音楽ミックス×Dolby Atmosのリアル〜ライブBlu-rayの制作をエンジニアリング視点で振り返る

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サカナクションのライブBlu-ray『SAKANAQUARIUM 2019 "834.194" 6.1ch Sound Around Arena Session -LIVE at PORTMESSE NAGOYA 2019.06.14-』のプレミアム視聴会&トーク・セッションに続き、1月30日に御茶ノ水Rittor Baseで催された第2弾のイベント。ライブBlu-rayのミックスを手掛けたエンジニア浦本雅史氏(写真左)、バンドのドラマーで音作りにもコミットした江島啓一(同中央)、DOLBY JAPANのテクニカル・マネージャー中山尚幸氏(同右)が登壇し、本作のAVID Pro Tools|Ultimateセッションを公開しつつDolby Atmosミックスを中心に語った。プロのサウンド・エンジニアらを招待して行われた、このトーク・セッションの模様をお伝えしよう。

Text:Tsuji, Taichi Photo:Hiroki Obara

 

ステレオ・ミックスを作り込んでから
それを拡張するような方向で制作


 今回のトーク・セッションは、ライブBlu-rayの序盤を再生し、Dolby Atmosミックスのサウンドを来場者に体験してもらった上で行った。まずは中山氏がDolby Atmosの概要を解説。その後、話題はライブBlu-rayの制作に移った。レコーディングの方法について浦本氏が語る。


 「インプット・ソースをFOH、モニター、録音の3系統にパラって録ってもらいました。僕はFOHでマニピュレートをしていたのでレコーディングには直接携わっていないのですが、録音の段階ではDolby Atmosでミックスするというのは、まだ確定していなくて。ただ、サラウンドでライブをしているのだからBlu-rayもサラウンドに対応できるようにしておこうということで、ミックスを見越したリクエストをしたんです。例えばオーディエンス・マイクのアレンジなどですね」

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ライブBlu-rayは、昨年のアリーナ・ツアーが素材となった。写真は、現場で使用されたFOHのデジタル・コンソール、AVID Venue|S6LのサーフェスS6L-32D


 1月12日のトーク・セッションでも語られた通り、ステレオ版のミックスは会場の響きを抑えた作りとなっている。
 「響きの成分には、サンプリング・リバーブのAUDIO EASE Altiverbを積極的に使うことが多かったです。Dolby Atmos版のミックスは、ステレオ・ミックスをしっかりと作ってから、それを拡張するような方向で制作しました」


 結果的にアンビエンス感の豊かなサウンドになったDolby Atmosミックス。江島がこう語る。


 「昨今はラップトップの内蔵スピーカーなどで音楽を聴く人も多いでしょうから、ステレオ・ミックスはどんな再生環境でもクリアに聴こえるという方向にシフトさせました。しかしDolby Atmosミックスに関しては、対応機器を持っている人しか聴けないので、ある程度以上のクオリティで再生されることになると考えたんです。そのときに良い音像で聴こえるようミックスされています」


 ステレオ・ミックスの完成後、浦本氏はDOLBY JAPANのスタジオでDolby Atmosミックスに向けた準備を行ったそう。中山氏は「Dolby Atmosを使えばどんなことができるのか。そして、どんな仕上がりになるのかをデモンストレーションしたくて浦本さんに来てもらいました」と言う。「そこで、まずはステレオ・ミックスを聴いて」と浦本氏。


 「それからオーディエンス・マイクだったり、ライブ時にサラウンド・スピーカーへ振っていたものを配置していきました。FOHで聴いていた音をイメージしながら、徐々に広げていったんです。P's STUDIOに入ったのは、その後です」

 

オブジェクトが118あるからと言って
オーバーには使っていない

 

 P's STUDIOは港区麻布台のスタジオで、Dolby Atmos Home対応のA/R ONEという部屋が今回のDolby Atmosミックスの制作に使用された。中山氏が、そのミックスの前提となる考え方を解説する。


 「Dolby Atmosには“オブジェクト”という独自の概念があります。これは空間の幅、高さ、奥行きを百分率で考え、どこに音を配置するのか座標で決める考え方です。Pro Tools| Ultimateでの作業の場合、座標の指定はチャンネル・ストリップのパンナーで行います。そして、その位置情報とオーディオをDolby Atmos Renderer というソフトウェアが受け取り、部屋のスピーカー・レイアウトにふさわしいレンダリングを行って、指定のI/Oから出力するのです。Dolby Atmos Rendererには128の入力があり、Pro Toolsのプレイバック・エンジンで“Dolby Audio Bridge”を選べばオーディオや位置情報を直接送り込むことができます」

