制作現場の声を反映してさらに操作性&音質を向上させたDAWソフト

AVIDPro Tools 10
昨年10月に突如アナウンスされたAVID ProTools 10の発表から原稿執筆時点で2カ月が経ちました。Pro Tools 10およびPro Tools HD10、そしてHDXカードの全貌が少しずつ明らかになっています。HDシステムを構築するヘビー・ユーザーは、もうすぐリリースされるHDXカードや、AAXプラグインの話題で持ちきりですが、そうでないユーザーを含めて、Pro Tools 10ソフトウェアが実際にどう変わったか、気になるところだと思います。ここではPro Tools 10を中心に、適時Pro Tools HD 10(HDXやHD Nativeに付属)にも触れながらレビューしていきます。

新たなプラグイン・フォーマット"AAX"
多用途で使えるAVID Channel Strip


Pro Tools 10ソフトウェアは、前バージョンのPro Tools 9と比較して、3つの要素が大きくアップデートされています。1つ目は名称とフォーマットが変わった点で、2つ目は操作など実作業にかかわるブラッシュアップ、そして3つ目はオーディオ・クオリティの進化です。まずは各種の名称やフォーマットをはじめとした"外回りの変化"から見ていきましょう。まず多くのユーザーを驚かせた1つのトピックが"AAXプラグイン"というフォーマットの登場ではないでしょうか。これは"Avid Audio Extension"の略号で、64ビット対応のプラグインであることが最大の特徴です。今回のアップデートではDAWアプリケーションそのものの64ビット化も期待されていましたが、それは見送られ、32ビット・アプリケーションのままプラグインだけが64ビット対応という格好になっています。これによってPro Tools 10で扱えるプラグイン・フォーマットは、RTAS、AAXの2つになりました。加えてPro Tools|HD Accelに搭載されたDSPを使用するTDMという概念は廃止され、新しくNative(パソコン本体のCPU処理に依存)、DSP(PCIeカードに搭載されたDSPの処理)の2種類に変更されています(Pro Tools 10はAAX Native、RTASに対応)。AAXフォーマットのプラグインについてはサード・パーティ各社の対応が待たれるところですが、本ソフトにはAVIDが用意した3つのプラグインが同梱されています。1つ目はAVID Channel Strip(画面①)で、AVID System 5の完全コピーと言われ、世界的なシェアを誇る人気コンソールのチャンネル・ストリップが最初から無償でそのまま使うことができます。次いでDigirack時代からマストなプラグインであるMod DelayもAAXプラグインへと刷新されています。3つ目はDown Mixerで、主にサラウンド(5.1chなど複数のチャンネル)で収録されたオーディオをLとRの2チャンネル・ステレオにするものです。

▼画面① AVID System 5から移植された新規AAXプラグイン "AVID Channel Strip"。1台でエキスパンダー/ゲート、コンプ/リミッター、4バンドEQ、LP/HPフィルターを搭載。タブで各機能を選択してエディットする形式だ。信号のルーティングが自在で、下部EQはスピーカー・ボタンを押すと、EQポイントのみを試聴できるようになっている


その中でもAVID Channel Stripは、レコーディングしたオーディオのトリートメントに必要なものが、過不足無く配置されているため、ミキサーに固有のチャンネル・ストリップを設けていないPro Toolsにとって、しかるべきスタンダード・プラグインになると感じさせます。同プラグインにはエキスパンダー/ゲート、4バンドEQ、HP/LPフィルター、そしてコンプ/リミッターという4つの機能を搭載。各機能は独立して調整可能で、接続順も自由に選べるようになっています。実際の使用感をひと言で言えば、非常に素直。あらゆる素材に対応でき、狙った音を的確に作り上げることができると感じました。そのほかの話題に埋もれてしまっているトピックですが、AVID Channel Stripは特筆すべきアップグレードの1つと言えるでしょう。

Audio Suiteウィンドウの複数展開
ディレイ/リバーブに"リバース"を追加


プラグインつながりで、もう1つの大きな変更がAudio Suite周りのアップデートです。まず、これまで1つずつしか開くことができなかったAudio Suiteプラグインのウィンドウが複数同時に開けるようになりました。これによって幾つかのプラグインをまたぐ形で処理しなければならないケースなどで、プラグインの設定を保持した(開いた)まま、段階的に処理できます。またこれらは旧Pro Toolsから採用されている"ウィンドウ構成(ウィンドウ>ウィンドウ構成)の登録"にも適用でき、処理工程をウィンドウごと保存しておけば、いつでも一連のプラグインと設定を呼び出すことができます。また旧バージョンでは選択範囲のみにエフェクト処理がされていましたが、今回から処理した前後を設定値(初期設定は2.0秒)の分だけ、トリム・ツールでレンダリング範囲外へ適用する"トリム・アウト" ができるようになっています(画面②)。

