『SOFTLY』のシンセ・オペレーションやプログラミングを手掛けつつ、メイン・エンジニアとしても手腕を振るった橋本茂昭。山下達郎をはじめ、竹内まりや、SPEED、米米クラブといった一級のアーティストに携わってきた実力者だ。アルバムの音作りについて実技的な面を詳しく伺った。
Text:辻太一 Photo:小原啓樹
歌の音量感は詞の伝わり方にも影響する
ー山下さんと最近の音楽を研究されたのですよね。
橋本 はい。僕の方から“達郎さん、この曲が良いと思うんですけど”とシェアしたり、達郎さんが良いと言うものを聴かせてもらったりしました。達郎さんと言えばオールディーズなどのイメージが強いと思いますが、エレクトロニックな音楽やオルタナティブ系の新譜も数多くチェックされているんです。聴かせてもらった曲は、どれも歌がないがしろにされていないし、詰まったような音でもありませんでした。海外のものがほとんどでしたけど、きちんと作られた曲はCDでもストリーミングでも良く聴こえるんです。
ー歌が奇麗に聴こえるからこそ、再生メディアを問わず映えるのかもしれません。
橋本 例えば、序盤から歌が大きく出ている曲。一聴して派手に感じられるのですが、大抵はボーカル・コンプが強くかかっているので、サビでオケが盛り上がっても歌の音量感はほぼ変わりません。つまり歌に起承転結を感じにくい。ダイナミック・レンジは歌詞の伝わり方にも影響すると思っていて、抑揚の少ない平坦な音では、“キツい言葉だけど背後に別の意味があるんだろうな”といった繊細なニュアンスが伝わりにくくなります。だから、歌を主軸にオケなりミックスなりを作るのが良いと思うんです。序盤はおとなしく聴こえるかもしれませんが、サビで感動をピークに持っていくような流れの方が、曲のトータリティとして美しいなと。
ー山下さんのように個性的な声なら、なおのこと歌がきちんと伝わるようにしたいですよね。
橋本 達郎さんの歌詞にはメッセージ性があるので、そこが聴こえないとダメだというのは常に思っていました。あと定石にとらわれず、やり方を変えてみようとも。例えば歌録りの際に、コンプでたたき過ぎないとか。達郎さんは、3~4年前から難波弘之さん(k)と伊藤広規さん(b)とアコースティック・ライブをされていて、そのリハーサルに僕も行くことがあるんです。で、演奏を聴かせてもらうと、PAエンジニアがいない環境であってもパーフェクトなバランス感で。“この演奏をそのまま録るだけで製品版のCDができるじゃないか”と、本気で思えるほどです。だからアルバムの歌録りでは、コンプをかけているものの計2~3dBしかゲイン・リダクションしていないんです。
ーボーカル・コンプは、どのような機種を?
橋本 ファスト・アタックのSHINYA'S STUDIO 1U76 Rev.Dで突発的なピークを抑えました。その後段にオプトコンプのAVALON DESIGN AD2044をインサートし、全体を軽くならしています。録音後は、なるべくリラックスした状態で歌を聴き返し、“今、何て歌ったのかな?”と思ったところをメモしておいて、そこだけPro Toolsのクリップゲインで音量を上げました。歌詞とメロディ・ラインの組み合わせによっては、人間の喉の構造上、どうしても強く歌えないことがあったりするんです。ただ、あまり微に入り細に入りチェックすると、音量を調整し過ぎてしまって抑揚が失われそうだったので、リラックスしながら聴き返すのが良いと思っていました。
ーフェーダー・オートメーションではなくクリップゲインで音量を上げ下げしたというのが興味深いです。
橋本 クリップゲインは原音の音量に働きかける機能なので、大元の音量を安定させておけば、コンプレッションが最小限で済みそうだなと。あとフェーダーで制御しようとすると、メインのフェーダー以外にVCAフェーダーがあったりするから、そのときコントロールしたいものが一目で分かりにくいだろうと。それにクリップゲインの方が、ある区間を一括して上げるときなども速いですしね。
ークリップゲインの後で、コンプなどによるダイナミクスの調整を行ったのですか?
