“細井美裕”というプロダクションは、どのように活動を回しているのか?【第24回】realize〜細井美裕の思考と創発の記録

ライス・ワークはライフ・ワークのためにあり、ライフ・ワークは次のライス・ワークを生む

細井美裕

 連載を始めてもうすぐ3年目になります。その前に、技術的な話ではなく、細井美裕という小さなプロダクション(のようなものだと思っている)について記録したいと思いました。毎号機材やシステムについては書いていますが、どうやって自分の活動を回しているかは、なかなか小出しにして書くことができませんでした。私個人の話でも粒度を粗くして見れば何かの参考になるかもという気持ちと、先輩たちのこういった記録を読んで自分の未来を想像したことを思い出して、書いてみます。

 インタビューや初対面の方との打ち合わせでほぼ最初に聞かれるのが、“どうやって活動しているんですか?”です。興味深いのは、インタビュー前に聞かれることが多く、その内容はあまり記事になりません。作家として活動している人の、作家活動に関係ない話は言わない方がいいだろう、という気遣いを少し感じますが、最近は少し印象が変わってきました。チームで作るものが多いことと、作品の領域と裏方の領域がうまくモーフィングできているプロジェクトが増えて表に出始めたこと、創作現場の裏方仕事まで興味を持つ方が増えたこと、すべてある気がします。作家にとって、作家活動に直接関係のない仕事をしていることは、ネガティブなことなのでしょうか? そしてそれは、関係がないと言い切れるでしょうか。

 私はこの連載で記録している作品を作るだけで自分を養えると思っていないし、自分が居る場所がそのような(金銭的な)夢がある活動場所ではないと思っています。周りの偉大な先輩たちを見ても思います(そこから生まれるから面白いのかもしれない)。作品や表現には夢だらけですが、その夢と生活のバランスを俯瞰したときに、他人に勧められる職業の一つとしてはカウントできない。私は大学生のころサンレコを読みながら、この人たちは毎日こんなことをやっているのかなあ(本当にこんな華やかなことばかりなのかな~)と疑問に思っていたので、その疑問を少しは晴らせるといいな……。

 私は自分の活動を説明するのに、ライス・ワークとライフ・ワーク、表方と裏方という言葉をよく使います。ただ“やっぱりライス・ワークしないといけないんですね”などの反応を見るに、ライスとライフ、表と裏は対等ではないようです。

 私を構成する活動は、作品制作、企業の開発案件、技術系の新規事業のディレクション/チームのアサイン/プロジェクト・マネージメント、デザイン・チームのプロジェクト・マネージメント、先輩作家の方の展示の裏方、たまに広告案件、というものですが、これらは具体的にライス・ワークとライフ・ワークに分類できません。なぜなら、ライスはライフのためにあり、ライフは次のライスを生むからです。二足のわらじですね、とも言われますが、二足のわらじを履くのは私一人です。でも分かりやすく、ライフ・ワークとは“自分の意思で表現する活動や、それを補助するための活動(技術の習得、チーム・ビルディング、ブランディングも)”、ライス・ワークとは“自分とは別に、方向性を決める人や思想がある活動”と定義します。

裏は見せない方がいい雰囲気を感じて、そうではないようにした結果うまくいった

 25歳でフリーランスになりたてのころ、ライス・ワークをしなければいけない状態を少し恥じていた時期がありました。ライフ・ワークの転機になるような機会があっても、ライス・ワークでかかわる人たちに共有できなくてスケジューリングがうまくできなかったり、憧れの人たちは自分の表現を突き詰めているし、と思ったり。そんなこと初めからできるのは稀だと思いますが、視野も狭く、極端な比較をしてしまいがちでした。

 それがしばらく続くと、自分の半分を否定している気持ちになり、あまり健全ではないと気づきました。ライフ・ワークと思われるものだけを頑張ってみた時期もありましたが、その中には"ライフ・ワークの仮面を被ったライス・ワーク"が混じっている。お金やクライアントの意向のために自分の表現を曲げていく作業が自分には合わないと気づきます。

 私にとっては、本当にやりたいと思えることだけを作品にできる金銭的、時間的な余裕を持つことが精神衛生に非常に重要だった。だから、両立と連携が必要でした。

 偏った思想と行動から脱却するために、プロジェクトに誘われた段階で“自分はこういう人間で、裏方はこういうキャリアでこうなりたい、表方としてはこういうキャリアでこうなりたい、そしてその両方をやろうとしているから、こういうことができると思っている”という話をしてみることにしました。

