TSUKIHANA SOUNDS STUDIO|音響設備ファイル【Vol.76】

TSUKIHANA SOUNDS STUDIO|音響設備ファイル【Vol.76】

2023年3月に誕生した栃木県足利市のTSUKIHANA SOUNDS STUDIOは、大谷石や聚楽壁、檜や杉、竹などの木材をふんだんにあしらい、障子や絹ガラスなどもデザインに用いられた独創的な和モダンのレコーディング・スタジオだ。31畳のレコーディング・ルームと15畳のコントロール・ルーム、そして4.2畳と3畳のブースを備え、天井高は最大で約3mと余裕の空間を持つ本スタジオの中核には、アナログ卓のSOLID STATE LOGIC ORIGIN 32が据えられている。オーナーの栗原希氏は、MMOやメタバース用のゲーム・サーバー開発、構築、運用を行うジェットブラックフラワーズ(以下、JBF)を運営する傍ら、ゲーム音楽やサウンド・デザインにも携わっている。今回は同社で音楽制作を手掛ける石井裕氏をはじめ、設計/施工を担当したアコースティックエンジニアリング、システム・プランニングや機材コーディネイトなどに携わったコグレ楽器、ソリッド・ステート・ロジック・ジャパン、宮地商会 RECORDING PROSHOP MIYAJI、サウンド・プランニングの各社のご協力を得て取材させていただいた。

Photo:Hiroki Obara

SOLID STATE LOGIC ORIGIN 32に一目ぼれしたことからすべてがスタート

 栗原氏はピアノ、電子オルガン、フルート、サックス、ドラムを演奏するだけでなく、大学で作曲理論を、大学院では湯浅讓二に師事して電子音楽を学んだ生粋の音楽人。しかし卒業後は趣味として楽しむのみだったという。ところが近年、JBFはクライアント・ソフト開発の依頼も増えたことから、ギタリスト/作詞家/作曲家であり、自身のユニットGlowlampでも活動する石井裕氏をゲーム音楽作家として迎え入れ、栗原氏自身も音楽やSEなどの制作に乗り出す中で、以前から夢であったスタジオ設立の気持ちに再び火が着いたそうだ。

 「最初は地元にあるコグレ楽器の店長、山田(一彰)さんに“SSLかNEVEの卓を見たい”とお願いしたんです。その時点では“欲しい”ではなく“見たい”だけでしたし、まだスタジオを造る話にもなっていなかったんですけど(笑)」

 山田氏にソリッド・ステート・ロジック・ジャパンを紹介され、SOLID STATE LOGICの各種コンソールを見学した栗原氏はORIGINに一目ぼれしてしまったそう。

 「何よりアナログというところが魅力でした。それで、会社に卓を置ける場所があるかどうかを確認してもらうために、アコースティックエンジニアリングの入交(研一郎)さんをご紹介いただいて、足利まで来ていただいたんです。そうしたら、すぐに採寸が始まって仮図面が出てきたんですよ」

 ここからスタジオ造りが本格化。入交氏からどのようなスタジオにしたいかを尋ねられた栗原氏は、“和”をテーマに挙げたそう。またバンドが演奏できる広いレコーディング・ルームやボーカル・ブースなども希望したという。一方で、マシン・ルームは設けなかったそうだ。

 「最近はエンジニアの方がPCを持ち込んで使われることも多いと聞きますし、私も石井さんもそれぞれDAWのシステムを持っているので、必要であればそれを使えばいいかなと。それでマシン・ルームをなくしてブースを2つにしました。1つはボーカル用で、1つはピアノを入れる予定です」

15畳のコントロール・ルームにセットされたアナログ・コンソール、SOLID STATE LOGIC ORIGIN 32。左右のラック家具はアコースティックエンジニアリングの製作によるもの。壁面にはGENELEC 1238A SAMが埋め込まれ、スタンドにはPMC PMC6-2を設置。複数のスピーカーをアコースティックエンジニアリングのスタジオで試聴し、この2機種まで絞り込んだものの決めきれなかったそう。栗原氏によれば1238A SAMは音楽を聴くときに適していて、PMC6-2はナレーションやSEなどの“音”を聴きたいときにとても良いとのこと。PMC6-2後方の壁は大谷石を細く切り出したもので、厚みと表面加工が異なるものを複数組み合わせることで音を拡散させる効果を生み出しているという。天井前方の垂木が並んでいる部分は中にグラスウールが仕込まれた吸音天井で、左右には消音チャンバーも確認できる。照明のシェードには京和紙が使用されており、柔らかい光が心地良い

