リル・ベイビー〜アトランタ・ヒップホップの新スター 全米首位『マイ・ターン』をプロデューサーが語る

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トラップ発祥の地であるアトランタにおいて注目されている新進気鋭のラッパー、リル・ベイビー。今年3月に発売された彼の2ndアルバム『マイ・ターン』は、ゲストにフューチャーやリル・ウェイン、ヤング・サグなど豪華な顔ぶれを迎え、自身初の全米チャート1位を獲得するヒット作となった。今作のミックスを手掛けたのは、エンジニアのトーマス“ティリー”マン氏。アトランタにおけるトラップ・シーンの発展に大きく貢献したことでも知られ、ミーゴス、クエイヴォ、リル・ヨッティらのサウンドの形成にも深くかかわる人物だ。ここではマン氏に、ラップならではのミックス・テクニックも交えつつ、収録曲「サム・2・プルーブ」の制作について語ってもらおう。

Text:Paul Tingen Translation:Takuto Kaneko

 

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リル・ベイビー『マイターン』のミックスを手掛けたアトランタのエンジニア、トーマス“ティリー”マン氏。写真は彼のプライベート・スタジオであるヒット・ギャラリーのミックス・ルームにて撮影された。モニターはFOCAL Twin6 BEとPRESONUS Sceptre S6、メインDAWにはAVID Pro Toolsを使用。写真左側にはラックにアウトボードを多数設置しているのが見える。マン氏が「DAWでは決して出せない深みや幅、パンチやヘッドルームをもたらしてくれる」と語るRupert Neve Designs 5059 Satelliteもデスク左側にラッキングされている

  
アナログ時代のように
フィーリングに基づいてミックスをしている 

 

 「結局、最終的に大事なのは作品のフィーリングなんだ。アナログ時代、コンソールの前で、良いフィーリングになるまでノブを回したりフェーダーを上げ下げしていただろう。対照的に今はコンピューターの画面を見つめて数字や細かなブースト/カットを気にしてテクニカルに考えるが、もっと音楽的な面を思い出してほしい。聴こえてくる音に集中して、そこからフィーリングを得るんだ。俺も以前はテクニカルに考えていたが、今はフィーリングに基づいてミックスをしている。スピーカーの前に座って目を閉じ、そしていろいろいじっていく。後から振り返ると一見意味不明に思えることをしているときもあるが、それでも聴いたときのフィーリングは常に正しい」

 

 こう語るのはトーマス・マン氏。“ティリー”の愛称で知られる、アトランタのミキシング・エンジニアだ。ケヴィン“コーチ・K”リー氏とピエレ・トーマス氏が2013年に設立したレーベル=クオリティ・コントロール・ミュージックではA&Rも務める。特にアトランタのトラップ・シーンの発展に寄与した功績は大きく、ミーゴス、クエイヴォ、リル・ヨッティ、リル・ベイビーらのサウンドの形成には彼が大きくかかわっている。

 

 「俺は1970~80年代のR&Bに囲まれて育った。1980年代のR&Bは超ウェット&超ワイドなサウンドが特徴で、これに大きな影響を受けてね。2000年代のラップはドライな方向に向かったが、俺はそれが気に食わなかった。ラップ・ボーカルはウェットでワイドな方が好きだ。新しいエフェクトで良さそうなものを見付けるとラップと合わせていった。俺のボーカルのサウンド作りは古いやり方だと思うけど、ラップ・ボーカルはプロデュースがもっと必要だと思うんだ」

 

 マン氏は、アーティストと自身の関係性についてこう話す。

 

 「アーティストと作業するときは、アーティストがどういうサウンドが好きで、どうやったらエネルギーを注ぎ込めるのかを把握する。それが分かったら俺の役割はアーティストとテクノロジーとの橋渡しだ。“そういうサウンドが良いならこれを試したらどうだ?”という感じでね。あとはアーティストのサウンドがトレンドとどう結び付くか議論を重ねるんだ」

 

 今回リル・ベイビー『マイ・ターン』のミックスが敢行されたのはノースカロライナのダーラムにあるスタジオ、サウンド・ピュア。

 

