グレゴリ・ジェルメンがHybrid Engine × Dolby Atmosミックスを解説!

グレゴリ・ジェルメンがHybrid Engine × Dolby Atmosミックスを解説!

HDXシステムでHybrid Engineモードを使用することで、これまでと大きく変わることの一つに“扱えるボイス数の向上”が挙げられる。この恩恵を一番生かせるのは、サラウンドのミックス作業時だろう。昨今ではDolby Atmos Musicの登場もあり、アーティストやエンジニアもサラウンド/イマーシブ楽曲の制作を進めている。今回、サウンド・エンジニアのグレゴリ・ジェルメン氏に協力いただき、Dolby Atmosミックスを行ってもらった。

Photo:Takashi Yashima 取材協力:タックシステム

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グレゴリ・ジェルメン氏。レコーディング・エンジニアになるべくパリから来日し、専門学校卒業後スタジオグリーンバードを経てDigz Inc, Groupに。2021年に独立し、Sonic Synergies Engineeringを設立

 Release 

『花は純、君に幸あれ』
KISORA
MTRX Entertainment

定位の解像度の高さが制作しやすさにつながる

 Apple MusicがDolby Atmos Musicの配信を始めたことが話題となっている。その制作に興味を持つアーティストも多いが、Dolby Atmosの再生に対応するモニター環境を持った音楽スタジオは限られているのが現状だ。そのため、Dolby Atmos対応の環境を持つMAスタジオなどで作業を行うこととなる。今回は、エス・シー・アライアンス サウンドクラフト ライブデザイン社の早稲田にあるMAスタジオに協力いただいた。普段はサラウンド対応の映像コンテンツのMAを中心に稼働しており、Dolby Atmosの再生も7.1.4chの環境で聴くことができる。

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エス・シー・アライアンス サウンドクラフト ライブデザイン社のMAスタジオ。スピーカーはGENELECで構成されている。L/C/Rchの3台は1038B、ハイト・スピーカーの4台には8341Aを採用

 ジェルメン氏がDolby Atmosでミックスするのは、自身もメンバーとして参加しているクリエイター・ユニット、KISORAの楽曲「花は純、君に幸あれ」。ボーカルの塩見きら(神宿)の透き通った声を生かした4つ打ちポップスだ。

 

 「ステレオでリリースした楽曲ですが、KISORA Beautiful World #01 Originというライブ・イベントで流すために7.1chでもミックスをしていました。ですから、Dolby Atmosでのイメージもしやすかったです」

 

 7.1chとDolby Atmosを比べた場合、制作のしやすさに違いはあるのだろうか?

 

 「Dolby Atmosの方がやりやすいですね。それはオブジェクト・チャンネルによる定位の解像度の良さによるものだと思います」

 

 Dolby Atmosは7.1chに天井のスピーカーを加えた7.1.2chがベースとなっており、各スピーカーに対応するベッド・チャンネルと、その場所のスピーカー・レイアウトに合わせた定位を生み出すオブジェクト・チャンネルから成る。そのスピーカーの構成上、7.1chに比べると定位の解像度の良さが違ってくるようだ。エス・シー・アライアンスのスタジオはGENELECのスピーカーでモニター・システムを構成しており、Dolby Atmosの場合は7.1.4chでの再生に対応している。7.1chでのミックスはライブ・イベントのためのものであったため、今回のDolby Atmosミックスはまた違った方法を採ったそうだ。ジェルメン氏はこう語る。

 

 「7.1chのときは、ほかの曲との間に語りや環境音が入って、それらがつながった一つの作品のようになっていました。また、クリエイターがステレオから音をあまり変えたくないという意識もあったので、まずステムを幾つか作ってそれらを7.1chへアップ・ミックスするような流れでしたね。EQやコンプなどもステレオ・ミックスのときからあまり変えていません。一方、Dolby Atmosではできることが多く、聴こえ方も全然違ってくるので、まず各トラックのバランスを取り直す必要がありました。基本的なプラグインの設定はステレオのときと同じですが、Dolby Atmosの世界観に合わせて微調整は行っています」

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スタジオの後方。左右に3台ずつ並ぶのは1032Aだ。写真手前の1台がサイド、その奥の2台がリア・スピーカーとなっている