▼画面② 各Audio Suiteプラグインの下部に表示される数値の分(初期設定2.0秒)だけ前後に"伸びしろ"を持たせたレンダリングが可能になった。レンダリング処理した後でも波形を前後にトリム・アウトすることが可能。設定変更は環境設定>プロセッシング>Audio Suite>ハンドルのデフォルトの長さで指定


さらにDelayとReverbという種類に分けられるAudio Suiteプラグイン(サード・パーティ製を含む)には、"リバース"というボタンも追加されています(画面③)。言葉から想像できる通りに、リバーブやディレイが小さい音から、だんだん上がってくるようなリバース音がレンダリングされます。これはクリエイターにはかなりの朗報で、本来なら3ステップ、もしくはそれ以上の手順を踏む必要があった上に、近年の楽曲制作においては頻出する処理が、ボタン1つで実現できるようになりました。ちなみにAudio Suiteプラグインの処理を決定するプロセスというボタンは"レンダー"という名称に変更されています。

▼画面③ Audio SuiteのMod Delay Ⅲを開いたところ。上のトラックが通常のレンダー処理で、下が新規導入されたリバース・ボタンを押した場合に作成されたもの。通常はだんだん小さくなるディレイ音が、逆にだんだん大きくなって最後に原音が再生される効果になる。このリバースはサード・パーティ製のプラグインにも適用される


旧バージョンにあったオーディオ・リージョンのフェード機能は、本バージョンからリアルタイム・フェードという機能に変更されました。簡単に説明すると、これまではその都度レンダリングしてフェード・ファイルを作成していましたが、これをとり止めて、すべてのフェードをリアルタイムの演算で処理する方法になったということです。ビジュアル的にも波形が重なって表示されるようになっていて、よりフレキシブルな編集が可能です。またフェード・ファイルを読み込む時間が必要ないので、セッションを開くまでの時間も節約されるようになりました。純粋な"名称の変更"という括りで見れば、これまで最も慣れ親しんできたオーディオ(もしくはMIDI)リージョンという言葉が、"クリップ"に置き換わったのも大きいですね(先ほどから当たり前のように文面に出ていますが)。これは同社の映像編集ソフト"Media Composer"との整合性を高める変更と言われていて、クリップが有する根本的な機能やハンドリングという意味では、旧リージョンと何ら変わりがありません。その他、細かいことを言えばセッション・ファイルの拡張子が".ptx"となりました。旧バージョンとアイコンは同じものの、拡張子が.ptfから.ptxに変ったので、この段階でバージョン9か10かを見分けることができます。また、前出のAAXプラグインは、RTAS(もしくはTDM)とは別に新たに作成された、プラグイン・フォルダーに格納されます(Macの場合、起動ボリューム>ライブラリ>Application Support>Avid>Audio)ので、ヘビー・ユーザーの方はこれも覚えておくと良いかと思います。

クリップごとのゲイン調整が可能に
併せて波形もリアルタイムに連動


ここから実作業に影響する操作系のアップデートについて触れていきましょう。まずはディスク・キャッシュについて(画面④)。これはHDシステム、またはComplete Production Toolkitをインストールしているシステムで使用可能な機能です。セッション上のオーディオはこれまでハード・ディスクから直接ストリーミングされていましたが、今回より新たにRAMメモリーに読み込む方法が採用されました。これにより各トラックのオーディオの読み込み速度が格段に向上し、ハンドリング性能が上がっています。実際に旧バージョンでいったんオーディオが途切れていた操作(再生位置やバスの変更など)が、ほとんど途切れないほど機敏に反応し、ダイナミック・トランスポート機能を使用したループ再生の対応力が格段に向上した点などは、制作において大きなアドバンテージとなるように思います。

▼画面④ システム使用状況の画面。"タイムラインキャッシュ"に、クリップがどの程度RAMに読み込まれているかを表示し、100%になると緑色になる。"ディスク・キャッシュ"はプレイバック・エンジンで指定したキャッシュ・サイズのうち、どの程度を使用しているを表示する


次に取り上げるべきはクリップ・ベースのゲイン調整でしょう。これまでのボリューム調整、ボリューム・トリム調整に加え、オーディオ・ファイルの音量調整に新たな方法が加わりました。といっても内容はごく簡単なもので、クリップごとにその中のオーディオのゲインを変更することができます(画面⑤)。これに伴って表示される波形も、リアルタイムで大きくなったり小さくなったりするので、視認性にも優れ、細かい修正を機敏に行うことができます。HDシステムまたはProduction Toolkitを使用している場合、このクリップ・ゲインで編集したゲイン情報は、ボリューム・オートメーションに統合が可能な上、その逆にボリューム・オートメーションをクリップ・ゲインに統合することもできます(画面⑥⑦)。

