BLACKBOX³|音響設備ファイル【Vol.65】

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ライブ配信専用スタジオ、BLACKBOX³が誕生した。ファン・コミュニティ・サービスFaniconや、チケット制ライブ・ストリーミング・サービスのCassetteなどを運営するTHECOOが設立。国内の映像と音響のスペシャリストを集め、ライブ・ストリーミングの可能性を広げる空間を作り上げた。スタッフや関係者の方々の話を交え、その設備を紹介していこう。

Text:Yusuke Imai Photo:Hiroki Obara

 

ライブ・ハウスとスタジオの中間を目指した

 2020年3月に惜しまれつつクローズしたスタジオグリーンバード。その場所に新たに生まれたのがBLACKBOX³だ。“配信専用”と銘打たれたスタジオが誕生した経緯について、THECOO代表取締役の平良真人氏に聞いた。

 

 「これまでのライブ・ストリーミングは、レコーディング/リハーサル・スタジオやライブ・ハウスで主に行ってきました。前者では音にこだわれますが、演出面では凝ったことをするのが難しく、後者では照明などの演出を工夫できますが、配信における音質面には不安が残ります。アーティストからもそういった声を聞いており、それぞれの中間にあたるようなスペースを作れないかと考えたのが構想の始まりです。配信ライブでは配信のための人員も機材も必要となり、通常のライブと比べるとコストも時間もかかります。BLACKBOX³では、リハから実際の配信まで簡単に行えて、かつ高いクオリティも実現できる環境の構築を目指しました」

 

 BLACKBOX³の設立にあたっては、さまざまなフィールドで活躍しているスペシャリストが参画している。その一人が今井了介氏。多くのプロデューサー/作曲家を擁するTinyVoice,Productionの代表取締役を務め、自身もプロデューサーとして活動している。今井氏は、スーパーバイザーとして音楽的な目線からのアドバイスをしたそうだ。

 

 「TinyVoice,Productionでは、スタジオ施工事例が都内で3件、海外で2件あるんです。スケルトンからスタートしたものからリノベーションのものなど、いろいろなパターンのスタジオを経験してきました。でも、平良さんの構想は今までのライブ・ハウスやスタジオとも少し違っていて、とてもオリジナルなものを作ろうと考えていらっしゃったので、すごくワクワクしましたね」

 

 平良氏は演出面を考慮し、LEDディスプレイを使ったステージを最初からイメージしていたようだ。「物件を探していく中、このグリーンバード跡地を見つけたときは即決しましたね。決め手は天井の高さです。LEDディスプレイの配置とカメラ・ワークを考えると、天井の高さは必須でした」と平良氏は言う。実際の施工は、今井氏の紹介でアコースティックエンジニアリングが担当することとなった。同社代表の入交研一郎氏はこう語る。

 

 「ライブ・ハウスやスタジオ作りにおいて難しい要素の一つに、電気の容量の問題があります。普通のビルだと音響や演出照明、映像機器に必要な電源容量の確保ができません。ビル自体で全体の容量が決まっていたりしますし、通常はビル内で余っている電気を寄せ集めたり、新しいトランスの増設などを行います。ここはもともとグリーンバードだったこともありますし、スタジオ専用のトランスが用意されていたのが功を奏しました。最終的にはそれでも足りなかったのですが、ビル側との交渉もあり、必要な電気容量は確保できています。また、配信専用スタジオということで、クオリティの高い回線環境も必要です。ちょうどビル自体がリノベーションを行っているところだったので、回線の引き込みも対応ができました」

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BLACKBOX³にはメイン・スタジオであるBOXSTUDIO(扉)と、サブスタジオのBRICKSTUDIO(写真)がある。BRICKSTUDIOは居心地の良い装飾が行われており、トーク・イベントなどで使うことを想定した場所だ。モニター・スピーカーにはD&B AUDIOTECHNIK M4を採用。モニター・コンソールにはYAMAHA QL1を設置している

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後列左から、アコースティックエンジニアリングの斎藤裕昭氏、高野美央氏、入交研一郎氏、LSDエンジニアリングの遠藤幸仁氏、映像センターの佐藤知之氏。前列左からTHECOOの寺戸悠樹氏、平良真人氏、TinyVoice,Productionの今井了介氏

