ソニーの360 Reality Audio(サンロクマル・リアリティオーディオ)は、360立体音響技術を使用した、全方位から音に包み込まれるような音楽体験。今回はシンガーteaが歌うフォスター「Beautiful Dreamer」のポップス・アレンジを紹介。ベテラン・エンジニアの高田英男氏が中心となって行われたレコーディングから360 Reality Audioミックスまで、その制作過程を順を追って解き明かしていこう。
【写真後列】左から、渡辺忠敏氏(ソニー)、宮嶋萌里氏(ミキサーズラボ)、渡邉啓太氏(ミキサーズラボ)、時枝一博氏(フリーキック)、高田英男氏(ミキサーズラボ)、梅津達男氏(ミキサーズラボ)、三田晴夫氏(スーパーボーイ)
【写真前列】左から、時枝弘(b)、tea(vo)、クリストファー・ハーディ(ds、perc)
Photo:Hiroki Obara、Satoko Omori(*) 取材協力:ソニー
今月の360 Reality Audio:tea『Beautiful Dreamer』
【tea】インド、プネ出身のシンガー・ソングライター。ライブ、レコーディングやコラボを行い、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にはボイスで参加。
配信サービス
・Amazon Music Unlimited
・360 Reality Audio Live
※360 Reality Audio版はスマートフォンで試聴可能です
ホールとスタジオを組み合わせた表現がしたかった
「Beautiful Dreamer」は、高田英男氏による2作目の360 Reality Audio作品だ。レコーディングは東京音楽大学中目黒・代官山キャンパス内のTCMスタジオで敢行。高田氏と同じくミキサーズラボの梅津達男氏がチーフ・エンジニアを務め、両者は立ち上げから携わってきた。
「楽器全体を一つの音響空間で表現するホールと、ブースがあり各楽器をそれぞれ独立した音響空間で表現するスタジオを組み合わせた表現がしたかったんです。ここでの録音は初めてだったので、システムや音のことを全部知る梅津さんにアドバイザーをお願いして、アンビエント・マイクの設置やEQなど実際の音作りにも入っていただきました」
Engineer|高田英男 / 梅津達男 / 中山太陽



【左:高田英男】ミキサーズラボ所属のサウンド・プロデューサー/レコーディング・エンジニア。TCMスタジオには、企画/提案から携わる。
【中央:梅津達男】ミキサーズラボ所属のレコーディング・エンジニア。TCMスタジオの立ち上げから携わり、チーフ・エンジニアを務めている。
【右:中山太陽】SoundCity所属のレコーディング/ミックス・エンジニア。劇伴やライブ作品、360 Reality Audio、5.1chなどのミックスを手掛ける
声にエネルギーが欲しかったのでC-800Gを使った
併設するレコーディング・スタジオとホールのような“特大教室”を両方使い、ボーカル、ベース、打楽器、ピアノのレコーディングが行われた本作。アカペラやドラム・フィルでの間奏、エスニック・スキャットを含めドラマチックに展開する。特にボーカルと打楽器の録音では、ソニーのマイクが活躍。
「メイン・ボーカルにはC-800Gを使いました。ドラムがガツンとした音のため声にエネルギーが欲しかったのと、プリアンプTHE JOHN HARDY COMPANY M-1と相性が良かったんです。中盤で入るエスニック・スキャットは、C-800Gから1mくらい離れたところにC-100もL/Rで立てました。オペラの録音でも使う手法で、音がしっかり録れるんです」
続いて打楽器のマイキングについてはこう話す。
「タムはL/C/Rに広げるためにC-100を3本使いました。C-100はフラットで素直な音色が録れます。特定の帯域を少し色付けする場合も卓のEQで音が作りやすいんです」
アンビエント・マイクには無指向のECM-100Nを採用。
「ECM-100Nを4本使い、スタジオでは床付近の四隅、特大教室では天井の4点にワイヤーでマイクを吊って空間の響きを狙いました」
