の考える“良い音”に共感してくださる方々が居るからこそ、SPECTRASONICSのサウンドが音楽の現場で使われているのだと思います」
日本のミュージシャンたちからも厚い信頼が寄せられているSPECTRASONICSの製品。「現在はCOVID-19のパンデミックで本当に大変な状況ですが」と前置きしつつ、我々にメッセージを贈ってくれた。
「そうした中でも、日本のユーザーの方々とスペシャルな関係を維持できていることに喜びを感じます。メーカーとしてだけでなく、個人的にもROLANDでの経験など、日本とは非常に長く特別な関係です。遠く離れていても素晴らしい仲で居られることに感謝するばかりです」
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