橋本 達郎さんとは“コンプをかけると音に根性が出る”って話をするんですが、やっぱり不要なひずみが生じたりもするので、まずはWAVESのVocal Riderを使いました。それも最初から最後まで常にかけているわけではなく、音量が下がる語尾の部分を1~2dB上げるような使い方です。歌詞において語尾の部分が重要であることも多かったので。
全楽器を“等価”に扱うようなアレンジ
ー橋本さんは、シンセ・オペレーターとしてもアルバム制作にコミットしたと思います。アレンジにかかわる面でも、歌を引き立たせるような工夫をしたのでしょうか?
橋本 そうですね。そもそも達郎さんのアレンジは独特で。リズム楽器、コード楽器、ベル系などの上モノが、すべて等価に考えられていると思うんです。例えば1小節の中の8分音符……4分の4拍子なら計8つですが、それらをベースとパーカッションとカウンター・メロディに振り分けて鳴らすようなやり方だったり、右からギターを鳴らして次に左のシンセ、最後にセンターで歌を聴かせるといったストーリーを1小節の中で作ったりする。そして、いずれも歌をサポートするような構造なんです。恐らくリズム楽器と音程楽器の組み合わせ方や位置関係に、達郎さん自身すごく気を配っているのだと思います。例えばシェイカーなどにしても、達郎さんはコード構成音の一つとして捉えているんだろうなと。
ーでは、パーカッションもピッチを意識しながら打ち込んでいったのですか?
橋本 はい。達郎さんはパーカッションに強いこだわりをお持ちで、ご自身でも演奏されるので、僕も打ち込みを任せてもらう際にはピッチやパターン、そして音価まで吟味しています。また、休符も音符なんですよね。空き方でグルーブが変わってくるため、音が鳴る部分と休符をいかに組み合わせるかが大事で。そういうことを考えて、ほかの楽器との関係性を見ながら打ち込んでいくんです。“ギターがこう鳴っているから、パーカッションはこのタイミングにこれくらいのピッチで入れると良さそうだな”というように。
ーパーカッションと言えば、「人力飛行機」は上原“ユカリ”裕さんのドラム演奏からクリックを作り、コンガやシェイカーのシーケンスを鳴らしたと伺いました。
橋本 Pro Toolsでテンポ・マップを作成したんです。ドラムはクリックレスの録音で、プレイヤーの方々はそれを聴きながら演奏されました。その後、打ち込みのパートを重ねるにあたって、テンポ・マップを作成しています。ドラムがクリックレスなので、曲の中にはBPMの揺らぎがありますよね。テンポ・マップを作っておけば打ち込みを演奏に合わせやすいし、ある個所に打ち込んだパターンをほかのセクションにコピー&ペーストしたり、クオンタイズしたりというエディットも容易です。オーディオ・ベースで作業するよりも柔軟だと思いますね。
ーテンポ・マップは、どのように作成したのですか?
橋本 演奏のオーディオ・トラックを基準に小節 | 拍マーカーを置いていくんです。ただ、ドラムを絶対的な基準としてテンポ・マップを作ると、ドラムと打ち込みはぴったり合うものの、ベースやギター、ピアノといった演奏のトラックがズレて聴こえたりする。だから、皆さんが共通のクリックを聴いて録っていたとしたら、そのクリックはどんなタイミングだっただろう?という目線で小節 | 拍マーカーを置いていきました。つまり、ドラムのタイミングがクリックに該当するところもあれば、ギターやベースがクリックのポイントになる部分もあったんです。あるいは全員が走り気味だったら、その中心点はここだろうなとか。そうやってテンポ・マップを作ることで、あのバンド・メンバーの中でコンガやシェイカーが一緒に演奏されているように聴かせています。
実機のシンセで和音にあえてバラつきを
ーだから、「人力飛行機」のパーカッションはスクエアなノリに聴こえないのですね。他方、いわゆる音程楽器の打ち込みには、どのような音源を使用しましたか?
橋本 アナログ・シンセが多かったと思います。例えばベースは「RECIPE(レシピ)」がOBERHEIM OB-X、「LOVE'S ON FIRE」がSEQUENTIAL Pro-Oneです。近ごろのハードウェア・シンセも使っていて、特にYAMAHA Montage6が活躍しました。これまではTX816でエレピやFM系の音色を賄っていたんですが、さすがにへたってきたので、代わりになるシンセを探していたんです。それで“Montage6が良いね”となって。あとはソフト・シンセ。TX816で使用していたエクスクルーシブ・データをNATIVE INSTRUMENTSのFM8にインポートして使ったりしています。SEQUENTIAL Prophet系の音を鳴らすために、U-HE Repro-1を使うこともありました。実機よりもタイミングとピッチがぴったり合うので、その正確さが必要な場合に。
ーということは、タイミングやピッチの揺れが欲しいときはアナログ・シンセの方が適していたのでしょうか?
