同一のマルチトラック・データを複数のエンジニアが個別にミックスし、それぞれの音作りでいかに楽曲の印象が変わるかを見せる「ミックス・ダウン・ツアー」。最初に登場するのは、七尾旅人や中村佳穂、Tempalay、MIZなどのミックスを手掛けてきた奥田泰次氏。これまでに数々の深淵なサウンド・メイクを施してきた氏は、今回の課題曲「Overthinker」をどのようにとらえたのだろうか。“質感”にフォーカスしたミックスを解説していただく。
Photo:Hiroki Obara
【奥田泰次 Profile】上原キコウ氏に師事した後、prime sound studio formを経てstudio MSRを拠点とするエンジニア。クラブ・ミュージックの影響を受けサウンド・メイクに興味を持つ。2021年はTempalay、Mono No Aware、中村佳穂、AJICO、SOIL&"PIMP"SESSIONS、ハナレグミ、原田郁子、Nakamura Emi、荒内佑、ドレスコーズなどの作品に携わる。現在、バイナル・カッティングの修行中。
現実世界と幻想的なものの間をたゆたう感じ
今回「Overthinker」のミックスを進めていく中で意識したのは、ロック的ではなく、ダンス・ミュージックをアップデートしたサウンドのアプローチにしようということでした。音がグリッドで足されたり分離されるというより、膨張したり縮小したり切り目なく連なる感じです。音の質感やグラデーションを作り込み、各パートの音はフェード・イン/アウトを駆使することで、ダイナミクスを整えました。聴いていてハッとするというより、没入感を感じられるように全体を通して作り込んでいきました。音には実体が無いですが、ミックスに没頭してくると、映像的に思い浮かんだり、温度感や色をぼんやりと感じたりしてくるんです。「Overthinker」は深い青や青黒いイメージで、浮遊感のようなものがあったので、現実世界と幻想的なものの間をたゆたう感じも良いかなと思いミックスしました。
パート一つ一つの要素を細かく見て作り込む
大きく分けるとドラム、ベース、シンセ、ボーカルの4つのグループの中で細かく動きがあるという構造なので、一つ一つの要素を細かく見て作り込む必要があると思いました。とは言え、一つずつ完ぺきに作り込むというよりは徐々に作る感じです。基本的にはドラムが継続音としてあって、ベースやシンセの音色やフレーズは短いセンテンスで変わるので、まずはドラムのトーンを決めて、ベースを足してみました。ドラムはすっきりした音で、どうにでも作り込めるようにちゃんと録られていたんです。ブレイクビーツなので、ドラムとベースで格好良くなるように作り込みました。シンセは、ずっとフレーズを弾くような上ネタでなく、場面ごとで出し入れしているので、なるべくそのつなぎをふわっとさせるように。聴く人が没入してそういう世界観を感じられたらいいなと思ってミックスしましたね。
1. 無機質かつ有機的なドラムの音作り
音作りにほぼファースト・チョイスで使うのがSSL Native Channel Strip 2とX-EQ2です。フィジカル・コントローラーのUC1を使って実機のような感覚で思い切りEQができるので、すごく重宝していますね。数多いSSLプラグインの中でも、音が滑らかで活用しやすく、大変気に入っています。
ドラムのベーシックな音作りは冷静なムードにしました。ただ、すっきりし過ぎると嫌だったので、要素を加えて“無機質なんだけど有機的な感じ”を目指したんです。例えば、水の中で無数の泡が広がって不規則に乱反射を起こすような感じや、ライブ会場のモワッとしたような感じの要素をマルチエフェクトのKILOHEARTS Multipassなどで加えて、奇麗に響き過ぎないようにしました。みんなそれぞれ目指す質感があると思うんですけど、僕はトライ&エラーをしながらしっくり来る質感を探します。
ドラム・バスにはDJ SWIVEL BDEを入れました。ひずみ要素を付加できるコンプで、デジタルっぽい種類のディストーションやフィルター、音のトーンを変えられて使い勝手が良いですね。Multipassで空間系のディレイとフィルターをかけて、場面転換するところでDEVIOUS MACHINES Infiltratorへセンドで送って、ボリューム感や質感を付加しています。
終盤にはRchだけギター・アンプ・シミュレーターのPLUGIN ALLIANCE Diezel VH4を挿して、ツイン・ドラムのように演出し、追いかけて来ているような感覚を出しています。ドラムは基本的にキット1組なので、このような処理やオートメーションを駆使、歌の世界観に合わせて徐々に展開を付けていきました。
2. ベースとキックを共存させる
べースはフレーズや音色によって弾き分けられていたので、そこは意識しました。ベースとドラムがニコイチでベースが明りょうに聴こえる場面と、広がりのある中に溶けてアンサンブルとして成立するような立ち位置のときがあるんです。奏者が音色を作り込んでいる場合は、極端に処理をする必要は無いと思いつつ、ベースはキックとかぶるので、ドラムのクールな感じを維持するためにWAVESFACTORY Trackspacerをサイド・チェイン的に使いました。キックをトリガーにして、ベースにコンプをかけて、帯域のかぶりを減らしています。指定した帯域だけにかけるなど、通常のサイド・チェインよりも細かい調整が可能です。ドラムがベースでマスキングされて音量感が変わることを解消できて、両者が共存し合えます。