本スタジオはコンピューターを常設しないスタイルを採っている。これは近年、エンジニアやクリエイターがコンピューターごと制作システムを持ち込むことが増えているためだそう。ただし、オーディオ・インターフェースが必要とされる場合に備えて、RME Fireface UFX+と32ch ADコンバーターのRME M-32 AD Pro、同じく32ch DAコンバーターのM-32 DA Proが用意されており、パッチ・ベイを介して簡単にOriginとの入出力が可能だ。そのためスタジオ利用者はコンピューターさえ持ち込めば、すぐに作業を開始可能。栗原氏や石井氏も自身のシステムを持ち込んで作業するそう

コントロール・ルームからアクセス可能な3畳のボーカル・ブース。当初はマシン・ルームにする案もあったが、コンピューターを常設しないコンセプトになったため、ボーカル・ブースに。壁にはコントロール・ルームとは異なる色の竹があしらわれている

コントロール・ルームからアクセス可能な3畳のボーカル・ブース。当初はマシン・ルームにする案もあったが、コンピューターを常設しないコンセプトになったため、ボーカル・ブースに。壁にはコントロール・ルームとは異なる色の竹があしらわれている

4.2畳のレコーディング・ブース。取材時は導入前だったが、ここにはピアノを設置する予定だそう。また正面の壁は布の裏に板を設置し反射面としている

 “和”に関して栗原氏は、写真などの資料を入交氏へ送って参考にしてもらったという。「むちゃばかり言いました(笑)。例えば栃木の特産品、大谷石を使ってほしいとか」と栗原氏。ところが入交氏も「実は使いたいと思っていた」と語る。

 「大谷石はもともと好きで使ったこともあり、音響的にすごく特徴的なマテリアルです。コントロール・ルームとレコーディング・ルームの壁の一部で使っていますが、どちらも表面加工や厚みの異なるものを複数組み合わせて、各ルームで大きさも変えています。音響的には拡散の効果がありますが、多孔質構造であるため一定の吸音性能もあって、石材の中では柔らかい響きが特徴です」

 また壁の一部が、わらを練り込んだ聚楽壁と呼ばれる土壁だが、これも栗原氏のチョイス。入交氏いわく「茶室に使うような塗り壁ですが、やはり柔らかい響きです」とのこと。さらにコントロール・ルーム後方には“縁側”が設けられ、頭上には軒屋根がせり出している。これに関して栗原氏は「だんごを食べてお茶が飲めるお茶屋さんのような場所を作ってほしいとお願いしました」と語る。音響面が気になるが、入交氏によれば「見た目的には鼻隠し板と垂木で軒先のような雰囲気に作っていますが、屋根の部分は吸音天井になっています」とのこと。この屋根と縁側の間の壁の一部は杉の下見板張で、その裏にもグラスウールを詰めることで高域を少し反射しつつ、低域を確実に吸音する構造になっているそうだ。

コントロール・ルーム後方には杉で作られた“縁側”が設けられている。上部の軒先のような天井部分は、グラスウールが詰められた吸音天井になっており、壁の一部には柔らかい杉の板を配してデザイン的には茶屋感を強調しつつ、音質的には高域を若干反射させて、その裏に収納されたグラスウールで吸音し、低域がたまることを回避している。左右の壁の上方はわらを練り込んだ聚楽壁で左官で仕上げられており、アクセントとして竹が埋め込まれている。当初は珪藻土も検討されたが、色味的にOriginに合うという栗原氏の判断で聚楽壁が採用された。

縁側にともる照明のシェードは美濃和紙が使われている

縁側にともる照明のシェードは美濃和紙が使われている

コントロール・ルーム前室の照明シェードは京和紙の和傘

月見窓、障子、絹ガラスなどに彩られた心地良いサウンドのレコーディング・ルーム

 和のしつらえはこれだけにとどまらない。壁には檜のインテリアラーチによる杉桟が品良くデザインされ、聚楽壁には竹がアクセントとして埋めこまれている。しかも、ボーカル・ブースだけは色が異なる竹を使うという凝りようだ。そして何より目を引くのが、レコーディング・ルームの円形にくりぬかれた壁のデザインだろう。それはまるで大きな月が浮かんでいるような、あるいは寺院の月見窓のような風情だ。もともと、JBFのオフィスには月の間と呼ばれる会議室があり、その壁も月が浮かんでいるようなデザインだそう。これも栗原氏のアイディアで、その発想をスタジオにも生かしたのだという。月見窓の内側には織物の椅子生地が貼られ、その内側にはグラスウールが仕込まれている。さらにレコーディング・ルームには和紙を貼った障子まであり、2枚のガラスの間に絹を挟んだ絹ガラスが組み込まれていて、とても美しい。

