なぜDolby Atmosスタジオを造るのか? 〜【第1回】DIYで造るイマーシブ・スタジオ 古賀健一

 僕の仕事はレコーディング&ミキシング・エンジニア、漢字で書くと録音技師、音響調整技師です。その言葉を背負う人間として、技術の進歩には常についていきたいと日々思っています。2014年から、東京・上野に自分の仕事場としてXylomania Studioを設けていましたが、今年、DIYでDolby Atmos対応に改装することにしました(既に着工しています)。この連載では、その改装報告をしていきますが、初回はなぜイマーシブなスタジオを造ることにしたのかを記していきます。

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今年春までの、ステレオ対応のXylomania Studio。音響調整も筆者自身がSALOGIC製パネルなどを使って行っていた。写真は本誌2019年1月号より(記事はこちらから:Web会員限定)。Photo:Hiroki Obara

真っ先に新しい体験で感動するための
最大フォーマットに対応した実験場所

 

 映像メディアがVHSからDVD、そしてBlu-rayに移行し、メディアの容量は倍々していく中、それと逆行して音楽メディアは16ビット/44.1kHzのCDからMD、今ではMP3&AACでの配信が主流になり、現場の録音フォーマットは24ビットや32ビット・フロート/96kHzに上がる一方、リスナーの元へ届くときにはCDの10分の1以下の情報になることが多くなりました。


 圧縮技術(可逆音声コーデック)が日々進化し、音声ファイルが映像ファイルの邪魔をしなくなって15年ほど、通信速度は4Gから5Gに変わっていく時代の中で、音声フォーマットの縮小は、オーディオにかかわるエンジニアとしては、とてもさびしく感じます。音楽制作にかかわる人の多く(もちろんすべてではありません)が“リスナーは2chのステレオしか聴かないよ。再生は携帯やイヤホンだよ。音楽DVDにサラウンドを収録しても誰も聴けないよ”と語るのをたくさん耳にしてきました。


 しかし、ステレオで聴くリスナーが圧倒的に多いから、ステレオだけでよいのではなく、パソコンのスピーカーやイヤホンで聴く人が多いから、そのサウンドに寄せるのでもなく、作品をリスニング環境の最大公約数に合わせず、リスナーやクライアントに選択肢を与えられる、最新技術を提供できる存在でありたいと思っています。もちろん予算や締め切りはありますし、音声フォーマットにこだわると映像の画質が落ちるので、音声側の独断ではできない理由があることも重々承知です。しかし、それであきらめたくはありません。MP3やAACが自然にFLACやWAVになり、Blu-rayの音声をリスナーが当たり前のように、ステレオとサラウンドを選べる世界であってほしい。作品を聴いた人がホーム・シアターやサウンド・バーを買いたくなる、良いヘッドフォンやスピーカーが欲しくなる……そんな未来の方が皆さん、ワクワクしませんか?


 一人でも自分の歌が聴きたいというファンがいるなら世界のどこかに歌を届けに行くアーティストがいるように、一人でもこの作品をサラウンドで聴いてみたいと願うファンがいるならば、一技術者として、それを実現できる人間でありたいと僕は考えています。


 いまやヘッドフォンでDolby Atomsが気軽に聴ける時代になりました。だからこそ、僕ら作り手側の人間が勉強、実験、そして感動しないといけません。自分自身が真っ先に新しい体験に触れて感動したい。そのために今の最大フォーマットに対応した“実験場所”が必要だと考えました。

 

映画の現場と音楽とのかかわり
ハリウッドで確認したAtmosの普及

 

 今年36歳になった僕は、ちょうど半分の年齢……さかのぼること18年前に福岡県久留米市の田舎から上京し、秋葉原で出会ったホーム・シアター・システムにあこがれました。スタジオに就職後、DVDとSACDのマルチチャンネルを聴くために、YAMAHAの金色のAVアンプを買い、ONKYOのスピーカーをそろえ、自宅にサラウンド環境を作ります。

 