▼画面⑤ 表示>クリップ>クリップ・ゲイン情報でクリップごとのゲイン情報を表示。クリップごとにゲインを調整できる(最大幅+36dB)。波形もリアルタイムで連動し、Pro Tools HD 10およびComplete Production Toolkit版ではボリューム・オートメーションに書き出し/読み込みが可能となる



▼画面⑥ クリップ・ゲインは情報ラインを表示(表示>クリップ>クリップ・ゲイン・ライン)して、その他のオートメーションのように情報を書き込むこともできる



▼画面⑦ クリップ>クリップ・ゲインにて編集したクリップ・ゲインのバイパスも可能(クリップごとの指定)。これらはPro Tools 9以前との互換性が無く、ゲイン情報は削除されるため、バージョンを行き来する際は事前にレンダリング/書き出しが必要



従来の4倍の自動遅延補正
選択したトラックのみが表示可能に


さらにPro Tools 10の全システムにおいて、自動遅延補正の許容範囲が前バージョンの4倍になりました(画面⑧)。これはプラグイン処理などによって生じる、各トラックの時間軸のズレを補正する機能です。これまでマスター・フェーダーにインサートしたマキシマイズ系のプラグインや、AUXトラックを多用した複雑な信号ルーティンを組んだ場合、遅延補正の許容範囲を超えてしまい、一部が遅延補正されない状態になることも多々ありましたが、今回のアップデートでこの問題は解決へ向かっていくでしょう。

▼画面⑧ プレイバック・エンジンにて遅延補正エンジンを指定しているところ。最大値は16,383サンプル(全Pro Tools共通)。Pro Tools 9と比べて約4倍と、大幅に遅延補正の幅が拡大された


レコーディングの工程でも遅延補正に関するアップデートがあります。例えばレコーディング時に入力したオーディオ信号のモニタリングに遅延が生じる場合がありますが、これは低レイテンシー・モードにすることで程度軽減されます。この機能は、AVID純正のオーディオ・インターフェースに限らず、独自のDSPミキサーを内蔵する他社製のインターフェースにも対応しており、前バージョンよりも自由度が増しています。今回はオーディオI/OとしてRME HDSPe AIOを使ってテストしてみましたが、以前よりもダイレクト感が感じられ、さらに快適なレコーディングが可能でした。その意味でも他社製のオーディオ・インターフェースを使用する場合、遅延補正に関しては、前バージョンとは別物として考えても良いほどだと思います。続いて画面表示など"見た目"のアップデート関連を見ていきましょう。編集ウィンドウ上部にはミュート、ソロ・インジケーターが追加され(画面⑨)、1つでもミュートやソロになっているチャンネルがある場合に点灯します。ソロについてはインジケーターから直接ソロ状態をオフにすることも可能です。さらにトラックの表示/非表示にも変更点があります。信号のルーティングが複雑になったセッションの場合、同じバスへ送られているトラックのみを選択でき、さらに選択したトラックのみの表示が可能になりました。これによって、同一バスのトラックを一瞬で判別でき、複雑な信号処理や編成、オーディオの書き出し時などでのミスを減らすことができます。

▼画面⑨ 編集画面上部に集約されるローケーターはツール・ボタンの項にソロ、ミュート・インジケーターが追加された。セッション上にソロ、ミュートされているトラックが存在する場合に点灯する。ソロ・ボタンはこのインジケーターから直接ソロの解除も可能だ


このような作業効率化の新機能として、選択したトラックのみを新規セッションに書き出せるようになった点も見逃せません。これは遠方のクリエイターとのコラボレーションなどでセッション・データを送ったり受けたりする際に重宝する機能で、文字通り作業工程で必要なトラックだけをデータとして書き出して送ることができます。旧バージョンにて行っていた、セッションを別名で保存し、対象外のトラックを削除して、セッションをコピーするといった手順の書き出し操作も、同一のセッション上で簡単に行えるようになりました。また、セッション上のオーディオ・クリップがパソコン上のどこにあるファイルなのかをワンタッチで表示する機能も加えられ、オーディオ・ファイルの管理や複数のセッションでの運用という点でもより扱いやすくなっています。

