矢野顕子のニュー・アルバム『音楽はおくりもの』は、ホーム・レコーディング主体で制作された楽曲「愛を告げる小鳥」を端緒としている。引き続き録音の方法を伺いつつ、近年のDAW完結型プロダクションについて思うことやレコーディング・スタジオでのセッションに関しても話を聞いた。
Text:辻太一
インタビュー前編はこちら:
若い人たちは本当にえらいと思います
ー新調した機材で録った音は、アルバムに採用されているのでしょうか?
矢野 「愛を告げる小鳥」のオルガンは、自分で録ったものです。かねてから所有していたHAMMOND B-3を久しぶりに弾いてね。マイキングの仕方とかはスタジオで見たことがあるから覚えているんですけど、自宅ではLESLIEスピーカーを壁際に置いているので、本来マイクを立てるべきところに設置できなくて。それで結局、この辺かな?みたいな感じで安いマイクをポンって置いて録りました。B-3自体はすごく良い音をしているんですが、よーく聴くと指が鍵盤に当たる音も入っています(笑)。
ー自宅録音の証として、リスナーにはその音にも耳を澄ましてほしいものです。ボーカルも、そのリーズナブルなマイクでレコーディングしたのでしょうか?
矢野 いいえ。歌は基本的に日本のスタジオで録音したんですけれど、そこで録り切れなかったものはVM1でホーム・レコーディングしました。Avatar Studiosで働いていたアキ君(西村昂洋)というエンジニアに手伝ってもらいながら録ることが多かったですね。彼は機材に関しても“これを買うといいですよ”とか、いろいろアドバイスをくれて。じゃないと何から手を付けていいやらみたいな感じでしたから(笑)。
ーご自身でも機材の使い方などを研究したのですか?
矢野 もう、本当に難しくてね。歯が痛くなる感覚で、泣きたくなりました(笑)。まずPro Toolsを開いて、ベーシックな仕組みをアキ君に教えてもらい、録音するときはレコーディング・ボタンを赤くして、同時にオーディオ・インターフェースのマイク・アンプの設定も忘れないようにとか、そういうことを全部、書き留めておいて。後で見返しながら自分でやってみて、最初に録れたものを飯尾さんに送ったんです。皆さん、それを大変喜んでくださって(笑)。
ー新しいことにトライするのは素晴らしいと思います。
矢野 私はオーディオに興味を持ったことがほとんど無いんです。レコーディングやミックスには自分なりの像がありますし、それに近付けるべく努力もするんですが、録音の仕方とかシステムとか、いわゆるファンクションの部分というのにはほとんど興味が無いですから。なのにやらなくちゃいけないという状態……数学が好きじゃないのに、何とか80点を取るために頑張るって感じでしたね。
ー昨今は、レコーディングからマスタリングまで一人で完結させるようなアーティストが増えていますが、そういった状況に対して何か感じるものはありますか?
矢野 感じるも何も状況さえよく分かっていないんです。つまりマリー・アントワネットみたいなもので。録音って言ったら大きなスタジオに行って、一番良いピアノを弾いて、あとはみんなに“格好良くしておいてね”というので良かったわけです。でも、それができない状況になったとき、自分には録音作品を作るすべが無いことに気付いて。じゃあどうすればいい? ケーキを食べればいいんだ!と(笑)。でもケーキも無いわけですから、自分で作るしかありませんよね。だから、若い人たちは本当にえらいなって思いますね。大きなスタジオに入ったことのない方も居らっしゃるんでしょうけど、それでも自ら録音作品を残せるわけですし。
ーご自宅でのレコーディングに際して、何か気を配ったことはありますか?
矢野 とにかく、ここはマンハッタンなので……それに防音も何もしていませんから、まずは“いつレコーディングするか”っていうのを考えなければなりませんでした。夕方になると子供たちの声が聴こえてきたり、犬の散歩が始まって鳴き声がすることもあって、働きに出ている人が多い昼間を選ぶことにしたんですけど、今度は隣で工事が始まってしまい。あるときなんか、コンクリートをガガガってくだく音がしてきたので、作業員の方に“いつまでやるの?”って尋ねたら“2時まで”と言われたから、それを待って録ったりとか。
ー非常に限られた中での録音だったのですね。
矢野 「愛を告げる小鳥」のときは、Black Lives Matterのムーブメントが最高潮で。うちのすぐそばがデモの集合場所だったので、夜中の2時くらいまでアパートの上空をヘリコプターがわんさか飛んでいたんですよ。そんな中、集合が夕方5時くらいだという話を聞いたから、何があってもそこまでには録り終えるとか、そういう感じでしたね。
リハが無くてもすぐに一枚の絵になる感じ
ー制限が多い中で良いテイクを得るために、前もって準備していたことなどはありますか?
矢野 飼い猫に早めにご飯をあげて騒がないようにさせるとか、前の日にお酒を飲まないとかいろいろやってはみたんですけど、やっぱり難しいですね、自宅でやるっていうのは。スタジオに居ると“ここは歌うところだ”ってなりますが、家だとやっぱりねぇ。
ーメンバーの方々と日本のスタジオでレコーディングしたのは、いつごろだったのでしょう?
矢野 去年の12月です。曲ができ次第、ピアノと歌のデモを共有していたので、どんな曲をやるかというのはみんな分かっていて。しかも私が日本に着いて隔離されている最中に2回ほど、Zoomで口リハと言いますかね、サウンドについての打ち合わせをしましたから、スタジオでせーので録音すると、すぐに一枚の絵になる感じでした。
ー矢野さんは、サウンドについてどのようなイメージを描いていましたか?
矢野 一昨年の“さとがえるコンサート”を今回の4人でやって、彼らと演奏する楽しさを感じたんです。バンドの中で誰が偉いかとかリーダーかとかではなく、一人一人の良いところを出し切れた結果、曲ができる感覚というか。そういうのを久しぶりに味わえたので、とにかく“このバンドを生かした曲が書きたい”と最後まで思っていました。
ースタジオで顔を合わせてのセッションというのは、あらためていかがでしたか?
矢野 いや~、もうそれはうれしいものですよ。ただ「愛を告げる小鳥」も、仕上がりを聴くとリモートで作ったとは思えない感じで。特に後奏のコーダの部分は、顔を合わせて音を出しているかのよう……これはやっぱり、みんなの曲に対する理解度が同じくらい深いということですね。
最後は、矢野が全幅の信頼を置いているというエンジニアの飯尾芳史氏に、本作の録音とミックスについて伺いました。
矢野顕子インタビュー前編はこちら:
Release
『音楽はおくりもの』
矢野顕子
SPEEDSTAR/ビクター:VICL-65453(通常版CD)、VIZL-1833(初回盤CD+ライブBlu-ray)、VIJL-60245(レコード/1LP)
Musician:矢野顕子(p、vo、org)、小原礼(b)、佐橋佳幸(g)、林立夫(ds)、MISIA(cho)
Producer:矢野顕子
Engineer:飯尾芳史、西村昂洋、矢野顕子
Studio:モウリアートワークス、ビクター、プライベート