 「サウンド・ピュアは楽器店で、素晴らしいスタジオをすぐ隣で運営していてね。このアルバムのミックスのためにわざわざ店頭在庫のFOCAL Twin6 BEを使わせてくれたよ」

 

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『マイ・ターン』のミックスが行われたノースカロライナ州ダーラムのスタジオ、サウンド・ピュア。楽器店だが、スタジオ業務も行っている。メイン・コンソールはAVID D-Command ESを設置。FOCAL Twin6 BEは『マイ・ターン』のミックス用に店頭在庫から用意してもらったという


 ミックスはアシスタントのプリンストン・テリー氏とともに行われ、当初1週間の予定が、約2週間かかったという。

 

 「今回はすべてDAW完結でミックスしたよ。リル・ヨッティやミーゴスの作品ではレコーディングからミキシングまですべて俺がやるが、リル・ベイビーの場合は、レコーディングにはほとんどかかわらなかった。レコーディングを担当したのはマシュー“マタジーク・ムジーク”ロビンソンだ。彼は俺のテンプレートを使ってレコーディングをしてくれたからミックスのときも助かったよ」

 

 ミックス前にマン氏とテリー氏は全トラックを取り込み、まずはセッションの整理を行う。

 

 「グリッドに沿ったレコーディングをしていないものは、まずテンポを解析してからグリッドに沿って並べるんだ。次にデモを聴く。時には数時間費やして、アーティストが表現しようとしたエナジーを感じ、全体のフィーリングやバイブスがどうなっているのかを把握するんだ。聴きながら、“ここに何が足せる?”と自問自答し、どのようにミックスを進めるかメモを取る。自分のやりたいようにできればいいが、実際はデモを美しく磨き上げることを求められる場合が多い。クエイヴォにも“君に白紙の状態から始めることは求めていない。俺が渡したデータを磨き上げて洗練させてくれ”と言われたことがある。アーティストが慣れ親しんでいるのはデモだからな。俺が良いと思ったデモと違うミックスを作ることもよくあるが、最終的にはデモからそんなに外れないところに収まらざるを得ない」

 

 ラッパーのボーカル・データには不要なノイズまで混ざっていることが多く、その場合はノイズの除去から始めるという。

 

 「ラッパーはチェーンをジャラジャラさせたまま録ったり、控室やホテルのような騒々しい場所で録ることも多いから、それを奇麗にするところから始めるんだ。IZOTOPE RXなどのソフトを使って位相をチェックしたりノイズ・リダクションをしたりするんだよ」

 

キックとTR-808系キックをブレンドするには
サイド・チェインさせたりベースを絡めたりする

 

 『マイ・ターン』収録曲の「サム・2・プルーブ」は、最終的に50tr程度の構成になっている。エフェクト用のAUXトラックは事前に用意しているという。

Sum 2 Prove

Sum 2 Prove

  • リル・ベイビー
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 「13のAUXトラックを俺のテンプレートから持ってきた。テンプレートは常に更新し続けていて、つい最近作ったものには47種類のエフェクトAUXがあるんだ! さまざまなエフェクトをあらかじめ用意してあるから、例えば8分音符のディレイが欲しくなったとき、すぐにテンプレートからインポートできる。ボーカルの下処理にはチューニングも含まれる。アーバン・ミュージックはバイブスとエネルギーがすべてで、ANTARES Auto-Tuneもそのバイブスの一員なんだ。シンセを使っているようなサウンドが得られるからな。ボーカルは通常Auto-Tuneを使用した状態でレコーディングしているから、テンプレートにもAuto-Tuneが入っている。アーティストによってセッティングが違って、レコーディング中に設定を詰めるんだ。ミックスをしながらやることもあるね。CELEMONY Melodyneを使うこともあるが、余程おかしいと感じる部分があった場合にとどめる。奇麗に整え過ぎるとアーティストの求めるサウンドからかけ離れてしまうことも多い」

 

 こうしたボーカルの作業には1時間ほどかけ、それからディレイやリバーブなどを足すと、バック・トラックの調整に移る。マン氏がまず重要視するのはキックのバランスだと言う。

 