XR技術を活用した映像演出

 BLACKBOX³はビルの地下1階と地下2階に位置しており、地下1階にはトーク・イベントなどでの使用を想定したサブスタジオのBRICKSTUDIO、地下2階には音楽ライブなどが行えるメイン・スタジオのBOXSTUDIOがある。このBOXSTUDIOには大型LEDディスプレイ(9×4×4m)が左右と背面の壁、床の計4面に設置されており、圧巻の光景だ。しかし、当初平良氏が考えていたのは左右と背面の3面のみだったそう。そこで声を上げたのが今井氏だったという。

 

 「アメリカで行われた大規模なイベントを見る機会があったのですが、そこでは床もLEDディスプレイを使っていました。床で表現が加わることで、演出の幅や見ている側の没入感が一気に高まることが分かって。“ぜひ床にもLEDディスプレイを入れましょう”と平良さんに提案しました」

 

 配信時はLEDディスプレイに映像が映し出されるわけだが、ポイントとなるのは“映像がカメラへ追従する”ということだ。LEDディスプレイそれぞれは90°で組み合わさった箱型のため、通常であればそのつなぎ目部分で映像が屈折する。しかし、BOXSTUDIOでの配信映像上ではそれが起きず、ステージ上の人間が仮想空間にいるように見えるのだ。映像周りを担当する映像センターの佐藤知之氏がこう解説する。

 

 「BOXSTUDIOにはリモート・カメラがふかん用に2台、地上に3台設置されています。コントロール・ルームにDISGUISE VX2というメディア・サーバーがあり、それによって仮想の3D空間の中でリモート・カメラの座標を設定し、カメラが切り替わればその位置から見た仮想空間の画になるように映像が切り替わるんです。仮想3D空間と現実空間でのポジションが一致しているので、カメラを振ったところに映像がピッタリとくっ付いてきます。XR技術(ARやVRなど仮想空間技術の総称)を使った表現が可能になっているんです」

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LEDディスプレイに映像を映した様子。配信ではスタジオにある5つのリモート・カメラからの視点となるが、LEDディスプレイの映像がそれに追従し、LEDディスプレイの境目を感じさせないような表現が行える

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カメラと映像の同期表現の肝となるのが、メディア・サーバーDISGUISE VX2(写真中央)。常設施設としては国内初とのことだ。XR技術を使った演出が行えるほか、さらに機能を拡張することでハイクオリティなCGを使うこともできる

 音響機器も見ていこう。配信専用スタジオということで、当然ながら観客のためのメイン・スピーカーは無いが、演奏者用のモニター環境は構築されている。PAを担当するLSDエンジニアリングの遠藤幸仁氏に説明いただいた。

 

 「コントロール・ルーム内のモニターは基本的にATC SCM25A Proで、各オペレーターで同じ音を聴くという状況にしていますが、BOXSTUDIO内のモニター・スピーカーはすべてD&B AUDIOTECHNIKでそろえました。大型フェスやイベントでも使われていますし、海外の方からの指定も多いブランドです。これであれば一流アーティストにも納得して使ってもらえると思い、導入しました。モニター・コンソールはYAMAHA CL5。登場してからしばらくたっていますが、現場で一般的になっているコンソールです。当然乗り込みのエンジニアも来ると思いますし、そういう方でも分かりやすくパッと使えることを考えてチョイスしました」

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BOXSTUDIOのモニター・スピーカー、D&B AUDIOTECHNIK Y7PとY-Sub。そのほか同社のM4も用意されている

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BOXSTUDIOでのモニター・コンソールはYAMAHA CL5。多くの現場で使用されており、乗り込みエンジニアでも操作がしやすいようにと導入したそうだ。CL5の下にはステージ・ボックスのRIO3224-D2や、AVID S6L-24C用のステージ・ボックスStage64などが収められていた

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BOXSTUDIOを見下ろせるVIPルームも完備。全席がリクライニング・シートとなっている

汎用性を考えてSCM25A Proを導入

 次はコントロール・ルームを見ていこう。部屋には2列のデスクが用意されており、そこに音響や映像、照明、配信のオペレーターが一堂に会して作業を行うようになっている。コントロール・ルームの設計について、入交氏がこう話す。

 

 「ホールやテレビ・スタジオの調整室のようなクオリティではダメだということは分かっていました。音にこだわって配信をしたいという希望もあったので、やはりレコーディング・スタジオのコントロール・ルームのようなモニター環境をきっちり作ることを意識しています。とはいえ、このようにさまざまなオペレーターが一カ所に集まるようなスタジオは珍しく、お手本となるような場所はなかなかありません。みなさんから意見をいただきつつ、手探りで設計していった感じですね」

