近年のトラップ・ミュージックでは、パラデータではなくステレオ・トラックで書き出したデータにボーカルを乗せてミックスするケースが国内でも増えてきているという。そんなステレオ・トラックを土台とするミックス術を、トラップ・アーティストを数多く手掛けるエンジニアのmurozoに聞いてみよう。
murozo
【PROFILE】Crystal Soundを拠点に活動する気鋭エンジニア。元ラッパーという経験を生かし、近年はDEAN FUJIOKAやDeech、Sound’s deliなどポップスからヒップホップまで幅広い楽曲を手掛けている。
ビート・メイカーの音作りや個性を
そのまま生かすことができるミックス
こんにちは、エンジニアのmurozoです。近年のトラップでは、ステレオ・トラックのデータにボーカルを乗せ、そのままミックスするという流れが本場アトランタを中心にここ日本でも広がりつつあります。これはラッパーがビート・メイカーから曲を購入する際、パラデータよりステレオ・データの方が価格が安いため、というのが大きな理由でしょう。こういったこともあり、自分はパラデータを使ったミックスはもちろん、ステレオ・トラックを土台としたミックスでも対応できるように研究しています。
とはいえ、あからさまにバランスが崩れたステレオ・トラックはミックスで修正できません。なので、可能であればビート・メイカーと相談し、バランスの良いステレオ・トラック・データをもらうなどしてある程度良い土台を作っておくことが大切でしょう。
ステレオ・トラックのままミックスするメリットとしては、センスのあるビート・メイカーの音作りや個性をそのまま生かすことができるということ。近年は制作環境の発展もあり、ビート・メイカーたちは自分たちでミックスも同時進行しながら曲を作ることも少なくありません。
ここからは、実際にステレオ・トラックのミックス術です。ボーカル・データに関しては既にエディット済みという前提で話を進めます。リファレンス音源と比較しながら進める場合、自分はマスターに必ずADPTR AUDIO MetricABを挿します。ミックスする楽曲とリファレンス音源を簡単に比較できる便利なプラグインです。
まずステレオ・トラックにはIZOTOPE Ozone 9のMaster Rebalanceモジュールを挿し、大まかなバランスを調整します。ビート・メイカーのステレオ・トラックはドラムやROLAND TR-808系キック・ベースの音が大き過ぎる場合がよくあるため、Master Rebalanceで“Bass”か“Drums”を選択してそれぞれの音量を正していきましょう。
全体的にダイナミックEQを使用し
トラップらしい動的な弾みを演出する
次にFABFILTERのPro-Q3を使用し、細かく調整します。ここでは全体的にダイナミックEQモードを主に使用するのですが、理由としては通常のEQ処理より動的な弾みが出せ、よりトラップのミックスに合うと思うからです。
具体的に説明すると、14Hz辺りにローカットEQを入れ、M/S処理でサイド成分だけ処理します。これは、よりミッド成分に低域のエネルギーを集中させるというイメージです。
もう一つ、20Hz辺りをベル・タイプEQでカット。TR-808系キック・ベースにおける処理のコツとしては、Q幅が狭くないと倍音に影響して音色そのものを変えてしまう可能性があるからです。なので、ここはQ幅が広くない方がいいでしょう。
後は50Hz辺りをダイナミックEQで若干たたいて、ビートに弾みを与えます。120Hz付近は少しブーストし、TR-808系キック・ベースの音色を強調。そして150Hz辺りをカットしたのは、もっさりしていた中低域をすっきりさせるためです。同様の理由から、234Hzと310Hzもカットしています。
ビートの上モノにはシンセが使われており、このシンセをより強調したいと思ったので、634Hzのサイド成分だけをブースト。1,286Hz辺りはダイナミックEQモードでカットしていますが、これはボーカルを目立たせたかったからです。最後にダイナミックEQモードで6,585Hz付近のハイハットの弾み感を残しつつカット。こうすることによって、ドンシャリのような鳴りではなく、ダイナミクスを生かした躍動感のあるサウンドにすることができます。