橋本 そうですね。あえて揺らすために実機を使ったり。例えば「RECIPE(レシピ)」の冒頭から鳴っているマリンバ系のコード・リフ。初めはMOTU MIDI Timepiece AV経由でSEQUENTIAL Prophet-5を鳴らしていたんですが、コード構成音の発音タイミングにバラつきがあったので、同じような音色をReproで作って鳴らしてみたんです。すると発音タイミングがぴったり合い過ぎて、コードがコードに聴こえなくなってしまった。“人間がマリンバを弾いていたら、こんなふうにタイミングが合うはずないよね”と。実機を鳴らす方がコードごとに微細なバラつきが出て、常に良い具合に耳へ入ってくるんです。すべてがぴったり合っていたら、かえって聴こえてこないというか。
ー同一のMIDIデータでトリガーしても、実機とソフトでは発音タイミングが違ってくるのですね。
橋本 全然違いますね。昔のアナログ・シンセなんかは、全く同じMIDIデータで鳴らしても、毎回タイミングが異なります。ただ、達郎さんがCOME ON MUSIC RecomposerをROLAND MPU(MIDIインターフェース)と併用していた時代は、揺れが少なかったんですよ。COME ON MUSICの開発者の方が、 MIDIインターフェースに直接、命令を送るようなプログラムを書いていたそうで、縦線というかリズムに関しては正確性が高かったんです。だから、僕がAPPLE Macintosh Quadra 700でMOTU Performerを使っていたころ、8分音符のタム回しを打ち込んだら“ウラが遅れている”と指摘されました。達郎さんは、長い間 Recomposerを使っていることもあってタイミングに厳しいのですが、その反動なのか「RECIPE(レシピ)」では“(コードが)揺れているのも良いよね”とおっしゃっていました。
ーあのマリンバ系のコードをプレイヤーの演奏で鳴らすという選択肢は無かったのですか?
橋本 弾くのも選択肢の一つだと思うんですが、やっぱり人間の演奏には固有の“波”があるんですよね。4小節プレイするとしたら、その中で揺れが一個の波になる。それが打ち込みと合えばよいのだけど、「RECIPE(レシピ)」のようにエレクトロニクス主体の曲なら機材の揺れを使った方がマッチしやすいんです。揺れているとは言え、10サンプルの差も無いくらいだと思うので。
全体のコンプはPro Limiterを少しだけ
ー今回、再ミキシングした曲があったのですよね。
橋本 はい。既に世に出ていた曲は24ビット/48kHz、新録のものは32ビット・フロート/96kHzで制作されていたので、両者に差が出ないよう気を付けました。ミックスを始めるにあたって、達郎さんからは“エンジニアというのは、アルバムを通して歌を同じところにいさせなきゃいけない。高さや奥行きをそろえるというのは、最初に言われることだよ”とアドバイスをいただきました。それを念頭に置いて、すべての曲で歌を同じポジションに置くようなミックスを心掛けたら、48kHzと96kHzで聴こえ方に大きな差が出なくなったと思います。歌の立ち位置や距離感をそろえれば、音声のフォーマットが違っても統一感が出てくるんです。
ートータル処理は、どのように?
橋本 AVID Pro Limiterをほんのちょっとかけて、その後段のIZOTOPE Ozone 9 Equalizerで微調整をしただけです。マスタリングはWARNER MUSIC MASTERINGの菊地功さんにお願いしましたが、彼の方でも0.5dBとか、そのくらいしかリミッティングしていないと聞いています。
ー1980年代に始まったデジタル・レコーディングが昨今クオリティを高めてきて、ここ何年かの間でも特に満足度の高いアルバムになったのではないでしょうか?
橋本 そうですね。ただ、達郎さんの中では“もうこれは完璧”というアルバムって、一枚も無いんじゃないかと思います。“もっと良くなる”と常に考えているのではないかと。特に、アレンジはよりグレード・アップできるとお考えのようなので、演奏技術や録音機器の向上と合わせて、次こそ最高傑作を作るぞ、という意気込みなんだと思います。