現代の制作に向いたHybrid Engine

 「花は純、君に幸あれ」では生楽器だけでなく、シンセやSE的なサウンドなど多彩な音使いがされており、全体のトラック数は100近くに及んだそうだ。これらを多チャンネルに広げ、そこへリバーブやディレイなどのエフェクトが加わってくると、かなりのボイス数を必要とすることになるのは想像に難くないだろう。

 

 「7.1chのときには曲数が多かったこともあり、全体で2,000ボイスほどになっていました。HDXカードを3枚用意していても厳しい状態ですが、ちょうどそのころにHybrid Engineに対応したので、とてもラッキーでしたね。Dolby Atmosでの表現ではどうしてもボイス数が多くなってしまいますし、Hybrid Engineはそういった制作環境のことも考えて導入されたのではないかと思います」

 

 Hybrid Engine対応以前では、ボイス数の節約のためにトラックをまとめていく必要があったそうだ。サウンドとは関係の無い部分に注力しながら制作を進めるのはストレスになり得る。それが緩和されるのは大きなメリットと言えるだろう。

 

 「また、以前はサンプリング・レートを96kHzにしたときにボイス数が半分になってしまっていました。しかし、今ではサンプリング・レートを問わずに多くのボイスを扱えるようになったので、イマーシブだけでなくハイレゾ音源の制作もやりやすくなっています。Hybrid Engineは今の時代にぴったりなシステムだと思いますね」

 

 ミックスの話に戻ろう。「花は純、君に幸あれ」では、ベッドとオブジェクト・チャンネルにどのようなトラックを振り分けていったのだろうか?

 

 「メインの歌はベッドとしてセンター位置にしました。また、リバーブの返しやドラム・セクションもベッドとして出しています。あとはパンを動かしたいもの、動かすかもしれないものをオブジェクトにするわけですが、特には動かさないキックやベースなど、楽器の多くもオブジェクトにしました。音楽におけるDolby Atmosミックスはルールがあるわけでもないので、自由に行っています」

 

 ミックスではスタジオに備わっているコンソール、AVID S6が使われた。S6はさまざまなモジュールを組み合わせて構築することが可能。エス・シー・アライアンスではジョイスティック・モジュールが組み込まれており、パンニングはそのジョイスティックで操作していた。

 

 「ジョイスティックが無いスタジオで作業をしたこともありますが、マウスだけで3Dパンニングのコントロールをするのはすごく大変なんです。2つのジョイスティックを同時に操作をすることで、前後左右上下のパンニングが素早く行えるようになりますし、Dolby Atmosミックスにおいてはフェーダーと同じくらい重要な存在だと言えます」

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コンソールはAVID S6を導入している。モジュール・システムになっており、使用ようとや予算に合わせてモジュールを組み替えることが可能だ

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S6に組み込まれているモジュール。写真左側はカスタマイズ性に優れたモニター・コントーラーのTACSYSTEM VMC-102で、Dolby Atmos制作中に5.1chなどのダウン・ミックスをワンタッチで聴けるようになっている。写真右側はS6のジョイスティック・モジュールで、ジェルメン氏は「Dolby Atmosのパンニングには欠かせない」と語った

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ラックにはAVID Sync HD、HD I/O、Pro Tools|MTRXなどの機器が搭載されている。写真右上と左下にあるAPPLE Mac Proは前者がPro Tools用、後者がDolby Atmos Renderer用だ

 ハミングのようなボーカルのフレーズやタムのフィルなど、動きの伝わりやすい効果的なトラックは頭の周りを移動するようなパンニングのアプローチが採られた。そのパンニングに使われたのが、DOLBYが無償提供しているプラグインのDolby Atmos Music Panner。音楽制作のために設計され、単純なパンニングだけでなく曲のテンポに合わせて定位が動くシーケンサー機能も備わっている。

 

 「円だったり四角だったり、動く方向のパターンが幾つか用意されていて、テンポとリンクできるのは分かりやすくて良いですね。こういった動きのあるオブジェクトに対しては、Dolby Atmos Music Pannerを使った方がオートメーションを作りやすいです。直感的に使えるので、トラック・メイカーなども扱いやすい設計になっていると感じます」

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DOLBYが無償提供しているDolby Atmos Music Panner。通常のサラウンド・パンニングだけでなく、楽曲のテンポに合わせてパンを動かすシーケンス機能が内蔵されている