特にメインストリームのトラップを聴くと、きちんとダイナミクスが保たれ、一つ一つの音が生き生きしている印象。なので、今回はそういった音像をイメージしてミックスをしています。
ステレオ・トラックに空気感を足すことで
よりメインストリームのトラップに近づける
次にインサートするのは、マルチバンド・サチュレーター・プラグインのPROCESS.AUDIO Sugar。ミックスの前半にMaster Rebalanceモジュールを使ってTR-808系キック・ベースのボリュームを下げたのですが、Sugarで低域にパンチ感を付加し、本来ビートが持っていたイメージに近付けます。こうすることによって、ビート・メイカーにもTR-808系キック・ベースが小さくなったというような印象を与えることを防ぐことが可能です。
全体的にもサチュレーションでエネルギーを足しています。特に一番かかっているのはハイエンドを表す“AIR”の部分。通常のビート・メイカーたちは、ハイエンドの帯域を意識している人は少ないからです。彼らから受け取るステレオ・トラックに空気感を足してあげることで、よりメイン・ストリームのトラップ・サウンドの音像に近付けます。
その後、Ozone 9のImagerモジュールを使って、中低域のモノラル感を少しステレオに散らします。この帯域のモノラル感はすごく大事だと思うのですが、こうすることでボーカルのスペースができ、よりボーカルがステレオ・トラックになじむのです。今回は100Hz以下はそのまま、100〜872Hzは7.6、873Hz〜4.6kHzは19.0、さらに高域の4.6kHz以上は20.3ステレオワイドにしています。
全体的なイメージで言うと、周波数帯域が上がるに連れてステレオ感も広がっている感じです。今回はたまたまこのような処理になっていますが、ビートによっては高域が広がり過ぎているものもあり、その場合は逆に高域のステレオ感は狭めます。SugarやOzone 9 Imagerは、周波数帯域別に調整できるプラグインなので、ステレオ・トラックでもある程度ミックスを成り立たせることができるのです。
次は、NEVEコンソールのモデリング・プラグインPLUGIN ALLIANCE Lindell Audio 80 Serise。今回は、この中にあるバス用のVintage TMT Busを用います。これは挿すだけで音が太くなるイメージ。音質をよりクリアにするために、4倍でオーバー・サンプリングしています。オーバー・サンプリングするかしないかは、ステレオ・トラックの音質次第で決めるとよいでしょう。
最後に挿すのは、MASTERING THE MIX MixRoom。プラグインがオーディオ・ソースを分析し、自動でEQしてくれるという優れものですが、今回はこれを手動で使います。ここでは1,630Hzのサイド成分だけを5.7dBブースト。上モノを持ち上げて強調するイメージで、Imagerモジュールだけでは足りなかったので使いました。
以上でステレオ・トラックを土台とするミックスの完成です。近年はプラグインの進化によって、ステレオ・トラックの状態からでもかなり音処理ができるようになりました。また、ビート・メイカーやクリエイター自身が各パートのサウンドをデザインし、音像も音質も決め込んでいる状態から、ミックスを依頼されるケースも増えてきているように感じます。逆に言うと、ミックス・エンジニアがやることは“全体的な音処理”の方向に移りつつあるのかもしれません。
今回のようなステレオ・トラックでのミックスのほかにも、インターネット・マネー「Lemonade feat. ガンナ、ドン・トリヴァー&ナヴ」のようにMP3ファイルで最終納品した音源が全英チャート1位を獲得したり、XXXテンタシオン「Look at Me!」のように音割れした音源がヒットするなど、トラップという音楽はこれまでの固定観念を壊し続けています。自分はJポップのミックスにも携わりますが、まだまだ国内では従来のやり方が一般的な印象です。トラップではミックス・エンジニアもぜひ冒険してみてほしいと思います!