Dolby Atmosと音楽の新しい関係

サカナクションがライブBlu-rayで取り組んだDolby Atmos。日本では映画館の整備の遅れや映画作品数があまり多くないことが課題とされていたが、音楽に関しては全く違う状況が訪れつつある。ここに整理していこう。 

www.snrec.jp

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(サウンド&レコーディング・マガジン2020年4月号特集「Dolby Atmosで音楽ミックス」より再編集しています)

Text:編集部

 

ハイト・スピーカーとオブジェクトが特徴

 

 Dolby Atmosは、もともと映画用5.1/7.1chサラウンドをアップデートするフォーマットとして2012年に発表されたものだ。大きな特徴は2つあり、従来の7.1chフォーマットに天井のハイト・スピーカーを加えた7.1.2chをベースとしていること。そして、これらスピーカーに対応したベッド・チャンネルに加えて118のオブジェクト・チャンネルが用意されていることだ。

 

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映画館におけるDolby Atmosのスピーカー・レイアウト例。濃いグレーが個々のスピーカー。ベッド・チャンネルでは各サラウンド・スピーカー“群”が1つのチャンネルとして扱われる。一方、オブジェクト・チャンネルでは個々のスピーカーを使い音像を定位させることができる

 

 従来のサラウンドの場合、客席数の多い映画館では、複数のスピーカーでリアやサイドなどのチャンネル再生を行う。そのため、“なんとなく後方で鳴っている”という表現は可能だったが、ピンポイントな定位や、画面の物体の動きに追従して音が移動するような表現は、再生環境や座席位置によって聴こえ方が変わるといった問題があった。

 

 そこで、再生環境のスピーカーを個々に利用し、各オブジェクト・チャンネルが持つ定位情報を再現する方式を、Dolby Atmosは採用している。映画館の場合は、各館のシネマ・プロセッサーがスピーカー・レイアウトに応じて、オブジェクト・チャンネルの定位を展開。映画館のシステムによって大きく印象が変わることが避けられる。

 

  こうしたDolby Atmos、日本でも『ボヘミアン・ラプソディ』などの大型洋画タイトルで体感した読者も多いだろう。他方で、海外に比べて日本ではDolby Atmos対応スクリーンがまだまだ少ないため、国内での映画/ドラマ作品の制作例はそれと比例してそう多くないのが現状だ。 

 

ボヘミアン・ラプソディ(2枚組)[4K ULTRA HD + Blu-ray]

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  • 発売日: 2019/04/17
  • メディア: Blu-ray
 

 

 この劇場上映用のDolby Atmosの持つ臨場感を家庭でも再生できるよう、Blu-rayやネット配信に向けた家庭用Dolby Atmosも提供されている。サカナクションのライブBlu-rayで採用されているのはこのフォーマット。ステレオや5.1chサラウンドと同様に、劇場用作品と家庭用作品を制作するスタジオの規模は異なるものの、両者のワークフロー自体は大きく変わらない。

 

 

 もちろん、家庭再生用であっても、再生環境の問題はつきまとう。現実的に考えて、天井にスピーカーを設置できる人は限られるだろう。しかし、現在は手軽に天井や後方のスピーカーを再現できるサウンド・バーも比較的安価に発売されている。さらに、スマートフォンにもDolby Atmosに対応したモデルが多く、イヤホンやヘッドホンでもバイノーラル音声で映画を楽しむユーザーも増えてきた。

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上はSONY HT-X8500、下はPANASONIC SC-HTB01で、どちらも実売価格は4万円前後(編集部調べ)の人気サウンド・バー。テレビの手前下に本体をセットするだけでDolby Atmosのイマーシブな音場が楽しめる

  

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SONYのスマートフォン、Xperia1はDolby Atmos対応。Xperiaの一部モデルのほかSAMSUNG Galaxy、HUAWEI P30などのスマートフォンがDolby Atmosに対応している。一部のAPPLE iPhone(iOS13以降)は内蔵スピーカー再生のみDolby Atmos再生が可能。そのほかAMAZON Fire HDなどのタブレットでもDolby Atmos対応がうたわれている。これらは映画視聴を前提とした対応だが、モバイル端末が標準対応していることは大きい

Dolby Atmos Music配信開始のインパクト

 

 このように、日本の映画界において、Dolby Atmosでの制作増と対応スクリーン増は卵が先か鶏が先かといった状況なのだが、2019年末に大きな事件が起こった。Dolby Atmos Musicという、Dolby Atmosフォーマットでミックスされた音楽作品が、ストリーミング配信され始めたのだ。

 

 現在のところDolby Atmos Musicでの配信は、Amazon Music HDと、日本未展開のTIDALのみ。Amazon Music HDでは、Dolby AtmosとSONYの360 Reality Audio(2020年2月現在、国内では未展開)を“3Dオーディオ”と総称し、AMAZONのスマート・スピーカー、Echo Studioで立体的なサウンドとして再生できるサービスだ。Dolby Atmos Musicには、ユニバーサル・ミュージックとワーナーミュージックが参画。コールドプレイ、ポスト・マローン、リゾなどの人気アーティストがDolby Atmosミックスを提供するほか、旧譜も数千曲のDolby AtmosミックスがTIDALやAmazon Music HDで提供されている。現在はこの2サービスに限られているが、当然他のサービスでの展開も視野に入っているだろう。すなわち、スマートフォン+イヤホンでDolby Atmos Musicのバイノーラル再生が可能となる日は、すぐそこまで来ている。

 

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AMAZONのスマート・スピーカーEcho Studio(直販価格24,980円/税込)。現状、国内でAmazon Music HDでの“3Dオーディオ”が聴けるのはこのスピーカーのみ。2インチ・ユニットを左右とトップ、1インチ・ツィーターを正面、底部に5.25インチ・ウーファーを備える
Echo Studio (エコースタジオ)Hi-Fiスマートスピーカーwith 3Dオーディオ&Alexa
 

 

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iPhone用のAmazon Musicアプリ。3Dオーディオの再生には、Echo Studioの所有とともに、Amazon Music HD(月額1,980円)への加入が必須。3Dオーディオ対応楽曲には“3D”というタグがつけられている

音圧→低音の次は“空間戦争”か!?

 

 これが何を意味するのか? 映画の世界は、上映館も少ないし、作品も少ないという理由で、ガラパゴス的に国内でのDolby Atmosの普及が遅れていた。しかし、音楽は映画館とは関係ない。展開されるのはストリーミング・サービス。すべての楽曲が同じ土俵で再生される。

 

 そう聞いて思い出すのは、“戦争”とまで呼ばれていた音圧競争のことだ。ほかの曲に聴き劣りしない音圧を求めた競争が苛烈し、さまざまな意見が飛び交った。放送やストリーミングでのラウドネス基準導入によって“音圧戦争”は鎮静化したが、これに続いたのが低音。ダンス・ミュージックを中心に海外楽曲のローエンドの迫力がもたらした影響は大きく、国内のクリエイターも低域を意識した音作りを重視するようになってきた。

 

 Dolby Atmosのような空間的な音作りは、これに続くムーブメントに成り得る。“イマーシブ”と呼ばれる、包み込まれるような立体音像が当然のものとなると(既に数千曲の過去タイトルがDolby Atmosで再ミックスされている)、音圧戦争、低音戦争に続いて、“空間戦争”が起こり得る。競争を扇動するつもりはないが、“自分の曲が、前の曲に比べて空間的に狭く聴こえる”と感じたら、クリエイターとしてはそれを解消したくなるのは当然とも言えるだろう。