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今回のDolby Atmosミックスに使用されたAVID Pro ToolsのセッションとDolby Atmos Rendererソフトウェア。後者の左側に並ぶドットはベッドとオブジェクトを表し、その数は128。7.1.4chスピーカー・レイアウトの表示を挟み、右下には空間におけるオブジェクトの位置が緑色のドットで表されている

 
 その128の入力のうち、10は通常のチャンネルと同様に使用する形。つまり7.1.2chの10台のスピーカーに直接ひも付いたもので、Dolby Atmosでは“ベッド”と呼ばれている。そして残り118はオブジェクト用だ。「ミックスしていく中でベッドだけでも結構良い感じになったんです。これで良いかな?とも思ったんですが、やっぱりオブジェクトの効果を試してみたくて、まずはオーディエンス・マイクなどを配置してみました」とは浦本氏の弁。

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ミックス・エンジニアの浦本雅史氏。「Dolby Atmosを音楽に導入すれば、表現の幅が確実に広がると感じるんです」と語る

 
 「ハイト・スピーカー(天井設置)は結構新しい感覚でしたね。何しろこれまで自分と同じ目線からしか出ていなかった音が天井から聴こえてくるので……拍手の音を収めたオーディエンス・マイクなどは、ハイト・スピーカーからしか出していない場面もあります。あとは「新宝島」のギター・ソロ。これをハイト・スピーカーの方に振りました」


 「モッチ(ギターの岩寺基晴)の音を少し背の高い感じにしたかったんです」と江島が続ける。


 「上から音が聴こえることは日常生活でも早々無いと思うので、カクテル・パーティ効果じゃないですけど、その方向にパッと耳が行くんですね。でも、説明されなければギターが上から鳴っているというのは気付かないと思います。“何となく目立って聴こえるな”と、肌で感じることはあっても」


 「Dolby Atmosを発表した当初、まず何を皆さんに紹介したら対応コンテンツを作ってもらえるだろうと考えていたんですが」と前置きしつつ、中山氏が語る。


 「天井からの音を意識し過ぎるあまり、映画コンテンツの場合は、空に浮かぶものや飛んでいるものを探してしまうんです。ただ、そういう場面でも無い限りは使えないんじゃないの?という意識を変えてもらうために、ある時期から音楽録音に参加し、ホールで上向きに設置したマイクの録り音をハイト・スピーカーから鳴らしてみた。すると、録れていたのは反射音だけだったのですが、ミュートした瞬間にミックスがきゅうくつな印象になりました。そのとき“ささやかながら、ちょっと鳴らすだけで空間がすごく豊かになる。そういう能力をハイト・スピーカーは持っているのかな”と思って。このBlu-rayでは、そういった効果がうまく使われていると感じます」

 

Dolby Atmosを音楽制作に使うのは
センスを求められることだと思う

 

 ミックスされたサウンドは、納品用のファイル(.atmos)としてレンダリング&マスタリングされた。Dolby Atmos Rendererソフトウェアでも.atmosファイルの作成は可能だが、中山氏はHome Theater Rendering & Mastering Unit(HT RMU)というDOLBY製ハードウェアを推奨する。


 「.atmosの作成にあたっては、Pro Toolsから音声と位置情報をレンダラーに記録するのですが、Pro Tools側でCPUに大きな負荷がかかっていたらDolby Atmos Rendererソフトウェアにきちんと記録できないことがあります。特に商用コンテンツの場合、エラーは許されないので必ずHT RMUを使っていただきたいというのが弊社としてのメッセージです」


 今後、サカナクションとしては5.1chや7.1chといったフォーマットには後戻りできないのではないだろうか? 「戻る理由はありません、今のところ」と江島が答える。


 「これまで、ライブBlu-rayを作る際には音声を24ビット/96kHzで収録してきたのですが、Dolby Atmosはサンプリング・レートが48kHzまでの対応ということで、音質に対するちょっとした懸念があったんです。でも実際にやってみると全く気にならなかったので、5.1chや7.1chに戻る理由は無くなったと思っています」