 「トラックがあるべき形に落ち着くためにはキックと、それにレイヤーするTR-808系キックのバランスをきっちり取ることが何よりも重要だ。TR-808には常にUNIVERSAL AUDIO UAD-2のPultec EQP-1Aを使うことから始め、大抵はWAVES Renaissance Bassも併用する。倍音を得るためにUAD-2のTS Overdriveを使うこともある。これはUAD-2版のIBANEZ Tube Screamerで、よりパンチを出してくれる。この後はキックの処理で、2~5種類のパラレル・コンプを使う。キックとTR-808をうまくブレンドさせるためには、お互いをサイド・チェインさせたり、時にはベースを絡めることもあるんだ。スネアにはほぼ必ずUNIVERSAL AUDIO UAD-2のSSL 4000 E Channel Strip Collectionを使う。75Hz以下をロール・オフ、10kHz以上のハイエンドをブーストしてより存在感を足した。3kHzと800Hz辺りもブーストしたが、これはよりスナップ感を出すためだ。中低域と中域が足りないスネア・トラックがとても多くてね」

 

TR-808 Kick

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TR-808系キックのサウンド作りに欠かせないというUNIVERSAL AUDIO UAD-2のPultec EQP-1A。マン氏は「通すだけでサウンドが変わるプラグインで、ローエンドにとても良い雰囲気の丸さが出る。20Hzという超低域をブーストするのがベストなフィーリングだった。パンチを出すために8kHzもブーストしている」と語る

 

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TR-808系キックのパラレル・ディストーション・トラックにはUAD-2のTS Overdriveを使用。マン氏いわく、「ひずみを足すことで存在感が増し、結果としてバイブスが得られる」

 

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WAVES Renaissance Bassはひずみ成分に少しローを加えるために使ったという

 

 さらにマン氏は、サブベースやシンセ、ピアノ、ストリングスの処理について次のように語った。

 

 「サブベースにもUAD-2のPultec EQP-1Aを使った。さらにBRAINWORX Black Box Analog Design HG-2でサチュレーションを足して、よりサブベースを感じられるようにしたよ。トランジションはAVID Focusrite D2を使って100Hz以下をカットし、SOUNDTOYS EchoBoyで8分音符のディレイを足して曲中で躍動感が出るようにしたんだ。メインのシンセは、もともと良い感じのサウンドだったからあまり手は加えていないよ。SOFTUBE Drawmer S73を使って少しだけコンプをかけて全体をコントロールし、それからSOUNDTOYS Little Plateでフィーリングを足した。ディケイも少し伸ばしたと思う。センドではなくインサートで使ったからミックスは20%程度にして、ローカットも使ったよ。ピアノももともと良かったからあまり手間はかからなかったな。AMEK 9098EQをモデリングしたBRAINWORX BX_2098 EQを使って60Hz以下を削った。WAVES Greg Wells PianoCentricはダブラーやディレイの機能も備えているし、良いサウンドのプラグインだよな。ストリングスはWAVES S1 Stereo Imagerを使って少しワイドにしつつ、動きが出るようにしてトラックとなじませた。それからFABFILTER Pro-Q3でミッドとハイを足してより存在感が出るようにしたよ」

 

3つのプラグインの組み合わせで
アナログ・コンソールのサウンドを再現

 

 アナログらしいサウンドを追求するマン氏は、ミックスをDAWで完結する場合、デジタル版のサミングをするという。

 

 「ここではSLATE DIGITAL Virtual Console CollectionのVirtual Channelをサミング・ミキサーとして使った。それからWAVES J37でテープ・サチュレーションを足している。これもバイブスを足してくれるんだ。加えてSOFTUBE Harmonicsを使っているが、これは数あるプラグインの中でも特に気に入っている。とにかくアナログらしいサウンドにしてくれるよ。この3つの組み合わせで実際にコンソールを通しているようなシミュレーションができるんだ」

 

 その後、再びボーカルの調整を行う。ボーカルはすべてAUXトラックにまとめ、そこでWAVES DeEsser、AVID EQ 3、WAVES SSL Channel、SSL G-Master Buss Compressor、Renaissance Compressor、J37、FABFILTER Pro-DSを使ったという。

 

Vocal

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全体のブライトさを抑えるために使ったというWAVES DeEsser。それより後段のEQで生じたシビランスの除去にはFABFILTER Pro-DSを使用したそうだ