 確か最初に話したのは、NPO法人トッピングイースト代表の清宮陵一さん。2021年に開催した芸術祭で、全体のテクニカルのマネジメントを任せていただきました。行政も絡んだ大きなプロジェクトで裏と表の間の人間としてかかわることができたのは、どちらの側面へも良い影響がありました。そして何より、“裏と表の間で自分を最大限発揮できればこの場所に堂々といても大丈夫そうな気がする”という実感を得たことが一番今に影響しています。自分の態度と意思を相手に伝えることで、責任も、自由も、信頼も発生したと思います。

 自分らしさを表と裏それぞれに持つと、どちらかの自分になれても片方の自分が失われるように思ったりもしますが、“表と裏どちらもある自分”になると、精神的にも仕事的にもすごく気持ち良く動けるようになりました。このことを書きたかった理由は、裏は見せない方がいいという雰囲気を少なからず感じるから。そうではないようにした結果、うまくいった気がする人間がいる、という記録です。でも、裏って隠れてるから魅力的なんですよね。私が裏方の仕事に憧れ続けるのは、みんなが見られないものを見られる気がするからだと思います。誰もがすべての仕事や表現活動をオープンにすべきと伝えたいのではなく、全員がこのパターンに当てはまるわけでもないので、ぜひいろいろな職業や年齢の方に聞いてみたいです。

“裏と表の間の人間になりたい”が実現できるようになってきた

 ライス・ワークとライフ・ワークの境界は、一つの仕事の中でも存在すると思います。どこで線を引くかは人それぞれですが、時期、予算、メンバーなど境界になりうる要因はたくさん。そして振り子のように行ったり来たりするものだと思うのです。でも境界を挟んで優劣を付けると、本当はあと少し待てばバランスが取れるのに、振り子が劣に振り切れた瞬間だけで何かを判断してしまったりするのであやういです。

 ライフ・ワークの中にライス・ワークが潜むように、ライス・ワークの中にもライフ・ワークが潜んでいる。それは仕事の粒度を変えると見つかる気がして、私の場合大抵はポジティブに捉え直すことができる良いプロセスです。例えば、隅田川怒涛で担当した「water state 1(坂本龍一+高谷史郎)」は、会場、設営チーム、事務局などのマネージメントが必要(=ライス・ワーク)でしたが、この経験は必ず自分の作品の制作(=ライフ・ワーク)に生きる。むしろ自分の作品の規模ではできないプロダクションを任される貴重な機会です。自分の作品もチームで動くことが多いので、デザイン仕事では、クライアントへのコンセプトやデザインの提案から実際の制作、問題の解決のプロセスまで学ぶことが多過ぎます。きっと音楽スタジオのアシスタントの方も同じことを経験していると思います。

 でもこの話、そもそも他人が思っている表像と裏像が、実は本人の意思とは違っていることだってあると思います。2017年、音楽ナタリーでの椎名林檎さんのインタビューを読んでびっくりしました。ボーダーなんて無いし、気付いたら裏が表になっているときだってある。自分のバランスを取るために仮で分類するくらいがちょうどいいのかもしれません。

 これまで“裏と表の間の人間になりたい”と言霊を信じて話していたことが、この2年で実現できるようになってきました。自分の表現活動をサポートしてくださる企業の新規事業への参画であったり、そのために裏方の経験やつながりを総動員してみたり。いよいよ次のフェーズが始まった気がします。私の表現は、作品を通してだけでなくてもできるかもしれないと、強く思いはじめています。というか、作品が“最も純度の高い表現の塊”であるかのような思い込みに甘えて、ライス・ワークで挑戦していなかったのかも、とも思います。

 私が慶應SFCへ進学を決めたのは、プレイヤーでいるだけでなく、企画や制作までできないと、クラシック(特に合唱)という凝り固まった構造に挑戦できない……と思ったからです。別の分野だけれど、今やっと、構造を少しずつ作れているかもしれない! これは、あくまでここ2年で試行錯誤してきた私の話です。でも何か気付きになれたら、この記録を公開して良かったと心から思えます。さて、来月からは通常営業です。たまにはこういうことも書きたいな。ではまた~!

細井美裕

細井美裕

【Profile】1993年生まれ、慶應義塾大学卒業。マルチチャンネル音響を用いた空間そのものを意識させるサウンド・インスタレーションや、舞台公演、自身の声の多重録音を特徴とした作品制作を行う。これまでにNTT ICC無響室、YCAM、札幌SCARTS、東京芸術劇場コンサートホール、愛知県芸術劇場、国際音響学会AES、羽田空港などで作品を発表してきた。