Recording Studio|東京音楽大学 中目黒・代官山キャンパス TCMスタジオ
リアルな録音と追加の音作りで楽器の存在感を出す
360 Reality Audio制作はSoundCity tutumuで実施。高田氏は、オブジェクト配置の数値を表にまとめて臨んだ。
「まず各楽器を上層、中層、下層のイメージに分け、その定位をリアとフロントのどの辺りにするかイメージし、頭の中で鳴る音の情報をExcelの表に打ち込みました」
その表を元に中山太陽氏がオブジェクトを配置。「高田さんの表の数値通りに置くだけで70〜80%完成しました。これを録りの時点で想像されていたのはすごいです」と語る。
さらに、全楽器の音量オートメーションは、高田氏がAVID Pro Tools用コントローラーS1のフェーダー操作で記録。
「フレーズの音量を調整する積み重ねで音楽の表現が変わります。各楽器の役割がより整理できるんです」と高田氏。
続けて、オブジェクトでのミキシングにおいて「点だと音楽としてまとまりが弱いので、面を作ることが大事」と話す。
「ボーカルを5個のオブジェクトに複製して歌声の存在感を出したり、タムを中層と下層に配置して音圧を稼いだり、複数のスピーカーに負担を分散できるよう定位させたり、そういう配慮を続けたら音場が柔らかくなって広がりました」
また高田氏はドラム・フィルの音作りをこう工夫している。
「オンマイクの音をNEVE 1073のプリアンプ、EQと33609のコンプで少しつぶしたものを別オブジェクトで足すことで、タムの音色に芯が入りました。必要な音を別で作ることで楽器の存在感を出すのは大事なノウハウだと感じます。360 Reality Audio制作で必要になりそうな音は録音〜ステレオ・ミックス時に全部録っておきました」
「コンプをかけた音を中層と下層に置くことで、ファンタム的な効果でタムが近く聴こえるんです」と話す中山氏。
「宇多田ヒカルさんの『40代はいろいろ♫』を聴いて360 Reality Audioの“近くを聴かせるミックス”を試したいと思っていたところ、今回高田さんのご提案で実現しました」
ミックスの最終確認には、ソニーのヘッドホンMDR-MV1とWH-1000XM5を使用。「MDR-MV1は帯域が広くて中〜高域の情報量がすごいですね。WH-1000XM5は低域がいい感じにまとまって聴きやすいです」とその所感を話した。
最後に高田氏は、360 Reality Audioでの表現の向き合い方を演奏者とエンジニア目線でこう話してくれた。
「演奏者は感性や技量も含めてより自由に音楽を表現できるし、エンジニアもサウンド作りの意図を明確にして音場空間を表現できるからこそ、1個の楽器の持つ存在感や音色、マイク選び、距離をしっかりイメージする必要があると思います。録音後に何とかしようとするのはもったいない。新たなステージに入る方が面白いですよね」
360 Reality Audio ミックス・テクニック
Point 1:芯と広がりのある打楽器の音作り
打楽器は中層を中心に配置。ソニーのC-100で録音したL/C/Rのタム、その外にSANKEN CU-41で収録した本革のタム(Tom LL/Tom RR)を置いた。下層の4点(紫、水色)は、床置きのECM-100Nで収音したアンビエント。その下層の2個のオブジェクトと同位置、耳の真横のL/Rの合計4カ所には、C-100で収録したタムにNEVE 33609でコンプをかけたオブジェクトを配置して、音の芯を作った。
Point 2:5つのオブジェクトで歌に存在感を
ソニーのC-800Gで録音したteaのメイン・ボーカルは、同一の音を5個に複製してオブジェクトを配置。L/C/Rに加え、水平方向の±60°(緑、黄緑)にも配置して、それぞれの音量バランスを取ることで、歌声の存在感を出すことができたという。上層に配置された2個の黄色いオブジェクトは、ボーカルを実機のLEXICON 960Lに通して得たリバーブ成分で、それぞれ水平±90°に設定されている。