ダイナミックなオーディオ処理が可能な
32ビット浮動小数点ファイルへの対応


続いて3つ目となる、オーディオ・クオリティのアップデートについて触れていきましょう。ここで最も注目すべきは、32ビット浮動小数点のオーディオ・ファイルへの対応です。従来は24ビット固定小数点であるがゆえに、デジタル・シグナルの演算上で切り捨てられ、レベル・オーバー表示で再生されていたオーディオの"キワのキワ"の部分まで、より細かいアルゴリズムで処理されるようになりました。結果としてひずみの起こりにくい、つまりはよりダイナミックなオーディオ処理が実現するわけですね。この32ビット浮動小数点による信号処理が、トラックにインサートしたプラグイン同士の信号の受け渡しにも適用されるというトピックは、個人的にもかなりうれしかったアップデートです。これについては実際に前バージョン9.0.6を使って24ビットで書き出したオーディオと、同じセッションをPro Tools 10の32ビット浮動小数点処理で書き出したもので聴き比べてみました。音の印象については個々の主観が大きく影響することなので割愛しますが、32ビット浮動小数点処理の方が、あらゆる面でハッキリと"余裕"を感じさせるものでした。レベル的に"入れられる"ポイントも、EQ処理の自由度も変化しているので、オーディオ・ダイナミクスの品質は格段に向上するものと思います。本稿の主旨からは少々離れますが、Pro Tools|HDシステムにおいてHDXカードを導入した際は、ミキサーのシグナル・サミングのビット・デプスが従来の48ビットから64ビットになることも、サウンド・エンジニアリングにおいて見逃せないアップデートの1つかと思っています。

オーディオをSoundCloudへ
直接アップロードできる機能を追加


今回のバージョンよりPro ToolsからSoundCloudへオーディオを直接アップロードする機能が盛り込まれました(画面⑩)。SoundCloudとは別名"音のFacebook"とも言われ、ここ数年で大きくユーザー数を伸ばしたオーディオ公開システムです。日本国内ではまだ普及段階であるものの、海外ではひとつのコミュニケーション・ツールとして、作品発表の場として、またオーディオ・ファイルの実務上のやり取りにも使われています。僕自身このサイトの意義がよく分からず、何とはなくチラ見していたのですが、こうなってくると話は別です(笑)。早速アカウントを作成して様子を見ることにしました。

▼画面⑩ Pro Tools上から直接SoundCloudのアカウントに接続する画面。この設定でバウンス時に指定したSoundCloudアカウントへファイルをアップロードできる。バウンス時にiTunesライブラリーへの自動追加も可能だ


最後に気になるバージョン9以前のPro Toolsとの互換性ですが、前出のファイルの拡張子が変更になっていることからも分かる通り、ProTools 10で作成したセッションは、それ以前のバージョンでそのまま開くことはできません。この場合、"セッションのコピーを保存"というコマンドで、Pro Tools 9以前のセッションに書き換えられるので、そちらで作成したセッションを使用えば、旧バージョンとの互換性は確保できます。ただし、AAXプラグインやクリップ・ゲインにて編集されたデータは削除されますので、その点は注意が必要です。


さて、今回のアップデートをみっちりとひも解いてきましたが、いかがだったでしょうか? せんえつながら、僕が今回のアップデート内容を総括させていただくとすれば、今回のPro Tools10のリリースは実務上のフィードバック、つまり実際の制作現場の声に則したアップデートのように感じました。32ビット浮動小数点の導入、AAXプラグインの登場、そしてHDXカードのリリースと、3つの大きなトピックは未来のオーディオ編集、制作現場の中心を担う揺るぎない柱として、驚きをもって迎え入れられることと思います。そしてビジュアル面、操作面でワークフローの改善や、ディスク・キャッシュの採用など、その脇に添えられたアップデートの数々は決して派手なものではありませんが、それぞれが実に即戦力なものばかりです。僕自身、Pro Tools 10を使い始めてまだ日は浅いですが、より自然な形で思い付いたものをオーディオにできるようになるのではないかと、そんな予感すらしてしまう内容でした。

サウンド&レコーディング・マガジン 2012年2月号より)
AVID
Pro Tools 10
63,000円 ※Pro Tools 9からのアップ・グレード/26,250円 ※Pro Tools LE & MPからのクロス・グレード/46,200円
▪Mac/Mac OS Ⅹ 10.6.7/10.6.8/10.7.1/10.7.2(32ビット/64ビット)、2GB以上のRAM(4GBを推奨)、AVIDが動作保証するAPPLE Macを推奨、15GB以上のシステム・ハード・ディスク空き容量、オーディオ録音専用のハード・ディスク・ドライブ、専用グラフィック・カードの使用を強く推奨、iLok認証用USBポート ▪Windows/Windows 7 Home Premium/ProfessionalまたはWindows 7 Service Pack 1付属のUltimateエディション(32ビット/64ビット)、AVIDが動作保証するWindowsベースのコンピューターを推奨、2GB以上のRAM(4GBを推奨)、15GB以上のシステム・ハード・ディスク空き容量、オーディオ録音専用のハード・ディスク・ドライブ、専用グラフィック・カードの使用を強く推奨、iLok認証用USBポート