 僕の育った青葉台スタジオは劇伴の仕事が少なく、サラウンド環境もありません。当時の社長にサラウンド・セット購入を直訴しますがあっけなく撃沈し、マルチチャンネルの勉強は独学でやってきました。


 20代前半のころは、AVID Pro Tools LE+NEYRINCKのプラグインMix 51を使い、オーディオI/Oの+4dB出力をAVアンプの−10dBアナログ入力に強引につないで、ライブミックスの練習をしていました。


 転機は2009年、偶然にも映画『ソラニン』の演奏シーンのアシスタントを担当したことがきっかけです。作品の音楽プロデューサー、安井輝さんにお願いし、ライブ・シーンの撮影見学に行きました。町田のライブ・ハウス兼リハスタで録音の松本昇和さんに出会い、セリフ収録やサラウンド・マイクなどを見せてもらい、仕事ぶりをガン見。撮影現場での俳優の生の演技に引き込まれ、レンズには映らない、カメラ、照明、録音、たくさんのスタッフの息の合った動きに感動したのを今でも鮮明に覚えています。


 リハスタのシーンから、ライブ・ハウスの演奏シーンに移ったとき、アテフリと生演奏の融合、それにライブPAとマイクの録音という、今考えても恐ろしい録音チームの仕事量に人手が足りなくなり、遊びに行っていた僕にまさかの出番が訪れます。慣れていたPro Toolsの操作と生歌の録音、ライブ・ハウスのモニター・スピーカーと外音の調整、オケのポン出しという大役を任されます。


 ライブ・ハウスも無い田舎に育ち、公民館やお寺、学校で自分たちでライブPAをやっていた経験がありました。最後に無人のライブ・ハウスのサラウンドの環境音とアンビエンスを録り、うれしいことに“次のクライマックスのライブ・ハウス・シーンは仕事として来てほしい”と、オファーを受けます。それが僕の初めての映画体験でした。

 

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 その後、チャットモンチーのライブDVD&Blu-rayで5.1chミックスを担当したり、映画の主題歌や挿入歌を担当したりしましたが、劇伴仕事は2chステレオの経験のみで、あこがれのサラウンド仕事からは遠退きます。

 

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 『ソラニン』の現場から、ちょうど10年たった2019年、さまざまな縁が重なり、映画の劇伴を3本、主題歌を2曲担当。さらに9月、ハリウッドへ勉強しに行くチャンスをいただき、帰国後にバイノーラルと360° VRミックスの仕事のための勉強を始めました。その矢先、ロックオンカンパニーの清水修平さんに、限られた映画作品の世界の話だと思っていたDolby Atmosミックスの話を聞きます。ハリウッドでDolby Atmos対応スタジオを見学した後でした。この後も何かとご縁のある角川大映スタジオのエンジニア、田中修一さんのお名前を聞くのは、ちょうどこのときです。

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昨年秋に見学したハリウッドのソニー・ピクチャーズ・スタジオ。写真のような、ダビング・ステージ(MAスタジオ)として使用される劇場サイズの部屋が9つほどあり、そのほとんどがDolby AtmosやAuromaxなどのイマーシブ・フォーマットに対応している


 もっと実験したいという思いから、1本目の劇伴のギャラをすべて使い切り、新たにGENELECの5.1chシステムを購入。そうやってサラウンドの仕込みができる環境を作ってまもなく、続いてウーファー、そしてハイト・スピーカーを加えた5.2.2chの世界にいざなわれます。これはもう運命かなと、Dolby Atmos 対応のスタジオを造る構想を練り出しました。

 

 というわけで次回からは実際のスタジオ造りの話。機材や音響のこと以外にもさまざまな気付きがあります。

 

古賀健一

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【Profile】レコーディング・エンジニア。青葉台スタジオに入社後、フリーランスとして独立。2014年Xylomania Studioを設立。これまでにチャットモンチー、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Official髭男dism、MOSHIMO、ichikoro、D.W.ニコルズなどの作品に携わる。また、商業スタジオやミュージシャンのプライベート・スタジオの音響アドバイスも手掛ける。
Photo:Hiroki Obara

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