砂原良徳 インタビュー 〜『LOVEBEAT』360 Reality Audioミックスを語る

砂原良徳 インタビュー 〜『LOVEBEAT』360 Reality Audioミックスを語る

昨年、自身の手で再ミックス〜リマスターされた砂原良徳の名作『LOVEBEAT』。この『LOVEBEAT 2021 Optimized Re-Master』を元に、ソニーの立体音響技術、360 Reality Audioバージョンが配信リリースされた。この新バージョンのミックスを手掛けたのはもちろん砂原自身。散りばめられたサウンドが球体の空間を回り続けるその音場は、ステレオ版とはまた違った、新たな『LOVEBEAT』を提示している。

Text:iori matsumoto Photo:Miyu Terasawa(Main Photo)

人間って規則性を探しちゃおうとする癖がある

今回、『LOVEBEAT』を360 Reality Audioミックス化することになった経緯を教えてください。

砂原 360 Reality Audioをやってみませんか?と言われて、まずソニー・ミュージックスタジオでいろいろな曲を試聴しました。最初はライブが面白いんじゃないかと思って、ライブ作品とかを聴かせてもらった記憶がありますね。聴いてみると、ステレオ・ミックスの臨場感とは違う感じがありました。ただ、臨場感を楽しむのか、曲を楽しむのか……。曲だけ楽しむならステレオの方がいいのかな?とそのときは思ったんです。でも、その後にも多くの作品を聴いて、『LOVEBEAT』に置き換えたらどういう感じにできるかなと考え始めました。360 Reality Audioは新しいフォーマットなので、みんな“こういうことができますよ”と割と派手めなことをするじゃないですか? それをいろいろ聴かせてもらって、『LOVEBEAT』をそこに落とし込んでいくようにしました。

 

360 Reality Audioミックスでは、ステレオ版の『LOVEBEAT』とは別物にしようとしたのですか?

砂原 いや、そこは何も考えていなくて。むしろ360 Reality Audioという、音源をオブジェクトとして全天球に配置できるフォーマットに置き換えたときに、どうだったら面白いのかな、どういう感じだったら成立するのかしか考えていなかったですね。持っているマルチを使って、どう成立させるか。それと360 Reality Audioにするからには、その意味がないといけないですから。どうやったら意味づけがちゃんとできるかなと。でも最初は地味で、もうちょっと派手にやらなきゃダメだなと。あまり動いていなかったんですけど、もうちょっと派手に動いた方がいいんだなと自分の中でなりまして。当初考えていたよりは派手になりました。

 

その意味づけとしては、どんなことを考えたのですか?

砂原 360 Reality Audioの特徴は、細かくいろいろなところに音を配置できることと、動きを作れるということ。一番分かりやすいのは動くことで。たまたま『LOVEBEAT』はシンセ主体の音で、シーケンスが多いですから、動かしたときの違和感があまりなかったんですね。自然にこういうものなんだと納得できた。例えばギターの弾き語りだったら、動くのはどうなんだ?と思って。単に“360 Reality Audioだと動かせるから動かしました”となっちゃう感じがするんですね。例えば、かぐや姫「神田川」とか、あがた森魚「赤色エレジー」の360 Reality Audioとかだったら……。

 

南こうせつさんが回っている「神田川」にはしないでしょうね。あがたさんは回っちゃいそうですけど。

砂原 あがたさんが回るのは面白いと思うんですけど(笑)。そういうタイプの音楽じゃなかったので、音が回っていても違和感はなかったかなと思います。

 

確かに今回の360 Reality Audio版では、いろいろな要素がぐるぐる回っていますね。

砂原 シーケンスが主体なので、それを回すのはそんなに違和感はなかった。ステレオ版でもそこそこ動きがありましたから、もうちょっと派手にというか、分かりやすくしてみようと。

 

「SPIRAL NEVER BEFORE」は、オリジナルのリリースのとき(2001年)に“螺旋状に落ちていくイメージ”だとおっしゃっていました。その意味ではもともとあったイメージを実際に具現化できたのかなと。

砂原 そうですね。しかもAUDIO FUTURESから発売されている制作ツール360 WalkMix Creator™で視覚的に動きを作ることができるので、頭の中でイメージだけしてやっていたときとはまた違います。あと、動かすときに、2つの音が対称に動いている感じを確認しながら作れる。ランダムな動きも作れますが、規則性があった方が面白いなって思ったんです。動くと、人間ってどうしても規則性を探しちゃおうとする癖があるような気がするんですね。視覚的にも、聴覚的にも。規則が見つかったときの気持ち良さはあるかなと思います。