 Dolby Atmosが24ビット/48kHzまでなのは、記録メディアの容量などを鑑みてのことだそう。しかし浦本氏も「今はステレオで音楽ミックスを作っていますが、機会があれば一度、Dolby Atmosでやってみたい。取り入れることで、音楽表現の幅は確実に広がると思うので」と意欲を見せる。そして“音楽×Dolby Atmos”という点で、近年話題なのがDolby Atmos Musicだ。「Dolby Atmosでストリーミング配信されている音楽をそう呼んでいます」と中山氏は話す。


 「弊社には、3次元の音像を配信できるDolby Digital Plusというストリーム方式があるんです。Dolby Atmosにも対応しているので、これを使って音楽配信をしていただくのはどうでしょう?と、ユニバーサル・ミュージックさんやワーナーミュージックさんに提案したところ、数千にわたるカタログ・タイトルがDolby Atomsミックス化され、Amazon Music HDで配信されることになりました」


 現在、Amazon Music HD上のDolby Atmos MusicはAMAZONのスマート・スピーカーEcho Studioでのみ聴くことができる。また、日本ではローンチしていないが、ストリーミング・サービスTIDALもDolby Atmos Musicの配信に積極的だ。今後、より多くの音楽がDolby Atmosでミックスされるようになるのではないか? 江島が語る。


 「例えばクラシック音楽などには合いそうですが、エレクトロニックなジャンルでオブジェクトをオーバーに使って奇抜にし過ぎるのは、どうなんだろうと思います。僕らは、Dolby Atmosを聴いている感覚をリスナーに求めているのではなく、それを使った作品が結果的に“何だかすごい”と思ってもらえるところを目指していて。そこに持って行けるかどうかはセンス次第だと思いますし、ステレオでの音楽制作ほどノウハウが確立されていない分野なので、いろいろな作り手がチャレンジしていくと面白いですね。そうなることで制作のコスト・ダウンも実現されていくでしょうから」


 江島は、Dolby Atmosの未来をこう見据えている。


 「今や多くの人が、わざわざハイレゾということを気にせず48kHzや96kHz音声のBlu-rayを視聴する時代です。それと同様に、Dolby Atmosだから買うんじゃなくて、当たり前のようにDolby Atmosを聴く、という日がやって来るのではないかと思う。そのとき制作サイドはDolby Atmosを効果的に、センス良く使いこなせているかどうかを見られるでしょうから、僕らは使いこなせている側に居たいと思います」

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江島啓一は“音楽ミックス×Dolby Atmos”に関して大きな可能性を感じているよう


 力強い言葉で締めくくられたトーク・セッション。約1時間半に及ぶ会だったが、終演後に来場者同士の交流が見られたり、出演者に質問をする人が続くなど、Dolby Atmosの音楽シーンでの盛り上がりを予見できる場となった。

 

『SAKANAQUARIUM 2019 "834.194" 6.1ch Sound Around Arena Session -LIVE at PORTMESSE NAGOYA 2019.06.14-』(完全生産限定盤:Blu-ray)
サカナクション
ビクター/NF Records:VIXL-298
※本編の音声は、メニュー画面でステレオ(24ビット/96kHz)とDolby Atmosを切り替えて視聴可能

 

<本編>
1.セプテンバー(Acoustic)
2.Opening(000.000〜834.194)
3.アルクアラウンド
4.夜の踊り子
5.陽炎
6.モス
7.Aoi
8.さよならはエモーション
9.ユリイカ
10.years
11.ナイロンの糸
12.蓮の花
13.忘れられないの
14.マッチとピーナッツ
15.ワンダーランド
16.INORI
17.moon
18.ミュージック
19.新宝島
20.アイデンティティ
21.多分、風。
22.セプテンバー -札幌version-
23.『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』
24.夜の東側
25.グッドバイ

 

<特典映像>(完全生産限定盤のみ収録)
『暗闇 KURAYAMI』記録映像
・ドキュメント
・第一幕「Ame(C)」~第二幕「変容」Visual Effects & Binaural Recording

 

Musicians: 山口一郎(vo、g)、岩寺基晴(g)、草刈愛美(b)、岡崎英美(k)、江島啓一(ds)
Producer:サカナクション
Engineer:浦本雅史
Location:ポートメッセなごや
Studio:P’s

 

sakanaction.jp