 

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AVID EQ 3は、69.8Hzでローカット、184.7Hzと425.2Hzをピンポイントにカットし、2kHzと5.37kHz以上は存在感を増すためにブーストしたという

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メインのコンプにはWAVES Renaissance Compressorを使用。そのほか、WAVES SSL G-Master Buss Compressorも薄く掛けている

 

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WAVES J37はアナログ感を出すために使用。「全体をより生き生きしたサウンドにしてくれるので、ボーカルに使うプラグインの中では特に気に入っている」とマン氏は語る

 

 「最近のボーカルはブライト過ぎて、それを抑えるプラグインを使うことが多いね。SONY C-800Gで録ったものは大体高域と戦うことになる。使いたがる人が多いマイクだが、ラップにはブライト過ぎる。でも、昔マックルモアとの仕事でGRACE DESIGNのマイクプリとPURPLE AUDIO MC77を組み合わせたときはベストなC-800Gのサウンドだった」

 

 ボーカル・トラックは“VERB”、“VERB2”と名付けた2つのリバーブ用AUXトラックに送られる。

 

 「最初に送られる“VERB”ではAVID D-Verbを使う。Large Hallのセッティングにし、EQ 3を使って100Hz以下をカットしているよ。2番目に送られる“VERB2”では、WAVES Renaissance Reverbの後段でRenaissance Equalizerを使って低域をカットし、それからS1 Stereo Imagerを使う。S1 Stereo Imagerはリバーブの後でよく使うんだ」

 

 最後に、マン氏はワイドな音像を得られるよう調整を行う。

 

 「ミックスの最終段では、マスター・トラックで IZOTOPE Ozone 8 Imagerを使って全体をワイドにした。俺の好きな1980年代のR&Bのようなサウンドを得るための手法だよ。マスタリング・エンジニアのコリン・レオナルドに送る前には特定の周波数だけをワイドにした。ワイドにするときは、広がりだけでなく深さも足す。するとより曲を感じられ、すべてが前面で鳴る感覚にならずに済むんだ。もちろんボーカルはセンターかつフロントにいないといけないがね。このほかにサチュレーションを少し加えることもあるが、基本的にはそれ以外何もしない。ラウドネスに関してはすべてコリンに任せた。音圧競争は嫌いでね。音量をデカくするためだけに曲を完全につぶしてしまうのはダメだ。それよりもダイナミックでスムーズな方が良いだろう? 音楽はフィーリングがすべてだからな!」

  

My Turn

My Turn

  • リル・ベイビー
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥1935

 『マイ・ターン』
リル・ベイビー
輸入盤

1.ゲット・アグリィ
2.ヒーティン・アップ(feat.ガンナ)
3.ハウ
4.グレイス(feat.42 Dugg)
5.ウォーア
6.ライブ・オフ・クローゼット(feat.フューチャー)
7.セイム・シング
8.エモーショナリー・スケアード
9.コマーシャル(feat.リル・ウージー・ヴァート)
10.フォーエバー(feat.リル・ウェイン)
11.キャント・エクスプレイン
12.ノー・サッカー(feat.マネーバッグ・ヨー)
13.サム・2・プルーブ
14.ウィー・シュッド(feat.ヤング・サグ)
15.キャッチ・ザ・サン(フロム『クイーン・アンド・スリム:ザ・サウンドトラック』)
16.コンシステント
17.ギャング・サイン
18.ハーティン
19.フォーゲット・ザット(feat.ライロ・ロドリゲス)
20.ソリッド

Musicians:リル・ベイビー(rap)、ガンナ(rap)、42 Dugg(rap)、フューチャー(rap)、リル・ウージー・ヴァート(rap)、リル・ウェイン(rap)、マネーバッグ・ヨー(rap)、ヤング・サグ(rap)、ライロ・ロドリゲス(rap)
Producer:ピエレ・トーマス、ケビン“コーチ・K”リー、M.“トワン”トレイラー、他
Engineer:トーマス“ティリー”マン、マシュー“マタジーク・ムジーク”ロビンソン
Studio:サウンド・ピュア、ヒット・ギャラリー、他

 

www.snrec.jp

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