 

その点、音楽構造として規則性のある『LOVEBEAT』は360 Reality Audioにマッチしていたと。

砂原 ミニマルっぽい音楽には割と合っているんじゃないですかね。4畳半フォークよりも。笑いごとでもなく、4畳半フォークがダメだと言っているわけではなくて。

 

360 Reality Audioでの表現方法の一つとして、音へ動きを与えるのに向いているかどうかの話ですよね。

砂原 そうです。ミニマルとかアンビエントとかの方が、自分としてはしっくり来るのかなって思うんですよね。

 

しかも、ストリーミング+ヘッドホンのバイノーラルで手軽に聴けるのが、360 Reality Audioの利点です。

砂原 そうですね。ヘッドホンで聴けるという意味では、かつてのサラウンドよりは簡単なのかな。

「BALANCE」の360 WalkMix CreatorTM画面。左が後方から立体的に、右が天頂から見て平面的にオブジェクトの定位を示した図。左を見ると、下層では緑色のキックは前方の左右、赤いベースはやや後方左右に置かれている。この曲ではシンセ・ブラスやエレクトロニック・パーカッション、ボイスにかかるディレイ音などが頭の回りを回転する

「BALANCE」の360 WalkMix Creator™画面。左が後方から立体的に、右が天頂から見て平面的にオブジェクトの定位を示した図。左を見ると、下層では緑色のキックは前方の左右、赤いベースはやや後方左右に置かれている。この曲ではシンセ・ブラスやエレクトロニック・パーカッション、ボイスにかかるディレイ音などが頭の回りを回転する

キックの音圧はマスタリング処理した結果

制作時のモニター環境は?

砂原 自分のスタジオではソニーのヘッドホンMDR-M1STで、バイノーラル再生して。それをソニー・ミュージックスタジオの13ch環境に持っていって確認するのを4〜5回やったかな。スピーカーで鳴っているものが正解だと考えていたので。動きを描くとか時間のかかる作業は自分のスタジオでやって、“音の形”っていうんですかね、低域がどのくらいとか、定位がどこということはスピーカーで確認しました。

 

キックの質感や音圧がドンと出ているのが出色だと思いました。360 Reality Audioでは、音に包まれて臨場感がある一方で、近くに音を置くために皆さんいろいろ工夫されていると聞いています。

砂原 最初に作業の流れを聴いたときに、マスタリング工程が無いと聞いて、どうしようかな?と思ったんです。

 

オブジェクト・ベースの360 Reality Audioには、マスター・チャンネルという概念がありませんからね。

砂原 そうですよね。だから、音圧を調整する作業で苦労するだろうなとやる前から思っていて。ほかの人のやり方から自分のやり方に落とし込むのは難しかったので、ソニー・ミュージックスタジオの13個のスピーカーに、一つずつマルチバンド・コンプやリミッターなどをかけるという方法に落ち着いたんです。

 

すべてをスタジオのスピーカーに対応する13個のオブジェクトにまとめてしまった、ということですか?

砂原 工程を分けるんです。13chのアウトを想定した形で一度ミックスをレンダリングする。その書き出したWAVを別プロジェクトに読み込んで、スタジオのスピーカーに対応した13個のオブジェクトを置いて、リミッティング処理をする。

 

なるほど、ミックスとマスタリングのPRESONUS Studio Oneプロジェクトが別にあるわけですね。

砂原 そうです。そうやってマスタリングをしました。普段からマスタリングはやっているので、そのことが一番気になっていて。リスナーに生データのまま聴いてもらうという発想が無いので、それはなんとしてもやらないとダメだと最初から考えていました。だからキックの音圧を感じるという場面があるとしたら、そういう処理をした結果なんじゃないかなと思います。ほかの人がどうやっているか分からないし、ケースも少ないから、自分で工夫してやらないといけないなと。ミックスした後で、360 WalkMix Creator™にもリミッターが追加されたそうですが、それは必要だよなと思いました。

 

