東京・九段下にオフィスを構える建築設計事務所、アコースティックエンジニアリング。業務用スタジオ、ライブ・ハウス、個人向けスタジオなど、さまざまな音楽家/音楽制作者のための防音/音響設計、工事などを手掛けてきた。同社は昨年、オフィス内に新ショールームをオープン。実際のスタジオと同等の機材が用意されレコーディングも可能となっており、自分のスタジオを持ちたいという音楽家にとって、その夢を現実のものとして感じられる空間と言えるだろう。代表の入交研一郎氏にショールーム・スタジオ開設の経緯や狙いについて語ってもらった。
Photo:Takashi Yashima Movie:Kazuki Kumagai
どれだけ気持ちよく音を出せるか
東京の九段下に事務所を構えるアコースティックエンジニアリング。オフィス内に設けられたショールーム・スタジオは2ルーム構成で、まず4.7畳程度のコントロール・ルームがあり、マンションの一室での制作スタジオを想定して、多数のアウトボードが用意されている。続くメイン・ルームはブースを兼ねた11.5畳の空間。デスクやスピーカーだけでなく、ドラム・セットやギター・アンプも用意されている。まずは、ショールームが作られた背景を入交氏に聞いた。
「以前にも簡易的なショールームはあったのですが、お客様に我々が造っているスタジオを具体的にイメージしていただきたいという考えがありました。どういったものが出来上がるのかということを、よりリアリティを持ってお伝えしたいという思いを持ってこのショールームを設計しています」
入交氏がそう語るように、ショールームでありながら実際のレコーディング・スタジオと変わらないのが特徴。メイン・ルームではGENELECのミッドフィールド・モニター1038CFが鎮座する。
「一番にあったのは、ミッドフィールド・クラスのスピーカーをきちっと鳴らせるモニター・ルームを作りたいということです。ある程度音の出せるモニター環境を構築して、そこからお客様それぞれの好みに合わせていきたいと思いました」
確かに楽器演奏やモニタリングなど、一口に音楽スタジオといってもその用途は多岐にわたるものだ。
「いろいろなジャンルのものを寄せ集め過ぎて、どれも中途半端になるのは避けたいなと。モニター環境のしっかりしたこの部屋をベンチマークとした上で、ここよりもドライにしたいとかライブにしたい、ドラムをたたいたりエレキギターを弾いたりしたらどうかなど、目標に対して相対的な話ができる。どこを基準にするのかが何もないと、スタート・ラインが見付からないような状態になるので、そこを解消したかったですね」
入交氏が意識しているのは、音が出せる空間が欲しいという音楽家の悩みの“その先”だ。
「皆さんやはり遮音の心配から入ってこられます。近所に迷惑をかけないように大きい音を出したいみたいなことですね。ただ、スタジオや練習室の設計、構築に関して言うと本質はそこではないんです。お金とスペースを使って他人に迷惑をかけないようにするのは非常にネガティブな発想で、当然きちんと遮音はしなければいけませんが、大事なのはそこから先。大きな音を出せる環境というのは当たり前として、どれだけ気持ち良く音を出せるかというのが最も重要なんです。お客様とポジティブにお話できる部分を大事にしていきたいと思っています」
依頼主に提案しながら、一緒になって完成を楽しみにしたいと語る入交氏。メイン・ルームの音響設計はその意図を持って作られたものだ。
「音響的には固いものと柔らかいマテリアルを混在させて、中庸な感じに持っていきたいなと思いました。例えば吸音材に関しては基本的にはグラスウールで、密度の高いものと低いものを折り混ぜながら使っています。天井は化粧材の合板で木の柔らかい響きに近いもの、壁の上の方はモルタルの硬い響きと、部分ごとによって吸音と反射のバランスや素材の持つ響きを考えながら設計しています」
室内後方にはMDF製のディフューザーを設置。また床にも特別な仕様を用意している。
「デスクがある方はコンクリートの浮き床、ドラムを置いているところはコンクリートを使わない乾式の浮き床と、床の下地構造自体を変えています。フロアによってドラムの低域の響き方が全く変わってきますし、その違いをはっきり感じてもらえるのではないかと思います」
常設している機材にも入交氏の強いこだわりがあるようだ。
「メイン・スピーカーの1038CFは、多くの現場で聴いてきて、私がイメージするさまざまなスタジオの響きにマッチするという点から選びました。サブウーファーも入れているので、きちんと低域の成分を出せるようにしています。スピーカー台にはコンクリートを10cmほど打ち込んであり、剛性の高いスタンドと同等の音が出せると思います。もちろん、ご自身のスピーカーを持ち込んでいただいて試すことも可能です。モニター・コントローラーのGRACE DESIGN M905は使用されている方が多く、リファレンスに適しているかと考え用意しました。ギター・アンプはFENDER Super ReverbやMARSHALL JMP 1959、ドラム・セットはSONARと、高いクオリティのものを置いています。質の高い楽器を実際に演奏してみてもらって、この部屋の音を感じてもらいたいです。
理想の音楽生活をイメージできる空間
もう一部屋のコントロール・ルームには、NEVEやSSLなどのアウトボードを数多く設置している。
「こちらは制作やレコーディングをするエンジニア、アレンジャー向けで、自室でレコーディングできるようなマンション・スタジオのイメージです。乾式の浮き床にして、メイン・ルームとはモニタリング環境を変えています」
プロ・ユースのマイクも用意されており、両部屋ともに各機材が接続済み。実際にレコーディングすることも可能だ。まさにスタジオそのものの環境がそろっている。
「お客様にイメージしてもらうという面もありますが、我々スタッフのイメージ作りにも生かされています。実際にそれぞれの機材からどういう音が出ているのかを知識として持っているからこそ、お客様と話せることがありますよね。どういう音楽生活をしていくことに喜びがあるかっていうことを、ちゃんと一緒に考えることができる。MARSHALLのJMP 1959をフルで鳴らせますか?みたいな話は普通の建築設計事務所ではできないと思います」
近年の新たな需要として、配信を意識したスタジオを手掛けることも増えてきている。
「音楽のライブ配信を主体にやっている方には、例えばステージ上へのLEDパネルの設置や、舞台照明のコントロールなどのご提案もできます。天井にバトンを組んで後から機材を増やせるような環境や、回線を追加したり電源を確保したりといった、拡張性のある空間にすることも可能です」
これまでスタジオ造りの参考となっていたのは、既に出来上がったスタジオであることが大半であった。新たにスタジオを計画している顧客へのリファレンスとして、ショールームの存在は非常に大きなものとなるだろう。
「基準という面だと、例えば遮音に関してここでドラムをたたいたときに遮音性能がD-70だとどういう聴こえ方をするか、D-65だったらどうかというのを細かく体感できるようになっています。楽器の鳴り方やスピーカー、部屋の音響状態というのを、ここを基準にすることでお客様もイメージしやすいと思います」
周りを気にせず楽器を演奏でき、ミックスをモニターできる。音楽好きにとってはこれ以上無く理想的な環境と言えるだろう。最後に入交氏がこう語ってくれた。
「音を止めなきゃいけないと悩んでいる方にショールームを見てもらって、音を止めた先のことを感じてもらえたらと思います。喜びに満ちた音楽生活を期待して、ときめいてもらえたらうれしいですね」