ベースはラインとアンプが入っていたので、すっきりさせたいときはライン、ボワっと空気感を入れたいときはアンプという感じで場面によっては使い分けました。最後のセクションはベースが4本入っているので、どうアンサンブルさせるか考えながらSSLで音作りをして、PLUGIN ALLIANCE Brainworx BX_Optoでサチュレーションを入れつつ、4本をまとめたバス・マスターにOVERLOUD Comp670でコンプをかけてなじませています。
3. トライ&エラーを繰り返してシンセの質感を探る
個人的にフェード・イン/アウト効果が結構好きで、もともとフェード・イン/アウトしていても、さらに加えて描くこともありますね。このような小さい工程を重ねることで層が生まれてきます。あと、音色を変えたいときは、オートメーションに頼らずにトラックを複製して直接いじることも多いですね。まずは没入して直感的にどんどんやってみて、後から冷静に振り返って整理すればいいと思います。特に「Overthinker」はできることの選択肢が多いので、客観的に聴いて振り返る時間はあった方がよいのではないでしょうか。質感作りはトライ&エラーの繰り返しで、特に空間系やモジュレーションのプラグインはかけてみないとどんな効果が生まれるか分からないですね。Infiltratorなど、同じプラグインを2段かけて予想外の音になった部分もありました。エフェクトをかけるとまた距離感やフレーズのノリも変わるので、自分でしっくり来るまですべての要素を繰り返し試すしかないですね。もちろんいじらずにそのまま使えばいい場合もあります。
今回は、MOOG MinitaurにINA-GRM Grinderで変わった質感の信号を入れたり、Spaces 3Dで空間処理を加えたり、リバーブのKORNEFF Micro Digital Reverberatorやスラップ・ディレイのTHE CARGO CULT Slapper STで乱反射しているような質感を付けたりしました。MoogOne Dryは、GOODHERTZ Lohi GHZ-0006 V3でローファイな質感にしています。
4. 3帯域のボーカルを徐々に移り変わらせる
ボーカルは基本的にハイ/ミッド/ローの3部構成になっていて、それぞれ常にクロスしながら朴訥として居る感じだったので、最初はどの帯域をメインにすればよいか悩みました。基本的な音作りは、ドラム同様にChannel Strip 2を使用。SLATE DIGITAL Fresh Airで高域と中域を上げたりもしました。
ボーカルの質感としては、全体にリバーブがかかったようなミックスもやってみましたが、冷静に聴いて分析するうちに、メインとなる帯域が場面ごとに入れ変わったり、時にはイーブンになったりしていると感じたので、ダンス・ミュージックのような徐々に移り変わるアプローチをすることにしました。例えば、それぞれの場面ごとに3帯域をまとめたボーカル・バスを作って、質感付けをしています。Aメロのボーカル・バスでは、まずコンプを2〜3段かけてまとまりが出るような質感を付けました。最終段では、SSL Fusion Vintage Driveでひずみ成分を付加し、中域の押し出し感を付けて前に出るような処理をしています。ハイボーカルが明る過ぎるときには、ABERRANT DSP SketchCassette Ⅱでテープのような質感を付けたりもしました。
後半は、アレンジ全体で音数が増えますが、ステレオ・イメージとして画角を感じられるような要素を足しました。先述のツイン・ドラム的な音作りやスラップ・ディレイでの乱反射のほか、ボーカルも終盤では少しコーラスを足して広げる要素を作っています。
5. トータル処理としてアウトボードを通す
個々のトラックはPro Toolsで作り込みますが、トータルの処理として、アウトボードを使いました。まずサミング・ミキサーのMASELEC STM-822を通します。その後段では、マスタリング・コンソールのMTC-1を使用。ワイドに広げることもありますし、インサートしたZAHL EQ1やコンプレッサーのSPL Ironをスイッチでオン/オフしたり、FLIPボタンで通す順番を切り替えたりできるので、プラグインに近い直感的な操作ができるんです。最終段にはオリジナルのサチュレーション・ボックスもインサートしています。そのほか、コンプレッサーのAL.SO Dynax 2や、リバーブBRICASTI DESIGN M7も使いました。M7は、コントローラーM10やプラグインのEXPONENTIAL AUDIO M7 Controlで操作しています。
曲によってはPro Toolsで完結させた方がハマる音楽もありますが、今回はすっきりさせ過ぎず、飽和感を出したいなと。Pro Toolsだけで完結すると良くも悪くもクリアな音になるので、温度感を出したいときなどはアウトボードを通して使うことが多いですね。
Mixのポイント
1. マスキングを解消して踊れるサウンドに
2. 展開が徐々に移り変わるアプローチ
3. トライ&エラーで理想の質感を探る