工夫すればマスターでの処理もできるわけですね。

砂原 まだフォーマットとして新しいので、仕様も変わっていくような気がしますね。最初は普段使っているStudio Oneに360 WalkMix Creator™が対応していなくて、AVID Pro Toolsでやるしかなかったんですが、途中でStudio Oneにも対応したので、なんとかなりました。

PRESONUS Studio Oneで行った「BALANCE」の360 Reality Audioミックス画面。オートメーション・レーンに描かれているのは、360 WalkMix CreatorTMでの動きで、周期的な動きが繰り返されていることが見て取れる

PRESONUS Studio Oneで行った「BALANCE」の360 Reality Audioミックス画面。オートメーション・レーンに描かれているのは、360 WalkMix Creator™での動きで、周期的な動きが繰り返されていることが見て取れる

こちらは「EARTH BEAT」のマスタリング画面。インタビュー中にあるように、ソニー・ミュージックスタジオの13chモニター環境に合わせてミックスをレンダリング。その13ch分のWAVを読み込み、IZOTOPE Ozone 7やStudio OneのLimiterで処理した後、再度360 WalkMix CreatorTMを通して納品ファイルを作成する。ステレオと同様のミックス→マスタリングというプロセスを経るための工夫だ

こちらは「EARTH BEAT」のマスタリング画面。インタビュー中にあるように、ソニー・ミュージックスタジオの13chモニター環境に合わせてミックスをレンダリング。その13ch分のWAVを読み込み、IZOTOPE Ozone 7やStudio OneのLimiterで処理した後、再度360 WalkMix Creator™を通して納品ファイルを作成する。ステレオと同様のミックス→マスタリングというプロセスを経るための工夫だ

一番エグい効き方をするのは水平方向の回転

タイトな部分と広がりのある部分のメリハリが、ステレオ版よりも効果的だと思いました。

砂原 使っているのはステレオでかけていたときのリバーブとほとんど同じで、LEXICON系のプラグインが主体です。ただ、360 Reality Audioに置き換えたときにイメージが変わっちゃったなと思った音だけ、リバーブを足したりしました。今回のミックスも、完全なマルチじゃなくて、下ごしらえをしておいて。ステレオ・ペアの中で既に動いているものを持ってきたり。ただ、さじ加減は変えたかもしれない。どちらかというとリバーブは増やす方向だったような気がします。ちょっと足りないなと感じて。

 

そうした下ごしらえをオーディオ処理ですると、そこでの動きや音色に縛られることもあるのでは?

砂原 ほとんど問題はなかったんですけど、一部違うなと感じたところは仕込みの段階からやり直しました。それは主にステレオの中の定位感……広げ過ぎているものを狭めておくとか。球の直径にL/Rを置いて回すのと、V字に置いて球面で回すのとでは、だいぶイメージが違うんですよ。あとはモノラルに分けて対称に動かした方がよいものとか。

 

『LOVEBEAT』、特に『〜Optimized Re-Master』は元のサウンド・デザインがしっかりとされているから、360 Reality Audioに持ってきてもうまく成立できるのかな?とは思っていました。

砂原 それと『〜Optimized Re-Master』の作業が終わってそんなに時間がたっていなかった。何をどうやったか覚えていたので、今だったからできたところはあると思います。3年後にやるのとは意味が違うし、今やるのがちょうどよかったんだろうなと。

 

音の動きのお話をされていましたが、「IN AND OUT」ではキックやスネアが大胆に左右へ動きます。

砂原 そのくらいやっていいだろうということになって(笑)。あれだけシンプルなものだからこそできる。

 

なるほど、音が少ない分、キックがほかのパートを支える役割をしなくていいわけですね。

砂原 そうですね。全部バラバラの音という考えなら、そういうのも成立するかな。音がいっぱいあって派手なものだと、何がどう動いているのか追っていけないけど、曲の終わりで極限まで音が少なくなるところだと追えるじゃないですか。そこで急に気持ち悪い動きをするのはいいかなと思って、いたずら半分にやってみました。360 Reality Audioは上下感もあるけれど、やっぱり一番エグい効き方をするのは水平方向の回転ですね。上下の動きもやりましたけど、ずっと何かが上下しているものはないですね。

 

回転の方向は?