Dolby Atmosではピークの管理が大切

 定位の自由度の高さで豊かな表現ができるDolby Atmosも、通常のステレオとは違った問題が出てくるという。

 

 「ダイナミクスの管理はステレオよりもシビアにしなければいけません。スピーカーの数が多いので余裕のある音に聴こえるのですが、その分ピークのレンジもあるのでバランスを取るのは難しいです。ステレオであれば、音は良くないかもしれませんが2ミックスにリミッターをかけて抑えるという逃げ道もあるじゃないですか。Dolby Atmosだとそういうことができないわけです。今回は、まずDolby Atmosの再生環境で聴いてバランスを取り直しました。個々のトラックでもともと入っていたコンプの微調整をして、ベッド・チャンネル全体と各オブジェクト・チャンネルに対するマスター・トラックがあるので、そこにリミッターを入れて少しピークを削っています。ベッド・チャンネルのマスターには、7.1.2chに対応したリミッターであるFABFILTER Pro-L2を使いました。各オブジェクト・チャンネルのマスターはステレオでの処理で済むので、AVID Pro Limiterで調整しています。ピークの管理にはリミッターが必須ですが、7.1.2chに対応したプラグインがまだ少なく、選択肢が限られているのが現状です」

 

 音の広がりではリバーブやディレイでの表現も欠かせない。今回のミックスではどのように空間系エフェクトを使ったのだろうか?

 

 「アレンジャーのセッションに元からリバーブやディレイが入っていて、それを生かす目的でNUGEN AUDIO Halo Upmixを使って7.1.2chへアップミックスし、ベッド・チャンネルへ送っています。ほかにはDolby Atmosに対応しているEXPONENTIAL AUDIO Symphony 3Dもベッド・チャンネルでのリバーブとして使いました。リバーブ・プラグインがDolby Atmosに対応していなかったとしても、アップミックスをするとか、リバーブ音をオブジェクトとして配置するなどで使うこともできます。上からリバーブ成分が聴こえてくるというのは音楽ではなかなか無いことですが、クリエイティブな使い方としては面白い方法だと思いますね」

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ボーカルのフレーズに使われたSOUNDTOYS EchoBoy(左)は、NUGEN AUDIO Halo Upmix(右)によって7.1.2chへとアップミックスされ、ベッド・チャンネルへと送られている

バイノーラル変換の基準が必要

 ミックス中、ジェルメン氏はヘッドフォンでの試聴も繰り返し行っていた。Apple MusicでDolby Atmos Musicが配信されたことで、イアフォンやヘッドフォンでの視聴層は確実に増えた。スピーカーでの確認に加え、ヘッドフォンのバイノーラルでの試聴も必須だ。

 

 「ステレオでの制作と同じく、いろいろな環境で聴くことは大事です。Dolby Atmosのファイル“ADM BWF”を書き出すためのソフトウェア、Dolby Atmos Rendererにはバイノーラル書き出しの設定項目があります。そこではオブジェクトの距離感をNear/Mid/Farと3つのパターンで調整することができ、それを使ってバイノーラルでの音像をうまく作っていくんです。そのままバイノーラルで配信をすれば問題ありませんが、Apple Musicの場合は独自に変換が行われ、こちらの距離感の設定は反映されません。しかし、TIDALやAmazon Music HDでは反映されるんです。その違いが悩ましい。今後、何か基準が作られると良いんですが……」

 

 こうして制作されたDolby Atmos版「花は純、君に幸あれ」は、Apple Musicで配信を行っている。配信にあたっては、AVIDのサービスであるAvidPlayを使用した。AvidPlayでは150を超える世界中の音楽配信サービスへの楽曲登録が行え、収益はアーティストの元へ100%還元される。年間サブスクリプション・プラン、Dolby Atmos Unlimitedに入れば、制作したDolby Atmos Musicを誰でも配信することが可能だ。

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AVIDのサービス、AvidPlayでは世界中の音楽配信サービスへ自身の楽曲を登録することが可能。ステレオだけでなく、Dolby Atmos Musicも配信可能なプランも用意されている

 多くのトラックを駆使しながら、豊かな音場の広がりを生み出したジェルメン氏。システムのパワーを心配することなく制作に没頭できた裏には、Hybrid Engineの支えがあった。Dolby Atmos Musicが浸透していくであろうこれからの時代、アーティストやエンジニアにとってHybrid Engineが心強い味方となるはずだ。

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