レコーディング・ルームに浮かぶ“月”と“オール栃木産”によるドラム・セット。この“月”は「お寺などにある月見窓のイメージ」と栗原氏。またドラム・セットのシンバル類はすべて手打ちで製作されているARTCYMBAL製、太鼓類は国産木材を中心に製作を行っているMIDDLECENTRE INSTRUMENTS製だ。スタジオの床は硬めのタモが採用されており、栗原氏の希望により木目を生かした仕上げとなっている

左側はレコーディング・ルームに設けられた和紙による障子。ガラス部分は、2枚のガラスの間に絹を挟んだ絹ガラス。非常に繊細な文様が浮かび上がっていて印象的だ

レコーディング・ルームでも、表面加工や厚みの異なる複数の大谷石を組み合わせた壁と聚楽壁が一部で採用されている。右の扉は4.2畳のレコーディング・ブースへの入り口

バイオリン、サックス、ドラムなどで使用するためのさまざまなモデルが用意されたマイク・コレクションの一部。上段左からDPA 4011C×4本、AUDIX F9×2本、D6、D2、中段は左からDPA 4099-DC-199-S、2011C、4011A×2本、4099-DC-2-201-D×2本、下段は左から4099-DC-199-S、NEUMANN U 87 AI×2本、4099-DC-2-201-D×3本

 上方に目を向けると7本の梁があり、その間には山型と谷型の勾配が付いた吸音パネルが交互に並ぶ。これは栗原氏の弦や管といったアコースティック楽器の録音にも対応できるようにという希望に応えたもの。入交氏は、「和の素材を多用したことでレコーディング・ルームがデッドになりすぎる懸念があったため、稼働後でも天井の布の中に板を入れて反射面を作れるようにしてあります」と工夫を明かしてくれた。

梁の間に山型と谷型の勾配が交互に並ぶレコーディング・ルームの天井。現在はグラスウールが入っているが、布の中に板を仕込んで反射面を作ることも可能。勾配を付けているのは、フラッター・エコーを避けるための配慮

梁の間に山型と谷型の勾配が交互に並ぶレコーディング・ルームの天井。現在はグラスウールが入っているが、布の中に板を仕込んで反射面を作ることも可能。勾配を付けているのは、フラッター・エコーを避けるための配慮

 しかし、これは無用の心配だったようだ。本格的なレコーディングはまだ行っていないものの、石井氏や山田氏、それに栗原氏のドラムの師匠がレコーディング・ルームでセッションしている音を、コントロール・ルームでモニターした栗原氏は、「ずっと弾いていてくれればいいのにと思うくらい心地良かった」と語り、石井氏も「すごく演奏しやすいです」と吸音と響きのバランスに大満足の様子。今後は自社スタジオとしてのみならず、外部利用も考えているそうで、音楽以外にナレーションやアフレコなどでも活用してもらいたいと栗原氏。

 「今、足利市内の小中学校の皆さんにも使ってもらえるように構想中です。卒業式のときの合唱や呼びかけなどを録音してもらえたりするといいかなと思って」

 この印象的な空間での録音はまさに一生の思い出になることだろう。そんな夢いっぱいの本スタジオから、今後どのようなサウンドが生まれていくのか、とても楽しみだ。

左から4人目がジェットブラックフラワーズの栗原希氏。右隣は音楽制作を担当している石井裕氏で、Glowlampのギタリスト/スタジオ・ミュージシャンとしても活躍されている。栗原氏の左に並ぶのはスタジオの設計/施工を手掛けたアコースティックエンジニアリングの入交研一郎氏、高野美央氏、山本真由氏。また、石井氏の右からコグレ楽器の代表取締役で栗原氏や石井氏のセッション仲間でもある山田一彰氏、ORIGINの導入に携わったソリッド・ステート・ロジック・ジャパンの鈴木宏隆氏、ワイヤリングを担当したサウンド・プランニング代表取締役の田中敬氏、機材コーディネイトを手掛けた宮地商会 RECORDING PROSHOP MIYAJIの澤口友弥氏

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