砂原 画面を見ながら作ったので、左右ほぼ同じくらいにはなっているんですけど、でもなぜか右回りが多いです。

 

時計と同じ方向ですから、生理的には右回りを好むのかもしれないですね。

砂原 ああ、じゃあ自分も動物なんだな(笑)。感覚だけだと右回りが多くなっちゃうので、360 WalkMix Creator™の画面を見ながら左回りも作っていました。速度が途中で変化するものは無くて。ただオブジェクトによって速い/遅いはあります。さっき話題に挙がった「SPIRAL NEVER BEFORE」はそうですね。

ソニー・ミュージックスタジオで作業する砂原。画面にはStudio Oneと、360 WalkMix CreatorTMが立ち上がる。モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL906を上層×5、中層×5、低層×3の13chで設置。低域を補うサブウーファーとしてBasis 13Kも2基用意されている

ソニー・ミュージックスタジオで作業する砂原。画面にはStudio Oneと、360 WalkMix CreatorTMが立ち上がる。モニター・スピーカーはMUSIKELECTRONIC GEITHAIN RL906を上層×5、中層×5、低層×3の13chで設置。低域を補うサブウーファーとしてBasis 13Kも2基用意されている

1スピーカー=1音色だとどうなるのか

これだけ音が動いているのに、気ぜわしい感じはなく音楽に集中できました。

砂原 たまたま音数が比較的少ない作品だからじゃないですかね。一つ一つを追っていけるから。

 

音場が広くなったことで一つ一つの音が聴けるので、今まで気が付きにくかったところに耳が向きますね。

砂原 “こんな音が入っていたんだ!?”とは言われますね。もともと音数が少ないのに、そういう気付きがあるんだと思いました。もちろん、僕は作っているから分かっていますけど(笑)。繰り返しの音楽だから、動かそうと思ったらなんでも動かせるので、そういう意味でも楽でした。回るのも規則的だし、フレーズも規則的だから、違和感がないんでしょうね。KEN ISHII君も360 Reality Audioをやったと聞きましたけど、自分のとはタイプが違いますが、やはり繰り返しですから合うんでしょうね。

 

その意味では、クラブ・ミュージックは360 Reality Audioに向いている?

砂原 やっぱりアンビエントには合っている感じがしますね。あと、今回はステレオを360 Reality Audioに置き換えましたけど、最初から13個のスピーカーがあるという考え方で、1つのスピーカーから1音色という作り方も面白いのかな。このスピーカーはこの音だけ、という感じで。作るの大変ですけどね。アナログの楽器の世界だと、オーケストラってそういうことですよね。

 

このスピーカーがSEQUENTIAL Prophet-5、こっちがROLAND Juno-106……。

砂原 そうそう、そういうことです。

 

砂原さんのほかの作品で言うと、『CROSSOVER』などは360 Reality Audio化するのは難しい?

砂原 できなくはないけれど、『LOVEBEAT』の方が合っている。『liminal』も『CROSSOVER』よりは合っていると思いますけど、それでも『LOVEBEAT』の方が合っているんじゃないですかね。簡単な繰り返しで音数が少ない。回ってることと繰り返すことがしっくり来る感じはありますね。

 

あるいは、360 Reality Audioでのリリースを前提に曲作りするのはいかがでしょう?

砂原 今言ったスピーカーごとに楽器を鳴らすパターンもありですよね。あと、ものすごく大きい球体で聴いたらどうなるのか……。動きのスピードとかすごいじゃないですか。360 Reality Audioの基本的な楽しみ方はパーソナルなものだと思うんですけど、たくさんの人に、大げさに体験してもらう、でっかいバージョンとか。どっちかというとそういうことに興味があるかな。大阪で万博があるからそういうのをやってみてもいいかもしれない。そこでシュトックハウゼンを360 Reality Audioでやるとめっちゃ面白いじゃないですか。

 

もしそれが叶うなら、そこにはシュトックハウゼンだけじゃなく、ぜひ砂原さんの作品も……。

砂原 (笑)。冨田勲先生の作品も万博でやったらいいじゃないですかね。

Release

LOVEBEAT 2021 Optimized Re-Master

『LOVEBEAT 2021 Optimized Re-Master』
砂原良徳
(Sony Music Labels/Legacy Plus)

360 Reality Audio配信ストア:
Amazon music UNLIMITED(360 Reality Audio再生はAndroid/iOSデバイスから)
・Deezer(Deezerは「360」アプリから検索)

Musician:砂原良徳(all)
Producer / Engineer:砂原良徳
Studio:YSST、ソニー・ミュージック

関連記事