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コントロール・ルーム全景。デスクが2列あり、前方中央にメイン・コンソール、その左側に照明システム、右側に録音用AVID Pro Tools|HDXシステムが用意されている。後方のデスクではLEDディスプレイのオペレーションやカメラのスイッチングを行う

 オペレーターたちのモニター用スピーカーには、遠藤氏の発言にあったようにATC SCM25A Proが用意されていた。「僕が希望を出したんです」と今井氏が言う。

 

 「MUSIKELECTRONIC GEITHAINも考えたのですがスウィート・スポットが狭く、ほかにもFOCALやADAM AUDIOも検討したのですが、多ジャンルの音楽を再生することや、みんなで共有してモニターすることを考え、今回はATCをセレクトしています」

 

 SCM25A Proはアコースティックエンジニアリング製のスタンドに設置。部屋の設計も相まって、理想的なサウンドになったという。遠藤氏はSCM25A Proについて「中〜高域の定位がばっちり見えるのが素晴らしい」と評した。今井氏もこう続ける。

 

 「PAエンジニアだと戸惑ってしまうサウンドかもしれませんが、配信のことを考えるとこの方が良いのだと思っています。ライブではなく配信ですから、視聴者側はラウドな環境でなく常識的な音量で聴くでしょう。その仮説もSCM25A Proを選んだ理由です」

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コントロール・ルームのモニター・スピーカーはATC SCM25A Pro。さまざまなジャンルのアーティストが来ることを考え、汎用性の高さを重視して選んだとのこと。スピーカー・スタンドはアコースティックエンジニアリング製で、コンクリートと木材で構成されている

新しい表現方法を模索する場所

 2列あるデスクのうち、前方のデスク中央で音響オペレーターが作業を行う。メイン・コンソールに選ばれたのはAVID S6L-24C。遠藤氏がその理由を語る。

 

 「配信の現場では多くの場合、PAのFOHエンジニアが配信のミックスをしますが、レコーディング・エンジニアが操作する場合も出てくると思います。PAとレコーディングのどちらのエンジニアも使いやすいように、また今後の拡張性も考えてAVIDのコンソールをチョイスしました。Pro Toolsのプラグインがそのまま流用できますし、WAVES SoundGrid Extreme Serverも用意しているのでWAVESプラグインも使うことができるようになっています」

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メイン・コンソールのAVID S6L-24C。タッチ操作と配信映像を確認するためのディスプレイも設置されている。コンソールは可動できるようになっており、卓持ち込みにも対応

 S6L-24Cからの音声は映像とタイミングを合わせるためのディレイ・ユニットSONIFEX RB-DS2へ送られ、その後アナログへの変換やデジタルでの分岐を行い、モニター機器や配信機器へと送られる。配信機器側にはデジタル(AES/EBU)のまま24ビット/96kHzの信号が送られているという。「現状では96kHzで視聴できる配信プラットフォームは少ないですが、ラウドネスのコントロール面など、聴きやすいプログラムを作る上では重要になるポイントなんです」と遠藤氏は語った。

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レコーディング用のAVID Pro Tools|HDXシステム。Pro Tools|Sync HDとPro Tools|MTRXが収められている。それらの上には音声分配ユニットSONIFEX RB-DA6G、モニター・コントローラーのGRACE DESIGN M905、AES/EBUを分岐するMUTEC MC-2がスタンバイ

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S6L-24Cの隣には、ミキサーのTASCAM LM-8ST、レコーダー/プレーヤーのSS-CDR250N、ディレイ・ユニットのSONIFEX RB-DS2、トークバック用のCLEAR-COM MS-702がラックに組み込まれている。手前にあるのはGRACE DESIGN M905のコントローラー

 ハイスペックな設備をそろえ、クオリティの高い配信を行える環境を整えたBLACKBOX³。この場所が今後のライブ・ストリーミング文化の中心地となるだろう。最後に、平良氏に今後の展望を聞いた。

 

 「新しいコンテンツとしてのライブ・ストリーミングはまだ誰も見出せていない気がしています。それを見つける場所がこのBLACKBOX³です。音楽アーティストだけでなく、e-sportsイベントや劇など、さまざまな分野のクリエイターにも来ていただき、皆さんと一緒に新しい表現方法を模索していきたいと思います」